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2006年3月17日 (金)

飛行船蒐集物

Tasse1 飛行船に關するかなりの本に目を通して來ました。飛行船研究では、中大獨逸文學の天沼春樹先生が第一人者ですが、料理の再現までした人は、私の他にをりません(獨逸のツェッペリン博物館が料理本を出版してゐますが)。それに、村上ムッシュから「飛行船博士」の稱號まで頂きましたから、日本では2番目位ではないかと、勝手に思ひ込んでゐます。

 英語や獨逸語の原書は、1920年代に出版されたものから最近まで、「飛行船」「Luftshiff(獨)」「Airship(英)」の表題本なら大抵のものが手元にあります。寫眞を眺めてゐるだけでも、次から次へと興味が湧き、想像力を掻き立てて樂しいものです(餘りに集まり讀み切れてゐません)。

Buecher この蒐集癖は小さい頃からでした。何故か古い物ばかりが好きでした。最初の記憶は溝(ドブ)の向かう側にアルマイトが鈍色に光る藥罐(ヤカン)が落ちてゐて、それに手を伸ばした途端に落ちてずぶ濡れになつたことでせうか。近くを通る人に助け出されましたが、臭くて、悲しくて大泣きしましたので、幼稚園前の筈です。「木口小平(キグチ コヘイ)ハ死ンデモ喇叭ヲ離シマセンデシタ」に近くて、助け起こされても、決して掴んだ藥罐は離さなかつたさうです。ご存じない方も多いと思ひますが、戰前の教科書に日清戰爭の美談として載つてゐたもので、同じ喇叭吹きとして忘れられない故事です。

 岳父は今も皇居でなくて「宮城」と言ひますので、70代の方とお話ししても、別段、違和感なくごく自然に昔話しができます。自分の目で見た、體驗した話しを聞けるので、歴史好きの私としては、ワクワクする位です。戰後、間もない頃は地下鐵銀座線、上野驛の改札を出た地下道に戰爭孤兒や浮浪者が溢れ、氣味が惡かつたとか、増上寺邊りは人っ子一人ゐなくて夜通るのは車でも厭だとか、散々祖母に聞かされました。すっかり、それらが染み込んでゐますから、何の違和感もなく、ごく普通にまるで見て來たやうに喋る爲、うちのかみさんに「あなたいったい何年生まれかしら」と呆れられます。

 戰國時代の本も結構讀みましたが、近代史、特に昭和の初めの方が親しみを感じます。特に「ツェッペリン伯號」のお陰で昭和4年8月の新聞はじっくりと讀み返しましたので、帝國飛行協會(現航空會館)の屋上には飛行機が置いて有つたとか、廣瀬中佐の銅像が萬世橋驛前に在つたことも知りました。日露戰爭の旅順港封鎖作戰の際に部下の杉野兵曹長を探す最中に戰死した廣瀬中佐や、現在の交通博物館の場所が中央線の終着「萬世橋驛」だなんて知らなくてもいいことを知つてゐますので、吃驚されますね。

Menus それで、飛行船に關する蒐集ですが、高いものでは飛行船内で使はれてゐた磁器、次いで献立表、稀覯本と續きます(畫像參照)。ここでお見せする磁器と献立表は實際に1929~1935年に使はれたものの一部です。以前競賣で6客一組の皿類、カップ類、大皿、羮器(スープ・チューリン)等かなりの數が出てゐましたが、一人の蒐集家がまとめて600萬圓位で落札してゐました。大金持ちになると、桁が違ふものだと吃驚したものです。

 献立表は結婚式でもさうですが、持ち歸へるのが禮儀ですので、大事にしてゐた人から傳はつて來たものでせう。宮中晩餐會で献立表を忘れると、わざわざ届けてくれるさうですよ。
 料理内容を見ますと、スープ、肉料理、デザートが基本で、夕食は輕いものになつてゐます。それは、今も獨逸の人々が頑なに守る食生活と一緒なのです。今も晝食は家に歸へつて食べて、また學校へ行つたり、會社へ戻る人も大勢居て、晝食後も働くので力を附けなくてはいけません。併し、夜は夜遊びは別として、基本的に寝るだけですから、冷たい食事(kaltes Essen)で何ら問題ない譯です。黒パンにチーズやハム、それにワインだけで火を使ひませんから、食事の支度も樂ですね。

 献立ひとつから材料や料理だけでなく、食生活もわかるのですから、面白いのです。何時かは全献立料理の再現をしたいと思つてゐます。

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