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2006年9月 8日 (金)

パルジファル

Parsifal 賛否兩論の舞臺神聖祝典劇《パルジファル》です。3年前の初舞臺以來、少しずつ演出に手が加へられてゐるらしのですが、今回は何の豫備智識もなく、真っ新なまま見たので何と表現してよいのか全く解りません。それ故、ずっと言葉で綴ることを躊躇つてゐました。飽くまで見た感じを書いてみませう。

 核戰爭後の貧民街のような第一幕では、回り舞臺となつてをり、金網に囲まれた、掘立て小屋のやうな所にボロ切れを纏つたグルネマンツが居ます。アムフォルタスの水浴の場面では黒人の胸も露はな女酋長のやうな人がうねうね動き、アムフォルタスは傷の見えない白い服で、比較的元氣に見受けられ、病は精神の方かと思ひました。

 聖杯の場面では、あらゆる種類の宗教家が集まり、先程の女性を形取つたやうな、縄文土偶のやうな大きな母像の膣に手を入れて血の手形をパルジファルに附けて行きます。基督教だけに限らない普遍性を謳ったのでせう。神父、牧師、イスラム、ユダヤ、坊主に僧侶、そして神主の格好も見え、只順番に手形を附けるのが儀式です。宗教家たちの振る舞ひは理路整然と行はれてゐますが、主題がはっきりせず、混沌としてゐて、幕にはずっと何か映寫され、兎に角、考へてみろ!と強制されます。併し、納得の行く答へなどありません。

 二幕もジャングルジムのようなクリングゾールの館の前に、阿弗利加系原住民のやうな肌に塗装を施した様々な
民族の女性(花の乙女)が色仕掛けでパルジファルに迫る感じです。途中小人の女性が出て来たり、母親とおぼしき女性が出てきたりしても、それが何を意味するのか理解できません。
 クンドリーは出て来る度に衣裳が違い、パルジファルを誘惑する際は金髪のセックス・シンボル、マリリン・モンローのやうな感じで迫って來ます。また、全身真っ黒なクリングゾールは惡の象徴と云ふ感じがして、一目で「惡役」だと判ります。然も、舞台狭しと走り回り、元氣がよく、最後に槍で刺されるどころか、ロケットに乘つて逃亡してしまひました。あっけに取られて、絶句して幕です。

 三幕では、神官ではなく、あらゆる種類の兵士が集まつて、それまで差程弱ってゐなかったアムフォルタスも突然血を流したりして、その傍をクリングゾールが思惑げに通ります。一番氣持ち惡かったのが、途中からずっと死んだ兎が朽ちて、蛆が湧く姿をスクリーンに映し出して延々と流してゐたことです。これには、觀客一同うんざりした感じで、最後のブーイングに繋がつたのでせう。ですから目を瞑って聴くのが一番でしたが、次に何が起こるかわからないので、さうさう長いこと目を瞑つても居られません。
 記憶が定かではありませんが、クンドリーとアムフォルタスはクリングゾールによって殺され、パルジファルも相打ちで皆死んでしまひ、最後にパルジファルとクンドリーは手を繋いで黄泉の世界へ行くところで終はりました。現代を象徴した宗教と戰爭を主題に荒れ果てた近未來を描きたかつたのかも知れません。

 私の印象だけで、場面が理解できるとはとても思えません。言葉にならない演出です。見た者でも判斷しかねるものです。多くのオペラの初演が失敗したのは、時代の先を行き過ぎて居たことであつたと思ふと、この演出も10年、20年經た時に理解されるのかも知れません。まずは色々考へさせるのが狙ひだとは思ひますが、氣持ち惡い映寫が強烈で、ふと思ひ出しても頭の中は疑問だらけです。

Fischer アダム・フィッシャーの指揮は正攻法で奇をてらったところがありません。1幕はノリがよくなかつたのですが、段々佳境に至るに從ひ盛り上がり、クナッパーツブッシュのやうな神秘的なところはありませんが、現代的な解釈で心地よい音作りでした。お晝過ぎに街中の本屋の立て看板をふと見ると、「13時からサイン會」と書いてあり、時計を見入れば丁度過ぎたところ、併し長蛇の列と云ふ譯でもなく、本屋の中央に机があつて數人並んでゐるだけでした。切符にして貰はうと出すと、「今晩の切符だと問題になるかも知れないから、絵葉書にしますね」と書いてくれました。地味な装ひは東歐出身らしい!そして幕間に特設郵便局で、今年のモオツァルト記念切手を買ひ、バイロイト音樂祭の初日スタンプを押して貰ひ、特別な記念品の出來上がり!

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