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2006年5月31日 (水)

カヴァティーナ

 日本では「紀元2600年奉祝」と國を擧げて祝賀の雰圍氣に包まれた1940(昭和15)年に、東京オリムピックが開催される豫定でした。リヒャルト・シュトラウスの《紀元2600年祝典音樂》に代表される、大日本帝國依頼作品も發表されてをり、前年には、日獨親睦を兼ねて、伯林フィルが「ツェッペリン伯2世號」に乘つて、東京へ來る計畫すらありました。この邊りは 横田庄一郎著 『フルトヴェングラー幻の東京公演』 朔北社 に詳しく書かれてゐます。殘念乍ら戰爭の為、來日公演や五輪は延期されたのです。唯一、ヒトラーユーゲント青年團が來日した位ですが、それでも大歡迎されてゐます。

 この年から1942(昭和17)年までの間、唐突に獨逸の國策電器會社テレフンケンに3曲、フルトヴェングラーは録音をしてゐます。然も、今我々が聽くやうな十八番ではなく、〈カヴァティーナ〉〈アダージオ〉〈アルチェステ〉序曲と云ふ選曲が不思議でなりませんでした。これらの原盤は戰爭の混亂により原盤は失はれ、非常に貴重なSP盤です。40年の9月1日に、ナチス獨逸軍は波蘭(ポーランド)へ侵攻し、すぐに戰爭となつた爲、一部チェコでプレスされた以外、獨逸國外には出回らず、殘つてゐるのが奇跡とも云へるのです。

 1940年にフルトヴェングラーは伯林フィルの演奏會で3月17,18,19日と、このベートーヴェンの《絃樂四重奏曲第13番變ロ長調》より〈カヴァティーナ〉を取り上げてゐます。録音(Telefunken SK3104)は、40年10月15日に、伯林の舊フィルハーモニーホールで行はれました。此処は元スケート場の爲に建てられたものですが、音響の素晴らしさに定評がありました。今、聽しても奥行きのある非常に豐かな響きが感じられます。

 もし、此処で《エグモント》序曲とか、《マイスタージンガー》前奏曲等を吹き込んでゐたら、國策に則り「偉大な獨逸」の宣傳の爲に録音したと誰もが思つたことでせう。それで、フルトヴェングラーは一寸考へて、餘り有名でないけれども、獨逸人の持つ精神的氣高さを表す爲にこの曲を選んではないかと思ひます。滋味溢れる曲作りは、とかく重くなりがちは演奏に變化を與へてくれます。連戰連勝の行け行けの雰圍氣の中で、國威掲揚を強制されても、ひとり冷靜に立ち向かった、孤獨な指揮者の後ろ姿が垣間見えます。




フルトヴェングラー幻の東京公演


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フルトヴェングラー幻の東京公演


著者:横田 庄一郎

販売元:朔北社

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2006年5月30日 (火)

交響的協奏曲

 1937(昭和12)年10月26日、伯林フィルの演奏旅行の際に、ミュンヘンで初演された、フルトヴェングラー自作の《洋琴(ピアノ)と管絃樂の爲の交響的協奏曲 ロ短調》。ピアノはエドウィン・フィッシャーでした。1936(昭和11)~37年の秋冬の演奏會季節に、ヒトラーの許可を得て、作曲に勤しんだフルトヴェングラーは《提琴奏鳴曲(ソナタ)第1番 ニ短調》と共にこの《交響的協奏曲》を書き上げてゐます。

 ヒトラー政権下、どっぷり影響を受けざるを得ない中、必死に抵抗し、多くの猶太人を護つたにも拘はらず、海外から見ると事情が大きく異なりました。國家社會主義勞働者黨(ナチス)の宣傳は巧妙を極め、まるでナチス獨逸の看板指揮者のやうに扱つて報道した爲、それを讀んだり聞いた諸外國から見ると、どうしてもナチスに協力してゐるやうにしか見えませんでした。

 1936年の2月27日にヴェネツィアから船に乘り、休暇を埃及(エジプト)で過ごしてゐたフルトヴェングラーの元に、紐育フィル監督就任要請が届きます。既に、「ヒンデミット事件」で無冠の巨匠は何も縛られるものがないので、快諾の旨を亞米利加に向け電報を打ちました。すると、亞米利加では「いよいよフルトヴェングラー」も獨逸を脱出して、ナチスに闘ふものと讃へられ、非常に好意的に受け止められました。

 併し、それを知つたゲーリングは本人の承諾なしにデマ情報を伯林から發して、獨逸國内に殘るやうにし向けたのです。それは、「伯林國立歌劇場監督に復歸」と云ふものでした。埃及でのんびりしてゐるフルトヴェングラーの元には何の知らせも届きません。亞米利加からは非難の嵐が巻き起こり、ナチス御用指揮者のレッテルが貼られ、フルトヴェングラーに確認の電報が寄せられますが、本人は何のことだかさっぱりわかりません。「伯林に復歸しない」と言つたところで、政府の大々的發表の影に隠れて真意が全く傳はりません。つひには紐育から辞退して欲しいとの知らせが届き、「政治的論爭に巻き込まれたくないので契約を延期」と打電します。すると「やっぱり、ナチスの御用指揮者」だと誤解を重ねるだけでした。遠く埃及に居た爲、正確な情報も傳はらず、ただただ、音樂に奉仕しただけなのに、それ以外のことに無頓着なフルトヴェングラー。今から見ると、時代に翻弄された姿が浮き彫りになりますが、本人の心痛はたいへんでしたでせう。

 その休暇の間に、この曲は書かれてゐます。全曲録音も少なく、ましてSP盤(Electrola DB4696/97S)では二樂章だけなのですが、フルトヴェングラーは此処で自らの苦惱を吐露し、結晶化させてゐます。録音は1939年4月25日、伯林のベートーヴェン・ホールです。悲痛な心の叫びだと思ふと聞き流せません。

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2006年5月29日 (月)

戰中のフルヴェン

Furt42 5月20日(土)にフルトヴェングラー・センターとの共催で「特別演奏會」を開きました。題して、『戰中のフルトヴェングラー』。
 巨匠のスタジオ正規録音は戰前に38曲、SP盤として發賣されましたが、特に1937(昭和12)年から1942(昭和18)年の間の9曲を選んで掛けました。この演奏會の模様は録音、録畫しましたので記録DVDとして後程頒布するつもりです。

 フルトヴェングラーのSP盤はレーベル違ひの重複はありますが、全部で130曲位は手元にあります。バラバラにして仕舞つてある爲、詳しくはわかりませんが横に並べると延べ1米位はあると思ひます。レコードは文化遺産であり、後世に是非傳へねばならないもと思つてをります。ですから、その途中一時期だけ、私の手元にあるものだと理解してゐます。だからこそ大事に扱ひたいのです。さうすると、貴重盤故ひとりで聽くのも勿體なくて、大勢集めて何か演奏會でも開かないと單にレコード傷附けるだけで終はる氣がします。

 特に、今回はフルトヴェングラー自身の作曲による《交響的協奏曲》の第2樂章(Electrola DB4696/97S)、戰中のテレフンケン録音の3曲も含まれてをり、これらは私の蒐集盤の中でも5本の指に入る貴重盤ばかりです。今週はこれらの曲のことを書きませう。

