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2007年2月28日 (水)

招くもの

 たいていはお盆の頃、家族は旅行に出掛け一人で居るので涼しくならうとして怪談ものを讀み出します。2004(平成16)年の八月は「怪」が續きました。この年は8月13日の盂蘭盆會の入りの日が丁度13日の金曜日に當たりました。

 12日の晩から讀み出した、短編集『蒐集家』が手こずってなかなか先へ進みません。普通は恐怖の中にも、すらすら讀み進むのですが、一文字も疎かにできない感じでした。急死された中島らも氏が亡くなる3日前にFAXで原稿を送ったと云ふ曰く附きの作品も収められてをり、どの話しもぞっとするものばかりでした。

 この時は前の週末に「陰陽師Ⅱ」「呪怨Ⅱ」とホラー系の映畫がテレビでやつてをり、ひとりで見てる最中に、バスタオルがどさッと落ちたり、主人公の同じやうに何だか右手首が痛くなつたり、勝手にこちらの氣持ちが入り過ぎて同調(シンクロ)始めました。どうもこちらから招いた感じです。あっと云ふ間に0時近くになり、これでは今晩中に讀み切れないなあ、否、何とかなるかなあと思つてゐたら、突然娘の携帶電話が光り出しました。家族が居ない間、きちんと連絡が取れるやうに置いて行つたものです。手に取ると將に0:00の表示!あちゃー、これは今日何かあるよと宣戰布告された感じでぞっとしました。勿論、時報なんか設定してありませんし、もともと携帶電話すら持つてゐないのですから、吃驚でした。




蒐集家(コレクター)―異形コレクション


Book

蒐集家(コレクター)―異形コレクション


著者:井上 雅彦

販売元:光文社

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陰陽師 2


DVD

陰陽師 2


販売元:東宝

発売日:2004/04/28

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呪怨 劇場版 1 & 2セット


DVD

呪怨 劇場版 1 & 2セット


販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2004/02/25

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2007年2月27日 (火)

百物語

 現代でも「百物語」をやってやらうと云ふ人は大勢居るやうです。文人が集まり、根津の古い旅館で行つた記録『文藝百物語』がこれまた恐い。井上雅彦、加門七海、菊地秀行、篠田節子、霜島ケイ、竹内義和、田中文雄、森真沙子と知られた作家たちが實際に體驗したことを脚色もなく、思ひ出し乍ら語るので恐さも倍増します。會場は『結界』を張り巡らして、外界との連絡も一切絶ち、古式に則り、執り行はれてゐます。

 讀むだけで、現場の恐怖を追體驗できるのがこれまた恐ろしい。文庫本なので、通勤途中に讀み出すと回りの人が魑魅魍魎(チミマウリヤウ)の類に感じられて來ます。もしかして、人ではないやうに感じる、この感覺判りますか。つひでに集中し過ぎて乘り過ごすこともありますので、ご注意下さい。探してみると結構類似本はあるものです。實録怪談集と副題の附いた『百物語』も既に5巻もあります。こちらはこちらで、著者が取捨選擇した百のお話しがきっちり詰まつてゐて、恐ろしい。

 昔は死と隣り合はせであり、誰もが一度は死ぬのですから、恐ろしいと感じる感覺が違つたのかも知れません。もう3年も前になりますか、晩夏にこの『百物語』を讀んでゐました。これを手にして、友人の出演する芝居を見に行き整理番號を貰ふと、56番。早めに來た筈なのになあと思ひ乍ら、百數十名で一杯になるこぢんまりとしたホールに入りました。
 出演者3人だけの結構重ひ内容でしたが、出演した友人にお土産渡して挨拶を濟ませた後、丁度近くのホールでクラシックの演奏會を聽いてゐた別の友人と飲みに行くことになりました。最近出遭つた「怪」の話しだと一人昂奮して、今見た芝居の話しになつたら、

 「えっ、その整理番號に百足すと、さっき言つてゐた丁度そのホールの定員156ぢゃないですか~」

確かにその本に入場整理券を挟んでをり、開くと右に56の數、中表紙に百の數、只の偶然にしては、如何なのものでせう。



文藝百物語


Book

文藝百物語


著者:井上 雅彦,田中 文雄,森 真沙子,加門 七海,菊地 秀行,篠田 節子,霜島 ケイ,竹内 義和

販売元:角川書店

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百物語〈第5夜〉―実録怪談集


Book

百物語〈第5夜〉―実録怪談集


著者:平谷 美樹,岡本 美月

販売元:角川春樹事務所

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2007年2月26日 (月)

怪しいこと

 普通は毎年夏休みに入ることから、恐怖小説を讀み始めます。『新耳袋』シリーズは特に恐ろしいもので、物語としては取材した實體驗が99話あるのですが、前書きや後書きを含めて一氣に讀むと丁度100話となります。それ故、一晩で讀破すれば必ず「怪」が訪れる仕組みです。全10巻ありますので、氣になる方は是非どうぞ。

