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2006年9月29日 (金)

古酒

 清酒醸造藏の中で、すっかり忘れられたタンクの中にお酒が入つてゐて取り出してみたら、綺麗に枯れた味はひの「古酒」になつてゐたと云ふことが時折あります。併し、千葉縣大原の木戸泉さんの《古今(こきん)》は、最初から20年後を想定して造る日本酒古酒です。色と香りは紹興酒に近ひのですが、彼方は雑穀から來る雑味がありますが、此方は酒造好適米「山田錦」だけで造る爲、とても綺麗な味はひです。まるで西班牙のシェリー酒の「アモンティラード」のやうな深みやコクもあります。生ハム、チーズにもこれまた合ふから不思議です。名附け親は元侍従長の故入江相政氏さんだとか。
勿論、ベルランにも木戸泉の古酒《AFS》を置いてをりますので、次回いらした時にでもお試し下さい。

仕入れ先:神田和泉屋

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2006年9月28日 (木)

キャビネット

Cab1 大事なSP盤は文字通りお藏入りです。人類の遺産であり、私は後世への橋渡しに過ぎないのですから、滅多なことでは掛けません。藏なんて云ふと「さぞかしどでかい土藏」を思ひ浮かべて貰つては困るのですが、ベルランの個室にひっそり2つキャビネットが置いてあります。此処に入れたものは、稀少價値の高い、或ひは思ひ入れたっぷりな盤ばかりです。1つは1920年代後半から30年代前半に造られたであらう、5型(Filing Cabinets Model 5)、製造番號37です。100枚入りで、一枚毎仕切られ、下のボタンを押すと、するりと棒が立ち上がり、レコードがするすると下りて來る優れものです。マホガニー製で、表扉の意匠が203型蓄音機(HMV Model203)と同じになつてをり、並べて置いても遜色ない氣配りです。最初手にした時はかなりガタ附いて、塗装も酷い状態でしたから、八王子の西洋古道具「ガスリーズ・ハウス」さんにお願ひして、綺麗にして貰ひました。此処は、昨年194型に落書きされた際に治して貰つたところです。

Cab2 もう一棹(箪笥と同じやうに「サオ」と數へるのでせうか)は少し時代は下つて1930年代後半以降のもので、こちらはアルバム對應となつて、400枚入ります。觀音扉なのは同じですが、素材、意匠随分と簡略化されて、ちゃちく感じます。こちらは蟲喰ひがあつた爲、側板を張り替へたり、「ガスリーズ・ハウス」さんで大手術でしたが、無事に退院して現役續行してゐます。フルヴェンものが一番多く、クナの小品の數々、ワルターのマーラーの交響曲、カザルスの無伴奏全曲等代え難いものものばかりです。お見せすると、安直に「聞かせろ」と宣(のたま)ふ客人が多いのですが、SP盤は針で削られる爲、一期一會で音が違ひますし、無闇に矢鱈と掛けては盤の價値が下がるばかり。後世の人に申し譯ないので掛けません。ご理解下さい。

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2006年9月27日 (水)

マタイ受難曲

Bach_2 ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)はライプツィヒのトーマス教會に勤めてゐた頃、毎日せっせと休む間もなく教會音樂を書いてゐました。勿論、一回ミサで演奏されれば、それで終はり、後は譜面だけお藏入りとなり殆ど顧みられることはありませんでした。1727(享保12)年4月11日の「聖金曜日」に初演された大作《マタイ受難曲》BWV244はそれ以降凡そ100年間忘れ去られてゐたのです。

 それを20歳のフェリックス・メンデススゾーン=バルトルディ(1815-1847)が、バッハ死後初めて1829(文政12)年3月11日に、伯林のジンクアカデミーで公開演奏を行ひ、その作品の素晴らしさが改めて認められました。
それがバッハ見直しの機會となり、以降バッハの數々の作品が蘇演されて行きます。

 この〈受難曲〉は基督が十字架に磔となつて死んだことを、音樂で表現したものですが、《マタイ》の場合は新約聖書「マタイによる福音書」第26~27節を元にしてゐます。プロテスタントの學校に通つてゐた私でも、宗教音樂には馴染みがなく、非常に難解です。主人公たち本人が氣持ちをまっすぐ〈アリア〉で表すなら問題ないのですが、さうはせずそれを見てる人が氣持ち代辯すると云ふ形を取るので、なかなかピンと來ません。
 その昔、小澤征爾指揮、新日フィルで聽いたことはあります。現役の學生でしたから、日々喇叭を吹き鳴らし、聞くものと云へば後期浪漫派のパッパラ、喇叭が神のお告げとばかりに響き渡るブルックナー等に親しんでゐたので、これはもう苦行に近くて、ひたすら睡魔との闘ひであり、合唱には壓倒されましたが、全く曲を覺へてゐません。きっと、何度も聽いて行く内に、心休まる平安が私にも訪れるのでせうね。

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2006年9月26日 (火)

憂國

 三嶋由紀夫著『憂國』(新潮文庫の短編集に収録)は二二六事件の際に妻が居ると云ふことで蹶起から外され、討伐軍として戰友に刃を向けることを拒み、割腹自殺する將校話ですが、生前著者は自分で演じた短篇映畫を撮つてゐました。それは本編28分と短く、三島由起夫の最期を彷彿させる爲(たぶん)未亡人が厭がり、お藏入りどころか全てのフヰルムを回収、消却した幻の映畫として知られてゐました。ところが、未人が亡くなつて遺品の整理をしてゐたところ、茶箱の中から完全な形で發見され、今年になつて改めてDVDとして發賣された色々な意味で話題作です。

 音樂はワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の管絃樂版を使ひ、臺詞はなく、最初に巻紙に書かれた説明だけで、能舞臺に「誠」の掛け軸、至つて單純構圖が効果を上げてゐます。大寫しや二重寫し(オーヴァーラップ)はやや技術的に稚拙さも感じられますが、白黒映畫にも拘はらず、鮮血で妻の白無垢が汚れる場面はかなり衝撃的でした。これなら、1970(昭和45)年11月25日の市ヶ谷駐屯地総監室もどれだけ血が流されたのか、理解できると云ふもの。腹切りは基本的に出血多量で死に至る譯ですから、斬首係がその苦痛を和らげてくれたのでせう。三嶋の場合、森田必勝の介錯がバッサリとは行かず幾度も首の骨に當たり、かなりの痛みを味はつたらしいのですが…。

