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2006年2月28日 (火)

バベットの晩餐會

 何故だか、10代後半から20代の多感な時に見た映畫の数々が、忘れられません。それらを何度見ても、また、新たな感動を呼び起こすから不思議です。

 1987年度アカデミー賞外國語映畫賞を受賞した丁抹(デンマーク)映畫、ガブリエル・アクセル監督の《バベットの晩餐會》。イサク・ディネーセンの原作で、19世紀後半、ユトランド半嶋の小さな寒村に、パリ・コミューンにより父と息子を亡くして流れ着いた佛蘭西女性バベットを女中として置くことにした、新教徒(プロテスタント)の牧師を父とする老姉妹。月日は流れ、幾年も經た後、富くじで1萬フランを當てたバベットは、その金を使ひ村人たちの爲に、豪華な佛蘭西料理を御馳走すると云ふお話しです。そこに、料理がもたらす奇跡の妙と云ふものが美しく描かれてゐます。

 シドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ主演の映畫《愛と哀しみの果て》(原題Out of Africa)の原作もディネーセンでした。こちらは、阿弗利加の大地に生きる力強い女性の物語でした。複葉機から見る草原、燃える珈琲園、男性専用の倶楽部にずかずか乘り込んでしまふものの、最後に旅立つ際、認められて逆に招待されたり、途中、卓上型蓄音機で猿にモーツァルトを聞かせる面白い場面もありました。

 《バベットの晩餐會》は、佛蘭西と云ふ現世の樂しみを享受するカトリック世界と、寒村で世俗的な慶びを拒否して來た新教世界の對立でもありました。初めは、見たこともない恐ろしい料理になかなか手を出さないものの、徐々に打ち解けて來て、にこやかに食事をするのです。唯一、老姉に大昔戀をした將軍だけが、海外駐在をしてをり、その料理の價値、ワインの銘柄すらも理解してゐるのです。どうしてこんなところで、巴里の一流店でしか出せないものが、食べられるのか不思議で仕方がありません。併し、一緒に食べる先代縁の村の人々は、惡魔に魅入られないやうに、黙つて口に運ぶだけなのです。そのうち、一皿一皿食べる毎に固くなつてゐた人々の心もほぐれ、思ひ出話しに華も咲き、温かい心を手にして行くところが、素晴らしい。

 日本では料理屋は水商賣として、低く見られてゐますが、歐州では専門家として客と同じ人として、對等に扱つてくれます。最も、短期勞働者(アルバイト)ばかりのカフェやレストランが多い日本では、致し方ないのかもしれませんが、顎で使ふことが客のステータスだと勘違ひしてゐる年配者には腹が立ちます。
 真心こもつた料理の素晴らしさは、確實に心に響くことを教へてくれた大切な映畫です。



Book

バベットの晩餐会


著者:イサク ディーネセン

販売元:筑摩書房

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2006年2月27日 (月)

山猫

 昨年、デジタル処理により往時の美しい映像が蘇つた、ヴィスコンティ監督《山猫》は忘れられない映畫のひとつです。

 1963年にカンヌ國際映畫祭でパルムドールを授賞したこの作品は3時間を越える大作であつた爲、64年の公開當時は英語短縮版で舞踏會の場面が大幅に省略されましたが、81年にオリヂナルの伊太利語完全版が見附かり公開されてゐます。その時も真っ先に岩波ホールへ行きました。確か前年に《ルートヴィヒ 神々の黄昏》完全版が上演され、座り切れず次回上映を3時間もホール外の階段で待つた翌年だつたと思ひます。

 使ひ古された表現ですが、「豪華絢爛」な「時代絵巻」!没落して行く誇り高きシチリア嶋の貴族の憂ひが見事に描かれ、歐州貴族文化の厚みや弊害、伊太利統一戰爭の戰場情景、嘘のない小道具、見事なカメラワーク等、細部まで脳裏に焼き附いて離れませんでした。それから、暫くヴィスコンティが流行り、立て續けに小さな映畫館で公開されたものは、殆ど見に行つたものです。大學卒業後に「歐羅巴で働く」と決心させたのは、この《山猫》だつたのかも知れません。

 19世紀の貴族の屋敷では、ミサを行ふ最中に、男はハンカチを敷いて片膝を附くことを初めて知りました。頬髯(ホホヒゲ)の似合ふ威嚴のあるバート・ランカスター、端役のジュリアーノ・ジェンマが歌を歌つたり、成り上がり者の娘が招かれた食卓で、齒を出して大笑ひをした爲に、誰もが憮然と席を離れてしまふ夕食の情景、瑞々(みずみず)しいアラン・ドロンの碧き瞳、若さと生を象徴するクラウディア・カルディナーレ、この若い二人が古い屋敷の部屋から部屋へ戯れる場面、舞踏會の待合ひ所でソファに飛び跳ねる女の子たちを猿のやうだと莫迦にするサリーナ公爵、大寫しの場面で額から汗の流れ出るところ… 忘れられませんね。

 革命戰爭の最中に例年通り避暑に出掛けた公爵一家を出迎へる町の樂隊が、下手糞乍らも當時流行つてゐたと思はれる、ヴェルディをブンチャカ、ブンチャカ奏でるところは笑へます。その上、ミサの入場曲にもヴェルディが使はれてゐました。舞踏會の場面でも見事な踊りを披露するランカスターとカルディナーレを支へるのは、優雅なヴェルディの旋律であつたと思ひます。

 そして、サリーナ公爵のお洒落なこと。既製服のない當時のこと、自分の體型に合はせて誂へるので、當たり前なのですが仕立てのよい服が、次々出て來ます。狩りに行く時、夜會服、普段着、それぞれの着こなしが何とも言へません。曲馬團(サーカス)出身の肉體派男優のランカスターが誇り高い伊太利貴族を好演してゐたことも特記すべきことでせう。絨毯敷きの部屋の真ん中にバスタブはがあり、石鹸一杯に體を洗いそのままタオルで拭いてしまふなど、我々日本人には信じ難い行爲なのですが、彼等貴族には當然のことだつたのに違ひないのです。

 80年代前半は伊太利なんぞ、そんなに注目もされてゐないどころか、「伊太飯」なんて云ふ言葉すらない時代でした。高校生であり乍ら、かういふ濃厚で重たい作品を好んで見に行くのですから、ませたガキでしたね。ヴィスコンティ映畫にハリウッドにない本物を見た氣がしました。

 横長のワイドスクリーンでDVDも發賣されてゐます。



山猫 イタリア語・完全復元版


DVD

山猫 イタリア語・完全復元版


販売元:紀伊國屋書店

発売日:2005/06/25

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2006年2月24日 (金)

ベルリナー

Berliner 「伯林風」「伯林仕立て」と云ふその名もずばり「ベルリナー(Berliner)」と云ふ菓子パンがあります。イースト菌で生地を醗酵させて揚げた丸いパンの中にジャムを入れ、粉糖を降つたものです。伯林では「ベルリナー」とは呼ばず、單にパンケーキ「ファンクーヘン(Pfannkuchen)」 と呼びます。ですから、ほんたうは「ベルリナー・ファンクーヘン」と呼ぶのが正しいのでせうが、地方では「ベルリナー」、伯林では「ファンクーヘン」と呼ぶものと推測されます。

 表面が雪のように真ッ白になつてゐますから、綺麗ですが、私は不得手です。外で食べると、口の周りが真ッ白になつてみっともなく、ベタベタ髭に附いて氣持ち惡いので、買つて歸へつて庖丁で4分割にして食べてゐました。ですから、今もハムブルガー(Hamburger)は恐ろしい食べ物です。口の周り、髭がケチャップで真ッ赤になつて「見たな~」なんて云ふことにならないやう、切つて貰ひ、バラバラにしてフォークで刺して食べます。