 なぜ百話かと云ふと、江戸時代の故事に習つてゐる譯です。元の『耳袋』も江戸時代に聞き囓つた得たいの知れないことだとかを書き留めたものでしたが、『新耳袋』は現代に身近に起こつたことを著者の二人が取材して、ひとりがもうひとりに語つて聞かせ、それを文字としたものです。古來より傳はる「百物語」は蝋燭を百本立てて、一話終はる毎に消して、つひに最後の一話を語り終えて火を消すと、必ず「怪」が訪れるのです。それで大奥の局同士で流行り、血生臭ひ事件を巻き起こして以來、暫く禁止されたのだとか。さう云はれるとやってみたくなるもので、森鷗外も短篇に書いてゐます。

 季節に關係なく、ふと本屋で目にするとつひ手に取つて見て買つてしまひます。恐くてトイレにすら夜中に行けなくなるのはわかつてゐるのですが、氣になり出すと寝る間も惜しくて、朝まで一氣に讀んでしまひます。かう云ふ本はどうもお仲間を呼ぶらしく、非常に恐ろしい。讀んでゐる途中何度も後ろを確認したり、鏡に餘計なものが映るんではないかとおののきながらです。昔は見えない筈のものが見えた體質でしたが、親に否定され續けて見えなくなりました。併し、近年素直に事象を觀るやうになると、どうも氣配だとか、氣懸かりであつたり感じます。具體的な形として見えなくても、何かが存在してゐるやうな感じでせうか。それも、かう云ふ本を讀み出すとラヂオの周波數がすうっと合ふやうに波長が合つてしまふやうです。

 一氣に『新耳袋』を數刷、百話以上まとめて讀むと恐怖は増しますが、何も「怪」は訪れませんでした。仕事の合間、休憩時間に電氣を消してひとりで讀んでゐると恐いの何の。2~3時間ですっきり讀み終へた途端に從業員用の扉をドンドン叩く人があり、もう吃驚して聲を上げてしまつたこともあります。間髪入れずと云ふ譯には行かず、息を殺して、扉を恐る恐る開けてみると、案の定誰も居ません。すぐ隣に座つてゐる守衛さんも氣附いてゐません。でも、何か起こればこれ以上のことはないと安心するのです。



新耳袋〈第1夜〉現代百物語


Book

新耳袋〈第1夜〉現代百物語


著者:木原 浩勝,中山 市朗

販売元:角川書店

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2007年2月23日 (金)

フレンチの系譜

 一般的に知られるやうに佛蘭西革命で失業したシェフたちが、巴里の街に出て商賣を始めたのがレストランの最初だと云はれてゐます。原價を氣にしないで、王侯貴族の好みだけを作つてゐたのが、お金を貰ふ以上それなりのものを出して、頂いたものから材料費や家賃を拂ひ、食器を揃へ、從業員や雇ひ、賄ふだけの賣り上げがないといけない譯ですね。

 日本の佛蘭西料理界の巨匠、故辻静雄さんの著作にはご自身が辿られた探求の道や、古書を漁つて源流を知り、シェフとの交流が書き綴られてゐます。『フランス料理を築いた人びと』は文庫本ですから、一讀するだけで、佛蘭西人ではない人が佛蘭西料理に携はることの意味だとか、心得も解り、とてもいい本です。この人はほんたうに佛蘭西の文化が骨の髄から好きなのですね。文庫で著作集も出てをり、これらを讀めば料理人や給仕でなくても、佛蘭西料理がもつも身近に感じることでせう。彼が居なければ、日本の佛蘭西料理も随分と遅れたと思ひます。



フランス料理を築いた人びと


Book

フランス料理を築いた人びと


著者:辻 静雄

販売元:中央公論新社

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辻静雄コレクション〈1〉フランス料理の手帖・舌の世界史


Book

辻静雄コレクション〈1〉フランス料理の手帖・舌の世界史


著者:辻 静雄

販売元:筑摩書房

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辻静雄コレクション 2 (全3巻)


Book

辻静雄コレクション 2 (全3巻)


著者:辻 静雄

販売元:筑摩書房

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辻静雄コレクション3 (全3巻)


Book

辻静雄コレクション3 (全3巻)


著者:辻 静雄

販売元:筑摩書房

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Book

料理に「究極」なし


著者:辻 静雄

販売元:文藝春秋

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2007年2月22日 (木)

味のすべて

 神田の街を歩いてゐても、戰前のレコード型録や音樂本、それに料理本はつひ手を伸ばしてしまひます。讀んでる割に全然身になつてゐないとかみさんには叱られてますが、50年も前に書かれてゐても、本質は全く同じだと云ふことも多くて驚かされます。

