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2006年3月 3日 (金)

ヴェニスに死す

 今まで一番多く見たのが、ヴィスコンティ監督の《ヴェニスに死す》です。歐州の名畫座のやうなところで、何故か何度も見ました。最初英語版を見た爲主人公が獨逸語を喋るのが聞きたくて獨逸で獨逸語吹き替へ版を見て、そしてやっとオリヂナルの伊太利語版を見ました。少なくとも50回位は見てゐるので、カメラが回る間合ひだとか、照明の角度だとか、餘計なことまでかなり覺えてゐます。

 老作曲家アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は靜養に訪れた水の都ヴェニスで、希臘(ギリシア)彫刻のやうな美少年タッジオ(ビョルン・アンドルセン)に心奪はれてしまひます。同じリド嶋のホテルに滯在してゐるにも拘はらず、當時の階級社會では紹介もなしに聲も掛けられない。一時は嶋を後にするつもりが、ホテルの手違ひで荷物が驛に届かず、表面怒り心頭乍ら水上タクシーでホテルに向かふアッシェンバッハ。金髪碧眼白皙の究極の美に魅入られ、化粧まで施して若作りをして、後を追つてしまふ。折から流行つてゐたコレラに罹り、つひには濱邊で息を引き取るのでありました。

 初めて見た時は氣色惡いだけで、良い印象は何もなく、ただマーラーの交響曲第5番の〈アダージェット〉が頭から離れませんでした。全巻を通じて流れるこの曲が、彌が上にも官能美を誘ひます。主人公の將來を豫感させる氣味の惡い化粧の年寄りが最初に出て來たり、如何にも下品な流しのバンドが物乞ひをしたり、驛でコレラに倒れる貧民だとか、ホテル内だけにしか存在しない上流社會との對比が見事です。

 朝霧の中から題名文字が遠くから浮き上がる冒頭では、主演者の名前も次々浮かんでは消え、曖昧模糊とした背景の霧が段々と煙を吐く連絡船へと變はり、甲板の籐椅子に腰掛け、本にも集中できず、手持ち無沙汰な主人公アッシェンバッハの大寫しになります。ここまでの流れ、描き方が素晴らしいのです。疲れ切つて、ソフト帽に薄い外套を羽織り、襟巻きをして、インテリらしさが滲み出て來ます。ボガードはマーラーらしさを出す爲、引き擦つたやうな歩き方やら、爪を噛む癖だとかも真似して、完璧に成り切つたと云はれてゐます。

 そして、この中でアッシェンバッハは何度も着替へます。夜会服の燕尾服をパリッと着こなし、濱邊(はまべ)では真白な麻の背廣にパナマ帽、鼻眼鏡も似合ひ、當時の旅行がたいへんであつたことを教へてくれます。飛行機と違つて20瓩だなんて、制限もないでせうし、社會通念として着替へないのは許されないかつたのでせう。そして、先の跳ねた髭も丁寧にカットして貰ふのです。普通、床屋は勝手に切り揃へたがるので、私は決して触らせませんが、これはこれで格好いいのです。

 第一次世界大戰前は支配階級にとつては「舊き善き時代」なのですね。ですから、服装もラフなものはありませんが、何とも素敵です。慇懃なホテルの支配人やトーマスクックの支店長も皆獨帝髭(カイゼルヒゲ)で、どうもこの映畫の影響が自分には一番強いのです。大人になつたらこんな髭を生やさうとか、あんな服を着こなさうだとか、この映畫から多くの影響を受けたことが、やっと實現しつつあります。

 床屋で髪に墨を塗り、白粉を塗り紅まで口に差すのは、奇怪ですが、本人至つて真面目に戀に目覺めたので周りが全然見えなくなつてゐます。そして最後には、溶けた墨で黒い汗をかいて死んでしまふ。あれ程美を追ひ求めてゐた筈の主人公が、最も惨めで汚い死を迎へる最終場面は、ホモセクシャルの話しと云ふより、年老いた戀は危險なんだと思ひ知らされました。

 原作は岩波文庫でも新潮文庫にも有り、翻譯者の苦勞が垣間見えます。と云ふにも、関係代名詞がずっと續き、一文がとても長いトーマス・マンの獨逸語の原文は私のやうな者には齒が立ちません。貴族の末裔であるヴィスコンティでなければ、究極の美を追ひ求めた、この映畫は撮れなかつたことでせう。マルセル・プルーストの『失はれた時を求めて』のシナリオまで完成させて置き乍らメガホンを取らなかつたことが殘念でなりません。

 



ベニスに死す


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