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2006年7月31日 (月)

LZ129

129cnst5 先週の「ヒンデンブルク號の料理」再現で折角調べたので、今週はそれをお傳へしませう。
 
 國家社會主義獨逸勞働者黨(ナチス)政府援助の下、1935(昭和10)年末に、超大型硬式飛行船「ヒンデンブルク號」は完成しました。不燃性のヘリウム瓦斯を使ふことを念頭とした爲、「ツェッペリン伯號」より10米長い全長245米、最大直徑も10米長い41.2米、瓦斯容量はほぼ2倍の20萬立方米、巡航速度は時速125粁、積載量60噸、6日間は燃料補給なしで滯空できる最新の設備が整つた夢の飛行船でした。

Piano ツェッペリンの飛行船は全て「硬式飛行船」故、輕金屬アルミニウム材で強固な船體を造り、薄い氣嚢(瓦斯袋)が内部に入つてゐます。船體内部は一六の部分に分けられ、各區畫に一つの氣嚢がありますので、16の風船で飛行船を持ち上げる形です。當時、唯一のヘリウム産出國亞米利加は軍事利用を恐れて輸出を許可せず、水素瓦斯を使ふことになりました。それ故、浮力が増したのでブリュットナー社製のアルミ合金に淡い黄色の羊革を張られた「グランド・ピアノ」がサロンに設置されました。

Hbdeck 「ツェ伯號」ではゴンドラ内部に操舵室と客室が在りましたが、大容量となつたお陰で、「ヒンデンブルク號」では客室は船體下部に組み込まれました。船客は折り疊み式の階段を上がると下部のBデッキへ出ます。
 左舷にはシャワー室、乘務員食堂、厨房があり中央通路を挟んだ右舷にはお手洗ひ、事務長室とバーが在り、その奥には喫煙室が設けられてゐました。先程の階段をもう一階上がるとそこがAデッキで、船名の元となつたパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領の頭像が迎へてくれます。

Hraum1 中央部に客室が25部屋、折り疊み式二段ベット、熱いお湯も出る洗面臺、机、椅子、戸棚まで在ります。左舷には食堂、右舷は奥に仕切られた圖書と書物室、手前はサロンとなり、長さ14米、幅4米の展望プロムナードでは長椅子も設置されて、ゆっくりと移り變はる地上250米の景色を眺めることができます。
 それまでの「ツェ伯號」南米航路は片道3000弗もしたのに對し、「ヒンデンブルク號」は大型化した爲400弗と破格な運賃も魅力で、百萬長者でなくても一般客でも手の届く乘り物となつてゐました。
 當時の北米航路の客船は凡そ一週間掛かり、この年に英豪華客船「クイーン・メリー號」が出した新記録でも亞米利加まで4日と27分でしたが、「ヒンデンブルク號」は通常2日、最大でも3日で紐育へ着きました。
 「一睡もしなくていいので、サロンに乘せてくれ」と云ふ客の要望もあり、この年の冬には客室が増設され70人収容できるやうになりました。
Hadeck

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2006年7月28日 (金)

1936年8月17日の夕食

 水曜日に再現した1936年8月17日の夕食は
Menu2クリーム・スープ ハミルトン風
舌平目のグリル パセリ・バター添へ
鹿背肉のロースト ボーヴァル風
馬鈴薯、シャムピニヨン、クリームソース
チーズの盛り合はせ

でした。但し、この「ハミルトン風」はどんな料理辭典を見ても、フリードリヒスハーフェンのツェッペリン博物館に問ひ合はせても判りませんでした。通常、土地の名前か人の名前ですが、蘇格蘭(スコットランド)の同名町に名産品はなく、亞米利加のアレクサンダー・ハミルトンに關する料理は傳はつてゐません。「ハミルトン風」は再現できませんので、これから秋に向けて獨逸で食される旬の杏子茸を使つたクリーム・スープをお出しします。また、鹿肉料理の「ボーヴァル風」も判らず、佛蘭西語直譯の「美しい谷」で獲れた鹿肉だらうと解釈しました。料理名にはその店獨自の名稱があるもので、これが料理再現に一番苦勞するところです。