 あの日の朝日新聞の夕刊には、頭部がゴロリとした寫眞入りで紹介されましたが、刺戟が強すぎると親が隠してしまひ見せて貰へませんでした。大阪萬博に合はせて、我が家もカラーテレビが入つた氣がするので、演説の場面はニュース映像で見た氣もしますが、その夏前に馬込の友達の家へ遊びに行つた時、「お隣は作家の三嶋さんだよ」と云はれたことの方が鮮明に覺へてゐます。自分が小さかつた所爲でせう、何処までも續く白くて高い塀の記憶だけで、勿論、小説など讀んでゐる筈もなく、有名人なんだと云ふ認識しか小學1年生の私にはありませんでした。でも、何か釈然としないものがずっと今も殘つてゐます。

 さて、映畫の背景音樂に就いては演奏史譚の山崎浩太郎さんのはんぶるオンライン内の可變日記7月13日(及び7月9日と9月2日)に詳しく書かれてゐるので、そちらに譲りますが、ストコフスキイ指揮、フィラデルフィア管絃樂團演奏の1932年盤ださうです。私はまだこのSP盤を見たことがありません。手元にあるのは1938年盤でVictor M508-1/9(16232S/36)のアルバム入り。〈第1幕への前奏曲〉、二幕から〈愛の夜〉、そして三幕から〈愛の死〉が5枚9面に収められてゐます。これらは私の見た資料では1935(昭和10)年12月16&30日、及び37(昭和12)年4月5日に録音されてゐます。

 著作権は死後50年と云ひますが、作家の死後30年ではまだ明らかにされてゐない事實も多く、未だに判斷できないあの時を思ひ出される短篇映畫はお藏から出て來てよかつたと思ひますね。



憂國


DVD

憂國


販売元:東宝

発売日:2006/04/28

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Book

花ざかりの森・憂国―自選短編集


著者:三島 由紀夫

販売元:新潮社

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決定版 三島由紀夫全集〈20〉短編小説(6)


Book

決定版 三島由紀夫全集〈20〉短編小説(6)


著者:三島 由紀夫

販売元:新潮社

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2006年9月25日 (月)

お藏入り

 昨日の日本GP決勝戰、250cc級では青山博一が昨年に續いて二連覇を成し遂げ、表彰臺で君が代を歌ひ始めた途端に、男泣き。昨年ホンダ社から彈き出されて、墺地利のKTM社から出走し、萬感込み上げて來たのでせう。競走も逆轉による素晴らしいものでしたが、笑顔から一轉泣き出してしまつた情景は強く心を打ちました。

 さて、美味しいモノは直ぐに食べずに取つて置きたいものです。それが年代もののワインなら尚更のこと。獨逸ワインの級別は判り辛いと他の歐州聯合の國々から評判が惡く、近年新しく辛口の範疇(カテゴリー)の「CLASSIC」と最高級品質の「SELECTION」が加はり、ますます解り辛くなつた氣がします。

 葡萄栽培北限の地に於いては、同じ畑から収穫時期をずらして、完熟具合により甘味の差を附けてワインを造る爲、同じ畑名の等級違ひが色々出來る譯です。それが、佛蘭西や伊太利ですと、この畑となれば、このワインと1種しかないので、よく判らんと切り捨てられるのですね。然も、等級が上がると甘味も増すので、料理に合ふと云ふよりは記念日にほんの少し硝子器で頂く、天然極甘口ワインになつてしまひます。

 「クラシック」は普段の食事に合ふ辛口ワイン、「セレクツィオーン」は収穫量も減らしてよい葡萄果のみ手摘みにした最高級辛口ワインと云ふ意味です。孰れにしても嚴しい審査を經たものです。ですが、從來からある「トロッケン(辛口)」表示を入れたものでも、十分對應できたと思ひますが、その邊りは大口輸出を狙ひ。一目で見て他の國ワインと差別化できるやうにした模様です。以前は遅摘みの「シュペートレーゼ・トロッケン」だとか房選りの「アウスレーゼ・トロッケン」だとかであれば、アルコール度數もありコクもある、辛口ワインだ判りました。「セレクツィオーン」ではその違ひが判らないのが難點でせうか。

Kpllenb 通常の卓子葡萄酒(ターフェルヴァイン)、地酒(ラントヴァイン)の上に上級ワイン(QbA)があり、その上になると肩書きが附く更なる上級と云ふことになります。普段の食事で、或ひはレストランでもこの程度のワインで十分美味しく頂けます。最初の肩書きとしては成熟した葡萄果から造られたバランスのよいものに[Kabinett]の稱號が與へられます。諸説ありますが、キャビネットに取つて置いた特別なワインと云ふ意味で「カビネット」と附いたと思はれます。日本なら土藏に仕舞つてをいた特別なものと云ふ感じでせうか。慣用句で「お藏入り」とは、豫定してゐた芝居や映畫の上演・上映を或る事情の爲に中止すること。轉じて、計畫が實行に移されなくなることを指します(『大辭泉』調べ)。今週はお藏入りに就いて語りませう。

ドイツワイン基金

トロイチのワイン
 

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2006年9月22日 (金)

豫選

 MotoGPの決勝戰は殆どが日曜日と決まつてゐます。木曜日には到着して、ばらしたバイクを組み立て、最高の状態にするのは技術者(メカニック)の力。滯りなく競走できるやうに様々な擔當者(スタッフ)がをりますが、我々には殆ど走者(レーサー)しか見えません。ですが、裏方さんあつての走者の檜舞臺。金曜日、土曜日の自由走行及び豫選を經て日曜日の決勝戰に向けて、全てを完璧にするのは至難の業。どんなに走者の體調がよく、運轉技術が優れてゐても、走者に合つた機器設定(セッティング)でなければ、最高の力は出せません。
 公式サイトの有料頁では、この豫選も同時時刻に走行順位と周回記録が更新され、數字だけはPCで見ることができます。明日は誰が優勝するのでせう。

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2006年9月21日 (木)

應援席

06daijiseat ツインリンクもてぎには要人(VIP)の座る空調の効いた硝子張りの最上席から、コース全體を見渡せる高い席、一部しか見えない安い席、贔屓選手應援専用席、カーブの一番迫力のある席、自由席と色々あります。コースは谷底のやうになつてゐますから、觀客は尾根の通路から階段を下りて座席に着きます。併し、各々料金が違ひますので、入り口で入場券(パス)を確認します。レース場では様々な樂しみがありますので、一概に座席さへよければよいと云ふものでもありません。

