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2006年5月11日 (木)

耳なし芳一

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)没後100年に當たつた2004(平成16)年に記念行事として、行はれた怪談狂言《耳なし芳一》も忘れられない芝居のひとつです。
 その年の6月に逝去した狂言師、野村万之丞演出によるもので、よくぞ本人なしでも、國立能樂堂で上演されたものです。以前ベルランでも演奏して下さつた薩摩琵琶奏者、友吉鶴心や、異色藝術家デーモン小暮閣下出演と聞いて初日に驅け附けました。

 初めて訪れる千駄ヶ谷の能樂堂は表通りから一歩入つた閑静な住宅街に在り、山の手を感じさせます。和風要素を取り入れたコンクリートの建物は玉砂利の奥に位置し、蝉時雨を抜けて行くと、能舞臺を囲む客席は程良い傾斜が附き、ふかふかの絨毯張りにまづ驚かされます。

 暗闇の中、靜に奏でられる音樂と共に和尚に扮したオペラ歌手の松本進と、芳一役の俳優及川健が和蝋燭を燈して行きます。鶴心の琵琶に、韓國の打樂器奏者朴根鐘と雅樂奏者稲葉明徳が加はり幽玄の世界へ誘ひます。
 この物語も餘りに有名ですが、人の側から描くのではなく、黄泉の世界から進みます。壇ノ浦の合戰で幼くして入水した安徳天皇(デーモン小暮閣下)は刺激のないあの世で永遠と云ふ暇を持て餘し、心の穴を埋めるべく家來に氣晴らしを求めます。京劇の張春祥、狂言の野村万禄、舞踏家大坪光路それにカメルーン出身サミュエル・ンフォー・ングアの扮する家來たちが藝を披露しますが、すぐに飽きてしまひます。そこで噂に聞く芳一の琵琶が聞きたいと迎への者を使はし、演奏を頼むのでした。

 人の本心が聞こえてしまふ芳一も心の穴が埋まりません。幼い頃の記憶のない芳一と、八歳で崩御された安徳天皇とは繋がつており、生きては辛い世の中、死して尚辛い世の中だと嘆く二人は表裏一體、何処の世界も同じなのだと云ふ普遍性を訴へたのは見事でした。
 
 新鮮な解釈は各方面の専門家が集まつただけに、分かり易さと、樂しさが倍増し、21世紀に生きる我々の意味や人生に就いても考へさせられました。デーモンは例の白塗りの化粧で常に觀客を沸かせ、壇ノ浦の段を語る鶴心の薩摩琵琶は平家の哀れを歌ひ、特記すべきは畑違ひとは云へ、バリトンの松本の太い聲は何処までも響き渡り、發聲方法の違ひや鍛錬の違ひを感じさせましたね。
 樂屋口に鶴心さんを訪ねたところ、本番後とは思へない程元氣で、貫禄が附いた氣がしました。遠くに化粧を落とさないデーモン閣下が普段着で居る姿が何とも異様で、舞臺裏らしさを醸し出してゐました。

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