 以前は神保町の中古レコード屋位しか、SP盤を手に入れる場所はありませんでした。ところが、10年位前からインターネットを利用した海外の競賣や、通信販賣が氣輕に利用できるやうになり、思ひも寄らぬレコードが手に入るやうになりました。然も、國内市價の半分位ですので、利用しない手はありません。只、金錢的な問題で躊躇つたりすると、もう10年位はお目に掛からないことも多く、何処までにするかが問題です。そして、好きな曲ですと、どうしても幾度となく掛けるので、どうしても保存用に1組、普段用に1組、そして豫備に1組欲しくなるのは蒐集家の性と云へませう。

 それに、SP盤は割れ易いのが玉に傷。回轉臺(ターンテーブル)に置く時に手を滑らせて、蓄音機の縁に落としただけで、もうヒビが入ります。折角、苦勞して手に入れても、一度でおじゃんになることも珍しくありません。どうして、こんな手間も金も掛かるものを趣味にしてしまつたのだらうとその一瞬は思ふのですが、これも運命と諦めざるを得ません。

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2006年5月26日 (金)

中上貴晶

 「大治郎に次ぐ天才ライダー現る」とバイクレース界を騒がす逸材、中上貴晶君も紹介せねばなりません。まだ、14歳にして本年度全日本選手権大會、125cc級で開幕2連勝を飾つてゐます。中學生ですよ~。吃驚することしきりです。然も、「コースレコードを更新できなくて殘念」と漏らして、優勝の嬉しさを語るよりも、記録を塗り替へられなかつたことを口にするのですから、たまげたものです。筑波周回軌道(サーキット)での125cc級の最高速は2005(平成17)年に元世界王者の坂田和人が叩き出した59.697秒でした。

 現在は、MotoGPアカデミーに日本人として初めて參加してゐます。世界中から將來を擔ふ逸材を集め、育てやうと云ふ企畫で、唯一の日本人として、西班牙選手権でも出走してゐます。こちらの初參戰では上位爭ひに絡んだにも拘はらず8位に留まり、口惜しい思ひをしたに違ひありません。

 初めて走る姿を見たのは、2001(平成13)年に大治郎がWGP250cc級で世界王者になつて記念のDVDの中でのことでした。大治郎を目標に秋瀬周回軌道(サーキット)で走るちびっ子の一人として紹介されてゐました。其の際「將來の目標は」と云ふ質問に「MotoGPで優勝すること」既に世界の頂點をはっきり明言してゐたので、吃驚しました。映像では確か9歳と言つてゐた筈です。現在でも「驚異の中学生ライダー」と肩書きが附く位ですから、注目度は一番でせう。

Nt まだ、ニュースでしか情報は知り得ませんが、ひょっとすると今年の茂木では地元枠(ワイルド・カード)で125ccに出るかも知れません。今週末、日本テレビ系の衛星放送G+(またはケーブルテレビ)で、彼の特輯が組まれますので、どうぞお見逃しなく!

MotoGPペシャル
天才ライダー中上貴晶14歳!
スペイン挑戦記(VTR)
5月28日(日) 12:30~13:30

 尚、7月號の『Cycle Sounds』に、大ちゃん3回忌の記事「あれから三年 僕らはずっと忘れない」に、ファンの一人としてインタヴューを受けたので、私の笑顔が載つてゐます。是非、ご購入の上ご覧下さい。



CYCLE SOUNDS (サイクルサウンズ) 2006年 07月号 [雑誌]


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販売元:山海堂

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2006年5月25日 (木)

ドヴィツィオーゾ

Dovi 裕紀と同じチーム・スコットに所屬するアンドレア・ドヴィツィオーゾは、顎の發達した面長で、奥目の伊太利人ライダーです。ドヴィツィオーゾと覺へてしまへば、どうと云ふことはありませんが、發音し難い名前ですね。低い聲でボソボソ喋るところは、明るいロッシに代表される伊太利人の印象と懸け離れてゐますが、なかなかどうしてドヴィの闘志も凄まじいものがあります。今のところまだ、WGP250cc級での優勝はありませんが、表彰臺の常連となり、現在の綜合成績は最上位に位置してゐます。

 2004(平成16)年に茂木へ應援しに行つた際は、125cc級で見事優勝を飾り、その年の年間王者に輝き、裕紀と共に2005(平成17)年から1級上がり、250cc級を走つてゐます。昨年は5回の表彰臺に上り、常に安定した走りで綜合順位3位を記録しただけに、今年こそ綜合優勝を飾りたいところです。昨年の茂木では、ストーナーに前後して、出待ちしてサインを貰ひましたが、にこやかに清々しい好青年でした。MotoGPのベテラン選手が大勢に囲まれて、無愛想な人が多いのに比べると、ホッとさせてくれます。若くて謙虚なのでせうか。

 今年は、カタールGP、土耳古GP、上海GPと直線になつた途端、ホンダ車よりもアプリリア車の方が速く、本人の技術では越えられない壁にぶち當たる姿は氣の毒でした。カーブで追い抜いて差を附けても、また直線で抜かれてしまふ。2000(平成12)年の鈴鹿8時間耐久競走(レース)でホンダの大治郎とカワサキの井筒の一騎打ちも、マシンの特徴差が大きく出てゐましたね。宇川・加藤組は215周の新記録を達成したことも忘れられません。

 1986(昭和61)年3月23日生まれですから、彼もまだ20歳です。その頃は大學の卒業式も終はり、渡獨の準備をして、オケの仲間と卒業旅行に温泉へ行つて居ました。選手の誕生年で、自分の記憶が甦るのも變は話しですが、面長な顔を見てゐると、ふと卒業したてで社會人になり切らない中途半端で宙ぶらりんの状態を思ひ出すのでした。

Andrea Dovizioso Home Page



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販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2001/12/21

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2006年5月24日 (水)

高橋裕紀

 背番號55から、「ゴー・ゴー・ユウキ」と應援し易い高橋裕紀はWGP250cc、ホンダの奨學金を得て、參戰2年目です。今年結果を出して自力で出資者を探さないと、來年は出走できないと云ふ嚴しい勝負の世界の中で、佛蘭西大會、ル・マン周回軌道(サーキット)で、堂々の優勝。胸に手を當てて〈君が代〉を聽く姿は清々しく、勝利を噛み締めてゐました。同組(チーム)のドヴィツィオーゾとの一騎打ちで、途中抜かされても冷靜に附いて行き、最後に抜き去る姿も完璧で、格好良かつたですね。ドヴィ曰く「今日は素晴らしいレースだったし、優勝したユウキにおめでたうと言ひたい。」と素直に喜んで來れる仲間も素晴らしい。優勝の様子

 初めて名前を知つた時は既に全日本選手権大會の試合結果で、1位に名前が載つてゐた頃です。面皰(ニキビ)面のおとなしさうな田舎の青年と云ふ印象でしたから、どうしてそんなに速く走れるのか、全くピンと來ませんでした。當時の組(チーム)は罐珈琲やジュースで有名なダイドーさんでしたから、ファン感謝デーへ行けば、無料で罐珈琲や清涼飲料水「MIU」が頂けるので、ホイホイと景品に釣られて行きました。