74 今も變はらず加藤大治郎の熱狂的ファンの私はいつも決まって「大治郎席」へ陣取ります。揃ひのTシャツを着て、一緒に聲を出せば大いに盛り上がると云ふもの。此処では本番前に大きな旗を席全體に廣げて存在を訴へます。畫像は昨年のものです。
 自動二輪(バイク)製造會社(メーカー)の指定座席では、Tシャツだけでなく、帽子に旗まで配られたり、入場券を入れる首から提げるケースまで附くこともあり、然も通常の座席よりお得になつてゐる爲人氣があります。席を離れても、あっあいつはあの社のTシャツ、あいつはあの選手のもの、と見てるゐるだけでも樂しく、尾根の通路際には様々な関連商品が並べられ、ファンには堪らないものです。

 そして、露天から焼きそばやフランクフルトソーセージのいい匂ひがして來ると、ふらふらとそちらへ足が向き、暑ければかき氷もあり、製造元の出店で清涼飲料水を購入したり、お祭りと同じワクワクとした氣持ちになりますね。遠くから練習走行の排氣音が聞こえ、動力傳動装置(ギア)の切り替え(チェンジ)毎に音が高くなって行くので、こちらもそれに釣られて昂揚して來ます。合間には座談番組(トークショー)も行はれ、競走女王(レースクイーン)を追ひ掛けるカメラ小僧のどでかい望遠レンズと人混みを避け、トイレへ行けば男子側には長蛇の列。今年はこの雰圍氣が味はへないと思ふとへこみます。青空の下ではなく、暗闇の座席へ着くことにしませう。

加藤大治郎HP

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2006年9月20日 (水)

汐留の壮行會

Shiodome 茂木で行はれる自動二輪(バイク)の世界選手権大會MotoGP、日本大會を前に日本人選手壮行會が、お隣汐留の日本テレビ屋上廣場で9月2日14時からに行はれました。15時から蓄音機の會がある爲、いつもお手傳ひをして下さる方にお願ひして、13時に場所取り、14時半まで見て店に急いで戻りました。選手紹介だけで僅かな滯在時間でした。ホンダ社のウェルカムプラザですと折り疊み椅子があり、整理券が配られますが、今回は全試合を放映してゐる衛星放送G+(ジータス)の主催で、然も只の廣場ですから、地べたに新聞紙敷いて座る形です。勿論、そのままではお尻が痛いですから、持參したタオルを敷いて見ます。総勢400名は居たやうですから、座れただけ良かつたのかも知れません。製造會社が違ふとなかなかこのやうに一堂に會することがない爲、非常に貴重な時間でした。

 拝み倒して一緒に來てくれた家族に後を任せましたが、「つまらない」「飽きた」と後で文句を山程言はれてしまひました。怪我の恢復具合や普段の話し等競走(レース)以外の話しが面白いのですが、どの選手がどの級で走るのかも知らないかみさんにはきつかったやうです。それに比べると子供は教育したお陰で、大ちゃん(背番號74)に近附きたい青山周平(73)、背番號55から「ゴーゴー(高橋)裕紀」、やっと怪我から復歸した関口太郎、小柄なコヤマックス(小山知良)、いつも笑顔なのに親父くさいタマヤン(玉田誠)、王子(中野真也)と背番號や顔が一致してゐるだけマシでした。

 「あとは任せて」と言つた長女が抽選に當たり周平選手のサイン入りTシャツをゲット!素晴らしい。星座、血液型、干支が一緒であつたさうな。誕生日も一日違ひと云ふ珍しさ。緊張の餘り握手をし忘れさうになつたらしいのですが、人前に出ると上がるものです。
 
 先週末の豪州GPでは、タマヤンは調子が出てゐませんが、王子は雨が降るまで1位獨走、この壮行會には來られなかつた博一は3位に入賞、弟周平は5位と調子がよく、裕紀は今期2勝をしてゐるだけに期待されてゐます。怪我に泣かされた太郎やコヤマックスは上位入賞で鼻を明かして貰ひたいもの。そして、此処には來なかつた今回だけの地元走者も多數走るので、表彰臺を日本人だけで飾つてくれたらと思ひます。唯一心配は空模様でせうか。

MotoGP 日本大會

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2006年9月19日 (火)

ラグナセカ

 先週末の9月16日から封切られた映畫《ラグナセカの青い空》は、2005(平成17)年、11年振りに自動二輪世界選手権MotoGPが開催された亞米利加の加州、マツダ・レースウェイ・ラグナセカの記録です。昨年封切られた《FASTER》の成功により、同じマーク・ニール監督、語り(ナレーション)も同じ俳優ユアン・マクレガーにより制作されてゐます。

 そもそも《FASTER》は2002~3年の間、世界最高峰を目指し、「もっと速く、もっと速く」とスピードを追ひ求める乘り手(ライダー)の過酷な競走(レース)を記録したものでした。亞米利加映畫ですから亞米利加人選手が主と云ふ感じは否めず、日本選手は數秒映る程度なのが癪ですが、低い位置からカメラや、車載カメラを利用したり、随所に撮影工夫が凝らされて、臨場感が増し、時速300粁の世界を體感できます。
 テアトロ新宿で封切り映畫最終回の後、レイトショウのみで上映されましたが、私が行つた日はたまたま抽選があり、整理券の番號により記念品が貰へる仕組みでした。友人を誘つて行き、運良く特製チョコレートを頂きました。どうも、バイク関連の抽選だけは強いらしいです。

 さて、今年の映畫の方はと云へば、コーク・スクリューと呼ばれる難所を持つラグナセカが舞臺なのですが、幾度も走り込んだ米國勢が有利なのに對して、世界選手権4連覇(昨年5連覇を達成)の王者バレンティーノ・ロッシがどう挑むかが注目された一戰でした。まだ、見てはゐませんが、迫力ある映像が樂しめることでせう。


DVD

FASTER


販売元:ナウオンメディア(株)

発売日:2005/12/22

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2006年9月18日 (月)

今さら8耐

 ベルランも3連休を頂いてゐるので店はお休みですが、今週末は自動二輪車(バイク)のMotoGP世界選手権(World Grand Prix)、日本大會が栃木縣茂木にある「ツインリンクもてぎ」で行はれます。3年連續應援に行つたので、今年も早々に宿も手配したにも拘はらず、決勝戰と下の娘のバレヱの發表會が重なり今年は斷腸の思ひで斷念せざるを得ませんでした。現地で、選手の顔を見て、應援關で聲援を送るのと、家のテレビでは全然違ひますが、致し方ありません。その悔しさをブログに向けて、今週は最近のバイクレースのお話しです。

