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2006年6月13日 (火)

ベートーヴェンのオムレツ

Btv ベートーヴェンが維納に住んだのは1792(寛政4)年から1827(文政10)年の死に至る迄の約35年間でしたが、實に80回以上も引越しを繰り返しました。家主や女中との喧嘩、無遠慮な隣人、ナポレオン軍による砲撃や稜堡の爆破の騒音等に耐へかねて市内に住む弟カールに助けを求めたこともありました。それでも、現在は「ベートーヴェン記念館」として一般に公開されてゐるヨハン・F・パスクワラーティ男爵(1777-1830)の大邸宅に一番長く住んだのです。1988(昭和63)年に訪れた時は磨り減つた石の階段を、今にも嚴(いか)めしい顔をして後ろに手を組んだベートーヴェンが歩いて下りて來さうな感じがしたものです。

 1802(文化2)年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き殘し、自分が聽覺を失つてゐることを文章として打ち明け、情緒ある人として他人と接することができない絶望を表しました。難聽は周囲の世界との隔絶も意味し、内面を掘り下げ深く追い求める作曲にも繋がつた反面、直情径行型の性格が災ひして、身の回りのことにはとんと無頓着、整理能力はまるで無く、むさ苦しい身成のベートーヴェンの住まいを

 「古臭いグランドピアノの上は埃だらけの上、印刷物や樂譜が山と積まれ、ピアノの下には異臭を放つおまるが置きっぱなし。ペン先にはインクがこびり附き、床や籐椅子の上には食べ殘しの食器、脱ぎっぱなしの服が散亂してゐた・・・」

ベートーヴェン宅を訪問したド・トレモン男爵が惨憺たる部屋の様子をかう述べてゐます。引越しの理由を考へると實は汚し放題、作曲中には奇聲を發し、盥に水を張つて着衣のまま頭からそれを掛ける等、常人には考へられない行爲により階下の住人からは苦情が相次ぎ、家主から追い立てられた可能性の方が高いのです。

 無茶苦茶な生活をしてゐただけあつて、決してグルメではなく單なる酒飲み(アルコール中毒の父親の遺傳?)で食事も不摂生になりがちでした。どうも他人に對する勞りに欠けるのか女中に對しては何時も辛辣で、何をしても氣に入らず、馬鹿だと罵り、買物の小錢を盗んだのではないかと疑ひ、横暴の限りを尽くした爲、早いと1日で、長くても精々20日程度でどんな女中も辞めて行きました。女中に逃げられた時は仕方なく自炊もしたと云ひます。胃腸が弱い所爲か、マカロニ、パン、スープ、魚料理、仔牛の肉、牛舌、當時貴重であつた玉子を好んで食べました。特に玉子に對する執着は異常で、鮮度を確かめる爲に光に透かしてみたり、女中にオムレツを10個も作つて並べて吟味したり、料理中の女中の後ろでウロウロしたり、そして氣に入らないと女中の背中に卵を投げ附けて大聲で怒つたと云ふのですから、たまつたものではありません。

 珈琲とワインだけは欠かしたことがなく、夕方には麦酒かワインを飲みながら煙草(晩年は葉巻)を吸ふのがひとつの樂しみであつたやうです。珈琲に關しては自ら豆を一粒一粒数えて、いつもきっちりと同じ數だけ挽いて入れないと氣がすまない拘りもありました。當時は味はひが丸くなると鉛をワインに混入することが多く、ベートーヴェンの難聴も鉛中毒が原因だつたやうです。
 1994(平成6)年、ベ-ト-ヴェンの遺髪8束が競賣に掛けられ、ベ-ト-ヴェンの死因を探る爲遺傳子(DNA)鑑定に出された結果、通常の人の凡そ100倍の鉛が検出されたのでした。お腹をこわして醫者にワインを止められても決して止めなかつたので、ますます鉛中毒が進んでしまつたのでせう。



ベートーヴェンの遺髪


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