« へうげもの | トップページ | 寫眞で讀む僕の見た「大日本帝國」 »

2006年12月 6日 (水)

鷗外 闘う家長

 11月の東京では神田だけでなく、彼方此方で古本市が開かれてゐました。そんな中で見附けた一冊。山崎正和著 『鷗外 闘う家長』 新潮文庫(絶版)。

 津和野藩御典醫の家(醫者の家系)に生まれ、長男として家族からの期待を一身に背負ひ、早くから漢籍を諳んじ、10歳から早くも獨逸語を始めた秀才、鷗外。明治國家の歩みと同調するやうに成長し、挫折を知らず、軍醫総監まで登りつめるものの、家族に對してはどんなことがあつても良き父であつたのは何故か。西洋人と同じやうに自我に目覺めたのではなく、空虚な内面に耐える道を選び、とことん孤獨で嚴粛主義(ストイック)に生きる道を貫いたことを、鷗外の分身とも云へる小説の主人公を擧げ、具體的に検証した力作。

 自分の學んだことが即國家の爲になる時代の鷗外と、ややズレを感じた漱石、アンチ國家の立場を貫いた荷風の比較や、早くから家長としての立場で物事を考へねばならなかつたこと、得意の獨逸語で獨逸人と過剰に大論戰したり、親身になつて世話をしても娘茉莉(マリ)からは「愛情のやうな雰圍氣」と云はれたり、苦勞を重ねてもそれを口に出すことなく闘つた姿は明治の男そのものなのかも知れません。

 漱石より何となく疎遠な感じがした鷗外も軍人と小説家と云ふ二足の草鞋の奧に、努力家の人柄が透けて見えて來ますが、詰まらないことでも熱くなって激論を交はしたり、子供を溺愛したり、結構普通の人だつたりします。そして、色々責任を負はされる長男はたへんだよな、とごく自然に励まされて來ます。

|

« へうげもの | トップページ | 寫眞で讀む僕の見た「大日本帝國」 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。