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2006年8月30日 (水)

リスト館

Liszt ヴァンフリート館の横路地を進むとフランツ・リスト臨終の地が「リスト博物館」になつてゐます。肺病のショパンは巴里のサロン、金持ちの誰かの家で淑女をうっとりさせたのに對して、「洋琴の魔術師」と呼ばれたリストは金髪で長身、然もロンゲのイケメン、ガンガン彈き捲るタイプでした。と云ふのもリストは手が大きく、初見で彈きこなすだけの高度な演奏技術もあり、當時のアイドルとしてど派手な印象です。失神者が續出したと云ふのはあながち嘘ではないのでせう。近頃、うちの娘たちは從姉妹の影響で、すっかりジャニーズ事務所所屬の若人の虜になつてゐますからね。
 リストの作曲した洋琴曲は技巧を凝らしたものが多く、非常に難しいですから、もしも、素人でリストが彈けるなんて人が居たら相當腕のある人だとわかります。さう云ふ人に限つて自慢しないものなのですよね。

 そんなリストがバイロイト滯在中、ヴァンフリート館の客人にもなりました。ご存知の通り、リヒャルトの二度目の妻コージマはリストの娘です。數々の浮き名を流したリストが、マリー・ダグー伯爵夫人と逃避生活を送る内にできた子です。その後、別れて樂界に復歸してヴァイマールの宮廷樂長としてリヒャルトの歌劇を初演したり、リヒャルトのよき理解者の一人となりました。新しもの好きな人であつたのでせう。そして晩年は若い頃の生活を改め僧籍に入り、神父の格好で過ごすだけでなく、基督教的な作品も多く殘してゐます。

 リストの不倫癖を引き繼いだコージマが、リヒャルトにこれまたぞっこん惚れ込んでで、前夫でリヒャルトの弟子、ハンス・フォン・ビューローを捨てて先生とくっついてしまつたのも何とも因果な話しです。併し、リヒャルトとコージマの息子ジークフリートは性格温厚で人望の厚い人でしたのが唯一の救いです。リヒャルト亡き後、維納の音樂界の蔭の支配者として、またリヒャルトの遺志をあまねく知れ亘らせる爲、バイロイトの主人として活躍しました。

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