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2006年5月12日 (金)

猿樂

 「芝居」は文字が示す通り、「芝生の上に居」て藝能を鑑賞したので、この名が附いたらしいですね。猿樂だとかを寺院や神社の境内で興行し、それを見物した人や場所を指したと云はれてゐます。

 明治になつて、西洋技術導入の爲、岩倉具視を使節團を亞米利加と歐州に2年間の遣はしてゐます。即ち、1871(明治4)年に11月12日に横濱を發ち、桑港を皮切りに、亞米利加を横斷し、大西洋を渡り歐州各地を巡り、632日掛けて、1873(明治6)年9月13日に歸國した壮大な西洋文明調査旅行でした。木戸孝允、大久保利通、伊藤博文等我が國の重要閣僚、お附きの人も含めて総勢100名を越す使節團がこぞって行つてしまつたのは凄いことです。似た道程でジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が同じ頃に(初版1872年刊行)書かれてゐますが、こちらは岩倉使節團の八分の一の長さです。

 この大旅行を記録した『米歐回覧實記』なるものが殘されて、歴史に埋もれることなく現在の我々に、岩波文庫で簡單に知ることができます。もとは「不平等條約」の改正交渉を主眼にしてゐたものの時期尚早と判斷され、云はば挨拶廻りでした。舊幕時代に結ばれた條約締結國の元首に國書を奉呈する外交儀礼に則つたものですが、久米邦武の記録は、客觀的な文明批判も的確で、彼等の心意氣と現實感が傳はつて來ます。

 どうして、芝居のことで岩倉使節團のことを取り上げたかと云ふと、伯林へ赴くと外交使節として鄭重に扱はれ、皇帝ヴィルヘルム1世に謁見する前日に招かれて、一行は歌劇を鑑賞してゐます。岩波文庫版 III 314頁に

 夜、皇帝ノ劇場ニ赴ク 〈是ヲ「オヘラ」ト云、諸種ノ芝居中ニテ最上等ナルモノ猶我猿樂ノ如シ〉

「最高の芝居と云はれるオペラを觀た」とあるのですが、その喩へが「猿樂の如し」と云ふ箇所が笑へます。我々としては、オペラと猿樂自體が全然結び附かないのですが、苦肉の説明なのでせうねえ。詰まらなかつたと見えて、題名を記してゐません。そこで伯林國立歌劇場に問ひ合はせたりして、何を觀たのか判明したのですが、ヴェルディ協會會報に寄稿したので、それが發行されたらお知らせすることに致しませう。

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