 西側のデパート「カー・デー・ヴェー(Kaufhaus des Westerns)」前のヴィッテンベルク・プラッツの驛舎はユーゲント・シュティル様式の素敵な建物ですが、その中央に立ち飲みカフェが在りました。人々はさう云ふところで謝肉祭の頃に「ベルリナー」を頬張るのです。私は、そこでよく行き交ふ人を見乍ら、珈琲とチョコレート入りのパンを上品に頂いたものです。

 それと、その廣場に在る立ち喰ひ処「イムビス(Imbiss)」のホットドッグは絶品でした。通常焼きソーセージ「ブラート・ヴルスト(Brat Wurst)」は太いフランクフルト・ソーセージに丸くて堅いパンだけですが、そこには亞米利加式のホットドックがありました。併し、味はひは獨逸風でこんがり外側の焼けた細長いパンに、玉葱の揚げたものが振り掛かつてゐて、そこに芥子「ゼンフ(Senf)」を掛けて貰ひ、貪り喰つたものです。口徑に無理がなく、殆ど髭を汚さずに濟んだのも嬉しかつたです。

 ですが、この「ベルリナー」はパン屋の端のテーブルだとか、この立ち飲みカフェ(Stehkafee)が基本で、カフェでは食べませんでしたね。ゆったり座るカフェには置いてなかったのかも知れません。

Berliner1 實は「ベルリナー」は人の名前でもあり、有名な人に圓盤蓄音機を發明したエミール・ベルリナーがゐます。この人のお陰でSP盤ができ、その應用でLP、そしてCD、DVDへと續く音盤の礎を作つた人なのです。「ベルリナー」を頂く度に、この圓盤蓄音機の發明者を思ひ出します。

Berliner2 このベルリナーの圓盤蓄音機を應用したものが、實驗用に學研から「大人の科學」シリーズで賣り出されてゐます。これは要らなくなつたCDに木綿針で記録し、再生するものですが、結構きちんと音が出るものなので吃驚します。



大人の科学 ベルリナー式円盤蓄音機


販売元:学研

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2006年2月23日 (木)

伯林の空氣

 二月の伯林はとても寒く、日中は零下10度、夜になると零下20度まで下がります。「今日は零下5度で、随分温かいね!」なんて會話が成り立ち、肉用の大きな冷藏庫の方が温かいのです。冷藏庫とは凍らせない場所でした。東西伯林が分斷されてゐた頃しか知らないのですが、勿論この寒さで運河は凍り、足の裏から寒さが傳はり、露出した顔の一部は痛い位です。
 帽子、襟巻きは勿論してますが、自分の息で髭が凍り、鼻の下が真っ白になります。一寸目を擦つて涙でも出やうものなら、睫毛が凍つてくっ附いてしまひます。そして、二重扉を押して建物に入つた途端に氷が溶け出して顔が溶けたやうにベチャベチャになるのです。家の中は集中暖房で摂氏20度位に保たれてゐましたから、手拭ひは必需品でした。

 雪はさほど降りませんが、降るとすぐに歩道には黒い石炭の粉が蒔かれ、滑り止めに使はれました。そこを革靴で歩いて歸へつて來ると、靴底に澤山小さな石炭の欠片が突き刺さつてゐたものです。大抵の日本人は、靴を脱いで生活してゐたので特に問題ありませんが、獨逸人たちも玄関で必ず然も念入りに靴を拭ひ、泥や石炭を落としてから入りました。

 西側は建物地下のボイラー室で重油を燃してゐましたので、洗濯物はそこに干さねばなりませんでした。それは夏でも同じことで、外へ出すと外觀を亂すのでバルコニーに干すことはできませんでした。當時、東側は重油ではなく、まだ骸炭(コークス)を焚いてゐました。東京生まれの東京育ちの私でも、近所の珠算學校がダルマストーヴで、横にはブリキのバケツに骸炭が積んであつたのを思ひ出します。どんより曇つた東の空から漂う骸炭を燃やす匂ひこそが、冬の伯林の空氣でした。

 パウリ・リンケ(1866-1946)作曲の喜歌劇《ルーナ夫人(Frau Luna)》の中に〈伯林の空氣(Berliner Luft)〉と云ふ威勢のいい曲があるのですが、これを伯林子が非常に大事にしてゐます。地方都市は存じませんが、東京の盆踊りで必ず掛かる〈東京音頭〉位誰にでも親しまれてゐるのです。
 彈き語りの居る居酒屋でこの曲をお願ひすると(同時にピアニストに一杯御馳走するのですが)、「外國の方がよくぞ選んでくれた」とばかりに大いに盛り上がり、「Luft, Luft, Luft,」の所で皆さん口笛を揃へて「ヒュー、ヒュー、ヒュー」と合はせて歌ひます。歌聲喫茶は知りませんが、きっと同じやうに大合唱をして盛り上がつたのでせう。

Tokyor2 これに對抗してではないのですが、私は東京人としてカラオケで必ず〈東京ラプソディー〉を歌ひます。1936(昭和11)年に、古賀政男作曲、藤山一郎が歌つた(Teichiku 50338)「懐かしのメロディ」に入る古い曲ですが、誰もが聞いたことのある旋律に、結構盛り上がるのですよ。誰かこの曲を知つてるゐる人が居れば、「花の都」「ミヤコー」、「戀の都」「ミヤコー」と合ひの手を入れてくれます。

 さて、〈伯林の空氣〉を歌ひ終はると、返禮に彼の知る唯一の流行歌〈スキヤキ・ソング〉を彈いてくれるのですが、こちらは出だしの「上を向ひて、歩かう~」位しか知らないので、誤魔化し乍ら歌ふのがたいへんでした。

 伯林の夏の風物詩、伯林フィルに因る野外演奏會が「ヴァルトビューネ」で毎年6月に行はれます。芝生に寝ッ轉がり乍ら、一流の音樂家の奏でる名曲が聞ける素敵な企畫です。この最後を締め括るのが〈伯林の空氣〉なのです(譯に依つては〈伯林の風〉〈伯林氣質〉となつてゐるかも知れません)。真夏の清々しい夜空とほんのり冷えた芝生の上で聞く〈伯林の空氣〉はさぞかし素晴らしいでせうが、私には嚴冬に漂ふ骸炭を燃やす匂ひこそが「伯林の空氣」でした。



《スパニッシュナイト》-ベルリン・フィル ヴァルトビューネ2001-


DVD

《スパニッシュナイト》-ベルリン・フィル ヴァルトビューネ2001-


販売元:TDKコア

発売日:2003/09/26

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CD&DVD THE BEST~上を向いて歩こう


Music

CD&DVD THE BEST~上を向いて歩こう


アーティスト:坂本九

販売元:東芝EMI

発売日:2005/10/26

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2006年2月22日 (水)

東西冷戰

 86、87年、89年と住んでゐた西伯林のシャルロッテンブルク地區は米軍管轄地でした。少し離れた公園と云つてもだだっ廣い管理された森なのですが、散歩してゐると、後ろの人の氣配を感じ、草群の音に吃驚して振り向くと、匍匐(ほふく)前進で訓練中の米兵たちを見たとか、或ひは、歌のやうな掛け聲を掛け乍ら整列して走り回る彼等も見掛けました。

Grenze 當時の伯林市は第二次世界大戰後、自治権はありましたが、戰勝四箇國(米英佛露)により事實上統治されて居りました。進駐軍と云ふ奴です。壁際には「あなたは米國管區を出るところです」と云ふ看板が立つてゐました。壁はやや東側に引っ込んだ所に在りましたので、この看板と壁の間の數米は既に東側だつたのです。