 バイクの夏の祭典と云へば、もうこれは「鈴鹿8耐」しかありません。三重縣鈴鹿周回軌道(サーキット)で行はれる8時間耐久競走(レース)のことです。今年で既に29回目ですが、何とホンダ社の二輪車が10連覇と云ふ快擧を成し遂げました。勝率3分の1では、他社が霞んでしまひますね。

8tai2006 英國スーパーバイク選手権に出場してゐる贔屓の清成龍一選手(畫像中央)と、WGP250cc級の高橋裕紀選手を應援しに、7月9日に壮行會へ行きました。ところが事前試驗走行(テスト)で高橋選手が左手を骨折してしまひ參戰できず、急遽、清成選手は兄弟子のMotoGP級の玉田誠選手(左から2人目)と組んで走ることとなりました。10代の頃、九州で同じチームに所屬してゐたこのふたりは仲が良く、トークショウでも終始和やかで、緊張感がありませんでした。それでも、ホンダ社の「ワークス」です。ワークスとは二輪車製造會社自身が所有し運營する組(チーム)のことです。それに對して「プライヴェーター」とは、レース用車兩を購入して、改造を加へることで競走に參戰する組のことです。
 當然、開發に豐富な資金を投入し、最新技術と最新部品で、多くの人が関はるワークスは有利な譯です。でも、プライヴェーターが勝てないかと云ふとさうでもないのが不思議。自動二輪販賣店(バイク・ショップ)が競走組を組んで、その技術がワークスに勝つこともあり得るので、そこも魅力です。ワークスを抜いた乘り手(ライダー)は俄然注目され、ワークス加入にも繋がる筈です。 併し、依然としてワークス有利は變はらず、その差を縮めて、面白い競走にしようと云ふ試みはなされてゐるやうですが、素人の私にはよくわかりません。

 決勝戰當日は途中經過をPCで確認して、何処の組が何位か見て、最後は昨年同様、ホンダ社の青山のウェルカム・プラザで8時間の秒讀み(カウント・ダウン)に加はつて、僅かに氣分だけ樂しみました。清成・玉田組は惜しくも5位に終はりましたが、後半で清成が周回最速記録を出すなど果敢に攻めたのは見物でした。實は抽選に當たり、切符を貰ふ権利は得たのですが、獨逸行き一週間前で、敢へなく放棄したのです。遊園地も併設されてゐるので、來年は家族を連れて鈴鹿まで行けるだらうか。

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2006年9月15日 (金)

アフター・オペラ

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 オペラが終はつてから、どうしてもお腹が空くので、何処かで食べやうにも、獨逸では基本的に量が多いので躊躇することが多いものです。バイロイトのレストランでは、「アフター・オペラ」と題して定食を出してゐるところもありました。前菜はフレッシュ・トマトに山羊のチーズ、主菜に大きめのシャムピニヨンの上に具を載せてオーヴンで焼いたもの、そして食後にはマスカルポーネ(チーズ)に赤い木の實のソースが掛かつたもの。野菜やチーズを主として、お腹にも優しい、腹八分目に収まる、素晴らしい献立です。素敵な音樂の餘韻をそのまま、口の中でも續く感じが嬉しいかつたです。

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2006年9月14日 (木)

フィファリンゲン

Pfifferling 獨逸では8月から10月中頃が茸の季節です。旬の採れ立てを頂くのは、5月のシュパーゲル(ホワイト・アスパラガス)と並んで實に美味しいものです。シュタインピルツ、アウステルピルツと並んで市場でもよく目にするのがこのフィファリンゲン(Pfifferlingen)でせう。日本では「杏子茸」として、山に自生してゐますが、量が少なく地元消費されて終はつてしまひます。色が杏子色してゐて、摘み取つた瞬間杏子の香りがするのだとか。獨逸の市場では籠に山積みにされて賣つてゐます。特に出汁に旨味があり、クリームソースにすると絶品です。

 私がバイロイトで頂いたのはランチセットで、サラダが附いて2,000圓位でした。季節もの故、献立表には載つてゐなくて、入り口のすぐ脇の黒板に書いてあつたものです。杏子茸のソースにどかんと真ん中にはクロース(Kloss)團子が鎮座ましまし、お腹一杯になります。前日飲み過ぎたので、麦酒でなく炭酸水(ミネラル・ウォーター)だけですが、優雅に頂きました。滑らかなソースに杏子茸の味はひが染み込み、素朴な味はひです。ベルランでも佛蘭西から空輸された杏子茸がそろそろお出ましです。

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2006年9月13日 (水)

ザウワーブラーテン

Sauerbraten 「オイレ」で註文したのが、このザウワーブラーテン(Sauerbraten)です。これは牛肉を塊のままワイン酢に漬け込んでから表面を焼き、更に漬け汁で煮込んだものです。此処、オーバーフランケンのバイロイトでは地元料理として紹介されてゐますが、獨逸のワイン産地なら、何処へ行つても有る非常に一般的な料理です。おふくろの味と言つてもいいでせう。
 附け合はせはお約束の紫キャベツを煮たものと、クロース(團子。地方によりクネーデルとも呼ばれます)です。一寸見ると大きな馬鈴薯に見えますが、さにあらず、パンを牛乳に浸して丸くして、馬鈴薯を混ぜて團子状にして茹でたものです。元々固くなつて殘つたパンを再利用したお母さんの智恵です。もちもちして食べ易く、殆ど味はないのでソースに絡めて一緒に頂きます。懐かしい獨逸の味です。

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2006年9月12日 (火)

オイレ

Eule1 バイロイトへ行つて、ここを訪ねなければワーグナー好きだと云へないやうな超有名なレストラン「オイレ(Eule)」が在ります。表通りから一歩入つた路地に在る爲、外から見たら只の白壁の飲食店でしかありません。併し、此処はリヒャルト・ワーグナー自身も食べに來たこともある地元オーバー・フランケン料理の老舗として知られ、多くの歌手や指揮者たちが訪れた記念に實筆サイン入り寫眞や漫畫を置いて行つたので、それらが壁一面を覆ひ尽くし、ファンには堪らない所です。會話が途切れた際にふと顔を上げれば、往年の名歌手や指揮者に逢へるのです。