2x4 全日本選手権250cc級で年間優勝を遂げ、來期から世界選手権に出場が來まつた、2004(平成16)年の冬にはホンダの企畫後(畫像右端)、一週間後にダイドーさんの企畫が續き兩方顔を出しました。「來週も行きますよ」と聲を掛けた時は戸惑つてゐましたが、翌週横濱で見てゐて目が合つた途端に思ひ出してくれたらしく、吃驚してこっそり合圖してくれました。いい奴です。この髭ぢゃ忘れられないか。

 昨年、茂木で行はれた日本大會では、ピットを散策中、ばったりトイレで遇ひました。「あれ~、裕紀くん。こんにちは。豫選頑張って。明日に續けて下さい!」なんて聲を掛けました。すっかり、偉さうにファンの代表のやうな顔して、厚かましい自分にも困りものですが、そんな場所でいきなりサインをお願ひしても、快くしてくれました。
 まだ手も洗ふ前で、プログラムを差し出すタイミングが惡くてご迷惑を掛けました。ですが、ハンカチを持つてゐなかつたので、「どうぞ使つて下さい」と私のものを差し出しても、「ああ、すみません。いいえ、いいです。」と突然シャツで拭つたので、「えっ!そこで拭くの?」まだ子供だなあと思つた次第。私個人としては、忘れられない思ひ出です。この調子でどんどん表彰臺を目指して走つて欲しい日本人選手です。
Tutti_1

高橋裕紀HP

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2006年5月23日 (火)

ストーナー

Kc ペドロサと並んで、最も注目を浴びてゐるのが豪州選手ケーシー・ストーナーでせう。初めて名前を聞いた時は「KC・ストーナー」だとばかり思つたのですが、「Casy Stoner」と綴るのですね。

 元は土道筋(ダート・トラック)出身ですが、15歳でロードレース(周回軌道競爭)に轉向し、RS125cc級で優勝を飾り、家族して歐州に移り住んで西班牙選手権と英國選手権、それぞれ同時に參戰して2位を収め、世界選手権250cc級に挑戰し、翌年は125ccに出場して最終戰バレンシアGPに於いて、豪州人としては史上最年少優勝を飾り、KTMへ移籍して參戰2年目のこの自動二輪車製造會社に初優勝をもたらしてゐます。そして、昨年は古巣LCR組に戻り、250cc級に挑み、5勝を記録して年間第2位に着けました。

 ペドロサが格上げしたのに續いて「オレも!」と名乘り出たのか、知りませんが、當初所属組も決まらず右往左往し、開幕前の怪我により試驗走行も十分に行へませんでした。併し、2006年度のMotoGP世界選手権が始まつてみると、非凡な才能を開花させ、豫選1位(ポール・ポジション)を得たり、周回により先頭を走るなど挑戰は續いてゐます。未だ初優勝はなりませぬが、時間の問題でせう。

 周回を重ねた際にタイヤの減り具合が自覺できれば、もっと挑發的な戰術も考へられると、素人乍ら勝手に思つてゐます。曲がり角(カーブ)での重心の振れも少なく、無理せずに機械を操る姿は美しいものです。ペドロサもストーナーも自然な動きが調和して綺麗な走りをします。無理をしないから、それがまた綺麗な加藤大治郎を思ひ出させます。

 東京中日スポーツ新聞の遠藤誠記者曰く、「ドナルド・ダック似」なのですが、金髪に面長の顔に薄唇です。屈託なく笑ふと齒が剥き出しになり、結構口腔がでかいのでせう。豪州人らしい英語訛りは少なく、どちらか云ふと亞米利加訛りに近く、私は全然聞き取れません。英語で一番頭に入るのは、伊太利の王者ロッシでせう。とてつもなく、きつい伊太利語訛りですが、聞いてゐる傍から英語の活字が頭に思ひ浮かぶので、とても判り易いのです。

 彼の生まれた1985(昭和60)年10月16日、その邊りは昭和女子人見記念講堂で、ブルックナーの〈ロマンティック〉を演奏したことを思ひ出しました。その時で既に21歳でしたから、20歳の若さと云ふものが眩しく感じます。4樂章の最後の方で、靜かに弦樂器だけが奏でてゐる上に、喇叭が乘り、裸になる箇所があります。私は當時2番を吹いてゐましたが、1番の先輩との和音がぴたりと合ひ、講堂の最後列まで音が響き渡つたことが忘れられません。あのやうな演奏の醍醐味は後にも先にもそれ切りですが、ブルックナーのオルガンのやうな響きを體驗できた貴重な記憶です。

 昨年の茂木では、控へ室からの出待ちをして自筆サインを貰ひましたが、禮儀正しいので吃驚しました。豪州で伸び伸び育つたのでせうが、生活面での教育をきちんと受けてゐる、かう云ふ選手こそ延びるものです。それに引換へ、飴菓子會社と契約して壇上に上がる際に必ず、棒飴を頬張る輩の横柄な態度や、同じく250ccで節度のない走りをする西班牙人は好きになれません。
 これからの歐州戰線を征した者がどのクラスだらうと、今年度の勝敗を決することでせう。

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2006年5月22日 (月)

ペドロサ

 自動二輪(バイク)競爭(レース)世界最高峰MotoGPが開幕してから、王者ロッシがマシントラブルにより奮はず、若手の臺頭を許してゐる爲、全くもつて豫想だにできなかつた面白い展開になつて來ました。5月14日の中國Grand Prix、上海周回軌道(サーキット)に於いて、若干20歳の西班牙人、ダニー・ペドロサが終始安定した走りで、ポール・トゥ・ウィンを飾りました。豫戰1位、決勝1位と云ふ素晴らしい結果を殘し、1996(平成8)年に日本GP、鈴鹿周回軌道で優勝した、阿部典史と同じタイ記録(20歳と227日)になりました。史上最年少は、82(昭和57)年に白耳義GP、スパ周回軌道でフレディー・スペンサーが記録した20歳と196日で、これはまだ破られてゐません。

 160糎(センチ)に滿たない小柄な體格では、MotoGP級は無理ではないかと陰口も叩かれましたが、開幕してみれば毎回優勝爭ひに食ひ込み、見事な競爭を披露してくれてゐます。實はロッシの後を追ふやうに、前々から彼の評判はよかつたのです。史上最年少記録を次々と塗り替へてゐるからに他ありません。

 12歳で小型自動二輪(ポケット・バイク)西班牙選手権大會を征し、一時は經濟的理由から自轉車に轉向もしたのですが、名監督アルベルト・プーチに發掘され、西班牙選手権第4位を収めた後、15歳で世界選手権に挑戰。2003(平成15)年の125cc級年間世界一に輝きますが、豪州選手権大會初日に兩足首を骨折する不運に見舞はれます。でも、そこからが違ふのです。リハビリを乘り越えて、250cc級の世界王者になり、續いて2005(平成17)年度も連續して世界王者になる快擧をやつてのけました。加藤大治郎の年間11勝には及ばないものの、勝率46.8%と2番目の好成績を殘して、本年度からMotoGP級に格上げしました。

