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2006年5月18日 (木)

ステッピング・アウト

 ダンスと云へば、ライザ・ミネリでせうか。當たり役「サリー」として出演した《キャバレー》(1971年)だけでなく、しがないタップ・ダンス教室を描いた《ステッピング・アウト》(1991年)もいい映畫でした。どちらかと云ふとミュージカルなのですが、片田舎のタップ・ダンス教室に通ふ生徒たち8人。人種も、境遇も、ダンスの目的も、皆それぞれ違ふにも拘はらず大舞臺を目指して、まとまって行く姿が爽やかです。色々な人が集まるところが、亞米利加らしく、人間愛を溢れた描き方もハリウッドにしては自然で好感が持てました。

 スポコン(スポーツ根性)ものと同じく、努力すればどんなことでも報いられると云ふやや偽善的な、亞米利加人の如何にも好みさうな主題ですが、ミネリの歌や踊りがそんなことは追ひやって、自分の明日に希望を見い出せるやうな描き方がいいのかも知れません。そして、全然揃はなかつた皆の足並みがまるで機械のやうに揃つて、晴れ舞臺に上がる姿は清々しくて、涙腺が弛みます。

 それに比べると《キャバレー》は、刻々と變はる1930年代の伯林を舞臺に、歴史に翻弄される若くて歌も踊りも一流な踊り子の悲哀が切々と描かれてゐます。それに伯林に住んでから氣附いたのですが、車で出掛ける郊外の町並みの様子など、きちんとロケーションを組んだことが實際によくわかりました。國家社會主義勞働者黨(ナチス)の影は今も獨逸にあるのですから、猶太(ユダヤ)資本のハリウッド映畫は辛口になるのは當然にしても、判り易く丁寧で、時代の退廃と昂揚が傳はつて來ます。

 私が高校生の頃は、原宿で「竹の子族」と呼ばれる同世代の若者が毎週日曜日に歩行者天國で踊つてをりました。暫くすると、それが「ロッカー(ロックン・ローラー)」になり、リーゼントに皮ジャン、パツンパツンのブラック・ジーンズに變はり、何時しか「バンドマン」に占領されて行くのを見たものです。思へばバブル景氣に向かふ上り坂に當たるのですから、自由、氣ままに踊れることは平和の象徴でもあるのでせうね。最盛期はディスコテークへギャルが大擧して押し寄せ、お立ち臺なるもので羽根扇子をヒラヒラさせて、大いに見せびらかせて踊つた時代もありました。一時期、パラパラなるものが流行ったやうですが、今はどうなのでせう。若人が熱狂して大勢が踊る程連帶感も生まれず、個のままなのでせうかねえ。

現在、日本で《ステッピング・アウト》のDVDは發賣されてゐません。



キャバレー リバース・エディション


DVD

キャバレー リバース・エディション


販売元:ハピネット・ピクチャーズ

発売日:2003/11/27

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