 晝食も營業してゐますが、ここは慣例に從がひ豫約をして樂劇のはねた後に伺ひたいものです。祝祭劇場から、ゆっくり下りて來て、舊市街を上がると既に23時を回りますので、せいぜい一皿主菜を註文すればそれで充分でせう。献立は特に目立つものはなく、ごく普通の地元料理を中心に獨逸の一般的な料理が揃へられてをり、フランケンワインや麦酒も豐富に有ります。

 たまたま、《和蘭人》の後、駄目で元々だと開き直つて這入つてみると、案の定殆どの卓子に豫約札が置いてありましたが、唯一二人掛けの席がぽつねんとひとつ空いてゐたので、運良く座ることができました。然も、頭上には私の好きな指揮者ハンス・クナッパーツブッシュとその上にはヴィルヘルム・フルトヴェングラーの風刺畫(カリカチュア)が掛けてあり、其処にもちゃんとご本人のサインが入つてゐました。初めて體驗したバイロイトの音響に昂奮醒めやらぬ間、話すにはもって來いの店です。

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2006年9月11日 (月)

ヴァイスビア

 バイロイトでの樂しみは何も音樂祭だけに限りません。かなり規模の大きな麦酒醸造所が在るからです。大抵の飲食店の軒先看板や黒板には、この「マイセル・ヴァイセ」の表示があります。町外れにどでかい煉瓦造りの舊工場が今は「麦酒博物館」となつてゐます。何でもギネスブックに載つてゐる世界最大の麦酒博物館なのだとか。團體客以外は1日1回のツアーに入らねば、中の見學ができません。

Maisel1Maisel2 最近まで使用してゐた器材を撤去せず、そのまま博物館にしてゐるのはあっぱれと言ふ他なく、1時間、廣々とした構内をてくてく歩き、階段を上り下りしなくてはなりません。最初に出迎へてくれる蒸氣機關の巨大な齒車は如何にも頼もしげで、20世紀初頭の意氣込みが聞こえて來るやうです。それがディーゼルとなり、穀物倉庫から建物の一番上に揚げられた大麦や小麦(ヴァイスビアの原料)は屋根下の強大なプールに入れられ、そこで發芽させられて、これを炒つて水分を飛ばすと原料の麦芽となります。その際に焦がせば色の濃い麦酒となり、焦がさなければ黄金色となる譯ですね。そして、それを水に戻して煮て甘い汁だけを取り出して、酵母を加へて醗酵させ、ホップを加へれば麦酒の誕生です。まだ、沈澱、濾過、熟成、瓶詰め等作業はあります。

Maisel3Maisel4
 フランケンやバイエルン地方でもヴァイスビア造りが盛んです。原料に大麦だけでなく小麦を使ふことで、色白のやや白濁した、酸味の強い味はひに仕上がります。これは瓶でしか賣られてゐませんので、樽出し生はありません。然も、通常サイズがこの500ミリリットル!一回の食事に程良い位でせうか。癖のある味はひですが、飲み飽きせず、晝・夜と頂きました。

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2006年9月 8日 (金)

パルジファル

Parsifal 賛否兩論の舞臺神聖祝典劇《パルジファル》です。3年前の初舞臺以來、少しずつ演出に手が加へられてゐるらしのですが、今回は何の豫備智識もなく、真っ新なまま見たので何と表現してよいのか全く解りません。それ故、ずっと言葉で綴ることを躊躇つてゐました。飽くまで見た感じを書いてみませう。

 核戰爭後の貧民街のような第一幕では、回り舞臺となつてをり、金網に囲まれた、掘立て小屋のやうな所にボロ切れを纏つたグルネマンツが居ます。アムフォルタスの水浴の場面では黒人の胸も露はな女酋長のやうな人がうねうね動き、アムフォルタスは傷の見えない白い服で、比較的元氣に見受けられ、病は精神の方かと思ひました。

 聖杯の場面では、あらゆる種類の宗教家が集まり、先程の女性を形取つたやうな、縄文土偶のやうな大きな母像の膣に手を入れて血の手形をパルジファルに附けて行きます。基督教だけに限らない普遍性を謳ったのでせう。神父、牧師、イスラム、ユダヤ、坊主に僧侶、そして神主の格好も見え、只順番に手形を附けるのが儀式です。宗教家たちの振る舞ひは理路整然と行はれてゐますが、主題がはっきりせず、混沌としてゐて、幕にはずっと何か映寫され、兎に角、考へてみろ!と強制されます。併し、納得の行く答へなどありません。

 二幕もジャングルジムのようなクリングゾールの館の前に、阿弗利加系原住民のやうな肌に塗装を施した様々な
民族の女性(花の乙女)が色仕掛けでパルジファルに迫る感じです。途中小人の女性が出て来たり、母親とおぼしき女性が出てきたりしても、それが何を意味するのか理解できません。
 クンドリーは出て来る度に衣裳が違い、パルジファルを誘惑する際は金髪のセックス・シンボル、マリリン・モンローのやうな感じで迫って來ます。また、全身真っ黒なクリングゾールは惡の象徴と云ふ感じがして、一目で「惡役」だと判ります。然も、舞台狭しと走り回り、元氣がよく、最後に槍で刺されるどころか、ロケットに乘つて逃亡してしまひました。あっけに取られて、絶句して幕です。

 三幕では、神官ではなく、あらゆる種類の兵士が集まつて、それまで差程弱ってゐなかったアムフォルタスも突然血を流したりして、その傍をクリングゾールが思惑げに通ります。一番氣持ち惡かったのが、途中からずっと死んだ兎が朽ちて、蛆が湧く姿をスクリーンに映し出して延々と流してゐたことです。これには、觀客一同うんざりした感じで、最後のブーイングに繋がつたのでせう。ですから目を瞑って聴くのが一番でしたが、次に何が起こるかわからないので、さうさう長いこと目を瞑つても居られません。
 記憶が定かではありませんが、クンドリーとアムフォルタスはクリングゾールによって殺され、パルジファルも相打ちで皆死んでしまひ、最後にパルジファルとクンドリーは手を繋いで黄泉の世界へ行くところで終はりました。現代を象徴した宗教と戰爭を主題に荒れ果てた近未來を描きたかつたのかも知れません。

