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2006年6月 1日 (木)

ブルックナーの7番 第2樂章

 ブルックナーの交響曲第7番ホ長調より〈アダージオ〉は、ワーグナーチューバの悲しげな和音で始まります。ゆったりとしたテムポで山を登るが如く上昇音形が續き、頂點を迎へ、また靜かに終はる、私の大好き曲です。初めてフルトヴェングラーのこのSP盤を蓄音機で聽いた時、クナッパーツブッシュの宇宙を感じさせる鼓動に慣れてゐた所爲か、クレッシェンドと共にアッチェルランドしてどんどん早くなる速度の揺れや、針の擦れる音が氣になり、樂しむどころか違和感一杯でした。こんなブルックナーもありか、程度の受け入れ難い解釈でした。

 1941(昭和16)年3月、墺地利のザンクト・アントンでスキーの際、フルトヴェングラーは大怪我をして、17箇所出血し、然も、右腕には神經障害が殘り、8箇月もの間治療とリハビリに専念せねばなりませんでした。墺地利の片田舎で寝てゐると、ラヂオ放送で自分のブルックナーの7番の放送されると聞いたフルトヴェングラーは、繃帶でぐるぐる巻きにも拘はらず、すぐさま、近隣の村々を訪ねて高感度のラヂオ受信機のある家を探しました。そして、普段はダンス音樂を流す店をやっと突き止め、有無を云はさずチャンネルを合はせ、聞き入つたのです。1939(昭和14)年に開發實用化された「マグネットフォン(磁氣テープ)」により、長時間録音が可能となつてゐました。

 演奏が始まると、このテムポでいい、ここはもう少し膨らました方がいい、この歌はせ方ぢゃ駄目だ。いちいち批判し乍ら、この戰時に次回は何時この曲が指揮できるであらう。もっと良い演奏ができるだらうか。色々と思索したに違ひありません。文句を言つてゐた、その場に居合はせた村の人たちも最後には涙を流し聞き入つたさうです。

 そして、指揮活動に復歸した翌年、1942(昭和17)年4月7日、伯林の舊フィルハーモニーホールで録音されました。凄まじいばかりの集中力と、獨逸音樂全てを背負い込んだやうな重い足取りで始まります。慟哭に溢れ、ナチス獨逸政権下の現状、そして將來への不安が如實に現れてゐて、聽く者の心を捉へて離しません。
 ブルックナーがこの2樂章を書き始めた頃、敬愛するワーグナーが危篤だとの知らせを受け、哀悼を込めて書かれたと云はれ、頂點を迎へる邊りで死去の知らせを受けました。それ故、死者の弔ひにも使はれるこの〈アダージオ〉は、皮肉な事にヒトラーが自殺をした1945(昭和20)年4月29日の放送で〈ジークフリートの葬送行進曲〉と共にずっと流されました。フルトヴェングラーは現状の獨逸を嘆き、元通りの獨逸復活を願つて演奏したことでせう。CD復刻版でも、もう聞き流すことのできない背景を知つてしまつた感じです。

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