 自分が20歳の頃は毎日喇叭の練習に明け暮れてゐましたが、既に20歳で世界一に輝く人が居ると思ふと吃驚です。昨日の佛蘭西GPでは、豫選1位で好スタートを切つたのですが、途中ロッシの後を追ふ展開となり、ロッシが故障により棄権すると、序盤に無理をしたのか、タイヤの減りが早く、鋭い走りが出來ず、追ひ上げてメランドリとカピロッシに抜かれ、最終的に3位に甘んじました。雨にも弱いとは云へ、これからが、ますます樂しみな選手です。

Pedorosa

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2006年5月19日 (金)

ドン・ジョヴァンニ

 モーツァルトの歌劇を劇場での記録としてではなく、全編ロケーションにより映畫化したものがあります。 ジョセフ・ロージー監督、佛蘭西・伊太利・西獨逸合作映畫《ドン・ジョヴァンニ》(1979年)です。これも當時ヤマハホールで上映されるのに合はせて見に行きました。
 ルッジェロ・ライモンディを始めとする、當時の一流の歌手を集め、伊太利の城でロケーションの良さを生かして、撮影された素晴らしい映畫でした。勿論、オペラですから、臺詞ではなくチェンバロに合はせた詠唱(レチタティーボ)か獨唱(アリア)や合唱になるのですが、レチタティーヴォの部分は撮影現場で歌つて貰ひ、それを録音したので口パクに陥らず、不自然さがありませんでした。タイトルロールのライモンディの他には、ホセ・ヴァン・ダムのレポレッロ 、キリ・テ・カナワのドンナ・エルヴィーラ 、テレサ・ベルガンサのツェルリーナと豪華な顔ぶれです。

 ドン・ジョヴァンニに罪の意識はあるものの、自分ではどうすることもできないセックス依存症の男のやうに描かれ、ライモンディの自信に溢れたドン・ジョヴァンニ同情したくもなります。常に何かから逃れるやうな感じで描かれてゐます。かう云ふ立派な映像を觀せ附けられると、本番の舞臺が酷く見劣りを感じたものです。過去に初演されたプラハ國立歌劇場の引っ越し公演を觀ましたが、正統派の重々しい演出で、確か、石像は歩いては出て來ませんでしたね。

 それに比べると昨年の大野和士指揮、白耳義國立モネ劇場の日本公演はデイヴィッド・マクヴィカーの演出の光る高密度の舞臺でした。途中、場面轉換で音樂が途切れることなく、實に滑らかに舞臺装置も變はり、巧妙にできてゐました。胸を露はにしたサイモン・キーンリィサイドのドン・ジョヴァンニはビジュアル系ロック歌手のやうな出で立ちで、食卓の上で歌ふは、走り回るは、とても元氣よく、精力有り餘る好色男を熱演してゐました。

 歌劇映畫でふと思ひ出したのは、マリア・カラスへのオマージュとして作られた《永遠のマリア・カラス》(2002年)です。生前親しかつたフランコ・ゼフィレッリ監督により、晩年のカラスの真實味溢れる姿が愛情たっぷりに描かれてゐました。すっかり聲も失ひ、希臘の大富豪オナシスはジャクリーヌ・ケネディに寝取られ失意の中、巴里で隠れるやうにして住んでゐた、カラス(ファニー・アルダン)を嘗ての仕事仲間でゲイの音樂プロデューサー、ラリー(ジェレミー・アイアンズ)が訪ねて來ます。全盛期の録音を使ひ、口パクでカラスの主演する《カルメン》を撮らうと云ふところから物語は始まり、實際にはなかつたものの、夢の《カルメン》が本物のカラスの歌に添へて造られて行くのが、説得力がありました。シャネルの素敵なスーツ、記者の質問には、その國の言葉で切り返す手際良さ、スターの表と裏の姿をよく描いてゐました。

 高校時代、オペラを聽いてゐると奇異な目で見られましたが、今同じことをしても教養人に見られるのがお笑ひです。舞臺より映畫の方が真實味が出るのは致し方ないことかも知れませんが、映畫の工夫がまた舞臺に生かされるともっとオペラもよくなるでせうねえ。

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2006年5月18日 (木)

ステッピング・アウト

 ダンスと云へば、ライザ・ミネリでせうか。當たり役「サリー」として出演した《キャバレー》(1971年)だけでなく、しがないタップ・ダンス教室を描いた《ステッピング・アウト》(1991年)もいい映畫でした。どちらかと云ふとミュージカルなのですが、片田舎のタップ・ダンス教室に通ふ生徒たち8人。人種も、境遇も、ダンスの目的も、皆それぞれ違ふにも拘はらず大舞臺を目指して、まとまって行く姿が爽やかです。色々な人が集まるところが、亞米利加らしく、人間愛を溢れた描き方もハリウッドにしては自然で好感が持てました。

 スポコン(スポーツ根性)ものと同じく、努力すればどんなことでも報いられると云ふやや偽善的な、亞米利加人の如何にも好みさうな主題ですが、ミネリの歌や踊りがそんなことは追ひやって、自分の明日に希望を見い出せるやうな描き方がいいのかも知れません。そして、全然揃はなかつた皆の足並みがまるで機械のやうに揃つて、晴れ舞臺に上がる姿は清々しくて、涙腺が弛みます。

 それに比べると《キャバレー》は、刻々と變はる1930年代の伯林を舞臺に、歴史に翻弄される若くて歌も踊りも一流な踊り子の悲哀が切々と描かれてゐます。それに伯林に住んでから氣附いたのですが、車で出掛ける郊外の町並みの様子など、きちんとロケーションを組んだことが實際によくわかりました。國家社會主義勞働者黨(ナチス)の影は今も獨逸にあるのですから、猶太(ユダヤ)資本のハリウッド映畫は辛口になるのは當然にしても、判り易く丁寧で、時代の退廃と昂揚が傳はつて來ます。

 私が高校生の頃は、原宿で「竹の子族」と呼ばれる同世代の若者が毎週日曜日に歩行者天國で踊つてをりました。暫くすると、それが「ロッカー(ロックン・ローラー)」になり、リーゼントに皮ジャン、パツンパツンのブラック・ジーンズに變はり、何時しか「バンドマン」に占領されて行くのを見たものです。思へばバブル景氣に向かふ上り坂に當たるのですから、自由、氣ままに踊れることは平和の象徴でもあるのでせうね。最盛期はディスコテークへギャルが大擧して押し寄せ、お立ち臺なるもので羽根扇子をヒラヒラさせて、大いに見せびらかせて踊つた時代もありました。一時期、パラパラなるものが流行ったやうですが、今はどうなのでせう。若人が熱狂して大勢が踊る程連帶感も生まれず、個のままなのでせうかねえ。

現在、日本で《ステッピング・アウト》のDVDは發賣されてゐません。



キャバレー リバース・エディション


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販売元:ハピネット・ピクチャーズ

発売日:2003/11/27

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2006年5月17日 (水)

スウィングガールズ

 米澤と思しき、片田舎の女子高生たちが、突然バンドを組む羽目になり、嫌々だつたものが、何時しか本物になり、吹き替へなしで俳優自ら演奏した《スウィングガールズ》(2004年)も笑へる映畫でした。