 讀賣新聞婦人部編 『味のすべて』 池田書店 1958(昭和33)年發行 は田村魚菜や天皇の料理番、秋山德藏だとか、様々な専門家が述べる料理の話題です。面白いのはまだ普及してゐない料理の説明とかでせうか。項目と副題を見てるだけでも

 コーヒー 最高の風味はマタリ
 ブドウ酒 料理と切り離せない
 ウヰスキー 名品のつくる”ブレンド”

と書かれてゐるやうに、旬は何かとか、最高のものとはどんなものか、がご婦人向けに解り易く書かれ、驛賣りの辨當なんかでもかなり辛辣な批判がされてゐます。東海道線では横濱の「シユウマイ辨當」、小田原の「おたのしみ辨當」は及第點ださうです。祖母と熱海へ行く時に小田原の「おたのしみ辨當」を買つた記憶があります。
 新橋を出て、丁度小田原くらいでお晝となり、驛に到着すると窓を開けてをいて、大聲で辨當屋さんを呼んでお茶と一緒にこの幕の内辨當をよく買ひました。小學生高學年になると、ホームを走つて買ひ、ベルの中を一番近い扉から列車に乘り込むスリルも味はひました。そして、新幹線に乘り込む時は、いつも私は「チキン辨當」でした。2段重ねの紙箱で上には一寸柔らかくなつた唐揚げ、下には豌豆を散らしたケチャップライスで、たいして旨くもないし子供には多いので必ず殘してしまひましたが、決まってこれを強請つたものです。横濱の焼賣も辨當ではなくて、特製焼賣だけ買ひ求めたことも度々ありました。

 本の中で、

 「西洋では、チーズは毎日の食卓に欠くことのできぬオカズですし、また調味料でもりちゃうど日本のミソに相當するものです」

 こんな表現を見ると微笑ましくなつてしまひます。村上信夫ムッシュは戰前にあつたのは、瑞西のエメンタールやグリュイエールのやうな硬質タイプ位でカマムベールなんか見たこともなかつたさうです。今は金さへ出せば、世界中のものが食べられるのですから、日本も贅澤になつたものです。

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2007年2月21日 (水)

池波正太郎の食べたもの

 飛行船狂ひの私としては、是非とも調べたこととか、再現した料理とかで一冊本にしたい。料理寫眞の専門家山家學さんにわざわざ寫眞を撮つて頂いたものの溜まつたので、ここいらで書かうと思ふのですが、なかなか人に美味しさだとかを言葉で傳へるのは難しいものです。

 江戸時代の食べ物を書かせたら最高の池波正太郎は「食道樂」の人でも知られてゐました。そんな彼の好物を縁の料理に再現させた本がありました。池波正太郎の書生であつた砂糖隆介が思ひ出話しと共に文章を書き、季節毎に和食を元山の上ホテルの料理人、現「てんぷら近藤」の主人、近藤文夫と、洋食を「たいめいけん」の茂手木雅章とに再現して貰ひ、一皿づつ料理方法も記載してあります。嗚呼、こんな食べ方をしてゐたんだとか、拘りがよくわかります。6月になると、私も無性に鮎が食べたくなる人間なので、さすが先輩と頷いてしまひます。

 母の實家が岐阜なので、夏休みにずっと遊びに行つた譯です。すると近所の小父さんが友釣りで釣れたばかりの鮎をお裾分けに呉れたものです。長良川の上流とかで捕れたものです。それも、毎週のやうに届くので、至極當たり前のやうにして鹽焼きで頂いてました。田舎ですから、蓼酢とかそんなものはありません。只の鹽焼きです。餓鬼の癖に、コケの味がするから天然ものだとか、口の形から養殖ものだとか、そんなことは言ひません。夏はもう決まつて食べるものだと身體が覺へちゃいました。だから、所帶を持つやうになり、祖父も他界すると氣樂に遊びにも行けませんから、無性に鮎が戀しくなります。一年に一回は食べないと氣が濟まないのですが、懐具合がそんなによくありませんから、なかなか難しいものがあります。

 この本の中で料理だけは総天然色でプロの技の光る撮り方をしてゐます。デジカメで美味しさうに撮るのは難しいんですよ!山家さんは奧から光を當て、手前に反射板を置き、全部を撮るんじゃなくて一皿手前に焦點を合はせればいいと教へてくれましたが、なかなかどうして難しい。この本も、作家の拘りを反映してるのに文庫本で安いのが素敵です。


ELLE a tableのサイトに山家學さんの『料理写真を上手に撮るコツ、教えます』が連載されてゐます。




池波正太郎の食卓


Book

池波正太郎の食卓


著者:佐藤 隆介,茂出木 雅章,近藤 文夫

販売元:新潮社

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2007年2月20日 (火)

