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2006年5月10日 (水)

コクーン歌舞伎

 歌舞伎座や國立劇場で行はれる昔乍らの歌舞伎ではなく、澁谷の東急文化村に在る「シアターコクーン」で上演する〈コクーン歌舞伎〉も面白い芝居です。こちらは3月末に觀たばかりです。

 鐵筋コンクリートの建物の中に在るのですが、江戸時代の芝居小屋の雰圍氣があります。それは、平戸間前の方が椅子席ではなく板の間に座布團となつてゐて、然も場内で飲食可能だからです。さすがに、演じられてゐる最中にボリボリ煎餅を頬張る輩は居りませんが、幕間に膝の上に幕の内辨當を載せて、ぺちゃくちゃお喋りをする大勢のおばさん方を見掛けました。相撲の枡席のやうな枠こそありませんが、座布團一枚と前の僅かな空間が一人分故、長時間の胡座(アグラ)は、しんどかったです。時折、正座をしてみたり、足を崩したりして、居住まひを直すのですが、疊の上から遠離つた生活の方がもう長いのだと今更乍ら氣附きました。でも、決して不快ではありません。舞臺にも近く、花道がない分、通路を役者さんが幾度も通り過ぎるので舞臺の中に座つてゐる感じがします。

元々このコクーン歌舞伎なるものは、中村橋之助主演の歌舞伎をやることが決まり、その演出を頼まれた中村勘九郎(現勘三郎)が、自分も出たいと言ひ出し、二人の主演で毎年續けられてゐるものです。

 演目は四世鶴屋南北の《東海道四谷怪談》です。1994(平成6)年の第1回にも演じられたものの再演(南番)と、滅多に上演されない場面を加へたもの(北番)とを晝夜交互に掛けられました。初演と同じ串田和美の演出により、平成の歌舞伎として再生してゐる爲、粗筋を知らない人でも理解し易く工夫されてゐます。勿論、衣裳は江戸時代のものではありますが、單純に長唄の伴奏ではなく、効果音や鳴り物、椎名林檎、それに鼓弓やモンゴルの喉歌(ホーミー)のやうな聲藝が加はつてゐます。

 また、南北が1825(文政8)年に初演した際は《假名手本忠臣藏》と二日掛かりで全編を見せた故事に習ひ、「赤穂浪士の仇討ち」との因果關係も明らかにした演出により理解が一層深まります。

 封建時代には耐えることしか出來なかった「お岩様」が幽靈になつて凄まじい怨念で復讐する劇ではありますが、恐ろしいだけではなく、日常生活に蠢く人間の本性を描いてゐます。元を正せば民谷伊右衛門は鹽冶判官(淺野家)家中の浪人であり、お家没落の際に公金を横領した輩。そして伊右衛門に一目惚れした伊藤喜兵衛の孫、お梅は高師直(吉良家)の家中で羽振りの良さが鼻に附く隣家でした。然も婿に欲しさから、産後の肥立ちの惡いお岩さんに血の妙藥と偽り毒藥を送つたことから、復讐劇が始まるのです。産後の肥立ちが惡くて、家事もロクにできないお岩さんに冷たい伊右衛門。泣き聲が五月蠅いとどなる伊右衛門。親父になつたばかりで自覺がないのです。そんなのお父さんとして、當たり前のことなのですがねえ。江戸時代の家庭崩壊を描いてをり、鹽冶浪人であり乍ら仇敵の高家へ仕官を望む不忠の伊右衛門が、怨念に苛まれて破滅する芝居なのですねえ。

 勘三郎のお岩(恐ろしい)、橋之助の伊右衛門(嫌味な獨りよがり男を好演)、そして七之助のお袖(やや狐目なれど美しい)、それに歌舞伎俳優ではない笹野高史の起用が膨らみを持たせ、時に諧謔(ユーモア)が生まれ、現實感を與へてゐました。勘三郎は他の役もこなして、3役もやつてましたが、どれも減り張りがあつて、さすがだと思はせる説得力が備はつてゐます。
 それにしても、〈髪梳き〉の恐ろしいこと、〈戸板返し〉も恐ろしいこと、〈提燈割れ〉の不氣味なこと、懐の深いこの芝居も評判通り見應えがありました。

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