 私の印象だけで、場面が理解できるとはとても思えません。言葉にならない演出です。見た者でも判斷しかねるものです。多くのオペラの初演が失敗したのは、時代の先を行き過ぎて居たことであつたと思ふと、この演出も10年、20年經た時に理解されるのかも知れません。まずは色々考へさせるのが狙ひだとは思ひますが、氣持ち惡い映寫が強烈で、ふと思ひ出しても頭の中は疑問だらけです。

Fischer アダム・フィッシャーの指揮は正攻法で奇をてらったところがありません。1幕はノリがよくなかつたのですが、段々佳境に至るに從ひ盛り上がり、クナッパーツブッシュのやうな神秘的なところはありませんが、現代的な解釈で心地よい音作りでした。お晝過ぎに街中の本屋の立て看板をふと見ると、「13時からサイン會」と書いてあり、時計を見入れば丁度過ぎたところ、併し長蛇の列と云ふ譯でもなく、本屋の中央に机があつて數人並んでゐるだけでした。切符にして貰はうと出すと、「今晩の切符だと問題になるかも知れないから、絵葉書にしますね」と書いてくれました。地味な装ひは東歐出身らしい!そして幕間に特設郵便局で、今年のモオツァルト記念切手を買ひ、バイロイト音樂祭の初日スタンプを押して貰ひ、特別な記念品の出來上がり!

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2006年9月 7日 (木)

バイロイトのトリスタン

 雲行きが怪しいので折り疊み傘と座布團を持參。16時開演と早いのは途中休憩1時間が2回もあるからでせう。丘に着くと薄日も差し、心配は杞憂に終はりさうでした。そしてファンファーレがまた高らかに鳴り渡るのでした。

Tristan 今回のクリストフ・マルターラー演出は事務所の中です。老舗メーカーの美貌女性社長イゾルデと、ライバル會社の社長マルケの部下トリスタンとの戀物語と言つた感じです。女社長イゾルデの許婚相手を死なしてしまつたトリスタンは、傷を負ひ、あらうことかイゾルデに介抱して貰つた過去があります。今回、合併話しが持ち上がつた際、無理強いしてでも合辯を謀るトリスタンに拉致同然で連れて來られたイゾルデは普段着のまま、少し落ちぶれた客船に乘せられてゐます。先祖傳來の秘藥を持つイゾルデはこの毒藥で、以前は戀心を抱いたトリスタンを殺して、自分も死ぬ筈が秘書ブランゲーネの機轉で媚藥とすり替へられ、トリスタンとイゾルデは禁斷の戀に陥つて行きます(第1幕)。

P1010482 第2幕では合併がうまく行つたマルケ社の誰も使つてゐない、がらんだうの會議室。終業後、密かに此処でトリスタンを待ち、逢ひ引きを重ねるイゾルデ副社長。社長が急遽出張だと聞いたイゾルデは早く合圖を送りたい。トリスタンの親友であつたメロートが何か企んでゐるやうだから、用心するやうにブランゲーネが言ふのも聞かず、螢光燈のスヰッチを點滅させると、待ってましたとばかりにやって來るトリスタン。ふたりの愛の世界がだだっ廣い會議室で始まります。ブランゲーネが幾度注意を即してもふたりの世界に浸つてゐるので聞こえません。すると、案の定、メロートが浮氣の現場を社長に知らせ、腹心のトリスタンに裏切られたマルケ社長は深い悲しみを歌ひます。自暴自棄に陥つたトリスタンはメロートの刃に腹を切られるのでした。

 第3幕では、會社の地下倉庫。手術臺に寝かされた瀕死のトリスタンを部下達が順繰りに見舞ひに來ます。「イゾルデはまだか」と部下クルヴェナルに尋ねるトリスタン。待てど暮らせどやって來ぬイゾルデ。やっとイゾルデ來訪の合圖に、クルヴェナルが出迎へに上がると、錯亂するトリスタンは寝臺から落ちてしまひます。走り込んで來たイゾルデには床に落ちたトリスタンの姿が目に入りません。探すイゾルデに息も絶え絶えのトリスタンが答へ、たまさかの逢瀬は短く、秘書ブランゲーネから媚藥のことを始め子細を聞いたマルケ王はトリスタンを許しに訪れますが、既に息をしないトリスタン。イゾルデは來世での幸せを誓つて、それまでトルスタンが寝てゐた寝臺に横たわり、靜かに息を引き取るのでした。

 1幕の媚藥の情景から調和の美しいこと。百戰錬磨の指揮者ペーター・シュナイダーは歌手に無理強いはせず、歌手に合はせて飽くまでも伴奏に徹し、限りなく美しい和聲を奏で、ニーナ・ステンメのイゾルデは細くて、愛らしく、雄叫びにならない清楚な感じを最後まで貫き、演技も抜群。2幕の〈愛の二重唱〉も美しい。凸凹のない、一流所の揃つた釣り合ひの取れた歌手陣の奥行き。終幕〈愛の死〉も自然と心靜かに死への旅立ちを歌ひ上げ、觀てる者に涙を誘ひます。ロバート・ディーン・スミスのトリスタンの明るい聲がよく、クワングル・ヨン(韓國人)のマルケも世界中の悲劇を背負ひ込んだやうな深い嘆きが似合ひ、ハルトムート・ヴェルカーの忠臣クルヴェナル、ペトラ・ラングの神經質な秘書ブランゲーネと、バランスが良いのです。昨年は大植さんが自己主張し過ぎたのでせうねえ。ティーレマンの《指環》4晩より、こちらの《トリスタン》3幕だけの方が價値があると云はしめただけのことはありました。聽いてゐる内に鳥肌が立ち、背筋が痺れる感動と云ふのはさうさうあるものではありません。その場に居合はせた人々は幸福に包まれ、カーテンコールの爲に木の床を踏み鳴らし、笑顔で應へる獨唱者や指揮者に惜しみない拍手を送りました。

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2006年9月 6日 (水)

和蘭人

 《さよへる和蘭人》は1843(天保14)年にドレスデンで初演されたワーグナー初期の歌劇です。ワーグナーの場合、自分で臺本まで書いてしまふので、臺本作家との軋轢はありませんでした。それだけ天才なのでせう。どんな貧苦にあらうとも、借金して絹の肌着しか身に附けなかつたと云ふのも、普通ぢゃありません。

