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2006年3月22日 (水)

指揮者たち

 來日公演の指揮者たちは、客が大勢押し掛ける爲か、長旅の疲れか、明日の移動のことで頭が一杯なのか、無愛想で尊大な態度の人が多くてがっかりさせられます。或ひは、混亂を避ける爲、こっそり裏口から歸へられることもあります。

Photo_2 80年代後半の歐州では、割に簡單に裏口に入ることができました。伯林のフィルハーモニー(ホール)の場合、下手階段途中に小さな扉があり、そこを潜れば舞臺袖に出て、直ぐに指揮者及び獨奏者控へ室前へと、出られます。それに、日本人演奏家に會に行く顔をして行けば、入れてくれたものです。これはクラウディオ・アバドとマウリツィオ・ポリーニから頂いたものです。
 2003(平成15)年9月に行つた際は、既にサイモン・ラトルに音樂監督も替はり、演奏會季節初日と云ふこともあつてか、警備員がゐて招待状のある者だけしか、入れてくれませんでした。

Photo_3 伯林フィルの中でも當時フィリップス社にマーラーの交響曲録音を續けてゐたベルナルド・ハイティンクのマーラー演奏は随分聽いたものです。1番、4番、5番、特に6番の減り張りの利いた、繊細でゐて豪快な演奏は忘れられません。日本では今ひとつ評價されてゐない氣がしますが、職人氣質の指揮者として、オケに信頼されてゐる様は演奏に現れてゐました。

Photo_4 それが、リッカルド・シャイーになると、全然別のオケかと思ふ程音の表情が違ひました。カラヤンの指揮豫定でした1989(平成元)年9月30日の演奏會は、7月16日に突然鬼籍に入られたので、追悼演奏會として急遽シャイーが呼ばれ、曲目もマーラーの9番に變更されました。併し、この伊太利の指揮者がどんなに力を込めて振つても、唸つたところで、オケはまるでお茶漬けをサラサラ食べるがごとく、反應せず、冷靜に自分たちの音樂を奏でてゐたのです。9月12日にブラームスの2番を振つた際は、おおらかな演奏が素敵でしたが、この時のマーラーは緊迫感はあるものの、普段の伯林フィルの表情とは全く違つたので記憶に殘つてゐます。

Photo_5 もう伯林を離れることも決まつてゐましたので、精力的にこの「伯林藝術週間」はフィルハーモニーへ通ひました。ブルックナーの9番を振つたカルロ・マリア・ジュリーニも忘れられません。最前列にご贔屓筋なのでせう、真黒く正装した伊太利のマフィアかと思ふやうな軍團が陣取つてゐたのには、吃驚しました。時折唸り聲も低く響いて來て、老大家らしく悠然とした指揮振りだけでも説得力があり、納得し乍ら聽きました。この時はこの交響曲一曲切りでしたが、内容も濃く奥深いもので、何ら他の曲を必要としませんでしたね。彼も昨年6月14日に亡くなりました。

 舞臺の上だけでない、指揮者のファンに接する時の普段の姿が見られるのも、サインを貰ふ時の樂しみのひとつです。

 

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