日本での佛蘭西料理

 明治になると西洋人も來日するに持て成す食事がなくて苦勞したらしいのです。我々が海外で惱まされるバター臭さも、それを必要とする人々には鰹出汁の良さなんか判る譯なくて、生魚の刺身や煮魚に閉口して、洋食食べたい病になつたと云ひます。本に最初に本格的な佛蘭西料理を出すやうになつたのは築地ホテルでしたが、何と云つても海外の玄関口となつた神戸や横濱でしか質の高いものに出會ふことはあり得ませんでした。現在はタワーも併設されてゐますが、昭和の初めに建てられた本館の素敵なホテル・ニューグランドの総料理長として招かれた瑞西人サリー・ワイル氏を抜きにして、日本の佛蘭西料理を語れないと云ふことは昨年まで知りませんでした。それも彼の物語を讀んで知つたのです。

 なんで三國さんが瑞西へ渡つたのか、お茶の水に以前サリー・ワイルと云ふシェフの名を掲げた洋菓子屋が在つたのか合點が行きました。勿論、東京の帝國ホテルの努力も忘れてはなりませんが、そこへ繋がる本流が横濱にもあつたのですね。實は親類を招いた結婚式をニュー・グランドで擧げた自分としては、その歴史に連なる料理を食べたと思ふと一寸誇らしい氣がします。




初代総料理長サリー・ワイル


Book

初代総料理長サリー・ワイル


著者:神山 典士

販売元:講談社

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2007年2月19日 (月)

猫マンマ

 子供頃、お代はりしたご飯に殘つたおみおつけをぶっ掛けて「猫マンマ」にして食べると叱られたものです。「はしたない」と。遅刻寸前の時間のない朝ご飯は、悠長に食べられないので「猫マンマ」にしました。確かに、お向かひの家の飼ひ犬のご飯は殘りものとか、鶏の頭を煮たものとかあげてましたが、當時の我が家では、猫にそんなものを食べさせることはなくて、ちゃんと竹輪を切ったり、猫餌の罐詰めを開けて出したりしてました。東京では味噌汁掛けご飯を「猫マンマ」と云ふのですが、どうやら地方により色々あるらしく、このぶっ掛けご飯に就いて調べた人がゐます。

 遠藤哲夫著『汁かけめし快食學』ちくま文庫では、全國の汁掛け飯を調べ、カレーライスが普及する下地がこれだと確信犯的に述べてゐます。海上での榮養バランスを考へた海軍が英國式のカレーライスまたはライスカレーを輸入してこしらえた時に、汁掛け飯に今までの日本にない香辛料が更に風味を増したことで普及したのではないかと云ひます。固形のルーが賣られるやうになると、お母さんカレー、キャンプのカレーと國民食として愛されるやうになつたやうです。ですが、キャンプでこれを作ると油ぽいので後片附けがたいへんです。初めて包丁を握る子供には人參や馬鈴薯、玉葱を切るのにいいでせうが、どんなものでせう。よっぽど豚汁の方がいいと思ふのですが…

 自分で作る時はシチューのやうにたっぷりの赤ワインで牛肉を塊のまま玉葱とだけ煮込み、野菜は別に茹で、馬鈴薯は素揚げまでして、ご飯と共に別添へにします。そこへできたカレーを真上から掛けるのではなく、横ちょに池にして、それに藥味として、パルメジャーノ・レジャーノまたは安いグラノ・パダーノ、辣韮(ラッキョウ)、コルニション(小さく固い胡瓜)・ピクルス、蜜柑の缶詰め、あればフレッシュ・マンゴ、なければマンゴチャツネなんかをお好みで足して食べるのが好きです。




汁かけめし快食學


Book

汁かけめし快食學


著者:遠藤 哲夫

販売元:筑摩書房

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2007年2月16日 (金)

シェーネベルク

 伯林では會社の用意してくれた2~3年しか住まない單身者赴任向けのアパートに住んでゐました。交差點の角に當たり5階とは云へ、最初の夏は暑くて自動車の騒音で寝られませんでした。通りの名はゲーベンシュトラーセ(Goebestrasse)、
地區はシェーネベルク(Schoeneberg)、直譯すると「美しが丘」です。19番の二階建てバスを利用して通つてゐましたが、地下鐵ではヨルクシュトラーセ(Yorkstrasse)が便利でした。退社後は友人と折半してほんの數件先の古いアパートの5階に引っ越しました。こちらは昇降機がない爲、エッチラ、オッチラ階段の上り下りがいい運動になりました。

