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2006年6月16日 (金)

グルメなロッシーニ

Rossini 作曲家の中で、一番の美食家と云へばジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)でせう。「モオツァルトの再來」として騒がれ、24歳の時に歌劇《セヴィリアの理髪師》で大當たりを取つてから、數多くの歌劇を書いたもののモオツァルトを越えられる譯ではなく、37歳で歌劇《ウィリアム・テル》を發表後は、さっさと筆を折り印税だけで生活する樂隠居をした人です。ロッシーニが最も得意としたオペラ・ブッファの流行が下火になりつつあることを敏感に察し、最先端となるグランド・オペラは畑違ひと感じ、十分働いたからと引退したらしく、巴里で世俗の快樂に走つたのでせう。

 年間3~4本もオペラを書いた爲、作曲が間に合はなかつたのか、使ひ回しも實に多いので吃驚させられます。例へば、有名な歌劇《セヴィリアの理髪師》序曲は、指揮者の試驗にの使はれる緩急、大小音の揃つた變化に豐んだ親しみ易い曲ではありますが、元々《パルミーラのアウレリアーノ》の序曲であつたものを、《英國女王エリザベッタ》の序曲に再利用し、更に丸々《セヴィリア》にも使ふ横着なところがありました。今なら著作権だとか、獨創性からして物議を醸し出すことでせうが、ロッシーニとしては大衆さへ喜べばそれで良しとした勸があります。

 暇に飽かせて美食の道を突き進んだのですが、自ら厨房に立つだけでなく、自ら新しい料理を考案し、「ロッシーニ風」と名附けた料理は今でも我々は食べることができます。本當に彼が實際に編み出したものかは定かではありませんが、名前が附いて後世まで殘るのは非常に稀ですから、作らせたとか、調理人にヒントを與へたとかのが真相かも知れません。

 クルトンの上に牛フィレ肉とフォア・グラを載せ、トリュフの入つたソース・ペリグーを掛ける「トゥルヌド・ロッシーニ」、フォア・グラ、トリュフ、ヨークシャー・ハムをクリームにして、マカロニに詰めた「注入したマカロニ  ロッシーニ風」、骨髄を使つた「リゾット ロッシーニ風」… ありとあらゆる食材にロッシーニ風が附いてゐます。詳しくは水谷彰良著 『ロッシーニと料理』 透土社 をご覧下さい。

 また、演奏旅行の度に行く先々で地元のワインを飲み、すっかりワイン通となつたロッシーニ家の地下藏には、佛蘭西、伊太利、獨逸、西班牙、葡萄牙ばかりか、南米のワインまで秀逸ワインが集められ、然も氣輕に客人に振る舞つたさうです。初めて口にしたのは、7歳の時に教會のミサ用ワインを味見したのが最初だとか。私の父は酒を飲まない人ですが、母方は酒豪揃ひで、私も物心附いた時からこっそり味見したものです。

 ロッシーニはワインの味もわかる男と云ふ評判も立ち、それ故、王侯貴族との附き合ひの幅も廣がりました。1864(元治元)年の或る日、ロートシルト男爵から屋敷内の温室で採れた美味しい葡萄一箱が、ロッシーニ家に贈られて來ました。「飛び切りの葡萄に感謝します。ただ、一口分のワインとは少々寂しいですなあ」と當て擦りの返事を送りましたが、機知に富んだ言葉に気附いた男爵は「シャトー・ラフィット・ロートシルト」の小樽を直ぐにロッシーニの元に届けさせたと云ふ逸話もあります。1本2萬圓はするボルドーの最高級赤ワイン、「シャトー・ラフィット・ロートシルト」が一箱贈られれば、そりゃあ誰でも大喜びするでせう。生憎、私はロートシルト男爵の友達ではありませんし、機知に富んでゐる譯でもなく、未だそんな機會に恵まれません。當たり前かあ。

 晩年に作曲した《老ひの過ち》と題した小品集が有りますが、160曲の内12曲の洋琴(ピアノ)曲に食べ物の名が附けられてゐます。死後《セヴィリア》と《ウィリアム・テル》以外すっかり忘れ去られ、1970年代になつてやっと再評價されたロッシーニ。晩年は明けても暮れても料理のことしか頭になかつたのでせうから、仕方ありませんね。


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