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2006年6月20日 (火)

優雅な食事

 飛行機は1903(明治36)年のライト兄弟初飛行以降で暫くは操縱士ひとりと云ふ單獨飛行かお客ひとりで、遠くまで飛べませんでしたから食事が出ません。1927(昭和2)年に大西洋單獨無着陸飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグもサンドヰッチとミネラル・ウォーターだけでしたから、空の上で兩手の空いた人しか食事は無理ですね。

 1783(天明2)年に佛蘭西のモンゴルフィエの作つた人類初の熱氣球有人飛行では25分間巴里上空を飛んだだけですから、食べてる暇もなかつたでせう。そこで登場するのが伯剌西爾(ブラジル)の珈琲王から遺産を引き繼ぎ、伊達男として知られたアルベルト・サントス=デゥモンでせう。1898(明治31)年に日本産の絹と竹の籠を使ひ氣球を飛ばしてから、すぐに空での食事を思ひ附きました。勿論、慣れない大空での食事なので、訓練が必要だと考へ、高さ1・8米の卓子とそれに合ふ椅子を拵へてそこで食べる訓練をしたのです。最初は食堂の天井から卓子と椅子を吊したらしのですが、當然天井が落ちたので、こんなことを考へたのですね。

 「飛行にはシャムパーニュ附の贅澤な晝食が必要」だと考へてゐたので、固茹での玉子、冷製ローストビーフとチキン、チーズ、アイスクリーム、果物、ケーキにシャムパーニュ、珈琲、シャルトルーズ(食後酒)まで載せて、「かうして氣球に乘つて雲の上でとる晝食より美味いものはない」と言つてゐます。只上空に揚がるだけでは滿足せず、移動する手段を考へます。特に輕量で單純なガソリン内燃機関(エンジン)を使ふことを閃き、石疊よりも震動が少ないことを喜び、どんな反對にもめげずに獨自に飛行船を設計したのです。アンリ・ジファルによる蒸氣機關による飛行船の實驗が既に1852(嘉永5)年に行はれてはゐますが、實用化はされてゐませんでした。

 1898(明治31)年の「1號機」から數へて、1901(明治34)年の「6號機」で制限時間の30分間エッフェル塔の周りを廻る飛行に成功し、名譽ある「ドゥーチ賞」を獲得してゐます。サントス=デュモンは自分で航空機を設計し、自分で費用は賄ひ、自分の發明で特許を取ることもせず賞金の10萬フランの半分は助手たちに與へ、殘りは巴里の職人達が質入れした道具の買ひ戻しに使つてゐます。大金持ちだつたからこそできることでせう。この時は記録への挑戰が優先されて、晝食は食べなかつたと思ひます。

 「9號機」の〈バラドゥーズ(散歩人號)〉は全長33米の「6號機」に比べる3分の1の11米と小型で、命名通り空中散歩に使はれ、ブローニュの森のレストランへ行く時に、或ひはカフェのテラスに降り立ち、食前酒を一杯飲んだり、随分と優雅なことをしたものです。但し、これも一人で操縱する爲、空中で食事をしたのかどうかはわかりません。

 小柄であつた爲「プティ・サントス」の愛稱で呼ばれた彼は、お洒落で常に襟の高い(high collar)シャツを着てゐた爲、日本では後にお洒落な人を「ハイカラ」と呼ぶやうになつたさうです。また、飛行中懐中時計ではポケットから出していちいち時間を確かめるのが煩はしいと聞いたルイ・カルティエが腕時計を考案して贈つてゐます。それが角形で羅馬數字の有名な『サントス』です。これは1978年に金の龍頭、ステンレススティールのベルトで復活を遂げ、ご婦人用も賣り出されてゐますね。

 大空での優雅な食事は最初から、誰もが味はひたいと思ふものなのでせう。



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コメント

 飛行機=シャンパーニュ、と言う図式はその最初から始まっていたのですね。
 今回もAF機内では往復ともシャンパーニュ、ではなくスパークリングワインを味わいました。エコノミーでスパークリングでも、おおいに祝祭的な気分が高まるのが機内サービスの不思議なところですね。

投稿: Tiberius Felix | 2006年6月20日 (火) 22時20分

 三等席だらうと發泡酒を飲むとウキウキして來ますね。特に、飛行機の中では、氣壓の關係で酔ひが早く回り、然も、炭酸瓦斯が胃の中で彈ける際に胃壁にアルコールが素早く吸収される爲、發泡酒は尚更酔ひ易いので飲み過ぎに氣を附けないといけませんね。 幾度も失敗してます(爆)。

投稿: gramophon | 2006年6月21日 (水) 10時48分

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