 開演15分前のファンファーレがバルコニーから吹奏されると愈と云ふ感じです。きちんと背廣を着た彼等は、ファンファーレ専門のやうに見受けられ、オケピには入らないやうです。5分前を奏して、奈落まで走つてゐては間に合はないからでせう。1幕凡そ50分、2幕55分、3幕25分と割合ひと短いので、バイロイトでは幕間なしで上演することが多いやうです。ワーグナーも其れを見越して、繋ぎの部分をちゃんと作曲してゐました。但し、2時間半、休憩なしと云ふのは觀客にとつても辛いものです。どんなに頑張つてみたところで、集中力が續きません。お尻が痛い、腰が痛い、肩が凝る… 頭の中より身體の方が悲鳴を上げさうです。併し、此処はバイロイト!そんな弱音を吐く奴はとっとと失せろと云はれてしまふことでせう。氣合ひを入れて臨みます。

Hollaender 「どんな暴風雨でも乘り切ってみせる」と豪語した爲に神の怒りを買ひ、永遠に海を彷徨ひ續けなくてはならない船長の和蘭人。帆船はすっかり幽靈船となり、7年に一度だけ上陸を許されます。併し、其処で、永遠の愛を捧げる乙女に出遇はない限り、呪ひは解かれず、死ぬことも許されず、ずっと海を彷徨はねばならないのでした。
 大嵐の後、7年目に諾威(ノルウェー)のとある港に上陸した和蘭人は、地元の船長ダーラントの歡待を受け、娘が居ると知るとすぐに求婚します(第1幕)。娘ゼンタは「さまよへる和蘭人」の話を信じて育ち、自分こそがその乙女になるのだと思つてゐます。そこへ父ダーラントに導かれて本物の和蘭人が現れると、ゼンタは永遠の愛を誓ひます(第2幕)。獵師の彼氏エリックは氣が氣ではありません。何処の誰かもわからない、幽靈船の船長にゼンタが逆上(のぼ)せ上がつてゐると思つてゐると詰め寄ります。併し、その様子を知つた和蘭人はゼンタを諦めて船を出しますが、ゼンタは永遠の愛の証として海に身を投げ、二人は昇天して目出度し、目出度し(第3幕)と云ふのが粗筋です。

 バイロイト音樂祭は傳統的な解釈や演出を好まず、常に新しいものに挑戰することでも知られてゐます。今回は家の中だけで大きな船が出て來ません。下手から壁沿ひに半圓に上がる階段の在る居間が舞臺です。少女ゼンタが帆船模型で遊んでゐると、中央では水兵達が大波に揺られてゐます。彼女の想像の世界が繰り廣げられてゐます。船長の父ダーラントと和蘭人はそっくりで、一寸見ただけでは見間違へます。全く同じ動きをしたり、重なって歌ったりするので、ゼンタからは父と和蘭人がダブって見えてゐるのでせうか。少女ゼンタが頭を抱えて幕が下り、再び上がると2幕は成人したゼンタが昔と同じ格好をしてるところから始まります。〈絲紡ぎの歌〉を歌ふのは同じ格好に同じ化粧の女子事務員たち、力強い〈ゼンタのバラード〉、常にダーラントと和蘭人は同じ仕草を繰り返すので、夢と現實が區別できず、頭を抱へるゼンタ。
 3幕になると、必死に現實世界にエリックが呼び戻そうとしても、頭を抱へて夢の世界に逃げるゼンタ。少女ゼンタが水兵の人形で遊ぶのと一緒に、假面を附けた水兵は操り人形な動きで歌ひます。女性合唱も乙女の人形のやうな格好で、没個性な感じの中で、赤い帆船(幽靈船)が上から下りて來ると、今度は下から骸骨の和蘭人がゼンタを引き揚げて上へ行く模様が暗示されます。エリックは最後まで思ひ留まらせやうとしますが、和蘭人の後を追つて2階に上がるゼンタの行く先は壁で、永遠の愛を誓つても現實のゼンタは救はれることなく、頭を抱へて幕となりました。

 大雑把に言葉にするとこんな演出です。夢見がちな乙女がそのまま成人し、想像の世界だけで生きて行くことは小説にもよくあるパターンですが、救われないゼンタと云ふのも悲しいものです。「女性による救濟」を多く掲げたワーグナーのオペラもこれではどうなのでせうか。現代的な解釈として尊ぶ人も居る反面、昔乍らの幽靈船が見たい人も居る筈なのですが…。

 最前列で觀た迫力は凄まじく、決して大音響ではないのですが、オケと歌が渾然一體となり、綺麗に解け合ひ乍らも、各々の音がきちんと分離して聞こえる素晴らしさ。オケを囲ふ灰色の木製カバーが目の前に在る爲、チビな私はやや首を上げないと出演者の足下は見えません。それ故、背筋をかなりシャキンと伸ばすこととなり、筋肉の緊張を強いられることになりました。觀客以上に出演者たちの集中力に拍手を送りたいです。でこぼこのない實力の揃つた歌手陣、釣り合ひの取れた合唱の素晴らしさ、溺れることのない管弦樂、本場の醍醐味を味はふには充分でした。でも心地よく疲れましたので、明後日の《トリスタン》に向け、翌日は何もしないことに決めたのでした。

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2006年9月 5日 (火)

演目

Bprogramm バイロイト音樂祭ではワーグナーの作品しか上演しません。初期作品の《戀愛禁制》や《リエンツィ》だとかは掛けられず、《さまよへる和蘭人》から《パルジファル》までの、10作品のみです。然も、新演出の前にお休みもある爲、全作品が一度に上演されることもないやうです。また、祝祭劇場の定礎式にベートーヴェンの《第九》が演奏された故事に習ひ、《第9》も時折演奏されます。
 合唱は嚴しい審査(オーディション)を經た者のみ、管絃樂團は惡く言へば寄せ集めですが、歐州各地からの精鋭が集められ、歌手は総監督が様々な評判を元に探して來ます。総監督はリヒャルトの孫、リストの曾孫に當たるウォルフガング・ワーグナーですから、今も一族に守られてゐるのです。

 今年はティーレマン指揮の《ニーベルングの指環》が注目されてゐる爲、他の3作品は狙ひ目だつたのかも知れません。事實、長山さんも《指環》に申し込んだのですが、こちらは一杯ですが他のものならご用意できますと協會からご連絡頂いたのだとか。それ故か、非常によい席ばかりで感心することしきりでした。