 ブランデンブルク門から西側の勝利の塔へ續く「6月17日通り」には、伯林へ一番乘りした蘇聯の戰車が飾つてあり、蘇聯兵士が立つてゐました。86年の初夏に突然の俄雨で私は傘も持たずに出掛けたので、大きな木の下で雨宿りしましたが、彼等蘇聯兵は雨の中でも歩哨せねばなりません。雨合羽を着た交替が來て、横へ引っ込む時に走り込んでゐました。それを見た、我々觀光客は大笑ひしたものです。「奴等も同じ人間だ!」と。

 この6月17日通りを米英佛三軍の行進が年に一回あり、戰車だとかも通ります。田宮の軍装模型(プラスチック・モデル)が好きだつた青年には、兵隊や武器は取り分け格好良く見えます。勿論、自分が戰場へ赴くなど考へたこともなく、北朝鮮や蘇聯の赤の廣場の軍事行進は恐ろしかつたですが、陸路が寸斷され伯林封鎖されれば、また「伯林空輸作戰」の二の舞です。西側三軍の彼等に守つて貰つてゐると思ふと心強かつたりもしました。

 東側へ行くと、鐵道驛の上には自動小銃を擔えた國境警備兵が居ます。服装が傳統的な軍服に黒革長靴でした。軍装模型で親しんだ私には、曰く近寄りがたいものの、懐かしくも、親しみ易い軍服です。東獨逸崩壊後はアメ横でこの軍服をよく見掛けました。こんな古めかしい軍服に身を包んだ軍人の監視の目は嚴しく、周りを見渡せば、流行服を着た人は勿論居ませんし、地味な格好ばかりです。廣々とした表通りは寒々しく、裏通りは市街戰の後も生々しい彈痕が殘り、崩れた煉瓦塀だとか仄暗くて寂しい街燈だとか、鉤十字の旗は翻つてゐませんが、まるで獨逸國家社會主義勞働黨(ナチス)政権下の1930年代の伯林へ來たのではないか、と錯覺する思ひがしたものです。

 さて、88年にフランクフルトで働いてゐた頃の話しです。伯林の日本人の元同僚ともよく電話で連絡し合つて居りましたが、時折、雑音が酷くて聞き辛いことがありました。そんな時は、電話線が東獨逸を通る際、途中で盗聽されてゐて、日本語の場合は北朝鮮の兵士に翻譯させて記録してゐたと云ふ話しでした。
 其の時も居り惡く矢鱈と雑音がザーザー混ざり、「盗聽されてゐる」と感附いた私は、散々東側の惡口を言ひ、北朝鮮の獨裁政権をなじり、友達と散々惡態を就いてゐたら、途中でブチッと切られてしまつたのです。その時はさすがに蒼かったです。

 幾ら西側の都市に住んでゐたとは云へ、30分以上は話し込んでゐましたから、きっと逆探知も可能であつたことでせう。コッポラ監督、ジーン・ハックマン主演の《盗聽》と云ふ映畫がすぐに頭を過切りました。プロの盗聽専門家が次々と頼まれた他人の秘儀を盗聽し、最後には自分が盗聽されてゐると云ふ強迫觀念に陥り、孤獨と恐怖に苛まれて行くお話しです(1974年にカンヌ國際映畫祭でパルムドールを授賞してゐます)。

 突然、スパイ容疑で拉致でもされて、東に送られ、しまひには西比利亞(シベリア)送りにでもなつたら、と考へると心細く、寝臺の上で毛布を被りひとり小さく丸まったものです。數分たつて、その友達と再度電話が繋がると、お互ひに無事を確認して、ほッとしましたが、その晩は安心して寝入ることが出來ませんでした。




カンバセーション…盗聴…


DVD

カンバセーション…盗聴…


販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2002/07/25

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尚、文中の畫像は「ベルリンの壁」から許可を得て掲載してゐます。

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2006年2月21日 (火)

壁の上

Berlin 伯林と云へば、一昔前まで「」が在りました。勞働力の流出を防ぐ爲に、1961年8月13日に突然東側に建設された壁は、未来永劫存在すると思はれてゐました。1989年の晩秋にはまだ伯林に住んで居りましたので、あの時のことはよく覺へてゐます。

Mauerv 89年の夏に洪牙利が墺地利との國境の有刺鐵線を外した頃から、西側への人々の脱出が始まりました。それまでは、一日査証(ヴィザ)5馬克(マルク)と強制兩替25馬克をすると東へ入れたものですが、確か9月末になると、當時蘇聯のゴルヴァチョフ書記長が來伯し、東のホーネッカー書記長と會見することになると、西と東の檢問所は騒然として來ました。「伯林の壁」が崩壊するだ何て、本氣で考へてゐる人は誰もゐませんでした。21世紀になつても無くならないモノと意識、理解してゐました。そして、運命の11月9日がやって來ます。

 その翌日の金曜日は試驗を終へた私は學校も休みで朝寝坊をして外へ出たところ、いつもと様子が違ひます。ラヂオは持つてゐましたが、たまたま朝聞いてゐませんでした。シャルロッテンブルクに在る住居を出て、街中を歩くと、雰圍氣が違ひます。かう云ふことは肌で感じるものなのですね。よく見てゐると、やや貧相な服装の人々が窓越しに商品を見とれてゐました。嗚呼、彼等は東側の人間だ、とわかるものです。波蘭(ポーランド)人勞働者にしては、家族連れが多いし、いつもと感じが違ふのです。

Mauern 地下鐵に乘ると、「壁」がどうのかうのと云ふ會話が聞こゑ、「壁が開いた」とも耳にしました。そんなこと、あらう筈はないけれど、萬が一にもあるならばと思ひ、背中のリュックの中に寫眞機(いつも持ち歩いてゐました)があるのを確認して、そのままポツダム廣場へと向かつたのです。壁際に櫓が立つてゐて、東側が見えるやうになつてゐましたから、其処へ行けば何かわかるだらうと思つたのです。近附くに連れて、どんどん、どんどん人集りが増えて、列を成して向かつて來ます。解放されたのはほんたうだとた、とその時初めて理解しました。

Mauer2 ならば、早速ブランデンブルク門を歩いて通つてみたいと云ふ衝動にかられ、國會議事堂の方へ歩いて行きました。すると、門前の壁はそこだけでやや低く、幅廣なので壁の上が黒山の人集りです。壁の上へ上がれるだなんて、夢にも思ひませんでしたから、驅け寄ると梯子がひとつ掛けてありますが、これは下り専用で上り口はありません。でかい獨逸人の若人たちは走ってよじ登るのですが、私のやうなチビではどうすることもできません。

Mauer3 そんな時、救ひの手は差し伸べられるものなのですね。兩手を擧げてウロウロしてゐる東洋人を見るに見かねたガタイのよい兄ちゃんが、ニコッと笑ふや否や足首を持つと、そのまま、バーベルでも上げるかのやうに、輕々と然も高々と持ち上げてくれました。兩手が壁の上に届くと、上にゐる人々が皆で引き揚げてくれました。まだ、東側には國境警備隊が居り、勝手に行き來はできませんでしたので、早く行かせろと言ふ人々、單に酔っぱらってる人、私のやうな野次馬だとかで大混雑。結局、東側の國境警備兵に守られてブランデンブルク門は通ることはできませんでしたが、その時の昂奮は未だ忘れられません。

 文中の畫像は私が實際に撮つたものです。勝手に複寫引用はご遠慮下さい。

 壁に就いては「ベルリンの壁」に詳しく書かれてゐます。地圖畫像は「ベルリンの壁」から許可を得て掲載しました。

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2006年2月20日 (月)

