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2006年2月20日 (月)

 店の名前「ビストロベルラン」は獨逸の都市伯林(ベルリン)を佛蘭西語讀みした「ベルラン」に、氣輕にワインと料理を樂しんで頂けるやうにレストランではなく、ビストロと名附けました。「ビストロ」は本來「居酒屋」とでも譯しませうか。それ故「カフェ」とは違つて、隣の話し聲が氣にならない位にテーブルの間隔も廣げ、店内は絨毯ではなくて板張りにし、カウンターバーも併設したのです。
 私共の歐州料理は、ビールとソーセージの獨逸料理ではなく、所謂(いはゆる)佛蘭西料理ですが、佛蘭西で修行を積んだ譯でもないので、敢へて佛蘭西料理とは名乘らず、佛蘭西語讀みの「ベルラン」に捻つてある譯です。また、特に最初から音響を考へた譯でもなかつたのですが、歐州並に高い天井が好きで、彎曲した天井で間接照明にしたところ、結果としてよい響きをもたらしてくれてゐます。

Shild_2 店の袖看板には、ワインを象徴する「葡萄」と日本酒を表す「稲穂」、そして中央には「熊」が描いてあります。これは伯林市の紋章から頂いたものです。勝手に使つてはいけないと思ひ、1990年の開店前に獨逸大使館へ行き、三等書記官に面談して確認しました。「公式に使ふものと全く同じではいけませんが、同じ向きだとか、似たものが駄目となると、伯林中の店を取り締まらなければなりません。この絵柄で許可を取る必要は全くありません。」と快く解答を頂き、掲げることとなりました。

Baer 何故伯林に熊なのか。これは街の名に由來します。
 その昔、シュプレー川の湿地帶で狩りをしてゐた獵師は大きな熊に脅かされました。大きな獲物を見附けた獵師は、これをを仕留めてやらうと追つて行くと、これは母熊で小熊を守る爲に威嚇したことがわかつたのです。子を思ふ親の氣持ちは人だらうと、動物だらうと變はりません。獵師は打つことを諦め、それからと云ふもの、この森の熊は狙はず、大事にしました。そして、幾年も經て此処に町が出來ると、雌熊(Baerin)に因んで、伯林(Berlin)と名附けられたのです。

Flagge 1237年(日本は鎌倉時代)に、シュプレー川を挟んで「ケルン(Coelln)」と云ふ村の對岸に「ベルリン」と云ふ二つの村が公式記録に初めて出て來ます。それが1244年に合併して「伯林」だけとなり、1415年にはブランデンブルク邊疆(へんきょう)選帝侯、フリードリヒ1世(ホーエンツォレルン家)が居城を構へ、大伯林へと發展して行きます。熊の紋章は1280年に採用されてから、ずっと現在でも市の象徴として使はれてゐるのですね。

 ただ、この由來説はどうも眉唾ものらしく、今では湿地を表すスラブ語音節「berl」まで遡るとされてゐます。私としては「熊説」が好きですが…

 孰れにしても、伯林の人々が今も街のシンボルとして熊を愛してゐることに變はりありません。伯林國際映畫祭(Internationale Filmfestspiel Berlin)では「金熊賞(Goldener Baer)」が送られ、土産物屋には熊の人形や熊の置物が澤山賣つてゐます。
 「日本に於ける獨逸年」でした2005年にはそれを記念して、以前ポツダム廣場で見掛けたものと同じ、2米の熊のオブジェが六本木ヒルズに並んでゐました。平和の願ひを込めて各國の藝術家が思ひ思ひに圖柄を描いた熊を飾るこの企畫で、世界中を熊が回るさうです。

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