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2006年2月21日 (火)

壁の上

Berlin 伯林と云へば、一昔前まで「」が在りました。勞働力の流出を防ぐ爲に、1961年8月13日に突然東側に建設された壁は、未来永劫存在すると思はれてゐました。1989年の晩秋にはまだ伯林に住んで居りましたので、あの時のことはよく覺へてゐます。

Mauerv 89年の夏に洪牙利が墺地利との國境の有刺鐵線を外した頃から、西側への人々の脱出が始まりました。それまでは、一日査証(ヴィザ)5馬克(マルク)と強制兩替25馬克をすると東へ入れたものですが、確か9月末になると、當時蘇聯のゴルヴァチョフ書記長が來伯し、東のホーネッカー書記長と會見することになると、西と東の檢問所は騒然として來ました。「伯林の壁」が崩壊するだ何て、本氣で考へてゐる人は誰もゐませんでした。21世紀になつても無くならないモノと意識、理解してゐました。そして、運命の11月9日がやって來ます。

 その翌日の金曜日は試驗を終へた私は學校も休みで朝寝坊をして外へ出たところ、いつもと様子が違ひます。ラヂオは持つてゐましたが、たまたま朝聞いてゐませんでした。シャルロッテンブルクに在る住居を出て、街中を歩くと、雰圍氣が違ひます。かう云ふことは肌で感じるものなのですね。よく見てゐると、やや貧相な服装の人々が窓越しに商品を見とれてゐました。嗚呼、彼等は東側の人間だ、とわかるものです。波蘭(ポーランド)人勞働者にしては、家族連れが多いし、いつもと感じが違ふのです。

Mauern 地下鐵に乘ると、「壁」がどうのかうのと云ふ會話が聞こゑ、「壁が開いた」とも耳にしました。そんなこと、あらう筈はないけれど、萬が一にもあるならばと思ひ、背中のリュックの中に寫眞機(いつも持ち歩いてゐました)があるのを確認して、そのままポツダム廣場へと向かつたのです。壁際に櫓が立つてゐて、東側が見えるやうになつてゐましたから、其処へ行けば何かわかるだらうと思つたのです。近附くに連れて、どんどん、どんどん人集りが増えて、列を成して向かつて來ます。解放されたのはほんたうだとた、とその時初めて理解しました。

Mauer2 ならば、早速ブランデンブルク門を歩いて通つてみたいと云ふ衝動にかられ、國會議事堂の方へ歩いて行きました。すると、門前の壁はそこだけでやや低く、幅廣なので壁の上が黒山の人集りです。壁の上へ上がれるだなんて、夢にも思ひませんでしたから、驅け寄ると梯子がひとつ掛けてありますが、これは下り専用で上り口はありません。でかい獨逸人の若人たちは走ってよじ登るのですが、私のやうなチビではどうすることもできません。

Mauer3 そんな時、救ひの手は差し伸べられるものなのですね。兩手を擧げてウロウロしてゐる東洋人を見るに見かねたガタイのよい兄ちゃんが、ニコッと笑ふや否や足首を持つと、そのまま、バーベルでも上げるかのやうに、輕々と然も高々と持ち上げてくれました。兩手が壁の上に届くと、上にゐる人々が皆で引き揚げてくれました。まだ、東側には國境警備隊が居り、勝手に行き來はできませんでしたので、早く行かせろと言ふ人々、單に酔っぱらってる人、私のやうな野次馬だとかで大混雑。結局、東側の國境警備兵に守られてブランデンブルク門は通ることはできませんでしたが、その時の昂奮は未だ忘れられません。

 文中の畫像は私が實際に撮つたものです。勝手に複寫引用はご遠慮下さい。

 壁に就いては「ベルリンの壁」に詳しく書かれてゐます。地圖畫像は「ベルリンの壁」から許可を得て掲載しました。

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コメント

数年前、ベルリンの壁崩壊の前後の国際政治状況を描いたドラマを見ました。リアルタイムでは私はまだ年端も行かない子供で、何が起きているのかはよく判らなかったものの、興奮する大人たちの雰囲気から、子供心に何となくどきどきしたのを覚えています。

投稿: Tiberius Felix | 2006年2月21日 (火) 23時00分

 歴史の一場面に遭遇したのはこれが初めてです。淡々とした日常生活の中に降って湧いた話しで、吃驚しました。

投稿: gramophon | 2006年2月22日 (水) 18時51分

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