 矢口史靖監督は前前作《ウォーターボーイズ》(2002年)のヒットから、連續してテレビ・シリーズまで生まれたのですから、どれだけ大きな影響を與へたのか計り知れません。特に、高校生の夏休みが好きなやうです。それも底抜けに明るく、見終はつて清々しさの殘る青春映畫を撮るのが得意なのですね。竹中直人、渡辺えり子、谷啓等の脇役も素晴らしく、後味の良い作品です。

〈A列車で行かう〉〈ムーラント・セレナーデ〉のやうなスタンダードナンバーがこれまた素敵。最後の演奏會場面は聞き惚れます。ユアン・マクレガー主演により、炭坑勞働者たちが誇りを掛けて挑む全英ブラスバンド大會を描いた《ブラス!》(1996年)も素敵でしたが、矢口監督作品は俳優さんが特訓を受けて、曲がりなりにもちゃんと吹いてゐるのが、凄いです。ブラスバンド經驗者としては、裏拍のジャズのリズムの違ひだとか、基本を教へて貰ふやうで、いちいちフムフムと頷く如くに、よく勉強して撮影してゐました。餘りの樂しさに撮影後、矢口監督は有ると・サックスを習ひに行くやうになつたと云ひます。誰でも熱中させる音樂は素敵だと思ひます。



スウィングガールズ スタンダード・エディション


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スウィングガールズ スタンダード・エディション


販売元:東宝

発売日:2005/03/25

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ウォーターボーイズ スタンダード・エディション


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販売元:東宝

発売日:2004/07/30

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2006年5月16日 (火)

Shall We ダンス?

 今週は音樂映畫の話しになつてしまひました。一昨年、リチャード・ギア 、ジェニファー・ロペス 、スーザン・サランドン主演でリメイクされたハリウッド版《Shall We ダンス?》がとても、豪華で素敵だと話題を呼びました。併し、元の周防正行監督作品(1996年)の方が、日本人ばかりで冴へないところが却って等身大でした。

 この周防監督は笑いのツボを押さへてゐて、禪宗坊主の修行を描いた《ファンシイダンス》(1989年)、單位と引換へに大學相撲部に入らされた《シコふんじゃった。》(1991年)と共に、何度繰り返し見ても笑へる作品ばかりです。確か処女作品は大好きな小津安二郎監督に捧げるオマージュ映畫でしたが、ピンク映畫だつたと思ひます。今で言ふところのイケメン俳優、本木雅弘を主演にしてゐた2作品の後のですが、《ダンス》は役所広司とぐっと年齢層をあげて、サラリーマンの悲哀を描いてゐます。

 物語は、平凡なサラリーマン杉山(役所広司)が、或る日の會社歸へり、電車の中から、ふと見上げたビルの窓邊に佇む美女(草刈民代)が氣に掛かります。毎晩見掛ける彼女にどうしても會ひたくなり、杉山は彼女が居る窓の部屋を訪ねます。そこは杉山に全く縁のない社交ダンス教室でした。それでも、勇氣を振り絞つて教室に入り、あの美女と聲を交はし、成り行きでダンスを習ひ始めるのでした…

 この映畫のなかに、ユル・ブリンナー 、デボラ・カー が主演の映畫《王様と私》(1956)年の場面を思ひ出すところがあります。シャム王(ブリンナー)の宮殿にやってきたイギリス人女性アンナ(カー)がダンスの手解きをする時に掛かる曲が映畫の題名にもなつてゐる《shall we dance?》なのです。王様がドタドタ踊るのですが、それでも何時しか優雅に踊れる場面は素敵な見所です。あんな風に踊れたらなあと云ふ夢を語るのですね。

 實は幾年か前、かみさんと社交ダンスを習つてゐました。ジルバ、タンゴ、ワルツ、ルンバと少しずつステップも増え面白くなつて來たところで、止めてしまつひ惜しいことをしたと思つてゐます。背筋を伸ばして踊ると、かなりの汗もかき、全身運動になるので健康にもよく、歩き方が粋になつたものです。今はその見る影もありませんが…
歐州では、ごく普通のパーティーでも誰もが氣輕に踊るのですが、若い時に習ふので皆さんそれはそれは上手です。そんな時、ただでさへ背が低いのに文化の違ひに、餘計に卑屈に感じたものですから、また再開したいものです。



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2006年5月15日 (月)

ツィゴイネルワイゼン

 内田百閒の小説に『サラサーテの盤』と云ふ短篇があります。サラサーテ自ら1904(明治37)年に吹き込んだ名曲「ツィゴイネルワイゼン」の途中に、うっかり何か喋つてしまつたものが挿入された有名なレコードに就いて書かれたものです。以前、そのレコードをお借りして聞いたことがあるのですが(Nippon Victor E329)、矢張り「パラピリホレヘレ」位にしか聞こえず、何を言つてゐるのか全くわかりません。フルトヴェングラーのベートーヴェンの7番LP盤にも女性の聲が入つてゐたり、滅多にないだけにとても記憶に殘るものとなりますね。

 この百閒の『サラサーテの盤』を元に、田中陽造が脚色し、鈴木清順がメガホンを取つた映畫《ツィゴイネルワイゼン》があります。1980(昭和55)年にロードショウされた摩訶不思議な映像美を誇る清順らしい映畫です。高校生なのに、切符買つてわざわざ見に行つたのは、名曲の名に惹かれ、一寸興味のある大正時代が垣間見たかつたに他なりませんが、ちんぷんかんぷんなのが正直な感想でした。

 物語は、大學の獨逸語教授、青地(藤田敏八)と元同僚の友人、中砂(原田芳雄)が旅先で、藝者、小稲(大谷直子)に會ひ、一年後、中砂から結婚したと云ふ知らせを受けた青地は、その妻が小稲にそっくりなので吃驚します。本人曰く似たのを探したのだと笑ひ、書斎でサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」をヴィクターの卓上蓄音機で二人は聽きます。そして、中砂に娘の豐子が生まれますが、暫くして中砂は死んでしまひます。數年後、青地の家に豐子を連れた小稲が夕闇と共に現れて、中砂が貸したサラサーテのSP盤を返して欲しいと言ひ出します。返した筈だと思つてゐた青地は手元にないと思つて追ひ返すものの、あったことに氣附き、慌てて後を追ふのですが…。

 それまでの、《けんかえれじい》《刺青一代》など清順の代表作すら見てをらず、突然、妖艶な世界へ紛れ込んでしまひ、迷子になりました。青地は洋館に住み、始終洋風なのに對し、中砂は暗い日本家屋で常々和服です。鎌倉の切り通しを境に陰と陽の二人の世界が對峙してゐるやうです。どうかすると「骨がピンクになる」なんて話しを聞いた青地は中砂の骨壺に手を掛けて中を見ようとするが、ふと我に返つて止めるたりします。コンニャクをちぎり過ぎて、山になる場面だとか、場面場面をかなり鮮烈に覺へてゐますが、頭の中で繋がつてゐません。

