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2006年8月 4日 (金)

大型飛行船の最期

Hb2 1937(昭和12)年に入り、最初の北米飛行が5月3日からプルス船長、アドヴァイザーとしてレーマン社長も乘り込み、建造途中の新しい飛行船LZ130「新ツェッペリン伯號」の練習乘組員も含め乘員61名、乘客36名を載せてフランクフルトを20時15分に飛び立ちました。途中ケルンで郵便物を投下し、和蘭上空から英佛海峡を抜けて大西洋へ出ますが、低氣壓を迂回し、強い偏西風のお陰で珍しく遅延してゐました。

 5月6日の午後2時になつてやっと紐育上空を通過、ブルックリンのエベット球場上空を過ぎる頃にはブルックリン・ドヂャースとピッツバーグ・パイレーツの試合の真直中でしたが、觀客に空が見えるやうに試合は一時中斷しました。

 ニュージャージー州上空は極めて不安定な状態で雷雲が發生してゐるとの連絡が入ります。乘客には早めにお茶が振る舞はれ、午後四時、ヒンデンブルク號はレイクハースト海軍飛行場の上まで來たものの積亂雲を避ける爲一旦船を南のアトランティック・シティ方面に向けました。午後5時12分無線連絡が「雷雨ハ飛行場上空ヲ東ニ移動中」と入り、まだ時間が掛りさうだと判斷した船長の機轉で乘客にはサンドヰッチが配られました。

 5時22分、地上のローゼンダール司令官から「スグ着陸サレタシ」の無線を受け、飛行場に向きを變へると、地上では92人の海軍軍人、139人の民間人、繋留塔へも係員6名が配置に着き着陸の準備が完了します。6時4分、高度170米、南側の柵を越へ、着陸地點を越えてゆっくり時計とは逆回りに旋回し、15秒間瓦斯を放出し、バラストの水を捨てて高度を下げ、更に船尾が重い爲船首の瓦斯を放出して、非番の乘員を船首へ呼びました。6時21分、繋留塔の手前、地上60米にピタリと靜止、巻かれたロープが落とされ着々と着陸態勢が整ひます。併し、6時25分、突然船尾からボンと云ふ音と共に赤い炎が上がり、瞬く間に廣がり、二度目の爆發で船尾から落下し炎上しました。

 この大惨事はニュース・フヰルムと實況中繼をしてゐたシカゴ・ラヂオのアナウンサー、ハーバート・モリソンにより記録され、繰り返し放映されて來ました。この事故により乘客13名、乘員22名、地上員1名の尊ひ命が失はれましたが、97名の内62名が無事救出されてゐます。地上が砂地で飛び降りても平氣であつたことや、着地してから逃げ出せた人、水素の爆發でできた水を被つたり、偶然條件が重なつた人は助かつた模様です。
 16粍のこのニュース・フヰルムも蒐集してをり、一緒にモリスンの未開封LPレコードと共に寫眞を撮らうとしたことがありました。ところが、このふたつを一緒にした途端頭が痛くなり、死者の出た微妙な問題なので止めました。もしかして、LPの未開封なのもそれが原因?それ故、プレイヤーもないですし、開かずのLPのままです。

 事故原因は長い間不明とされて來ましたが、近年、米國航空宇宙局(NASA)の元研究員アジソン・ベインの獨自研究により出火原因が船體外皮塗料にあると解明されました。酸化鐵と粉末アルミニウムの塗料は實は燃え易く、雷雨により溜まつた靜電氣の火花(スパーク)でも火災が起きることが判りました。「ツェ伯號」には塗られてゐなかつたので、こちらは一度も事故を起こさず天寿を全うしてゐます。「火花説」は既に當時の事故原因研究にもありましたが、ナチス政府は威信を懸けた巨大飛行船の原因として公表せず、謎のままとしたやうです。

Youkosod また、この事故により巨大飛行船は息の根を止められた格好となり、それ以降小型のものしか開發されてゐません。併し、ツエッペリン社は21世紀を迎へるのに際しヘリウムを使ひ、全長七三米の小型飛行船を新造し、現在日本上空でも見ることができます。この一二人乘り最新設備を整へた「ツェッペリンNT(新技術)型」は、主に廣告飛行に使はれてゐます。

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