« ミラノ | トップページ | グランド・ホテル »

2006年11月20日 (月)

トスカニーニ

Tosc1 ミラノの日本語ガイド本にトスカニーニの館が地圖に載つてゐました。大聖堂(ドゥオーモ)から歩行者天國の買物通りを歩いて10分程度、地下轍でも一驛の廣場ピアッツァ・レプブリクから、少し歩いた所です。交差點を渡ると「トスカニーニ廣場(Largo Arturo Toscanini)」とあります。廣場はてっきりピアッッツァ(Piazza)だけだと思つてゐましたので、この「ラルゴ」とは何か氣になりました。でも、此処に立つて回りを見渡すと、どう見ても廣場としか譯す言葉が浮かびません。辭書を見ると「交叉する道にできた變形の廣場」となつてゐて、音樂用語の「幅廣く遅く」だけの意味でないことが解りました。でも、この標記が在る建物の地上階はファースト・フード店なのでがっかりすると共に、自分としてはその對比が面白く、トスカニーニが生きてゐたら癇癪を起こすのかなあ、と思ふのでした。

Dh000223 さて、そこから筋を隔てた角を曲がると停留所(フェルマータ)の後ろに石塀に囲まれた屋敷が在りました。どうやら此処がトスカニーニの屋敷のやうです。生憎、鐵柵門は固く閉じられ、記念館となつてゐる譯でもなく、住んでる氣配もなく、只の建物ですが、その昔住んだのでせうか。
 トスカニーニは1898(明治31)年にミラノ・スカラ座の常任指揮者となつた後、辭任した1908(明治41)年までミラノに住んでをり、その後1920年代に戻り、ファシズム臺頭以降は亞米利加へ移住してゐる爲、一體いつ頃住んでゐたのか判りません。單に縁の建物なのか、疑問は殘るものの柵の間から記念撮影。トスカニーニの娘ワンダは洋琴奏者ウラジーミル・ホロヴィッツと結婚したこととか、「休符をも歌へ」と言つたこととか、色々頭を巡ります。彼の鉈(ナタ)でスパッと切つたやうなワーグナーもいいのですが、ヴェルディの《ファルスタッフ》は秀逸です。躍動感、高揚感、そして幸福感が訪れる熱血漢の指揮者の賜物でせう。それにしても、この建物が何なのか、判らないまま立ち去りました。どなたかご存知ありませんか。

 今晩、日本放送局會BS2では、20時より《ルキノ・ヴィスコンティ》と云ふ記録映畫(1999年)があります。



|

« ミラノ | トップページ | グランド・ホテル »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。