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2006年8月23日 (水)

ブランデンブルク門

Btor 壁の在る頃は東西冷戰の最前線として象徴的に語られて來た「ブランデンブルク門」ですが、今まで下を歩いたことがなく、今回やっと實現しました。17年前に壁に登つたことが嘘のやうです。觀光客に溢れかえり、只の歴史的建造物になり下がった感じもしないでもありません。

 昔の伯林の城門であり、西のブランデンブルク地方に面してゐるのでこの名が附いてゐます。「白虎門」と云ふ感じでせうか。此処から東にウンター・デン・リンデン通りが始まり、王宮へと向かふ凱旋門でもあります。それ故、普佛戰爭や國家社會主義獨逸勞働者黨(ナチス)の鉤十字の旗めく印象が強いのも否めません。巴里の凱旋門も觀光客で賑はつてはゐますが、兵士の爲の火が點る戰爭色の強いもので、佛蘭西の象徴的な意味も持たされてゐますね。

Berlinolympic レニ・リーフェンシュタールの映畫〈意思の勝利〉は日本でのDVDの發賣はありませんが、簡單にネットで手に入れることができます。これは1934(昭和9)年にニュルンベルクで行はれたナチス全國黨大會の記録映畫なので、ブランデンブルク門と直接関係ありませんが、綺麗に揃ひ過ぎた行進が此処でも行はれてゐたことでせう。彼女は1936(昭和11)年の夏期オリムピックを記録した映畫〈オリムピア〉を撮り、絶賛されてゐます(戰後は逆に否定され續けました)。先月「ヒンデンブルク號」のことで調べてゐたとは云へ、歴史の舞臺に立つと色々考へさせられるものです。

 東西冷戰の頃の西伯林には獨逸の國旗が掲げられてゐることなど見たことありませんでしたが、今回は、矢鱈と、どの路地でも少なくとも1本は目にしました。窓やバルコニーに差してあるだけですが、以前では考へられないことでした。蹴球世界杯(ワールドカップ)の主催國として、自信を附けたからでせう。二度も戰爭を始めた國として、戰後は一環してナチスを否定する教育を續け、イスラエルに援助をし、ずっと低姿勢で來た獨逸人が、國際試合を開催し、多くの外國人を歡迎して受け入れたことにより、獨逸の印象は劇的によくなつだけでなく、人々は國の誇りを取り戻した筈です。伯林の街角でそれを感じました。




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