 店の名前「ビストロベルラン」は獨逸の都市伯林(ベルリン)を佛蘭西語讀みした「ベルラン」に、氣輕にワインと料理を樂しんで頂けるやうにレストランではなく、ビストロと名附けました。「ビストロ」は本來「居酒屋」とでも譯しませうか。それ故「カフェ」とは違つて、隣の話し聲が氣にならない位にテーブルの間隔も廣げ、店内は絨毯ではなくて板張りにし、カウンターバーも併設したのです。
 私共の歐州料理は、ビールとソーセージの獨逸料理ではなく、所謂(いはゆる)佛蘭西料理ですが、佛蘭西で修行を積んだ譯でもないので、敢へて佛蘭西料理とは名乘らず、佛蘭西語讀みの「ベルラン」に捻つてある譯です。また、特に最初から音響を考へた譯でもなかつたのですが、歐州並に高い天井が好きで、彎曲した天井で間接照明にしたところ、結果としてよい響きをもたらしてくれてゐます。

Shild_2 店の袖看板には、ワインを象徴する「葡萄」と日本酒を表す「稲穂」、そして中央には「熊」が描いてあります。これは伯林市の紋章から頂いたものです。勝手に使つてはいけないと思ひ、1990年の開店前に獨逸大使館へ行き、三等書記官に面談して確認しました。「公式に使ふものと全く同じではいけませんが、同じ向きだとか、似たものが駄目となると、伯林中の店を取り締まらなければなりません。この絵柄で許可を取る必要は全くありません。」と快く解答を頂き、掲げることとなりました。

Baer 何故伯林に熊なのか。これは街の名に由來します。
 その昔、シュプレー川の湿地帶で狩りをしてゐた獵師は大きな熊に脅かされました。大きな獲物を見附けた獵師は、これをを仕留めてやらうと追つて行くと、これは母熊で小熊を守る爲に威嚇したことがわかつたのです。子を思ふ親の氣持ちは人だらうと、動物だらうと變はりません。獵師は打つことを諦め、それからと云ふもの、この森の熊は狙はず、大事にしました。そして、幾年も經て此処に町が出來ると、雌熊(Baerin)に因んで、伯林(Berlin)と名附けられたのです。

Flagge 1237年(日本は鎌倉時代)に、シュプレー川を挟んで「ケルン(Coelln)」と云ふ村の對岸に「ベルリン」と云ふ二つの村が公式記録に初めて出て來ます。それが1244年に合併して「伯林」だけとなり、1415年にはブランデンブルク邊疆(へんきょう)選帝侯、フリードリヒ1世(ホーエンツォレルン家)が居城を構へ、大伯林へと發展して行きます。熊の紋章は1280年に採用されてから、ずっと現在でも市の象徴として使はれてゐるのですね。

 ただ、この由來説はどうも眉唾ものらしく、今では湿地を表すスラブ語音節「berl」まで遡るとされてゐます。私としては「熊説」が好きですが…

 孰れにしても、伯林の人々が今も街のシンボルとして熊を愛してゐることに變はりありません。伯林國際映畫祭(Internationale Filmfestspiel Berlin)では「金熊賞(Goldener Baer)」が送られ、土産物屋には熊の人形や熊の置物が澤山賣つてゐます。
 「日本に於ける獨逸年」でした2005年にはそれを記念して、以前ポツダム廣場で見掛けたものと同じ、2米の熊のオブジェが六本木ヒルズに並んでゐました。平和の願ひを込めて各國の藝術家が思ひ思ひに圖柄を描いた熊を飾るこの企畫で、世界中を熊が回るさうです。

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2006年2月17日 (金)

Brush

 LP盤を再生させるのに、レコードが塩化ビニールであつた爲、靜電氣が發生して埃を吸ひ取つてしまつたものです。それで、演奏途中にプチプチ雑音が入るのが堪らなく厭でした。SP盤であらうと、埃は禁物です。ましてや湿度の多い日本ではほったらかしにして置くと黴(カビ)だらけなんてことにもなりかねません。整理整頓はどこの世界でも必要ですね。

Brush 通常の埃はブラシがあれば十分です。回轉臺に置いてから、ササッと一回りすれば大抵の埃は取れてしまひます。左上の白いブラシは神保町の刷毛屋で見附けた「レコード専用ブラシ」で、これを専ら愛用してゐます。他は蒐集品のHMVのまたはヴィクターの犬として知られる「ニッパー」の繪が附いたものですが、裏の毛がもう殆ど殘つて居らず、ただ飾つてゐます。

 人間の耳と云ふものはよくできてゐて、雑音があつて當たり前の蓄音機では、氣に掛けなければ、氣にならなくなるものです。以前、SP盤をレーザーターンテーブルで再生する試みをしたことがありますが、高感度の補聽器があらゆる音を拾ふやうにして、ミクロ單位の埃も細かな音として再現してしまひ、とても音を樂しめませんでした。

 蓄音機の近くで聽けば、針が盤を擦る音も聞こえてしまふので、少し距離を置くと急に臨場感が出て來ます。HMV194のやうな大型蓄音機の場合、矢張りどうしても大きな空間が欲しいものです。その點、ベルランは天井も高く、奥行きもあり、天井は凹んで反響板の役目も果たしてゐますから、誰も居なければ最後列で一番響き、歐州の演奏會會場に居るやうな錯覺に陥ることすらあります。70~80年前のSP盤にどうしてそこまでの情報が入り、それをまたここまで忠實に再現できるものなのか。不思議でたまりませんが、それこそが蓄音機の魅力なのでせう。

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2006年2月16日 (木)

78 r.p.m.

Speed3 蓄音機のSP盤はスタンダード・プレイングまたはショート・プレイングの略で1分間に78回轉(revolution per minute)します。40代以上の皆さんがその昔、慣れ親しんだシングル・レコード(ドーナツ盤)は45回轉、LPは33と1/3回轉ですから、それに比べると凄く速く回ります。このLPが何の略だか、もうおわかりですね。スタンダードに對して長く掛けられるのが賣りで、ロング・プレイングと名附けられたのです。

 HMV194にはちゃんと速度を知らせる小窓が有り、大きく真ん中に「78」の數字が見えます。螺子(ネジ)を左に回せば「速く」、右へ回せば「遅く」調整ができます。長い間調整をしないと78を指してゐても、正しい回轉速度ではないこともあります。

Strobo そこで、この速度調整に用ゐられるのがストロボスコープ(回轉運動觀測器)です。ラッパーの兄ちゃんたちが、ウハウハと速度を變へるあのレコード・プレイヤーの回轉臺の側面に附いてゐる白黒のイボイボがそれですね。蓄音機であれば、ストロボスコープをレコードの代はりに置き、回してみて78回轉であれば、この白黒が一定して安定して見えます。速度が違ふと黒い模様がどんどん動いて行つてしまふのです。

 このストロボスコープはベルラン専用に複寫してロゴを入れたものですが、本來なら電球(東京なら50ヘルツ)を近附けて見られるやうになつてゐます。もともと、裏面には60ヘルツの白黒斑(まだら)模様が描かれてゐました。

 20世紀初頭、SP盤が作られ始めた頃は78回轉と決まつて居らず、80であつたりしたのです。1926年に録音されたメンゲルベルク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃樂團によるマーラーの〈アダージェット〉(Columbia L1798)は「80回轉」です。正しい速度で聽くには、ストロボスコープが欠かせません。ところが、この抒情的な名曲は幾度も再販され、仕舞ひにはラベルから「80回轉」の文字も消えてしまひました。この一曲だけの爲に速度調整をするのが面倒ですし、多少遅くともゆったりと流れる曲調に變はりはなく、氣にしなくなつたのでせう。かく言ふ私も78回轉で聽いてゐるので、たまには本來の姿で聽かねばと思ふのでした。

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2006年2月15日 (水)

Needles

 サウンド・ボックスが心臓部であるとすれば、「レコード針」は背骨とも云ふべき大事な部分です。音溝の情報を正確に振動板に傳へる役目を果たします。單に溝にはまるのであれば、木綿針でも竹串でも音は出ますが、それではSP盤を傷めるばかりです。