 戰前にこの地區に住んでゐた人が指揮者の近衛秀麿です。自著 『シェーネベルク日記』 銀座書院 昭和5年發行(絶版)に拠れば、第一次大戰後の超インフレの時代に外貨を持つ戰勝國の外國人として結構優雅に暮らせたことが書かれてゐます。ニキッシュが亡くなりフルトヴェングラーに替はつたばかりの伯林フィルも、財政難で或る程度お金を出せば指揮することもでき、先に貴志祐介が振ったことや、伯林國立歌劇場の音樂監督エーリヒ・クライバーとの交流、フルトヴェングラーの練習を聽いたことや、ニキッシュの指揮の様子や、指導方法等思ひ出を樂しさうに語る樂團員の話しも珍しく、あっと云ふ間に讀んでしまひました。
 クライバーの家に遊びに行くと、近衛自身が新響(N響の前身)を振つたマーラーの交響曲第4番のSP盤を掛け乍ら、此処はかうした方がいいだとか、批評並びに指導された様子も詳しく書かれてゐます。人から借りたものですが、どうしても手元に置いておきたく、著作権が切れてゐることもあり、全頁を複寫して傍に置いてあります。

 ニキッシュは「瞳で射る」と云ふ位魅力的な人で浮き名を随分と流したやうです。まるで近衛は人ごとのやうに書いてゐますが、ご本人も第二次大戰後、米軍の捕虜収容所での訊問で「子供は何人だ」と訊かれて、直ぐに答へられず、係官が「何でそんな簡單なことが答へられない」と苛立つと、「今數へてゐます。」と言つたとか。
 正妻の他に幾人も相手をした爲、非嫡出子が大勢居たらしい。大野 芳著『近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男』 講談社に詳しい。

 さすが公家様だと今の我々からしてみると、女にだらしないのはフルトヴェングラーも同じで、とてつもなく魅力的な人に思へます。彼の殘した獨逸録音のSP盤には何か誇らしげに Viscount Hidemaro Konoye 「近衛秀麿子爵」と書かれてゐます。
 伯林フィルを振つたムソルグスキイの《禿げ山の一夜》 Deutsche Grammophon Gesellschaft 67259 LMと、ハイドンの《交響曲第91番 變ホ長調》 Decca PO5130/2は、自身の編曲により溌剌とした演奏です。これはCD復刻盤になつてゐます。歐米に實力を認められた指揮者が戰前に確かに居て、今は無い爵位を持つた人でした。




近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男


Book

近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男


著者:大野 芳

販売元:講談社

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2007年2月15日 (木)

地下の殘されたもの

 京都や奈良はほんの少し掘るだけで文化遺産がごそごそ出て來ますが、伯林でも地下に殘された廃墟や遺構が思はぬものを見せてくれます。河合 純枝著《地下の伯林》文藝春秋は、だいぶ前に讀んだものですが、過去がしっかり今に生き殘つてゐる場所「地下」を訪ねた記録です。

 それは東京の地下も同じことが云へて、地下鐵の路線から過去に使はれなかつた空洞があつたのではないかとか、中澤新一著『アースダイバー』講談社の中では、縄文時代の地圖と現在の地圖を重ね合はせ、當時の半嶋や岬の突端に神社が造られたことが判るのが不思議です。

 伯林では何年か前にナチス時代の防空壕だか何かが發見され、ナチス賛美の繪があつたことから歴史的遺物として殘すべきか、葬り去るべきか問題になつた筈です。1980年代後半も壁の傍にゲシュタポ本部の地下部分の發掘が行はれてゐて、おぞましい過去として捉へるのではなく、我々の汚點は正面から見据えると云ふ獨逸人らしい現實を見た氣がしました。靖國問題で中國に突かれても、毅然として「國内問題」として言ひ放ち、參拝を重ねた前の首相の方が日本國の立場を判つてゐたのではないでせうか。

 「だが、中國、韓國それに北朝鮮は日本の起こした戦争を全面的に攻撃し、中國は日本の存在そのものまで非難してゐる。歴史的な考察はどこにもない。つまり外交上の驅けひきに使つてゐるだけなのだ」

 これは、日高義樹著『ブッシュのあとの世界』PHPの一節です。日本は中國に膝を屈してしまつてゐたとは氣附きませんでした。外交戰爭を素人が當たる日本の行く末は心配です。
 地下には過去が、外からは現在がしっかりと、然も客觀的に見えるものなのですね。

 



アースダイバー


Book

アースダイバー


著者:中沢 新一

販売元:講談社

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ブッシュのあとの世界 「甦る大国・日本」叩きが始まる


Book

ブッシュのあとの世界 「甦る大国・日本」叩きが始まる


著者:日高 義樹

販売元:PHP研究所

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2007年2月14日 (水)

廃墟の日々

 80年代後半の東獨逸は第二次世界大戰の傷跡を彼方此方に殘してゐました。ドレスデンも45年2月13日の空襲で瓦礫となり、まだまだ再建されてゐない教會もあり、伯林の博物館嶋の建物の壁には市街戰の彈痕が殘り、痛ましい記憶が目に見える形で殘つてゐました。その上、東獨逸の國境警備兵はナチス時代の軍服を踏襲してゐる爲、膝を曲げずに高々と足を上げる行進や乗馬ズボンに軍長靴と、タイムマシンで50年遡つたのかと思ふ場面によく出くわしたものです。