Zyaki2 それに1929年「ツェッペリン伯號」來航時に東京府内の鯛焼屋がこぞって「ツェッペリン焼き」を焼いたと云はれる焼き型を入手したのでそれを使ひ、私共は洋食屋なので小豆餡の代はりにカスタードを入れて、46本用意しました。一度に3本、同じ數位の失敗もありましたので、うちのコックは腱鞘炎になるかと思ふ程朝からずっと焼き續けやっと開宴前に完了した次第。かう云ふものは職人が焼くもので、ワッフル程度の洋食のコックには難しかったやうです。
 この焼き型も前後に丸い部分が附くいてゐるので、何か枠があつたと思はれます。鯛焼きのやうに取手と、固定する枠か火の上で嵌める丸い窪みがあつのではないかと思ひます。

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2006年7月27日 (木)

無事終了

P7260107 LZ129「ヒンデンブルク號の料理」再現がやっと終はりました!冷房の効きが惡くなるので、床掃除用の大きな扇風機を回し、何とか適温を保つことができました。當時の飛行船に暖房はありましたが、冷房はありませんでした。それもその筈現在でも、獨逸の建物の多くや劇場、店舗(除チョコレート屋)に冷房はありません。だから7,8月はお休みなのでせう。

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2006年7月26日 (水)

完成

P7260103P7260099 何とか間に合ひました!遠くから見ると素敵ですが、間近で見ると接着剤がはみ出して結構汚いのが殘念です。模型製作の實力がない分、本來時間を掛けて解決すべき點が、時間に追はれ、片手間でしたから、今日の晩までに間に合つただけでもよしとしませう。

P7260106P7260109 LZ127「ツェッペリン伯號」と並べて見ると、その差歴然!何度も言ひますが、LZ129「ヒンデンブルク號」はでかいです。
 着席46名と過去最高のお客様ですから、準備もギリギリです。特に「ツェッペリン焼き」に調理場は苦戰してゐます。

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2006年7月25日 (火)

最終段階

P7250097 いよいよ本體の仕上げです。絲をどのやうに始末するかが、これまたたいへんです。それがあるだけで現實的になるから不思議です。それにしてもでかい!全長240米、半徑20米の大きさが實感できました。
 只、だいぶ粗も目立ちますので、ご覧になる際はご容赦下さい。

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2006年7月24日 (月)

エンヂン

P7240093 エンヂン細部を仕上げて、カバーを附けましたが、案の定中が全く見えません。何とも口惜しいこと!それでも息を吹きかけると四枚羽根が勢ひよく回るやうにしたのが自己滿足となつてゐます。最大1200馬力を誇るダイムラー社製16氣筒V型エンヂンDB602型(LOF6)4機は飛行船を水平に動かすだけで、上昇は水素の力で、下降は、瓦斯をやや抜き地上員200人が力を合はせて引っ張つたのです。人力で引っ張るところが凄いですね。

 尾翼の殘り部分も完成。但し、まだ絲を張ったり、2つの胴體の接合があります。一度木工用ボンドで試したものの敢へなく失敗。寫眞用のボンドで今晩試してみます。でかいものはでかいで難しい。明日一日で完成するでせう。

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2006年7月21日 (金)

1936年

Engin 他のことで忙しく、模型製作は全く進まず。厚紙を裏に貼つて強度を増すなどせねばならず、完成は週明けに持ち越し。そこで、資料用に調べてゐた1936(昭和11)年のことを此処に記しませう。

  日本ではこの年の2月26日、皇道派青年將校等が蹶起した「226事件」が起き政府要人を襲撃、殺害、その部隊解散放送「今からでも遅くない」がその年の流行語となりました。事件後は、東条英機ら統制派が實権を握り、政治的發言力が増しました。5月18日には「阿部定事件」、11月7日には國産物資のみで造られた「國會議事堂」が完成してゐます。

Hb4 歐州では7月17日に「西班牙内戰」が始まり、8月1日~16日の伯林オリムピック實況放送では河西三省アナウンサーによる競泳女子200米平泳ぎのラヂオ放送「前畑頑張れ」が語り草となり、日本は金メダル6個も獲得しました。4日の蹴球初戰では瑞典と對戰し、2對0で迎へた後半盛り返して逆轉勝利しました。これで、瑞典には随分精神的な痛手を與へたやうです。また、レニ・リーフェンシュタール撮影・監督による記録映畫《オリムピア》第一部〈民族の祭典〉、第二部〈美の祭典〉は各方面で絶賛され、不朽の名作と云はれてゐます。
 11月15日には日獨防供協定が結ばれ、英國王ジョージ5世の死去に伴ひ、長男エドワード8世が即位する筈が12月20日、シムプソン夫人との戀を選んで退位しました。