Nadeln 私は戰前に作られ死藏(デッドストック)されてゐた鐵針を愛用してゐますが、様々な種類があります。これは靜岡に住む蒐集家が作つた「レコード針見本」です。上から、鐵針、竹針、サボテンの針、何度も使用可能な特殊な針が順に並んでゐます。
 鐵針ひとつ取つてみても、超弱音、弱音、中音、強音、最強音と5種類も太さに違ひがあります。これは勿論、音の大きさにそのまま比例して、小さな音からとてつもない大きな音まで調整できます。「何だ、ヴォリュームで調整すればいいぢゃん」なんてことは言はないで下さいね。電氣を使はず、動力にゼンマイだけの蓄音機にヴォリューム調整ボタンや摘み何てものはありません。

 音の強弱は針が決めるのです。この曲にはこの針、あの曲にはあの針と選ぶ樂しさもあります。鐵針よりも柔らかい音色が好みでしたら「竹針」を、小さな音で繊細に聽きたいのであれば「サボテンの針」がいい譯です。それぞれ専用のカッターがあり、それを利用して一回毎に切つて鋭い先ッぽにして利用します。言ひ忘れましたが、一面掛けるだけで先が削れてしまひ、もうそれで終はりです。鐵針なら一回こっきりの使ひ捨てですから、随分と贅澤なものです。

 何度も針を替へる煩はしさから解放すべく開發されたのがメッキを施した鐵針です。一曲毎に毎回替へてゐては、熱く燃え上がる筈のダンスも興醒めでせう。真鍮メッキなら10回、生産會社により軸に色を附けてゐるものもあります。ですが、實際に10回も使用したら、盤が傷んでしまひます。針が削られるだけでなく、レコード盤も削りますので、何度も繰り返し聞けば雑音が増えて來て、仕舞ひには盤が白っぽくなつて、使ひものにならなくなります。もう終はりです。
 そしてLPのやうな細い溝を持つSP盤ができると、片面長時間再生せねばならず、従來の針では最後まで行けません。そこで先端に極細のタングステンを使用した針も出て來たのです。

 消耗品の針は現在、日本でも英國でも極少量ですが生産されてゐるので心配はありませんが、自分の好みの音を出す針は昔のものに勝るものはありません。新しければよいが通用しないのが、この針の世界なのですね。 

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2006年2月14日 (火)

Sound Box

5a3 レコードに刻まれた音溝を針がなぞり、その振幅をジュラルミン製の振動板に傳へると音が出ます。これが蓄音機の基本構造で實に單純ですが、心に響く温かい音がするから不思議です。


Sdbx 針を支へ、振動板とその枠の部分が心臓部に當たり、これを「サウンド・ボックス」と申します。電氣録音以前は、振動板が雲母板(マイカ)で大音響は無理でした。各社それぞれ工夫を凝らし、特許を取得して、我社が一番だと競ひ合つたものです。骨董市で見附けた二束三文のぼろぼろ蓄音機に、もしも素晴らしいサウンド・ボックスが装着できれば(大抵口徑が違ふ爲合ひません)、それだけで夢見心地となることでせう。

Expart アクースティックな蓄音機の最高峰とも呼ばれる、ホーンの口徑が75糎にもなる巨大且つ偉容を誇るEMジン社の蓄音機の爲に開發された、エクスパート社のサウンドボックスは全く違ふ構造をしてゐます。アルミニウムの振動板を真鍮の重たい枠が支へ、竹針を使ひ、とても素晴らしい再現力があり、これはこれでHMVとは全く違ふ別世界へと扉を開いてくれます。

5a6 このサウンド・ボックスを替へることにより同じ曲を掛けても、全く違ふ印象を受けます。英國グラモフォン社のサウンド・ボックスは規格統一され同軸のアームに取り附けられますので、この金メッキの5Aだけでなく、雲母板の4番や、携帶用蓄音機HMV102用に開發された5Bでも聽くことができます。4番は歌や提琴に向く反面、管絃樂では威力が發揮できません。5Bですと、中音域がガンガンと鳴りすぎる爲、クラシックよりは流行歌或ひはジャズ向きな氣がします。併し、5Aは元々この蓄音機の爲に開發されただけあつて、曲を選ばず、伸びやかに隅々まで再現してくれる優れものです。

 良い音を求めやうとする人間の飽くなき挑戰は、音色の再現にも氣を使ひ、然もSP盤をできるだけ傷めない針の開發を即したのでした。明日は針のお話しです。

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2006年2月13日 (月)

HMV 194

Hmv1941 私の自慢の蓄音機、英國グラモフォン社製のHMV194型は、この上に202,203と云ふ更に大きな型もありますが、最高級品として知られ、1930年當時、輸入はされてゐませんが土地附の家が買へると云はれた程です。勿論、ゼンマイ式で電氣は一切使つてゐません。

 皆さんが思ひ描く蓄音機は喇叭が上に飛び出たものですが、これは桃花心木(マホガニー)の木目も美しい箱の中に音が自然と廣がり増幅するやうにエクスポーネンシャル・リエントラント・ホーンと呼ばれる筒が折り曲げて入つてゐて、演奏會場のやうな豐かな臨場感を與へてくれるのです。

Inseide 先に開發した米國のヴィクター社は木製ホーンを採用したのに對して、こちらは亞鉛合金ですから、再現音の赴きが違ひます。ヴィクター社の最高級蓄音機「クレデンザ」は聲樂に、グラモフォン社のHMVは器樂に向くと云はれますが、これは好みの問題で得意技の違ふ兩横綱の觀があります。

 初めてこの蓄音機に出會つたのは1994年頃でした。高いと評判の銀座に在る蓄音機専門店で聞かせて頂いた時は、「何時かは」と云ふ單に夢の一部でした。それから1年位たちその店から「競賣」の案内が届くとこの194が出てゐるではありませんか。これを見たら、もう居ても立つてもゐられなくなり、急いで飛んで行くと、型録に出てゐたものは猫足の特殊なもので鳴り方も全然違ひました。最低落札價格は通常のものの半分位でしたが、どうしても音が氣に入りません。そこで以前聞かせて頂いたものをもう一度じっくり聽かせて貰ひました。
 「あッ、これだ!」最初の音の出だしから臨場感が全く違ひます。後で知るのですが、針の振動を音に變へるサウンド・ボックスに因る違ひも大でした。

 其の晩、家に歸へると真先にかみさんに預金通帳を見せて、買つたとしても明日からお茶漬けやカップラーメンの極貧生活にはならないことを証明し、こんこんと蓄音機の素晴らしさを説明したのです。蓄音機の話しになると「結婚前から目を輝かしてゐたから」と反對することなく、實にすんなり承諾してくれました。「反對しても、後でこっそり買はれるよりはいい」と後で言つてゐましたが、この時ばかりはかみさんが觀音様に見えたものです。當時、コロムビアの卓上機がありましたが、良いものを聞いてしまふと駄目ですね。

 翌日、滿面笑みを浮かべ云百萬圓もするにも拘はらず、聲を上擦らせ乍ら「これ下さい」。自動車一臺と同じやうな金額ですが、「大勢で樂しむことができるのだから」と言ひ譯がましく、心に言ひ聞かせても居ました。そして95年の6月にベルランにやって來たのです。
 兎に角、嬉しくて嬉しくて、既に50枚位はあつたSP盤を次から次へと休憩時間にずっと掛け鳴らし、休みの日はかみさんを誘つてわざわざ店に出て來て聞かせまくり、來る人來る人に自慢したものです。これだけ良い機械があると、自ずと良いSP盤も欲しくなり、蒐集のド壺にはまつて行くのでした。

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2006年2月10日 (金)