 フルトヴェングラーはナチスの看板指揮者のやうに海外では宣傳された爲、まるでナチスに進んで協力したやうに聯合軍將兵には感じられたのでせう。非ナチ化裁判はたいへんであつたやうです。この邊りは昨年開いた蓄音機の會《戰中のフルトヴェングラー》で紹介しました。小田謙爾さんのHP《Mitteleuropa》の中に1946 年12月18日、「非ナチ化委員会における最終辯論」が日本語譯されてゐますので、こちらを讀むだけでも苦惱に苛まれる巨匠の心の叫びが聞こえて來ます。
 また、ハリウッド映畫《Taking sides》(邦題『どちらの側に立つか』)もフルトヴェングラーに似てはゐませんが、雰圍氣がよく傳はつて來ます。生憎、日本ではDVDの發賣はありませんが、《Mitteleuropa》の中でも會話部分が一部翻譯されてゐます。

 混亂の占領下の伯林に英國軍將兵として赴任した猶太系のジョージ・クレアが著した『伯林廃墟の日々』新潮社も心打つものでした。占領軍と云ふ逆の立場から戰後の街の様子が描かれてゐます。

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2007年2月13日 (火)

戰中の在留邦人

 マサトさんのブログ《伯林中央驛》では、本の紹介もあり、片ッ端から讀み漁つてゐます。特に戰前の様子が描かれた本には惹かれます。伯林へは學者や音樂留學生が大勢訪ねてをり、三國同盟締結後も多くに日本人が生活してゐました。指揮者の近衛秀麿は戰中も伯林に殘り、陥落前へ西側に逃れて聯合軍に投降してゐますが、多くの日本人が伯林に殘つてゐました。獨逸ワインを戰後日本に廣めた古賀守先生も赤軍のロケット彈「カチューシャ」や戰車が攻め込む中、最後まで殘つてゐたので、その體驗を小冊子にされてゐました。

 そして、舞踏家の邦正美は『伯林戰爭』朝日選書を著してゐました。西伯林の銀座通り「クー・ダム」の西外れ、ハーレンゼー近くに住んでゐた事や、ファザーネン通りに在つた猶太教のシナゴーク(教會)焼き討ち事件、ナチズムに反對であつた人々が戰爭が始まると急に賞賛が始まつたり、外貨で珈琲が買えたり、空襲下の防空壕での生活等、初めて知る庶民の聲に興味津々でした。特に知つてるゐる場所やカフェが出て來ると、すぐに情景は浮かびますので、尚更人ごとではなく、ましてやフルトヴェングラーの演奏に勇氣附けられる人々の様子とか、日本人が感じた様が日本語で書かれてゐる事實は説得力があります。



Book

ベルリン戦争


著者:邦 正美

販売元:朝日新聞

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2007年2月12日 (月)

伯林中央驛

 マサトさんのブログ《伯林中央驛》に嵌つてゐます。伯林と云ふ街は、決して獨逸の真ん中に在る譯ではなく、どちらかと云ふとかなり波蘭寄り、東に位置してゐます。それ故、舊東獨逸の首都であり、また陸の孤嶋「西伯林」が在りました。私が住んでゐた1980年代後半は、將に冷戰の最中であり、西側の兵隊を見れば守られてゐると感じ、東を闊歩する露西亞兵を見れば、何時攻めて來るか判らないと云ふ緊迫感がありました。その癖、西伯林にはスキー・ゲレンデ以外なら、たいていのものが揃ひ、兵役を逃れた若人や、税金の優遇もあり、壁に取り囲まれた閉じた空間に華やいだ、開放的な雰圍氣がありました。

 現在、伯林のお住まひのマサトさんは自轉車で精力的に、近代の遺跡や遺構を訪ね、また映畫の舞臺を探し出し、新聞記事を翻譯し、今この瞬間の伯林の様子を、彼獨自の切り口で紹介してくれてゐます。昔、實際に歩いた場所やら、知ってる場所が幾度も出て來るだけで嬉しく、添附してある畫像で今の様子が解るのが尚更素敵です。ブログの題名《伯林中央驛》も以前は存在しませんでした。