 また、翌年の7月7日には「蘆溝橋事件」が起きてゐます。日本の生命線と云はれた滿州や中國で「抗日統一戰線」の激しい抵抗を打ち崩す名目で、益々中國本土への侵略を押し進めることになりました。

 ヒンデンブルク號の飛び立つた1936年は戰爭の蔭がひしひしと寄る何とも不安げな年でした。21世紀を迎へた現在も、資源を持つBRIC新興國の隆盛に日本の外交は立ち後れ氣味。1930年代のやうなブロック經濟が敷かれないことを祈ります。

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2006年7月20日 (木)

ゴンドラ

P7180091 「ツェッペリン伯號」までは、ゴンドラにしか船客は乘れませんでしたが、「ヒンデンブルク號」は更に巨大な爲、客室は船體内部に収まり、ゴンドラ部分は操舵室になつてゐます。それにしても細かい!接着剤がはみ出して、随分汚れてしまひました。これを本體に接着すると、矢張り内部は殆ど見えません。次は4つの内燃機關(エンヂン)部分ですが、これまた細かい部品が多いのに閉口します。

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2006年7月19日 (水)

サロン

P7180083P7180088 Aデッキ、食堂の反對側、右舷サロン、讀書室部分も完成し、本船に設置しました。併し、窓越しには殆ど何も見えず、苦勞が全く偲ばれないのが口惜しいです。今度はゴンドラ部分へ移ります。

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2006年7月18日 (火)

食堂

P7140082 愈細部に取り掛かります。まづは食堂部分。卓子、椅子をそれぞれ別々に組み立てで接合。2人掛けの席でも4人前のセットが印刷されてゐるのは笑へます。日本人の設計模型なら、きっとこんなことにはならないでせう。それにしても難しい。どうせ、セロファンの窓越しにちらりと見えるだけなのですが、此処まで來ると手を抜きたくありませんね。

Dining2 當時の総天然色寫眞を見ると、色合ひの差は歴然ですが、200分の1の縮尺でも充分雰圍氣は傳はつて來ます。

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2006年7月17日 (月)

増設

P7130079P7130076 客室部分を増設。サロンと食堂の窓を開け、セロファンを貼りました。抜いた窓枠角に毛羽が殘り、決して美しくありませんが、程々の出來でせう。船尾にも中央部分を繼ぎ足し、船體番號が誇らしげに見えますが、長さがあり、どうしても接合部分が盛り上がらず、逆に引っ込んでしまふ爲、格好惡いです。


P7130074 大きさを實感して下さい。もう一部分を繼ぎ足すと、本船が完成し、ゴンドラ、方向舵、昇降舵、エンジン等細部に移ります。その前に難關となるサロンと食堂内があります。窓から見える爲、微細部品の接着し、卓子、椅子を作らねばなりません。

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2006年7月14日 (金)

前の部分

P7120070_1P7120071_1 前の部分は切り込みを入れて、カーブを附けて徐々に丸めて行きます。兩面印刷が紙により1粍程度ずれる爲、貼り合はせるとかなりのズレが生じてしまひました。それ故、接合部分に隙間ができて格好惡いです。

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2006年7月13日 (木)

後ろ部分

P7110067P7110068

 尾翼を本體に接合したので、少し飛行船らしくなりました。長さ40糎弱、だんだんと場所を取ります。細部は最後に纏めてやるやうになつてゐますので、部品部分を見るとその細かさに卒倒しさうです。26日までに完成できるか、やや不安になつて來ました。

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2006年7月12日 (水)

尾翼

P7100066 獨逸製の商品なので、矢張り獨逸製の糊との相性が良く、以前買つて來たものを使つてゐます。併し、殘り僅か故、プラモデルで昔お世話になつた「セメダインC」を試してみました。生憎、こちらは乾きが速く、然もはみ出すと銀色の皮膜部分が色變はりしてしまひ、非常に厄介!使ひ辛いです。
 特に尾翼の貼り合はせは、芯部分と接合面が少なく、難航を極めてゐる状態。更に細かくなる部分が心配です。

