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2006年9月 6日 (水)

和蘭人

 《さよへる和蘭人》は1843(天保14)年にドレスデンで初演されたワーグナー初期の歌劇です。ワーグナーの場合、自分で臺本まで書いてしまふので、臺本作家との軋轢はありませんでした。それだけ天才なのでせう。どんな貧苦にあらうとも、借金して絹の肌着しか身に附けなかつたと云ふのも、普通ぢゃありません。

 開演15分前のファンファーレがバルコニーから吹奏されると愈と云ふ感じです。きちんと背廣を着た彼等は、ファンファーレ専門のやうに見受けられ、オケピには入らないやうです。5分前を奏して、奈落まで走つてゐては間に合はないからでせう。1幕凡そ50分、2幕55分、3幕25分と割合ひと短いので、バイロイトでは幕間なしで上演することが多いやうです。ワーグナーも其れを見越して、繋ぎの部分をちゃんと作曲してゐました。但し、2時間半、休憩なしと云ふのは觀客にとつても辛いものです。どんなに頑張つてみたところで、集中力が續きません。お尻が痛い、腰が痛い、肩が凝る… 頭の中より身體の方が悲鳴を上げさうです。併し、此処はバイロイト!そんな弱音を吐く奴はとっとと失せろと云はれてしまふことでせう。氣合ひを入れて臨みます。

Hollaender 「どんな暴風雨でも乘り切ってみせる」と豪語した爲に神の怒りを買ひ、永遠に海を彷徨ひ續けなくてはならない船長の和蘭人。帆船はすっかり幽靈船となり、7年に一度だけ上陸を許されます。併し、其処で、永遠の愛を捧げる乙女に出遇はない限り、呪ひは解かれず、死ぬことも許されず、ずっと海を彷徨はねばならないのでした。
 大嵐の後、7年目に諾威(ノルウェー)のとある港に上陸した和蘭人は、地元の船長ダーラントの歡待を受け、娘が居ると知るとすぐに求婚します(第1幕)。娘ゼンタは「さまよへる和蘭人」の話を信じて育ち、自分こそがその乙女になるのだと思つてゐます。そこへ父ダーラントに導かれて本物の和蘭人が現れると、ゼンタは永遠の愛を誓ひます(第2幕)。獵師の彼氏エリックは氣が氣ではありません。何処の誰かもわからない、幽靈船の船長にゼンタが逆上(のぼ)せ上がつてゐると思つてゐると詰め寄ります。併し、その様子を知つた和蘭人はゼンタを諦めて船を出しますが、ゼンタは永遠の愛の証として海に身を投げ、二人は昇天して目出度し、目出度し(第3幕)と云ふのが粗筋です。

 バイロイト音樂祭は傳統的な解釈や演出を好まず、常に新しいものに挑戰することでも知られてゐます。今回は家の中だけで大きな船が出て來ません。下手から壁沿ひに半圓に上がる階段の在る居間が舞臺です。少女ゼンタが帆船模型で遊んでゐると、中央では水兵達が大波に揺られてゐます。彼女の想像の世界が繰り廣げられてゐます。船長の父ダーラントと和蘭人はそっくりで、一寸見ただけでは見間違へます。全く同じ動きをしたり、重なって歌ったりするので、ゼンタからは父と和蘭人がダブって見えてゐるのでせうか。少女ゼンタが頭を抱えて幕が下り、再び上がると2幕は成人したゼンタが昔と同じ格好をしてるところから始まります。〈絲紡ぎの歌〉を歌ふのは同じ格好に同じ化粧の女子事務員たち、力強い〈ゼンタのバラード〉、常にダーラントと和蘭人は同じ仕草を繰り返すので、夢と現實が區別できず、頭を抱へるゼンタ。
 3幕になると、必死に現實世界にエリックが呼び戻そうとしても、頭を抱へて夢の世界に逃げるゼンタ。少女ゼンタが水兵の人形で遊ぶのと一緒に、假面を附けた水兵は操り人形な動きで歌ひます。女性合唱も乙女の人形のやうな格好で、没個性な感じの中で、赤い帆船(幽靈船)が上から下りて來ると、今度は下から骸骨の和蘭人がゼンタを引き揚げて上へ行く模様が暗示されます。エリックは最後まで思ひ留まらせやうとしますが、和蘭人の後を追つて2階に上がるゼンタの行く先は壁で、永遠の愛を誓つても現實のゼンタは救はれることなく、頭を抱へて幕となりました。

 大雑把に言葉にするとこんな演出です。夢見がちな乙女がそのまま成人し、想像の世界だけで生きて行くことは小説にもよくあるパターンですが、救われないゼンタと云ふのも悲しいものです。「女性による救濟」を多く掲げたワーグナーのオペラもこれではどうなのでせうか。現代的な解釈として尊ぶ人も居る反面、昔乍らの幽靈船が見たい人も居る筈なのですが…。

 最前列で觀た迫力は凄まじく、決して大音響ではないのですが、オケと歌が渾然一體となり、綺麗に解け合ひ乍らも、各々の音がきちんと分離して聞こえる素晴らしさ。オケを囲ふ灰色の木製カバーが目の前に在る爲、チビな私はやや首を上げないと出演者の足下は見えません。それ故、背筋をかなりシャキンと伸ばすこととなり、筋肉の緊張を強いられることになりました。觀客以上に出演者たちの集中力に拍手を送りたいです。でこぼこのない實力の揃つた歌手陣、釣り合ひの取れた合唱の素晴らしさ、溺れることのない管弦樂、本場の醍醐味を味はふには充分でした。でも心地よく疲れましたので、明後日の《トリスタン》に向け、翌日は何もしないことに決めたのでした。

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