 最初、濱に遺體が揚がつたところで、地元の警察に青地が名刺を見せるのですが、「獨逸語」が讀めず「ドイツ語」とはっきり言ふのを特によく覺へてゐます。それで、ドイツを獨逸と書くのだと知りました。また、最後豐子の足跡に六文錢があり、死者だと知っておののく青地に、「參りませう」と聲を掛ける豐子。 斷片の記憶だけでは何だかよくわかりませんね。

 キネマ旬報第1位、伯林國際映畫祭では審査員特別賞を獲得したり、日本の評價も海外の評價も高いのですが、理解した人はどれだけ居たのか。今でも不思議に思ひます。



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2006年5月12日 (金)

猿樂

 「芝居」は文字が示す通り、「芝生の上に居」て藝能を鑑賞したので、この名が附いたらしいですね。猿樂だとかを寺院や神社の境内で興行し、それを見物した人や場所を指したと云はれてゐます。

 明治になつて、西洋技術導入の爲、岩倉具視を使節團を亞米利加と歐州に2年間の遣はしてゐます。即ち、1871(明治4)年に11月12日に横濱を發ち、桑港を皮切りに、亞米利加を横斷し、大西洋を渡り歐州各地を巡り、632日掛けて、1873(明治6)年9月13日に歸國した壮大な西洋文明調査旅行でした。木戸孝允、大久保利通、伊藤博文等我が國の重要閣僚、お附きの人も含めて総勢100名を越す使節團がこぞって行つてしまつたのは凄いことです。似た道程でジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が同じ頃に(初版1872年刊行)書かれてゐますが、こちらは岩倉使節團の八分の一の長さです。

 この大旅行を記録した『米歐回覧實記』なるものが殘されて、歴史に埋もれることなく現在の我々に、岩波文庫で簡單に知ることができます。もとは「不平等條約」の改正交渉を主眼にしてゐたものの時期尚早と判斷され、云はば挨拶廻りでした。舊幕時代に結ばれた條約締結國の元首に國書を奉呈する外交儀礼に則つたものですが、久米邦武の記録は、客觀的な文明批判も的確で、彼等の心意氣と現實感が傳はつて來ます。

 どうして、芝居のことで岩倉使節團のことを取り上げたかと云ふと、伯林へ赴くと外交使節として鄭重に扱はれ、皇帝ヴィルヘルム1世に謁見する前日に招かれて、一行は歌劇を鑑賞してゐます。岩波文庫版 III 314頁に

 夜、皇帝ノ劇場ニ赴ク 〈是ヲ「オヘラ」ト云、諸種ノ芝居中ニテ最上等ナルモノ猶我猿樂ノ如シ〉

「最高の芝居と云はれるオペラを觀た」とあるのですが、その喩へが「猿樂の如し」と云ふ箇所が笑へます。我々としては、オペラと猿樂自體が全然結び附かないのですが、苦肉の説明なのでせうねえ。詰まらなかつたと見えて、題名を記してゐません。そこで伯林國立歌劇場に問ひ合はせたりして、何を觀たのか判明したのですが、ヴェルディ協會會報に寄稿したので、それが發行されたらお知らせすることに致しませう。

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2006年5月11日 (木)

耳なし芳一

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)没後100年に當たつた2004(平成16)年に記念行事として、行はれた怪談狂言《耳なし芳一》も忘れられない芝居のひとつです。
 その年の6月に逝去した狂言師、野村万之丞演出によるもので、よくぞ本人なしでも、國立能樂堂で上演されたものです。以前ベルランでも演奏して下さつた薩摩琵琶奏者、友吉鶴心や、異色藝術家デーモン小暮閣下出演と聞いて初日に驅け附けました。

 初めて訪れる千駄ヶ谷の能樂堂は表通りから一歩入つた閑静な住宅街に在り、山の手を感じさせます。和風要素を取り入れたコンクリートの建物は玉砂利の奥に位置し、蝉時雨を抜けて行くと、能舞臺を囲む客席は程良い傾斜が附き、ふかふかの絨毯張りにまづ驚かされます。

 暗闇の中、靜に奏でられる音樂と共に和尚に扮したオペラ歌手の松本進と、芳一役の俳優及川健が和蝋燭を燈して行きます。鶴心の琵琶に、韓國の打樂器奏者朴根鐘と雅樂奏者稲葉明徳が加はり幽玄の世界へ誘ひます。
 この物語も餘りに有名ですが、人の側から描くのではなく、黄泉の世界から進みます。壇ノ浦の合戰で幼くして入水した安徳天皇(デーモン小暮閣下)は刺激のないあの世で永遠と云ふ暇を持て餘し、心の穴を埋めるべく家來に氣晴らしを求めます。京劇の張春祥、狂言の野村万禄、舞踏家大坪光路それにカメルーン出身サミュエル・ンフォー・ングアの扮する家來たちが藝を披露しますが、すぐに飽きてしまひます。そこで噂に聞く芳一の琵琶が聞きたいと迎への者を使はし、演奏を頼むのでした。

 人の本心が聞こえてしまふ芳一も心の穴が埋まりません。幼い頃の記憶のない芳一と、八歳で崩御された安徳天皇とは繋がつており、生きては辛い世の中、死して尚辛い世の中だと嘆く二人は表裏一體、何処の世界も同じなのだと云ふ普遍性を訴へたのは見事でした。
 
 新鮮な解釈は各方面の専門家が集まつただけに、分かり易さと、樂しさが倍増し、21世紀に生きる我々の意味や人生に就いても考へさせられました。デーモンは例の白塗りの化粧で常に觀客を沸かせ、壇ノ浦の段を語る鶴心の薩摩琵琶は平家の哀れを歌ひ、特記すべきは畑違ひとは云へ、バリトンの松本の太い聲は何処までも響き渡り、發聲方法の違ひや鍛錬の違ひを感じさせましたね。
 樂屋口に鶴心さんを訪ねたところ、本番後とは思へない程元氣で、貫禄が附いた氣がしました。遠くに化粧を落とさないデーモン閣下が普段着で居る姿が何とも異様で、舞臺裏らしさを醸し出してゐました。

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2006年5月10日 (水)

コクーン歌舞伎

 歌舞伎座や國立劇場で行はれる昔乍らの歌舞伎ではなく、澁谷の東急文化村に在る「シアターコクーン」で上演する〈コクーン歌舞伎〉も面白い芝居です。こちらは3月末に觀たばかりです。

 鐵筋コンクリートの建物の中に在るのですが、江戸時代の芝居小屋の雰圍氣があります。それは、平戸間前の方が椅子席ではなく板の間に座布團となつてゐて、然も場内で飲食可能だからです。さすがに、演じられてゐる最中にボリボリ煎餅を頬張る輩は居りませんが、幕間に膝の上に幕の内辨當を載せて、ぺちゃくちゃお喋りをする大勢のおばさん方を見掛けました。相撲の枡席のやうな枠こそありませんが、座布團一枚と前の僅かな空間が一人分故、長時間の胡座(アグラ)は、しんどかったです。時折、正座をしてみたり、足を崩したりして、居住まひを直すのですが、疊の上から遠離つた生活の方がもう長いのだと今更乍ら氣附きました。でも、決して不快ではありません。舞臺にも近く、花道がない分、通路を役者さんが幾度も通り過ぎるので舞臺の中に座つてゐる感じがします。