P7100063

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2006年7月11日 (火)

船尾

P7070026 説明書では最初に主だつた外皮部分を切り取り、折り目を附けて成形するやうに書いてありますが、さうすると場所が要るので、船尾から順番に接合して行きます。根氣の要る作業だと判つてゐましたが、貼り合はせる部分はアルミニウムの骨骼に沿つてゐるので、1粍の糊代しかなく結構たいへんです。接着剤が薄いとくっ附かず、多過ぎるとはみ出るし、思つた程器用でない自分を發見!

P7070027 内側にも綺麗に印刷が施されてゐますから、ほんたうにヘリウムのゴム風船でも入れれば飛びそうな感じがします。實に細かく完成すれば、さぞかし達成感は得られるでせう。但し、兩面印刷が微妙にずれるてゐる為、指示通りに接合しても白い部分が出てしまつたり、なかなか上手く行きません!

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2006年7月10日 (月)

紙模型

P7060024 7月26日(水)に「ヒンデンブルク號の料理」を再現すのですが、それまでに資料を纏め、當時飛行船に載せられたワインの年號違ひを発注し、料理内容もシェフと確認して、どこまで再現できるか檢討せねばなりません。また、ペーパークラフトを完成させて飾り、1936年の雰圍氣を作り出したいと思つてます。丁度、「ヒンデンブルク號」就航から70周年なのですよね。
 今暫くはこの紙模型の進捗具合でも眺めて下さい。

P7060025 言葉は殆ど書いてなくて、繪入りの説明があるだけですから、よく見乍ら頑張ります。片手間仕事ですから、毎日どれ位進むか不安です…

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2006年7月 7日 (金)

△か□か

 HMV盤のマトリックス番號の最後に羅馬數字で番號が入るのですが、これはテイク數です。練習嫌ひで通つてゐたフリッツ・クライスラーの演奏印象は實にさらッと彈いてゐて優雅な雰圍氣を醸し出してゐます。併し、このマトリックス番號を見ると、テイク7やテイク8が出て來て、納得の行くまで録音し直したことがわかります。
 ですが、それだけでなくてその後に△印や□印が附いて、長い間謎でした。加藤玄生著 『蓄音機の時代』 ショパン を讀んで、その點に就いて漸く合點が行きました。録音処理(システム)の違ひだつたのです。△印はウエスターン・エレクトリック社のものを使つたことを意味し、1932(昭和7)年頃から始まる□印はブルムライン社のものを使つたさうです。◇になるとヴィクター社がRCA系となり新録音処理を行ふやうになつてから、HMVに附けられてゐます。

 昨日のHMV盤《トリスタン》下部のマトリックス番號は2RA2660Ⅱ□でしたから、テイク2のブルムライン・システムだと判明した譯です。最初は社内の符牒のやうなものであつたのでせうが、何十年も經るとわからなくなるものですね。この本の著者は後附の紹介を見ると、1925(大正14)年とあり、子供の頃から蓄音機とSP盤で育ち、現在も現役で聽いてゐると云ふので、私などは青二才に見られる筈です。でも、かうして知つてゐることを書いて殘してをいてくれると、後輩としては非常に助かります。




蓄音機の時代


Book

蓄音機の時代


著者:加藤 玄生

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2006年7月 6日 (木)

レーベル

Thmv 同じ録音であつても、金型原盤(スタンパー)が送られた國により表記が變はつて來ます。まづは登録商標名が各國に翻譯されて違ひます。犬印の「主人の聲」は本家英國では「His Master's Voice」ですが、お隣り佛蘭西では「la Voix de son Maitre」に、獨逸では「die Stimme seinen Herrn」に、伊太利では「la Voce del Padrone」に、亞米利加では姉妹會社の「Victor」となります。日本は亞米利加の流れを汲んでゐる爲、「日本ビクター」となるのですね。

