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2006年10月20日 (金)

山科

 義太夫節の中でも大曲とされる第9段「山科閑居の段」。師直に賄賂を送り、刃傷に際して判官を抱き止めた爲、逆に由良助以下の者に恨まれてしまふ加古川本藏。然も、娘小浪は由良助嫡男、力彌の許嫁であつた。作者たち(三好松洛、並木千柳、二世竹本出雲)は、ひとつの事件を切掛に下々の者の運命を狂はす程を劇的な本にしてゐます。本藏の妻、戸無瀬と由良助の妻、お石、敵(カタキ)同士となった母と姑、本藏の父として武士としての身の処し方、由良助の思慮、愛し合ふ小浪と力彌。物語は一擧に頂點へと達します。

 現在、京都山科には大石内藏助を祀つた大石神社が在ります。此処には由緒ある品も納められてゐますが、その中に確か内藏助の手紙が殘つてゐました。もう30年位前だかに、行つた記憶しかありませんが、弊社の『今朝百年史』に記録してあります。その中に、京都山科で機の熟すの待つて隠遁生活をしてゐた大石内藏助は、元禄14(1701)年に、江戸に居る堀部彌兵衛の元に、近江の黄牛(アメウシ)を送つたことが書かれてゐました。

  前文御容赦可。然方(サルカタ)より到來に任せ進上いたし候彦根の黄牛の味噌漬。養老品故、
 其許(ソコモト)に御重疊(チヨウデウ)と存じ候。
  倅主税などまいらせ候ては反(カエ)つて惡しかるべし。大笑大笑
  十三日
                                               大石内藏助
  堀部彌兵衛殿
 
 當時の牛肉はく藥食ひと稱して、密かに流通してゐました。勿論、唯一の産地彦根藩に強力なコネがあるか、お殿様からの下がり物以外まづ手に入らない貴重品です。それを内藏助が手に入れたので、江戸で頑張るご老體に滋養の高い貴重なく藥として送つたのでせう。

 「山科閑居の段」では、逆勝手と呼ばれる家の出入り口が上手に來る珍しいものでもあります。雪持ちの竹を使つて雨戸を外す工夫を見せる演出でもあり、後半の見所でせう。文樂では「高家討ち入りの段」りは省略されて、最後は11段目「花水橋引揚の段」となります。そこがまたしっとりとした感慨を殘すことになりませう。 

 史實と比べて行くと、芝居と違ひ腑に落ちないことも多いものです。松の廊下の刃傷事件にしても、殿中で刀を抜くことは死罪を免れないのは解り切つてゐた筈なのに、わざわざ京都から勅使の來たハレの日を選んだものか。この邊りのことを詳しく調べてゐるHPを見附けたのでそちらをご覧ください。


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