愛の二重唱

 ワーグナーの樂劇《トリスタンとイゾルデ》と云へば、誰もが〈第1幕への前奏曲〉と終曲〈愛の死〉だけを真先に思ひ浮かべることでせう。併し、2幕にもイゾルデとトリスタンが、コーウォール城の庭内、漆黒の闇の中で愛欲に耽溺して、陶酔の世界を歌ふ〈愛の二重唱〉も名曲です。誤つて媚藥を飲み交わして戀の炎に火が附いたとは云へ、許されざる王妃イゾルデと王の甥トリスタンは密會を重ね、晝の光を呪ひ闇の中でしか愛し合へない二人の嘆きは極限に達して行くのです。

 日本人は儒教的な考へが身に附いてゐるからか、君主の奥方と寝るなんて不謹慎極まりないと思ふのですが、この中世から傳はる物語は、日本の「安珍と清姫」或ひは「道成寺」位(今の若い人は知らないか)歐州では親しまれてゐるものです。同じ悲劇とは云へ、清姫は大蛇になつて鐘に隠れた安珍を焼き殺してしまふのですから、相思相愛、濃厚熱烈なケルト人と一目惚れされて甚だ迷惑な僧とはだいぶ違ひますね。

 伊太利歌劇のやうなアリアと違ひ、途切れることなく半音階が果てしなく續くワーグナーの《トリスタン》でも、この〈愛の二重唱〉だけよく單獨で取り上げられます。 Flag1古い音盤としては、紐育のメトで一時代を築いた諾威(ノルウェー)のキルステン・フラグスタート(1895-1962)と丁抹(デンマーク)出身のラウリッツ・メルヒオール(1890-1973)の組み合はせ、エドウィン・マッカーサー指揮、桑港(サン・フランシスコ)歌劇場管絃樂團のSP盤(Victor15838/39)がアルバムとして殘されてゐます。因みにCDの時代になつても、シングルに對して幾つか曲を集めたものをアルバムと言ひますが、SP盤は見ての通りの分厚いアルバムですから、これが語源なのでせう。

Flag2 1939年録音のこのアルバムには他に〈愛の死〉と樂劇《神々の黄昏》より〈ブリュンヒルデの自己犠牲〉も入つたフラグスタート好きにはたまらない組み合はせです。52年のフルトヴェングラーとフィルハーモニア管絃樂團との《トリスタン》、57年にクナパーツブッシュが維納フィルとデッカに入れた樂劇《ワルキューレ》1幕だとかで、慣れ親しんだ神々しいばかりのフラグスタートの力強く、高貴で、透明感のある表現力が大好きです。多くが戰後の録音なのに對して、これは戰前の若々しく張りのある聲ですから、尚更素敵です。どう考へても媚藥の所爲だらう巨漢の醜女(しこめ)から、ブリトニー・スピアースのやうな愛姫に印象が變はります。


Flag3 33年にバイロイト音樂祭に出演してから、國際的な活躍を手に入れたフラグスタートの全盛期の歌唱が大迫力で迫つて來ます。ヴィクター社自慢の赤盤とは云へ、伴奏は芳しくなくて盛り上がりに欠けますが、フラグスタートとメルヒオールの切なく甘い二重唱が大いに盛り上げてくれるのです。


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2006年2月 9日 (木)

トリスタンのSP全曲盤

Elmendorf_1 今週はアバドの《トリスタンとイゾルデ》で始まりましたから、そのまま、《トリスタン》全曲盤のお話しです。手元には1928年のバイロイト音樂祭實況録音、カール・エルメンドルフ指揮、バイロイト祝祭管絃樂團の《トリスタン》第2幕のSP盤(Columbia L2194/2202)があります。一部省略はあるものの、世界初の《トリスタン》全曲盤でアルバム3冊、SP盤20枚にもなる代物です(CDなら4枚)。私の蒐集品はその内Volume 2のアルバム(2幕)だけですが9枚もあり、LPの比ではなく、とても重たいものです。

Talbum1_1 重たいと云へば、51年に戰後復歸したばかりのバイロイトでカラヤンが《マイスタージンガー》を録音してゐます。このモノラル録音はLP盤だけでなく、SP盤(Columbia LX1465/98, LX8851/84)でも發賣されました。總數68枚にもなり、超弩級の飛んでもない、一曲としては世界最多のアルバムとしてギネスブックものでせう。こんな場所を取るSP盤を蒐集品に加へたくはありませんが、是非一度手に取つて見てみたいものです。
 この年、バイロイトで録音された中で今も賣られてゐるのが、開幕を飾つたフルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの第9〈合唱附〉でした。レコード製作者(プロデューサー)、ウォルター・レッグとしては、樂劇の方に力を入れてゐた爲、ほんのオマケ程度にしか考へてゐなかつた、この第9録音の方が賣れたのは皮肉なものです。

Trist3_1 28年の《トリスタン》第2幕は全9枚のSP盤の内、第1面にアーネスト・ニューマンに因る示導動機(ライトモチーフ)の説明が入り、殘りの17面を使つてゐます。生憎、この面は亞米利加の蒐集家から取り寄せた時にヒビが入つてゐました。これで、レコードとしての價値は殆ど無いにも等しいものとなりましたが、まだ本編が聽けるだけましで、善しとしてゐます。SP盤は天然素材シェラックでできて居り、非常に割れ易く、どんなに氣を附けてゐても、ほんの彈みで割れてしまつたりするのは日常茶飯事です。最近は慣れてしまひ、諦めもよくなりました。

 さて、52年のフルトヴェングラー、フィルハーモニア管絃樂團、66年のベーム、バイロイト祝祭管絃樂團(實況録音)、80,81年のクライバー、ドレスデン國立歌劇場管絃樂團と、名うての名演奏に親しんで來た耳には、歌ひ方も古めかしく凡庸な演奏に聞こえますが、當時37歳、若きエルメンドルフの意氣込みだけは直接傳はつて來ます。ましてや、凡そ80年も前の臨場感や雰圍氣までSP盤に閉じ込められて、音の廣がりだとか、未だ實際行つたこともない「バイロイト音樂祭」での公演の様子が目に浮かぶやうです。

 1925年にラヂオ技術を生かした、マイクロフォンによる電氣録音が開始され、3年後の28年、この初期實況録音には困難も伴つたことでせう。老練指揮者が厭がりエルメンドルフに白羽の矢が立てられたものだと推測されます。ましてやまだ、ワーグナー未亡人、コージマ・ワーグナーも健在で、人の良ささうな息子ジークフリートと共にバイロイト音樂祭を切り盛りしてゐた時代なのです。さう考へるだけでも、ワクワクして來ます。CD復刻の古色蒼然とした記録ではなく、生きた音が此処にはあります。

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2006年2月 8日 (水)

伯林フィルに思ふ

 もう10年以上前のことですが、アバド&伯林フィルの來日公演でいたく感激して漢文調の和漢混淆讀み下し文を綴つたことがあります。その折、これを讀んだ方がきちんと添削もして下さり、文法的な間違ひや、用語の遣ひ方も直して、完成したものです。アバドの續きとして、殆ど手直しせずに、此処に掲載しませう。

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 ほんたうに久し振りの日本での演奏會。西暦1994年10月15日、サントリーホールに於けるマーラー作曲、交響曲第九番。夕刻より風強く、撫で附けたる髪亂るることしきり。「入場券求ム」と云ふ札持ちたる若人多く、而もS席希望と云ふ厚かましさ。盲目的ファンと見受けられ、同人知人等開場時刻を頻りに氣にしたる。餘券あらざりし故か。數年に一度の祭ごと宜しく盛装したる男女、光線により色變はる噴水など見、寒くなりつつある廣場にて時を待つ。