Telect それだけでなく、佛蘭西盤には「Disquue "Gramophone"」があり、獨逸録音盤は「Schallplatte "Grammophon"」や後に獨逸には「Electrola」ができたりし、更に統廢合が加はり判り辛いのですが、基本的に生産された國の言葉で書かれてゐるので、何処産かは判ります。

 今日、お見せするレコードは全て同じフルトヴェングラー指揮、伯林フィルによるワーグナーの樂劇《トリスタンとイゾルデ》より〈愛の死〉最終面、レコード番號DB3420、マトリックス番號は2RA2660-2です。1938(昭和13)年2月11日に録音されたこの銘盤は、獨逸録音ですので雛型となるマスターは「エレクトローラ社」にあり、そのスタンパーが各國に送られました。

Trcav 亞米利加では國際企畫番號DBを使用せず、ヴィクター社獨自の番號を使ひ、このレコード番號は18034、2枚組故セット番號DM653と云ふのも書かれてゐます(これだけ畫像は前半部分)。所謂赤盤(レッド・シール)と呼ばれるもので、一般の流行歌の黒レーベルよりも豪華に仕上げ、高く賣られました。歐州盤は犬印が多色刷りのとても綺麗なものですが、音ではヴィクターの方が柔らかく感じます。スタンパーの違ひだけでなく、プレスの微妙な力加減もあるのか、同じ録音でもレコード生産國によりかなり差があることに最近氣附きました。勿論、新品SP盤が手に入らない以上は全て中古品で、前の持ち主の使用頻度により程度に差がかなりあるので、一概には申せませんが、大きな音や膨らみ、奥行きに関しては斷然獨逸盤がよく、減り張りのある英國盤、柔らかい米國盤、そして戰後プレスになるとずっと立體感が減つてしまひます。

Tfrance この最後のは戰後プレスの佛蘭西盤で、非常にピカピカと艶のある素晴らしい状態のレコード盤にも拘はらず、音は一番貧弱なのです。
 たまたま、先月のレコード・コンサート『戰中のフルトヴェングラー』を聽くで、録音に失敗し幾度か掛け直した爲、結果として聽き比べることとなり、同じ録音でもこんなに違ふのか、と音に大きな差があることに初めて氣附いたばかりでした。只、手に入ればいいと思つてた筈が、好きな曲になると普段掛けるもの、豫備、蒐集用と欲しくなり、この《トリスタン》に至つては5組も揃へてしまつた譯です。も一組は戰後プレスのHMV盤故、犬印がこの佛蘭西盤と同じく單色となつてゐます。蒐集莫迦も極まりと云ふ感じでせうか。

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2006年7月 5日 (水)

魂を抜かれる

Aida1902 歌劇王エンリコ・カルーソーの場合、全曲CDに全集として復刻され、今でも親しまれてゐます。特にレオンカヴァルロの《道化師》より〈衣装を附けろ〉は彼が規範となり、如何にカルーソーを越えられるかが現在でも問はれ、貧弱な筈のSP盤にも拘はらず、これを越える生演奏に出遇つたことがありません。

 兎に角、蝋管の時代から厖大な量を吹き込んでゐますから、二束三文の擦り切れたレコードから、珍品レコードまで色々あります。収集家にとつては選擇肢が廣くせめて一枚は持つてゐたい歌手です。このレコードはグラモフォン社初期の、タイプライターも製造してゐた頃のもので、犬印ではなく天使印です。曲はヴェルディの歌劇《アイーダ》より〈淨きアイーダ〉です。レコード番號GC5239がレーベルに、盤面上には52369XVI、マトリックス番號の2873bが盤に刻印されてゐます。この羅馬(ローマ)數字で表された16はスタンパー(金型原盤)番號と云はれるものです。

Caruso 蝋原盤からマスター盤が作られ、この1枚のマスター盤から5~6枚の母型が取れます。そして1枚の母型から更に10枚のスタンパーが取られ、鍍金(メッキ)を施して強度を上げたスタンパーから凡そ1,000枚のレコード盤がプレスされます。スタンパー16番と云ふことは既に16,000枚は賣られたことになり、グラモフォン社にとつて如何に弗箱であつたことがわかります。更に賣れると既存のスタンパーでは足りませんので、スタンパーを元にして母型を作り「逆マザー」と呼ばれた複製母型を元にして、またプレスして行きます。併し、當然音は劣化して行きますから、古い盤の場合このスタンパーにも注目する必要があるのです。この吹込はHMV盤としては賣られてゐませんので、もしも状態のよいスタンパーIでも見附けたら珍品だと云へませう。