 西側の玄関驛となると「動物園驛(Zoologischer Garten)」略して「ツォー」であり、東側は「フリードリヒ通り(Friedrichstrasse)」でした。「ツォー」は間近にパンダの居る動物園があることから、この名が附いたのでせうが、麻藥患者に酔っぱらひ、娼婦に男娼が居て、何となく薄ぼんやりとした、いかがわしい雰圍氣を漂はせてゐた所でした。24時間營業してゐる郵便局があるので、時折、國際電話を掛けたり、電話帳を引きに行つたり、勿論、日本へ小包や葉書を出しに出掛けた馴染みの場所でした。
 ワルシャワやモスクワからの列車も停まり、巴里行きの列車も出る國際驛でもありました。年金を貰ふ東のお年寄りが高架線下のスーパーでバナナや珍しい食材を買つて、東に戻る驛でもありました。併し、それは東西に分かれたからであつて、戰前は行き先別に巴里のやうな終着驛が幾つか在つたのです。特に巨大な「アンハルター驛(Anhalter Bahnhof)」は、建物正面(ファサード)の一部だけ殘され、いかにも廃墟と云ふうら寂れた感じがしたものです。現在は整地されて蹴球場になつたことも、《伯林中央驛》の記事を讀んで知りました。

 蹴球世界杯獨逸大會に合はせて、「伯林中央驛」が造られたのです。以前は、「レールター驛(Lehrter Bahnhof)」で市街電車の途中驛で、特に何もなかつたと記憶してゐます。幾年か前に訪ねた時はそこが工事で拡張され、新しくなる様でした。自身を深めたベルリナーたちは、この驛を新しい玄関として、人々を迎へ入れてゐることでせう。

ベルリン中央驛

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2007年2月 9日 (金)

かき氷

 下品な話しが續きましたが、今日は汚い話しではありません。昨年3月、新嘉坡(シンガポール)を訪ねた際に暑さと湿度にやられ、こてこてに甘い飲物でもすんなり喉を通り、涼を求めて、冷房のある建物に入り乍ら歩いてをりました。ふと見るとかき氷の繪があるので釣られて入り、特に色鮮やかな虹色を註文してみました。色とりどりな南洋の果物シロップが掛かり、複雑に味が絡まりとても美味しい。マンゴ、パイナップル、苺、ライチ…緑色は日本なら差詰め抹茶でせうが、何だらうと思つて口にした途端、強烈な匂ひに頭がクラクラします。保存が惡く腐敗した何かを口にしてしまつたかと思ひ、回りを見渡して、同じものを食べてゐる中國系の女性陣を見附けましたが、彼女達はニコニコしてゐます。それにしてもおかしいと思ひ乍らも、もう一口食べると、矢張りこの緑のシロップがとてつもない匂ひと味はひです。漸くそこで氣附きました。これが「ドリアン」でした。

 イボイボの附いた大きな薄い黄色の果物が露天商にも置いてありましたが、まさかかき氷に掛かつてゐるとは思ひもしません。涼しい店内と緑色の部分だけ殘して溶けつしまつた氷水が何だかみすぼらしかったです。

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2007年2月 8日 (木)

究極の選擇

 下品な話しの連續ですみません。強烈なお話しなので、これもお勸めはしません。

 コックさんとの食材の話しは尽きることがありません。阿川さんではありませんが、こんな食材は知つてゐるか、或ひは食べたことがあるか、何て話しは次から次へと出て來ます。でも、酔ひが回つた頃に誰かが言ひ出します。食べ物の「究極の選擇」を考へてみようと。漫畫『美味しんぼ』ではありませんが、これに對してはあれだとか、非常に難しいものがどんどん出されます。でも、結局は汚い話しに行き着いてしまひます。ごめんなさい。
 それでは「カレー味のウンコとウンコ味のカレー」とどっちなら食べられるかと訊かれたことがあります。私はどちらも勘辯して欲しいと言つたものの、「究極の選擇」だから二者擇一でそれ意外の答へはなしと語氣も強く迫りますが、たうたう答へられませんでした。



Book

美味しんぼ 98 (98)


著者:雁屋 哲

販売元:小学館

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2007年2月 7日 (水)

未消化

 うちのお客さんのブログに阿川弘之著『食味風々録』新潮文庫が紹介してあつたので、早速讀んでみました。もう何年も前かの觀艦式で阿川さんをお見掛けしたことがあります。我々は避難民のやうにして見學しますが、阿川さんはご招待であつたのでせう。士官室に招かれて、這入るところでした。さすが元帝國海軍軍人だけあつて、上背のある立派な背格好でした。

 さて、この本は随筆を纏めたものですが、その中に向田邦子さんとの對談の思ひ出が「ひじきの二度めし」に語られてゐます。「美味に就いて」の樂しいお話しで、珍しい食材を知つてゐるかと云ふことになりました。阿川さんは「蚊の目玉」と「栗鼠(リス)の糞」と云ふ珈琲を出したら、向田さんが「ひじきの二度めし」を出して來たのです。ネタバレとなりますので、讀んでみたい方はこの先はご遠慮下さい。然も、下品な話しです。ご注意下さい。