 扉開くと同じうして機械仕掛けの時計「威風堂々」を演奏。如何にも盛り上がらんと云ふ行進曲に氣分高揚、これより始まらんとする演奏會に期待膨らむ。入場時、筑紫哲也、吉田秀和夫妻等著名人多數發見、我が席S(弐萬五千圓)なれど平戸間、正面右也。開演時間に随分と早くから座れり邦人多く、歐州なればぎりぎりまでゼクト等飲みしところ、矢張り東京の演奏會と云ふもの。それでも會場にはサントリー社製品並び樂しむ人もあり。

 早くよりハープ演奏者音合はせ行ふ。本番前樂屋にて緊張したる學生の頃を思ひ出し苦笑す。照明暗轉、舞臺光明、觀衆の拍手に伴ひ入場したる伯林フィルの面々、知る顔多くフィルハーモニー(ホール)での演奏會を思ひ出す。口を拭ふ癖抜けぬホルン獨奏者ザイフェルト、我こそはと歌ふオーボエ獨奏者シェレムベルガー、86年入團の提琴の貴公子(名は失念)、齢を取りたるベテラン諸氏。金子(キンス)に餘裕なき頃にて嚴冬零下20度の戸外にて當日賣りを並びて買ふこと屡々ありき。情熱あらばこそ也。ましてや樂屋へまで押し掛け同胞安永透氏(コンツェルトマイスター)に挨拶し、指揮者の實筆著名(サイン)を多々貰ふ。初めて聽きたる時も同じ指揮者アバド故、思ひ入れ多き管絃樂團也。

 曲は作曲者マーラーの死意識したる最晩年、調性音樂の崩壊しつゝある、情熱と矛盾を含む壮大な規模なれば、樂團員多く舞臺狭し。鳴り出したる音、將に響き渡らん。壮快なテムポ運び、變幻自在なる音色、爆裂音から各樂器の名人藝、フルトヴェングラーまでの傳統復歸せん。唯ひたすら美しきカラヤン節とは違ひ、多くの表現に幅あり、既に就任數年にて指揮者アバドと樂團員たちに信頼關係築き上げられたること明白也。惜しむらくは會場の響き不足なれば、フィルハーモニーの響きに届かざり。今現在知り得る東京での最高のマーラー演奏として記録さるべし稀有の演奏。

 正に絶品と云ふはこのこと也。特記すべき第四樂章、冒頭の厚き絃樂器醸し出したる壮大なスケール、恥ずかしくも目頭熱く、壁在りし日の伯林生活浮き上がり、また今此處に存在する喜び、涙となりて溢れん。最終部、今まで聽くこと能はぬ弱音、而もソロにあらず、合奏にて彈き出すこと、驚愕に値す。曲終はりしも演奏者動かず、數分の間沈黙の餘韻を樂しむ。唯阿呆なる觀客の一人、焦りて拍手せんとすれど、誰一人として追随する者なく事なきを得、日本人のマナー向上したること嬉しく思ふ。如何にしてかう云ふ音を出したる哉、音樂とは無音より無音に至るまでを云ふことを改めて感じ入り、期待以上の演奏に滿足至極。會場を後にしても餘韻長く、感動収まらず。腹空けども胸一杯にて、香り高き珈琲を口にするが精一杯。斯のやうな機會を得られんこと、感謝の氣持ち一杯にて何も欲するものなし。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これをお讀み頂く諸氏に於いては、ご理解頂けるものと思ひます。



マーラー:交響曲第9番


DVD

マーラー:交響曲第9番


販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2005/11/09

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2006年2月 7日 (火)

アバドのDVD 《トリスタン》第2幕 その2

 粗筋は省略して、昨日の續きです。

 うねるやうな前奏曲からして、あッと言ふ間にマルケ王の城内に誘ひ込まれます。慌ただしい狩の準備の角笛だとか、そわそわした落ち着かない感じが出て、最初に登場する我等の藤村美穂子(Ms.)の歌ふブランゲーネが逸品です。バイロイトの經驗も生きてゐるのでせう、太く通る聲が素晴らしい。一昨年のマーラーの2番(メータ指揮、スーパー・ワールド・オーケストラ)でもリートのやうな精細さを聽かせてくれましたが、侍女としてイゾルデを心配する情感が獨逸語の綺麗な發音と共に心に響きます。DVDですと字幕があるので、詳しく意味がわかるのも嬉しい(最近の原語上演でも字幕はありますが、顔をそちらに向けないといけません。これが結構面倒。)。

 主役のイゾルデはリトアニアのヴィオレタ・ウルマーナ(S.)、トリスタンは英國のジョン・トレーヴェン(T.)。鮪のやうな巨漢が舞臺でごろごろしなくてよかったと内心思ひつつ、トレーヴェンの眉毛の上げ下げばかりが大寫しになり、顔が氣になつてしまひ、肝心の愛の二重唱に集中できません。アバドの音作りがよいので、その上で綺麗に響いてはゐましたが…。
 特筆するのはマルケ王役のルネ・パーペ(Bs.)でせう。腹心トリスタンに裏切られた王の嘆きが、ひしひしと傳はつて來ます。一昨年の讀響、《ワルキューレ》第1幕(演奏會形式)で鬼氣迫るフンディングを聽かせてくれたクルト・モルが現在最高のバス歌手のひとりかと思つてゐましたが、今後が樂しみな若手が増えたのが嬉しいです。《魔笛》のザラストロを聽いてみたくなる、豐かで暖かみのある聲が印象的です。公演後、觀客の拍手から、やはり藤村とパーぺに對して盛大でしたから、皆ちゃんと解つてゐるのですね。

 劍を交へる最後の場面は暗轉して、一氣にオケに目が釘附けになつて、終はります。こんなに集中してDVDを觀て聽いたのは初めてでした。暫くは旋律が頭から離れず、口から零れ、戻った家族から不審の目で見られましたが、お陰で充實した時間が過ごせました。

 病後、伯林フィルと來日したアバドは東京文化會館で《トリスタン》全曲を、痛々しくやつれ乍らも渾身の指揮をし、見事に、健在振りを披露してくれました。伯林フィルの音樂監督辞任後、このルツェルンに於いて2003年、マーラーの2番で、曲目通り〈復活〉し、圓熟味が一層加はり目が離せません。

 86年に伯林に住みだした頃、最初に聽いた伯林フィルの指揮はアバドでした。だいぶ薄くなって來ては居たものの、黒々とした髪もしかとありました。維納のコンツェルト・ハウスの樂屋にサインをねだりに行っても、嫌な顔せずくれました。日本に戻つてからも、アバド&伯林フィルの來日公演は欠かさずに聽いたものです。それはアバド故で、ラトルになると、どうも駄目です。オケ配置から、知らない團員の顔も増えたことで音も變はり、全く別ものの感が否めず、私の好みではありません。氣が附けばアバドがすっかり好きになつてゐたのですね。

 今年10月にアバド、ルツェルン祝祭管絃樂團が來日公演を開きますが、切符が手に入るかどうか心配です。


DVD

アバド / マーラー : 交響曲第2番


販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2004/11/25

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2006年2月 6日 (月)

アバドのDVD 《トリスタン》第2幕 その1

 日曜日の晝下がり、家族が出拂つてゐたので、久し振りに音樂DVDを觀ました。昨年末に發賣された2004年8月、瑞西、ルツェルン音樂祭での演奏會形式によるワーグナーの樂劇《トリスタンとイゾルデ》第2幕です。
 指揮はクラウディオ・アバド、ルツェルン祝祭管絃樂團。この音樂祭は1938年から始まり、戰後始めてメニューイン(Vln.)に招かれて、フルトヴェングラーが指揮をしたものがSP盤になつてゐます。ベートーヴェンの提琴(ヴァイオリン)協奏曲(HMV DB6574/79S)、ブラームスの提琴協奏曲(HMV DBS9444/48)の孰れも、慶びに溢れた、譽れ高い名盤として知られてゐます。基本的にオケは寄せ集めなのですが、今回は、アバドが育てて來たマーラー室内管絃樂團を母體として、共感する著名人が集まったもので、年を取ったザビーネ・マイヤー(Cl.)や、元伯林フィルのヴォルフラム・クリスト(Vla.)の禿頭だとか、現伯林フィルのアルブレヒト・マイヤー(Ob.)の揉上(モミアゲ)だとか知ってる顔が見え、解説を讀むと、吉野直子(Hp.)の名も有ります。