元々このコクーン歌舞伎なるものは、中村橋之助主演の歌舞伎をやることが決まり、その演出を頼まれた中村勘九郎(現勘三郎)が、自分も出たいと言ひ出し、二人の主演で毎年續けられてゐるものです。

 演目は四世鶴屋南北の《東海道四谷怪談》です。1994(平成6)年の第1回にも演じられたものの再演(南番)と、滅多に上演されない場面を加へたもの(北番)とを晝夜交互に掛けられました。初演と同じ串田和美の演出により、平成の歌舞伎として再生してゐる爲、粗筋を知らない人でも理解し易く工夫されてゐます。勿論、衣裳は江戸時代のものではありますが、單純に長唄の伴奏ではなく、効果音や鳴り物、椎名林檎、それに鼓弓やモンゴルの喉歌(ホーミー)のやうな聲藝が加はつてゐます。

 また、南北が1825(文政8)年に初演した際は《假名手本忠臣藏》と二日掛かりで全編を見せた故事に習ひ、「赤穂浪士の仇討ち」との因果關係も明らかにした演出により理解が一層深まります。

 封建時代には耐えることしか出來なかった「お岩様」が幽靈になつて凄まじい怨念で復讐する劇ではありますが、恐ろしいだけではなく、日常生活に蠢く人間の本性を描いてゐます。元を正せば民谷伊右衛門は鹽冶判官(淺野家)家中の浪人であり、お家没落の際に公金を横領した輩。そして伊右衛門に一目惚れした伊藤喜兵衛の孫、お梅は高師直(吉良家)の家中で羽振りの良さが鼻に附く隣家でした。然も婿に欲しさから、産後の肥立ちの惡いお岩さんに血の妙藥と偽り毒藥を送つたことから、復讐劇が始まるのです。産後の肥立ちが惡くて、家事もロクにできないお岩さんに冷たい伊右衛門。泣き聲が五月蠅いとどなる伊右衛門。親父になつたばかりで自覺がないのです。そんなのお父さんとして、當たり前のことなのですがねえ。江戸時代の家庭崩壊を描いてをり、鹽冶浪人であり乍ら仇敵の高家へ仕官を望む不忠の伊右衛門が、怨念に苛まれて破滅する芝居なのですねえ。

 勘三郎のお岩(恐ろしい)、橋之助の伊右衛門(嫌味な獨りよがり男を好演)、そして七之助のお袖(やや狐目なれど美しい)、それに歌舞伎俳優ではない笹野高史の起用が膨らみを持たせ、時に諧謔(ユーモア)が生まれ、現實感を與へてゐました。勘三郎は他の役もこなして、3役もやつてましたが、どれも減り張りがあつて、さすがだと思はせる説得力が備はつてゐます。
 それにしても、〈髪梳き〉の恐ろしいこと、〈戸板返し〉も恐ろしいこと、〈提燈割れ〉の不氣味なこと、懐の深いこの芝居も評判通り見應えがありました。

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2006年5月 9日 (火)

近代能樂集

 三嶋由起夫は能舞體を新しい戯曲として捉へ『近代能樂集』として脚本を執筆してゐます。その中で比較的よく上演されるのが、《葵上》《卒塔婆小町》でせう。作家と関係の深い美輪明宏主演による、2002(平成14)年にパルコ劇場(再演)は秀逸でした。

 ご存知の通り、《葵上》は『源氏物語』の〈葵の巻〉が基となつた芝居です。大企業の御曹司、若林光(光源氏)は、妻の葵(葵の上)が原因不明の病氣に罹つたことを知り、慌てて出張から戻り、病院へ直行します。すると、結婚前に附き合つて、もうとうに捨てた年上の女性、六条靖子(六條御息所)の生き靈に取り憑かれてゐた、と云ふ話です。

 舞臺正面に葵の眠る寝臺が在り、其の背後には羽織が掲げられ、光琳の流水紅梅圖の掛布團。葵が夢の中で闘つてゐるからか、病室のソファーがダリの描いた超現實主義(シュールレアリズム)の歪んだ時計であつたりして、象徴的な装置が渾然一體となり、既に怪しい雰圍氣が醸し出てゐます。

 看護婦たちは「毎晩、夜中になると必ず現れるお見舞ひの人が氣味惡い」と噂して、其の人の車の光が病室から見えると、それを合圖にして皆下がつてしまひます。病人の他、一人殘された光(宅麻伸)が仕事か旅の疲れからか、病室のソファで寝入ると、背筋をすっくと伸ばした真っ黒い衣装の六条靖子(美輪明宏)が現れます。客席中央上手の扉から何時の間に現れたのか、客席の間を、しずしずと舞臺へ上って行きます。客席の非常灯も落とした真っ暗闇の中で、衣擦れの音だけが響きます。そして通り過ぎてから、服に焚き込めた香の薫りだけが漂ひ、恐ろしさが突然込み上げて來るのです。視覺だけに頼つて生き靈を見てゐたつもりが、突然、嗅覺を刺激され、其の壓倒的な存在感に一氣に呑み込まれて行きます。これはもう、テレビでは絶對に味はへない演出の妙でした。
 自分の服に香を焚き込むなんて、如何にも舊家のお金持ちの未亡人と云ふ感じもよく出てゐます。そして、最期には、葵はこの生き靈に殺されてしまふのです。途中の回想場面で、ハチャトゥリアンのバレヱ《スパルタカス》より〈スパルタカスとフリーギアのアダージョ〉の音樂が情感たっぷりに盛り上げます。

 一方〈卒塔婆小町〉は小野小町と深草少將の悲戀物語が基となつてゐます。舞臺は現代に移され、公園に居るホームレスの醜い老婆(美輪明宏)に興味を持つた詩人(宅麻伸)が尋ねます。すると、百歳を越えた老婆が、實は昔、舞踏會の華と慕はれ、「小町」と呼ばれた美しい女性だつたと云ふのです。皺苦茶でぼろを纏ひ、惡臭ただならぬ老婆からは全く想像できないものの、昔話を聞くうちに夢の世界に引き擦られ、何時しか絶世の美女に戻つた老婆と華麗なワルツを踊り、百夜通ひを成し遂げられず死んだ深草少將と同じやうに、最後には「君は美しい」と言つてしまひ、息絶えて行きます。このワルツもハチャトゥリアンの組曲《假面舞踏會》から取られ、しつこい旋律の繰り返しが頭に附きます。一瞬通俗的にすら見える其の奥で、たいへん計算尽くされた世界だ、と氣附かせない技が光ります。

 誰もがそのベンチに近寄ることすら憚る、臭さの根元であつた老婆から、微かにコロンの香りも心地よい、素敵なドレスに身を包んだ淑女への早變はりは吃驚しましたね。美輪明宏さんは只者んぢゃありません。鼻と耳の記憶に殘る芝居でした。以來、ハチャトゥリアンは普段聽く曲の仲間入りです。




ハチャトゥリャン: 管弦楽作品集 ~剣の舞


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近代能楽集


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2006年5月 8日 (月)