Aidarueckseite マトリックス番號の最後に附いてゐるアルファベットは録音者フレッド・W・ガイスバーグが携はつた証です。彼は録音機械を携へて世界中を回り、珍しい音樂を収録して行きました。7吋盤にはa、10吋盤にはb、12吋盤にはcが附けられ、區別してゐるのですね。
 1902(明治35)年4月11日、ミラノの「グランド・ホテル」306號室で、伴奏者サルヴァトーレ・コットーネの洋琴(ピアノ)でこのレコードは吹き込まれました。オリヂナルは71.29 rpmと通常の1分間に78回轉ではありません。大きな喇叭の前でカルーソーは魂が捕られないやうに十字を切つてから歌つたと云はれてゐます。寫眞と同じく生き寫しの吹込みも恐ろしい惡魔の仕業で魂を捕られると信じられてゐた頃の話しです。勿論、まだ片面盤ですから、裏には「天使印」しかありません。
Carusobook
 カルーソーの場合は研究が進み、レコード番號表、マトリック番號、録音年、伴奏者、寸評等色々あり、整理するのに非常に役立ちます。ネット上の古本屋で最も代表的な本『the recordings of Enrico Caruso』は見掛けます。

スタンパーに就いて

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2006年7月 4日 (火)

録音年

7inch 戰後の録音であれば、大抵のものはLPやCDに復刻され、細かい情報が記されてゐるので問題ありませんが、戰前の喇叭吹き込み盤になると何時頃のものか全くわかりません。ましてや、一世を風靡したかも知れない音樂家でも100年もたつと忘れられてゐる方が殆どです。それでも、演奏が良ければ尚更何時、何処で吹き込まれたか氣になつて仕方ありません。

 そこで、レコード・レーベルに記された「レコード番號」と、レコード自體に刻印された「マトリックス番號」が唯一の手掛かりとなります。レコード番號は言つてみれば「住民票」で、マトリックス番號は「戸籍」のやうなものです。繼ぎ接ぎのできない1回勝負の吹込みですから、途中歌ひ間違へたり、或ひは録音盤の状態が不安定であつたり、同じ曲を何度も入れます。その際に何回目の吹込みかわかるやうに數を記録して、そのままレコード盤に刻印してゐます。このマトリックス番號は他の國でプレスされても、ずっと同じものですから、違ふ製造元でもこの番號さへ判れば同じ吹込みかどうかわかります。

Acousticbook 今日掲げたものは7吋盤です。初めてベルリナーが平盤レコードを發明した際は手回しの機械で、後にゼンマイ仕掛けの蓄音機になりました。初期の頃は、まだ7吋盤が主流でした。プレスの原盤に刻印したものから、紙ラベルに變はり、段々と意匠を凝らすやうになります。左のコロムビア盤は維納管絃樂團によるツィーラーの《維納娘》、右の緑のゾノフォン盤はザイドラー・ウィンクラー指揮による自前のオケで、J・シュトラウスの《かうもり・カドリール》です。

 《維納娘》はコロムビアが録音用に作つた管絃樂團で、862番の刻印があり、絃樂器の入らないブラス・バンドの音がします。《かうもり》の方は、喜歌劇のいいとこ取りで、レコード番號20517とマトリックス番號H47kが見えます。そこでこの『管絃樂吹込 1896-1926』と云ふ本が役立ちます。これは電氣録音前のオーケストラ吹込が網羅された、素晴らしい資料です(たいへん高價なものです)。これで曲名、演奏者のどちらでも索引から引くことができ、《維納娘》は1904(明治37)年の型録に出てゐることが判明しましたので、たぶん前年の吹込み、《かうもり》ははっきり04年の吹込みだとわかりました。

 丁度、日露戰爭の頃で、《蝶々夫人》がミラノで初演されてた100年も前なのですね。人と人の手を亘り、巡り巡つて今は私の手元に有り、然も、現役で音が聽き取れるのが不思議です。100年後のCDが再生できるかどうか、非常に疑問です。誰かが調べたこのやうな資料がない場合は、バラバラの文献からコツコツ拾つて行かねばならず、判らないことが多いのです。