 中華材料のある云はれる「蚊の目玉」は蝙蝠(カウモリ)の糞を集めて濾して、未消化に殘つた蚊の目玉を集めたものがあり、非常に珍重されるさうです。「栗鼠の糞」とは、戰前の蘭領印度支那、ニューギニア嶋の最高の珈琲は、珈琲の花の萎みかけを栗鼠が好んで食べるのださうで、既にその中には小さく結實した粒があるのですが、未消化で排出されるので、それを土地の人が拾ひ集めて乾かし焙煎したものだとか。どうも動物の體内を潜り抜けることで、美味しくなるのでせう。
 そこで「ひじきの二度めし」となりますが、ひじきも殆ど消化されず、一寸ふくらんで排泄されるので、それを集めて、洗つてもう一度煮たものが『ひじきの二度めし』ださうです。海邊の貧しい人々には、ひじきは二度味はへる貴重な食材であつたのでせう。然も、二度目の方が美味しいと云ふ話し。本當かどうかも判りません。食べてみたいやうな、恐ろしいやうな「机以外の四つ足、飛行機以外の飛ぶもの」を食す中華料理を考へると滿更ぢゃないかも知れません。でも試してみたくはないですなあ。




食味風々録


Book

食味風々録


著者:阿川 弘之

販売元:新潮社

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2007年2月 6日 (火)

下手物

 澁谷の飲み屋街に下手物を食べさせる店が在りました。1980年代前半のことですし、店の名前も、細かい地形も全く覺へてゐませんから、既に無いと思ひます。普通な捨てるやうな部所や、蝗(イナゴ)の佃煮、蜂の子等珍しい食材を下手物と云ふのでせうが、そこは卑猥な形に拘つた店でした。下品な内容ですので、紳士淑女諸君は讀まないでをいて下さい。

 そこの焼きソーセージは、太めの立派な長さも備へたフランクフルター・ソーセージは焼いてあり、反り立つ形に盛り附けられ、上の方にはご丁寧にベーコンが巻かれ、根元にはキャベツが二つにこんもりと盛られ、浮いたソーセージの下に白いフレンチドレッシングが垂らしてあるものでした。一目見ただけで、女の子はキャーキャー言つて喜びます。男共は密かに自分のものと比べて、痛さうだからがぶりと頭から誰も喰ひ附かうとしません。それで、「あたしが!」大きな口を開けて、ニコニコ顔の彼女が口に入れると、これまた大騒ぎをしたものです。
 赤貝のお刺身なんかも、それはそっくりに盛り附けられ、真ん中に紅生姜まで入る懲りやうでした。學生が訪れる店ですから、そんなに高い所ではありませんでした。薄汚い小上がりの疊も毛羽立つたところに、薄い色の變はつた煎餅座布團も一緒に記憶に殘つてゐます。

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2007年2月 5日 (月)

孰れが上か

 學生の頃、オケの練習が終はつてそのまま飲み會に雪崩れ込み、詰まらないことで論議したものです。饅頭の餡は「漉し餡」と「粒餡」のどちらが美味いかと云ふものです。自分は漉し餡派なので、舌触りが氣にくはないとか、齒に殘る皮は厭だとか、散々相手を貶し、滑らかな舌触りがいいとか、つるりとした喉越しもいいとか、言ふのですが、所詮は主觀なのですから決着が附く譯がありません。孰れにしても同じ「饅頭」であり、それなら白餡はどうかと云ふ奴まで現れて、こんな下らないことに就いて真劍に論議しました。

 それはオケの好き嫌ひにも現れて、歐州系オケ vs 亞米利加系オケ、或ひは伯林フィル vs 維納フィル、維納國立歌劇場 vs ミラノ・スカラ座等だけでなく、最後は演奏者や歌手まで出て來ると、只のファン同士の諍ひのやうで、他から見てると實に莫迦げてゐた筈です。そんな輪に入らず、遠巻きに眺めてゐても「じゃあ、お前はどうなんだ」と尋ねられれば、當然孰れかの側に附くか、全く別ものを持ち出すしかなく、知らず知らずに引き込まれて、酔つた勢ひで大きな聲で主張するだけでした。無意味な割に妙に懐かしものです。

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2007年2月 2日 (金)

やっと

 だいぶよくなりました。立って靴下が履けるやうになり、どこかに掴まり乍らですが、しゃがめまるようにもなりました。足もだいぶ上がるやうになりましたので、上りの階段はゆっくり上がれます。但し、下りはまだスムーズに行きません。バリアフリーの手すりが有難かつたですね。體が不自由になつて初めて、年寄りの氣持ちも理解できました。やりたくても動かない。トイレのレバーを押すのも一苦勞するとは思ひも寄りませんでした。

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2007年2月 1日 (木)

足首

 腰をかばって歩くからか、足首、膝が痛くなりました。順調に治つて來てゐると思つて油斷したのかも知れません。ほんの少し卓子(テーブル)を動かしただけで、激痛です。お客さんに5人で來るなとは言へませんからねえ。今週一週間は靜かにせざるを得ません。

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