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2006年6月 8日 (木)

死の形

 「明日、大地震が來たらどうする」と云ふ會話をよく小學生の頃しました。丁度、小松左京著『日本沈没』が映畫化され、テレビドラマにもなつてゐた頃です。今年再映畫化されるやうで「英語やっときゃよかった」と英會話學校の宣傳と共に放映されてゐます。関東大震災以來、東京には全然大きな地震が來ませんので(30年も前からそろそろと言はれ續けて、今ですから)、どうなりますかねえ。政府は1週間は水道電氣瓦斯(ライフライン)が停止しても生きられるだけの對策は自分で考へろと言つてますが、それぢゃ、その間助けが來ないと云ふ意味なのでせう。高層マンションにお住まひの方はどうするのでせう。もしも昇降機に閉じ込められたら… 考へるのも嫌になりますね。

 さて、「死」に就いて考へたことがありますか。突然そんなことを言ひ出したら、「こいつ頭がおかしくなつた」「病氣になつたのか」「鬱病か」勝手なことを云はれるでせう。人間誰もが一度體驗する筈でも、その後の世界がわからないので、漠然と恐いと思つてゐる筈です。
 挿繪畫家(イラストレーター)の 寄藤文平著 『死にカタログ』 大和書房 は、最も身近な筈で、隠され續けてゐる死を正面から捉へ、多くの挿繪で色々な死に就いて考へさせてくれます。土地や宗教により死の印象が違ひ、統計から何処で死ぬのが一番多いのか、有名人や映畫の中の死を挿繪として澤山見せてくれます。

 山や海より、交差點で交通事故で亡くなる人が多いのは仕方ないかも知れませんが、現在、日本人の8割は病院で、癌により死んでゐると云ふ現實を示されると、たじろがざるを得ません。だから、保險屋の宣傳も不安を煽つてゐるのですね。「癌保險」に入れば死は免れるやうな印象さへ受けますが、決してそんなことはありませんし、入つたからと言つて保障が附くだけで確實に誰もが死ぬのです。

 毎日樂しいことだけで濟めばいいですが、普通に生きている以上、嫌なことも避けられず、それを乘り越えるなり避けるなりして、適當に折り合ひを附けてゐるものです。「明日死んだらどうしよう」と考へて寝られなくなるより、せめて恥ずかしくない人生を送りたいものです。深刻に考へるのではなく、當り前に誰にも起きる死なので、たまには明るく考へてもいいと思ひます。



死にカタログ


Book

死にカタログ


著者:寄藤 文平

販売元:大和書房

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