 さて畫像のプログラムは街中で賣つてゐる演目毎のものですが、祝祭劇場ではその年のものをまとめた分厚い一冊が肩掛け袋附き25ユーロで賣つてゐます。こちらには舞臺寫眞、指揮者、歌手、合唱の顔寫眞まで載つた立派なものです。毎年來られる人はきっと本棚にこれがずら~と並んでゐるのでせう。

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2006年9月 4日 (月)

切符の入手

Karte 「バイロイト音樂祭ですか~。一生に一度は訪ねてみたいですね」とオペラファンなら思ふことでせう。10年間、毎年申し込めば必ず切符は入手できるさうです。そこまでして行きたいかと云はれると大抵の人が尻込みしてしまふことでせう。また、此処に切符がありまので、如何でせうと誘はれても、現實には「休みが取れない」「金がない」「ひとりでは不安」だとか、色々なしがらみや不都合に苛まれてなかなか行けないものです。一生に一度、自分の都合のよい時に行きたい、と考へてゐても、簡單に實現するものではありません。

 今回、お世話になつた長山さんは現地バイロイトの協會(Gesellschaft der Freunde von Bayreuth e.V.)に所屬されてゐます。日本語だと「友の會」と譯されることも多いのですが、音樂祭を資金的に支へる集まりです。金色に輝くリングの胸飾りが誇らしく見えました。切符入手に關しては長山さんのHPに書かれてゐます。1公演、1人2枚まで申し込めるので、指揮者クナッパーツブッシュ愛好家のsyuzoさんが主催するメーリングリストで1人募集を掛けられ、新參者の私としては1週間様子を見ましたが、どなたも名乘り出なかつた末に、恐る恐る擧手した次第です。

 本場を味ははずして、ワーグナーは語れません。特に《パルジファル》はこの劇場が完成してから作られ、暫くは遺言により他の歌劇場では上演すらできなかつた作品です。本當に此処で觀たいと云ふ思ひがどれだけ強いか、そこに掛かつてゐるのでせう。法外な値段で買はされるツアーも排除され、運良く當日賣りで買へたとしても、必ず旅券(パスポート)の提示も求められる程、切符の管理はゲルマン的律儀により徹底されてゐます。切符には購入者の名前と住所まで印刷されてゐます。餘つたからと言つて、轉賣でもしようものなら、もう二度と切符は手にできないことでせう。畫像では住所の部分は個人情報の爲、消してあります。

Bhorzschnitt 長山さんは以前2枚入手しても、結局1枚餘つたので返却したさうです。この誠實さが大事なのですね。轉賣でもしようものなら、きつと10倍の或ひはもっと高額な値段が附いたことでせう。でも、それではリヒャルトの遺志に反します。人々の爲に無料で公演を開きたいと考へてゐたワーグナーですから、協會も特にこの違法切符を嚴しく取り締まつてゐる譯です。

 私もこんなことがありました。バイロイトの街外れにワーグナー専門の骨董屋「ワーグナー骨董 ハニー・コペッツ」と云ふ店が在り、そこで100年前のこの版畫を求めました。《トリスタンとイゾルデ》の第2幕の〈愛の二重唱〉を描いた、極細の珍しいものが手に入つたと意氣揚々と引き揚げ、街まで戻り飲物を買はうとして財布を見ると、何故か現金が多いのです。暫く考へて、支拂ひの際に、話し込んでゐた爲お釣りを間違へてたとやっと氣附きました。このままにしてもよかつたのですが、また何時かこの店を訪ねたいし、日本人は不誠實だと思はれるのは嫌なので、戻つて返金したのです。非常に喜んでくれただけでなく、お禮にと自前で造らせたエスプレッソ用の珈琲杯を下さいました。久し振りに正直者が得をした感じがして、お互ひ氣持ちよかつたです。

Demicup また、今回は同じワーグナー好きとは云へ、通常の生活では接點のない人と知り合ひ、切符を分けて頂けた不思議。ネットの恩恵此処に極まりと云ふ感じです。syuzoさんありがたうございます。

Syuzo's Homepage

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2006年9月 1日 (金)

祝祭劇場

 さて、いよいよ祝祭劇場へ繰り出します。資金難から劇場附帶設備、玄関の大廣間や觀客の爲の休憩室(フォワイエ)を設けることが出來ず、假劇場として出發した爲、非常に狭く、15分前の1ベルまで中に入ることが出來ません。併し、回りは公園になつてゐますから、この丘に向けて開演1時間位前頃から三々五々、人々はゆっくり街から登つて來ます。中央驛邊りまで來るとやっと建物が木々の間から抜きに出た姿を現します。昔は馬車が連なつたことでせう。近附くと、多くの人が手前で立ち止まり記念撮影をしてゐます。そりゃあ、さうです。10年も待つて、或ひは幸運にも切符を手にした人しか集うことの出來ない特別なところなのですから。

 劇場中の様子は「バイロイト音樂祭公式HP」に譲ることにしませう。畫面操作で舞臺から360度見えます。場内は撮影、録音禁止です。通常の劇場なら幕間やカーテンコールの撮影は許されてゐますが、此処は違ひます。真ん中に通路がない爲、觀客は脇から入ります。それ故1ベルの代はりのファンファーレを耳にしたら真ん中の人は先に入らねばなりません。座席も狭く、薄い板張りに僅かに布が張つてある程度ですから、座布團持參した方がいいでせう。有料の貸し出しもあります。

 古代希臘の演劇を研究したリヒャルトだけあつて、やや擂り鉢状に舞臺が低い位置に在り、客席は段々高くなつてゐます。然も、「總合芸術」を目指した自身の作品だけの上演の爲に建てられただけに、舞臺に集中できるやうに伴奏者達は客席から見えず、管絃樂團がやや舞臺の下に潜り込むやうな形で配置され、管絃樂と歌手の音が一體化するやうな特殊な構造です。
 LPやCDで親しんだこの劇場での實況録音は數々ありますが、實際に自分の耳で聽くのと大きな違ひがありました。思ひの他室内樂的な透明な響きがあります。雰圍氣まで傳へるとなると、SP盤の方が再現力があるかも知れません。普段自宅で大音響でワーグナーを聽くのを常としてゐた私は恥ずかしくなりました。まるで違ふのです。
 各樂器の音がはっきりと聽き取れ、粒立つた音符の流れを感じ、五月蠅過ぎない管絃樂と歌手の聲が混然と一體化した響きが押し寄せるのではなくて、心地よく包み込んでくれます。一同に會した人々は皆これを樂しむ爲に來てゐるのだと一人合點がいきました。

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