The Orchestra on Record, 1896-1926: An Encyclopedia of Orchestral Recordings Made by the Acoustical Process (Discographies)


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著者:Claude Graveley Arnold

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2006年7月 3日 (月)

レコードのはじめ

 何しろ1950年代初頭には生産が中止されてしまつたSP盤のことですから、生産、販賣に携はつてた方々は鬼籍に入り、詳しく知る人が少ないので、殆ど手探り状態です。ましてご年配の方々でも、國内プレス盤しか集めてゐなかつた人が多く、外國プレスは高くて手が出なかつた話しもよく耳にします。

 1907(明治40)年に「日米蓄音機製造株式會社」が創立されて、翌年に工場が建設され、亞米利加から2機のプレス機を導入し、更に翌年漸く國産レコードの生産が開始されました。この會社は「日本蓄音機商會」と名を變へ、後に「日本コロムビア」となつてゐます。それまでは、密室の吹込室はピストルで武装した警備員により嚴重に警戒され、外國人技師が立ち會ひ、原盤は本國へ持ち歸へられて、やっと出來上がつた製品が日本に送られると云ふものでした。特許料、輸送費も莫迦にならずたいへん高額商品となつてしまひ、多くの産業スパイが技術を盗まうとしてゐたことでせう。亞米利加から機械を輸入しただけでは、當然すぐに製品化できません。まだ、日本人で機械を扱つたことがなかつたからです。それ故、會社設立から製品化までだいぶ時間が掛かつたやうです。技師湯地敬吾が見様見真似で始めた吹込みと製品化。随分苦勞したことでせう。

 當時は日露戰爭後の不景氣で、俗に月給9圓では「飯も九圓(クエン)」と云はれく嚴しい時代でした。デフレが續き、多くの蓄音機店が倒産、唯一「天賞堂」と「十字屋」だけが生き長らへました。1909(明治42)年の廣告を見ると、義太夫、浪花節、長唄、小唄、筑前琵琶、薩摩琵琶に唱歌等が吹き込まれてゐます。例へば《勸進帳》は片面盤11枚。1枚1圓50錢!庶民が買へる値段ではありません。勿論、流行に左右される程の力はなく、レコードの購買層、即ち中産階級以上の趣味がそのまま出てゐます。明治年間の総發賣枚数は凡そ250萬枚と結構賣れたのですね。

 西洋音樂にどっぷり浸かつた私には、20世紀初頭の歐米レコード型録を見ても曲を知つてゐるものが多いのですが、この當時日本の人々が聽いてゐた曲はとんと馴染みがありません。確かに、幾度か耳にしたことはありますが、鼻歌にもなりません。歐米型世界標準の曲を知つてゐても、自國の曲を知らないのは恥ずかしい限りです。
 大正時代に吹き込まれたこのレコードは、作曲者プッチーニにも賞賛された、日本を代表する歌姫三浦環の《蝶々夫人》です。雑音も酷く、古めかしい歌ひ方ですが、孤軍奮闘した三浦の魂を感じます。極東の富士山、藝者の印象そのままの時代ですから、《蝶々夫人》の舞臺では苦勞も多かつたとか。今でも妙な演出が多い中、見たこともない日本を表現するのですから、その上で演技、發聲はたいへんだつたことでせう。

Niponophon 「なんたってストコフスキー」と云ふHPにある「明治から戦前までの蓄音機広告(3)」を見ますと、1917(大正6)年7月の日本蓄音機商會の廣告を載せてゐます。
 大佛様も聽き入る程で「面白くないと云ふ者は只の一つもない」と豪語して、義太夫、講談、長唄、常磐津と人氣の曲が連なり、ニッポノホン「鷲印レコード」が「定價1圓50錢の半値段賣り出し」と書かれてゐます。それぢゃあ、いったい定價は何なのでせう。

 蓄音機の方は朝顔型(25號)が25圓、1912(明治45)年には「ニッポノラ」が定價60圓となつてゐますが、値引き合戰が激しかつたやうですから、この金額で賣られたのかどうかわかりません。今週は古~いレコードに就いてです。

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