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2006年6月29日 (木)

ロートレック

Lautrec アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864 - 1901)も19世紀を代表する畫家として知られ、多くの商業廣告、ポスターを描いてゐます。それまで斷片的にポスターを見たことはありましたが、1987(昭和62)年でしたか丁度伯林で一大回顧展があり、じっくり見ることができました。兎に角澤山の素描やパステル畫があり、入念に作品を描いたことがよくわかりました。
 それに、1952(昭和27)年に名匠ジョン・ヒューストンの撮つた『赤い風車』と云ふ優れた映畫もありましたね。哀れさを強調したところもありますが、儀禮や外面だけの貴族社會より、弱い人間を温かく見つめ、場末の踊り子や、娼婦、酒場の人間模様を氣に入つた藝術家と描いてゐます。ロートレック役の性格俳優ホセ・ファーラーの演技もピカ一でした。

 カール大帝にまで遡ることのできる名門貴族の長男として生まれたロートレックは、病弱で發育不全であつた爲、狩獵好きな父親には拒否され、母アデール伯爵夫人には溺愛され、母親が別居後、母の買ひ取ったボルドーのマルロメ城で夏を過ごすのを何よりも樂しみにしてゐました。虚弱體質を理由に1875(明治8)年に巴里の學校を退學させられてから、南佛の湯治場や故郷で靜養し、大好きな繪ばかり描いて過ごしたのです。

 1878(明治11)年の5月30日、故郷アルビで惡ふざけで左脚を骨折、翌年にはバーレージュの湯治場で散歩途中、ふと轉んで右足大腿骨を折り、遺傳性の骨の病氣「硬化性異骨症」に罹つてゐたことが判明しました。これは、廣大な私有地を持ち、狩獵や社交だけに明け暮れ、働くことをしない貴族同士の血族結婚が續いた結果でした。それ故、ロートレックは成長が止まり、大人になつても152糎しかなく、「私の足がもう少し長かつたら、繪を描かなかつたでせう」と本人が言ふやうに、彼の人生を大きく變へるできごとでした。

Mr 17歳になつて畫家を志し、レオン・ボナ(1833 - 1922)の門下生となつて基礎を學び、モンマルトルにアトリエを構へる頃、因襲に囚はれないモンマルトルの酒場やキャバレーに入り浸ります。1891(明治24)年には有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」を描き、このポスターが貼り出されるや否やすっかり有名人となりました。彼は周到に準備を重ね、踊り子グーリューと鉤鼻のヴァランタンの素描から習作を重ね、水彩、パステルで描き色の重なりから配色まできっちり計算して石版畫に仕上げてゐます。背景畫と文字がしっくり合ふやうに、自らインクの調合もし、刷り上がると原版は破棄して複製を豫防する念の入れやうでした。

 ロートレックは生涯に350枚の石版畫を殘してゐますが、そのうち30枚がポスターで、遠くからみて誰にでも判り易い繪を描き、好評を得るどころが人類の遺産とも云ふべき作品を殘してゐます。大の酒好きで、ボルドーの中州、アントル・ド・メールに在る母のシャトー・マルロメのワインを愛し、得體の知らない混ぜもの(カクテル)でもアブサンでも何でも飲みました。また、社交好きでもてなし上手なロートレックはオマール海老が大好きで自ら庖丁を握り、生きたまま調理し、牛肉の煮込み料理等料理本がある程のグルメでもあつたのです。2003(平成15)年の夏にベルランでは、この料理本から料理を再現しました。

 身體の弱かつたロートレックには活力漲る踊り子や騎手に惹かれ、夢中になつたその氣持ちをキャンバスにぶつけたので、誇張はあるものの説得力のある表現が得られたのでせう。36歳を目前にして亡くなつたロートレックの生き様は、憂いのあるポスターに蔭となつて現れてゐる氣がします。



DVD

ムーラン・ルージュ 赤い風車


販売元:レントラックジャパン

発売日:2004/11/26

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トゥールーズ~=ロートレック著『ロートレックの料理法』 モーリス・ジョワイヤン編輯 美術公論社

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