お芝居

 オペラや映畫の他に、歌舞伎や文樂も好きですが割に頻繁に行くのが實は「芝居」です。友達の役者さんが出る時は、可能な限り小屋へ足を運ぶやうにしてゐます。10年以上の附き合ひがあり、20代の頃から見てゐるので、段々とレベルアップする様と、配役が變はつて來たのがわかりとても面白いものです。

 連休前の4月後半に、 劇團フライングステージ第29回公演『ミッシング・ハーフ』を觀に行きました。この劇團フライングシテージと云ふのは、ゲイの人々がカミングアウトして「ゲイ」に拘つてゐる面白い集團なのです。臺本・演出・出演と全てを関根信一さん中心に芝居する團體です。今回は3人芝居と云ふことで、この関根さんの他に森川佳紀(この方が友人)、それに大門伍朗さんだけの芝居でした。

 物語は何と「戰前の上海」が舞臺。私はこの時代、凄く好きなんですよ。當時の軍人みたいな偉さうな髭を生やしてるからぢゃなくて、現在の閉塞感とは違ひ、共産主義であつたり、軍隊であつたり、皆方向性は違ふにしても、必ず明るい未來があると信じられた時代ですから、最終的に戰爭に突き進むにしても、滿州に未來を求める者、上海に逃れる者も、誰もが束の間の自由を享受できた時代ですね。

 それにうちの店には當時の蓄音機も有るし、ツェッペリン飛行船の料理は勿論のこと、以前『満鐵「亞細亞號の料理」再現』なんて會も開きましたし、渡邉 はま子の《蘇州夜曲》(Nippon Columbia 100063)や李香蘭の《赤い睡蓮》(Nippon Columbia 100101)、それに淡谷のり子の《別れのブルース》(Nippon Columbia 29384)等のSP盤もあるし、とても身近です。また、いよいよ今月は『戰中のフルトヴェングラー』と題して、蓄音機による特別演奏會もあり、昭和初期の日獨に就いての調べものも多く、とてもよい機會となりました。

 また、この芝居を觀る直前、ケーブルテレビで篠田正浩監督作品『スパイ・ゾルゲ』(2003)を觀たばかりで(映畫そのものとしては駄作ですが)、前半上海が舞臺であつたり、多くの歴史的事件を扱つてゐて説明過多になり過ぎなのですが、今回の芝居と重なる部分が多くて私には刺戟的でした。食ひ入るやうに最前列で觀ました。

 地下鐵、新宿御苑の驛から程近い「サンモールスタジオ」は新しいビルの地下に在り、座席數九十程の小さな小屋ですが、後ろの方はパイプ椅子なのに前の方は長椅子に座布團。隣の觀客と肩や膝が触れる狭さが、何とも芝居小屋ぽいです。

 さて、物語は昭和初期、女形として映畫に出演してゐた川野万里江(関根信一)は、トーキー映畫と共に失業し、北京に渡り宦官の手術を受け、本物の女性として上海で映畫デビューすることを夢みてゐた。其処へ兵役逃れの大江卓哉(森川佳紀)が現れ、誤つて万里江に實彈を打たれることから、物語は始まるのでした。

 二階の一室の洋間、正面奥には佛蘭西窓にバルコニーが在り、下手に扉、上手に支那風衝立、中央に長椅子。壁紙、窓枠、孰れも昭和の初めの頃の雰圍氣がよく出てゐました。そして、効果音の使ひ方が抜群です。雷鳴、拳銃、霧笛、車の音、見えない部分での演技として、群を抜いてゐました。素晴らしかったです。

 関根さんの女形はすっかり女性に成り切つてゐたので、文句の附けやうもありません。金もなく着た切り雀と云ふ設定だつたかも知れませんが、豫算に餘裕があれば、途中で幾度も妖艶な服装に着替へると、もっと盛り上がつたことでせう。折角の上海ですから、チャイナ服姿も見たかったです。只、時々臺詞を噛むので、勿體なかつたです。それと、附け睫毛が途中で、ヒラヒラ外れたのが非常に氣になりました。

 時代背景を相當勉強されたのでせう。有名人物や出來事をさりげなく臺詞に入れ込む小技もよく、實在の人物を登場させることで、リアル感を持たせる臺本も素晴らしい。『來たれ!満映へ』なんてビラまで小道具で出して來るところも憎い演出です。万里江は、最初の主演作のオリヂナルを大江の手違ひで映畫館ごと燃やしてしまつた爲、一作も現存してゐない映畫女優として、そしてそこへ突然現れた若者大江が、實はその犯人とも云ふべき映寫技師である、と云ふ因縁めいた設定にも不自然さがありません。そして、万里江の憧れのヒロイン、ディートリヒの主演作、映畫『モロッコ』を言葉だけで描き出し、大江との関係を自分と重ねるクライマックスへの持つて行き方もよかったです。一度はテレビで見た映畫の筈ですが、また見たくなる説得力がありました。

 森川さんは、映寫技師、即ち勞働者階級の出で、一寸した手違ひで兵役逃れになつてしまつた男の感じがよく出てゐました。臺詞回しも下町育ちぽく妙に勢ひ附いたり、舌打ちするところがリアルで吃驚しました。そのうちに手鼻でもかむんぢゃないかと思ふ程に決まつてゐました。脅へ、反撥、親しみ、嫌惡、友情と徐々に感情が變化し、最後には自己犠牲により万里江を救はうと云ふ流れが、減り張りがあつて、非常に説得力がありました。

 演技だけに關して云へば、大門さんには絶句しました。全て實在の人物であり乍ら、大門ワールドが出來上がつてをり、凄すぎです!執事の孫輝庭(宦官の手術もする)、甘粕正彦(ご存知満映社長)、それに四世澤村源之助(サイレント映畫に女形として出演後、歌舞伎に戻つた)はピカ一!ほんたうに歌舞伎の女形役者が出て來たかと思ふ程。和服の襟の抜き方、歩き方、座布團への腰掛け方、臺詞の抑揚、氣ッ風の良さ、完璧でした。知り合ひの日舞の師匠にもそっくりで唖然とした位です。
 それで居て、ふと息抜きに笑はせるタイミングも絶妙で、藝達者とはかう云ふものだと認識しましたね。大門さんの參加が、芝居に深みを與へ、幅を廣げた感じがします。あと一番吃驚したのは、大きな聲で臺詞を言ふ前に深呼吸をしたり、スッと息を吸ふ音もなく、突然腹の底から聲が出て來るのには、吃驚。普通、最前列でなくても、ブレスの息の音がばっちり聞こえるのに、全然しませんでした。プロ根性を見せ附けられた氣がしました。うむ、『キル・ビル』に出演してゐたと云ふのでこれは是が非でも見ないといけませんね。

 今回は三人の出演者たちの息も合ひ、絶妙な舞臺でした。是非、また三人の芝居を見たいと思ひます。

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2006年5月 1日 (月)

休暇

 いつも當『gramophonの音戯函』をお讀み下さりありがたうございます。本日より7日(日)まで、黄金週間故、お休みを頂きます。ブログもお休みです。8日(月)から再開致しますので、ご了承下さい。
 お休みの方は樂しいお休みを、さうでない方はめげずにしっかり働いて下さいね。

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