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2006年8月 3日 (木)

1936年の音樂

 日本では軍國主義が高揚され、軍歌が流れる中で民衆には渡邊はま子〈ああそれなのに〉や、美ち奴〈うちの女房にゃ髭がある〉等に人氣がありました。6月に入り〈東京ラプソディ〉が藤山一郎の明るい歌聲で發賣されると瞬く間に流行り出しました。
 風薫る5月、古賀政男は愛用のフォードで神宮外苑を運轉し乍ら、樂想を深めたと云はれてゐます。中山晋平の〈東京行進曲〉を念頭に、カサド作曲のマンドリン合奏曲〈西班牙の花〉の旋律を一部使ひ、昭和のモダン都市「東京」を謳歌する健康的な歌は、戰前最後のものでした。

Chaliapin この年には佛蘭西の提琴家、ジャック・ティボーが1928(昭和3)年以來、二度目の來日を果たし、露西亞の名バス歌手、フィヨードル・シャリアピン(左圖)も來日してゐます。日比谷公會堂での獨唱會では自分の持ち歌を印刷した紙を配り、お客の好みに合はせて歌ふと云ふ粋な計らひが人氣を博しました。併し、齒槽膿漏が酷くて好物の肉料理が食べられず困つてゐると聞いた、宿泊先の帝國ホテル、グリル料理長、筒井福夫が玉葱に漬け込んで柔らかくした「シャリアピン・ステーキ」を考案し、ここに名物料理が生まれました。

 歐州ではナチスに悉く反撥し、ナチス主催の演奏會で棒を振りたがらない指揮者フルトヴェングラーはこの年の秋冬の演奏會期にヒトラーの了解を得て、ツアーを含め指揮活動を中斷し作曲に専念しました。但し、一曲《アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク(小夜曲)》Polydor 67156/58 のみ録音してゐます。

 伯林を追はれた猶太人指揮者ワルターは維納國立歌劇場に落ち着き、束の間の蜜月を過ごし、和蘭ではメンゲルベルクがアムステルダム・コンセルトヘボウ管絃樂團を振つてゐます。反ナチスを旗印に掲げるトスカニーニは元氣に紐育フィルを振つてをり、ザルツブルク音樂祭はまだナチ色がなかつたので參加しました。

 蘇聯ではショスタコーヴィチの《ムツェンスクのマクベス夫人》が蘇聯共産黨中央委員會機關紙『プラウダ』に酷評され、交響曲第5番の作曲に着手、洪牙利ではバルトークが《絃樂器、打樂器とチェレスタの爲の音樂》を作曲してゐます。

 水曜日の會では、この大好きな《東京ラプソディー》Teichiku 245A、フェルカーの歌ふ《グラール聖杯物語》Telefunken Bayreuth SKB 02049、レーマンの歌ふ〈ヴェーゼンドンクの歌〉より《夢》Odeon RO 20100B、シュルスヌスの歌ふ《宵星の歌》Grammophon 35023B、そしてロスヴェンゲが獨逸語で歌ふ「イナバウアー」ぢゃなくて《誰も寝てはならぬ》Grammophon 10447B を食後に掛けました。

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