 ワーグナーの樂劇は4時間級がざらで、なかなか舞臺に掛かりません。演奏會形式にすると、歌劇場の必要もなく、大掛かりな舞臺装置が要らず、主役の歌手數名を呼ぶだけでも成り立つ爲、《ワルキューレ》第1幕と並んで、この《トリスタン》第2幕は比較的よく取り上げられます。83年にN響がワーグナー没後100周年記念でやったものを當時テレビで見た記憶がありますが、この時はごく普通にオケの前に歌手が並んで歌つてゐました。併し、今回のルツェルン版では、オケの後ろに雛壇が仮設され、歌手の聲が上から重なり、演技と云ふ程でもないにしても、少しは動くので、自然な感じでよかったです。そして、オケ後ろ、二階席から上のパイプオルガンの邊りが全面、蒼い照明で照らされ、夜の帳が降りて行くのでした。

續きはまた明日!



ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》第2幕


DVD

ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》第2幕


販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2005/12/22

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2006年2月 3日 (金)

ジネット・ヌヴー

Neveu7 偉大な女流提琴家(ヴァイオリニスト)は澤山居りますが、燦然と輝くのはジネット・ヌヴー只一人でせう。若くして飛行機事故で亡くなつた爲、録音數も少なく、薄幸の印象があります。ヴィニャフスキイ・コンクールでオイストラフを抑へて優勝した、彼女の演奏スタイルは確かな技術に裏打ちされた力強さと、繊細さを併せもち、奥深い表現力があります。提琴家の中では一番好きなヌヴーですから、SP盤蒐集にも力が入ります。活動時期が戰前、戰後の數年だけで、一部のライヴとSP盤が殘されてゐるだけなのです。

 彼女の代表的SP盤はフィルハーモニア管絃樂團と入れた、ブラームス(HMV DB6415/19)とシベリウス(HMV DB6244/47)の〈提琴協奏曲〉ですが、録音レベルギリギリなのか、フォルテッシモだと割れてしまふ盤ばかりです。かなり出回つてゐるにも拘はらず、綺麗な盤はなかなか見當たりません。片面5分程度で引繰り返すのが億劫でなければ、復刻CDやLPとは違ふ豐かな音量が樂しめることでせう。

 そして、明日の「蓄音機の會」で掛けるリヒャルト・シュトラウスの〈奏鳴曲(ソナタ)〉HMV DB4663/66となると、戰前の1939年伯林録音だけに、競賣目録でも全然見掛けません。ラヴェルの〈ツィガーヌ〉HMV DB6907/08Aと並んで所謂珍品の部類に入るでせう。復刻CDで聽いても、その確かな足取りと、旋律の歌ひ方が心の奥底にまで訴へて來て、とても國家社會主義勞働黨(ナチス)支配下、伯林での録音だと思ひも寄りません。政治體制に関係なく、素晴らしい録音は殘るものなのですね。自分のSP盤とは云へ、まだ針を落としたことがないので、樂しみです。

 2006年2月4日(土)15時より 「蓄音機の會」 提琴特輯Ⅳ
 ジネット・ヌヴー
 要豫約 會費2,000圓(グラスワイン1杯、おつまみ附)

HMVに幾つか復刻CDとライヴCDが出てゐます。

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2006年2月 2日 (木)

字面

 毎月のベルラン通信『佳き響きは食に在り』と、隔月のすき焼今朝通信『汽笛一聲…上氣嫌』を書いてゐますが、活字として殘るものだけに、文字を綴る難しさや日本語の美しさを常に感じてゐます。以前は手書きで、それからワープロで打って切り貼りになり、今ではパソコン上で簡單に書面作りができるのですから、便利な世の中になつたものです。但し、何故か、誤字脱字はディスプレイ上では氣附かず、印刷した途端に目に飛び込んで來るから不思議です。
 可能な限り外來語を使はず、元々ある日本語で書くやうに心掛けてゐます。「バランスの取れた」とは云はずに「釣り合ひの取れた」とか、「メロディー」ぢゃなくて「旋律」とかですね。

 そして、正字舊假名にしてゐるのは、その方が俄然字面が綺麗だからです。元の漢字の意味も解りますし、難しい字には振り假名を振つておけば、誰でも讀めますから。20年ばかり前、歐州で現地の人ばかりと生活してゐた頃日本語の活字に飢ゑてゐて、日本語の本を回し讀みにしたものです。その中で出會ったのが谷崎潤一郎でした。昭和34年發刊の新潮社版「日本文學全集」の内の一冊『細雪』を手にした時は、上下二段で分厚くて、こりゃあたいへんだと思ひましたが、さにあらず、正字舊假名遣ひの、美しい字面に吃驚。美しい日本語で、お見合ひの斷りに候文が使はれてゐたり、ほんの50年前なのに、別世界に感じられたものです。然も、関西辯にも拘はらず、頭にスラスラと入る日本語の字面と抑揚に感銘を受けたものですから、爾來、自分の文章を綴る時は正字舊假名にしました。

 ご存じの通り、『細雪』は京阪神が舞臺で、白系露西亞人とか、隣の獨逸人なんかが出て來て「湯豆腐」と渾名を附けるのです。これは「Ludolf」と云ふ獨逸人の男の子の名前が「湯豆腐」に聞こえるからなのですね。カタカナで「ルドルフ」と書けば「Ludolf」も「Rudolf」もありますが、「湯豆腐」の發音から「Ludolf」だとわかり、文字より先に耳にした名前だから附けられる渾名なのです。確かな實體驗がないとかうは書けません。さすが谷崎! 

 その時手にした『細雪』は今も事務所の手の届くところに置いて有り、時折眺めてゐます。文庫版ですと現代假名遣ひなので、字面の面白さは半減しますが、内容は解り易いかも知れませんね。是非、神田邊りで、正字舊假名本を探してみて下さい。



細雪


Book

細雪


著者:谷崎 潤一郎

販売元:中央公論新社

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2006年2月 1日 (水)

オペラ落語

 お客さんから、「何故やらない」「やりなさい」と散々言はれ、つひにPCに向かひ書き出しました。

 實は一昨日から風邪を引き、昨日は日長一日床に臥せつてをりました。本日も頭の中が五里霧中でいけません。それでも、本日發賣の「ウーロン亭ちゃ太郎 オペラ落語」CDRのラベルを貼り、ボトムカードやインデックスカードを入れ、袋詰めして完成!録音してくれた中村くん、それをCDにしてくれた室伏さん、挿繪畫家の下田さん、演奏史譚の山崎さん、色附けしてくれた上野さん等のお陰で何とかできました。デザインは自分が擔當!

Cdr1 ウーロン亭ちゃ太郎さんは昨年で引退されてしまつた希有な才能の持ち主です。今はオペラの演出や脚本に回り、本人はもう人前で歌はないのが、實に殘念。4時間位掛かる筈のオペラをぐぐっと縮めて正味一時間の噺にしてしまつたのが、凄いです。然も、一人でソプラノからバスまで歌ひ、合唱も引き受け、裏方まで全部演じてしまつて、可笑しいこと。ご本人の承諾を得てCD化は初めてです。これを聽くとちゃ太郎さんの言ふ「オペラは大衆演劇だ!」と云ふことがよくわかります。

ウーロン亭ちゃ太郎 オペラ落語 タンホイザー&フィガロの結婚(2枚組) CDR BB001/02 \2,100

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