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2006年5月30日 (火)

交響的協奏曲

 1937(昭和12)年10月26日、伯林フィルの演奏旅行の際に、ミュンヘンで初演された、フルトヴェングラー自作の《洋琴(ピアノ)と管絃樂の爲の交響的協奏曲 ロ短調》。ピアノはエドウィン・フィッシャーでした。1936(昭和11)~37年の秋冬の演奏會季節に、ヒトラーの許可を得て、作曲に勤しんだフルトヴェングラーは《提琴奏鳴曲(ソナタ)第1番 ニ短調》と共にこの《交響的協奏曲》を書き上げてゐます。

 ヒトラー政権下、どっぷり影響を受けざるを得ない中、必死に抵抗し、多くの猶太人を護つたにも拘はらず、海外から見ると事情が大きく異なりました。國家社會主義勞働者黨(ナチス)の宣傳は巧妙を極め、まるでナチス獨逸の看板指揮者のやうに扱つて報道した爲、それを讀んだり聞いた諸外國から見ると、どうしてもナチスに協力してゐるやうにしか見えませんでした。

 1936年の2月27日にヴェネツィアから船に乘り、休暇を埃及(エジプト)で過ごしてゐたフルトヴェングラーの元に、紐育フィル監督就任要請が届きます。既に、「ヒンデミット事件」で無冠の巨匠は何も縛られるものがないので、快諾の旨を亞米利加に向け電報を打ちました。すると、亞米利加では「いよいよフルトヴェングラー」も獨逸を脱出して、ナチスに闘ふものと讃へられ、非常に好意的に受け止められました。

 併し、それを知つたゲーリングは本人の承諾なしにデマ情報を伯林から發して、獨逸國内に殘るやうにし向けたのです。それは、「伯林國立歌劇場監督に復歸」と云ふものでした。埃及でのんびりしてゐるフルトヴェングラーの元には何の知らせも届きません。亞米利加からは非難の嵐が巻き起こり、ナチス御用指揮者のレッテルが貼られ、フルトヴェングラーに確認の電報が寄せられますが、本人は何のことだかさっぱりわかりません。「伯林に復歸しない」と言つたところで、政府の大々的發表の影に隠れて真意が全く傳はりません。つひには紐育から辞退して欲しいとの知らせが届き、「政治的論爭に巻き込まれたくないので契約を延期」と打電します。すると「やっぱり、ナチスの御用指揮者」だと誤解を重ねるだけでした。遠く埃及に居た爲、正確な情報も傳はらず、ただただ、音樂に奉仕しただけなのに、それ以外のことに無頓着なフルトヴェングラー。今から見ると、時代に翻弄された姿が浮き彫りになりますが、本人の心痛はたいへんでしたでせう。

 その休暇の間に、この曲は書かれてゐます。全曲録音も少なく、ましてSP盤(Electrola DB4696/97S)では二樂章だけなのですが、フルトヴェングラーは此処で自らの苦惱を吐露し、結晶化させてゐます。録音は1939年4月25日、伯林のベートーヴェン・ホールです。悲痛な心の叫びだと思ふと聞き流せません。

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コメント

静謐で、切々とした、いい演奏でしたね。
初めて聴いた曲でしたが、いい作品だと思いました。

投稿: Tiberius Felix | 2006年5月30日 (火) 22時34分

フィッシャーが織りなす洋琴のでかい音に吃驚しましたね。

投稿: gramophon | 2006年5月31日 (水) 10時12分

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