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2007年2月12日 (月)

伯林中央驛

 マサトさんのブログ《伯林中央驛》に嵌つてゐます。伯林と云ふ街は、決して獨逸の真ん中に在る譯ではなく、どちらかと云ふとかなり波蘭寄り、東に位置してゐます。それ故、舊東獨逸の首都であり、また陸の孤嶋「西伯林」が在りました。私が住んでゐた1980年代後半は、將に冷戰の最中であり、西側の兵隊を見れば守られてゐると感じ、東を闊歩する露西亞兵を見れば、何時攻めて來るか判らないと云ふ緊迫感がありました。その癖、西伯林にはスキー・ゲレンデ以外なら、たいていのものが揃ひ、兵役を逃れた若人や、税金の優遇もあり、壁に取り囲まれた閉じた空間に華やいだ、開放的な雰圍氣がありました。

 現在、伯林のお住まひのマサトさんは自轉車で精力的に、近代の遺跡や遺構を訪ね、また映畫の舞臺を探し出し、新聞記事を翻譯し、今この瞬間の伯林の様子を、彼獨自の切り口で紹介してくれてゐます。昔、實際に歩いた場所やら、知ってる場所が幾度も出て來るだけで嬉しく、添附してある畫像で今の様子が解るのが尚更素敵です。ブログの題名《伯林中央驛》も以前は存在しませんでした。

 西側の玄関驛となると「動物園驛(Zoologischer Garten)」略して「ツォー」であり、東側は「フリードリヒ通り(Friedrichstrasse)」でした。「ツォー」は間近にパンダの居る動物園があることから、この名が附いたのでせうが、麻藥患者に酔っぱらひ、娼婦に男娼が居て、何となく薄ぼんやりとした、いかがわしい雰圍氣を漂はせてゐた所でした。24時間營業してゐる郵便局があるので、時折、國際電話を掛けたり、電話帳を引きに行つたり、勿論、日本へ小包や葉書を出しに出掛けた馴染みの場所でした。
 ワルシャワやモスクワからの列車も停まり、巴里行きの列車も出る國際驛でもありました。年金を貰ふ東のお年寄りが高架線下のスーパーでバナナや珍しい食材を買つて、東に戻る驛でもありました。併し、それは東西に分かれたからであつて、戰前は行き先別に巴里のやうな終着驛が幾つか在つたのです。特に巨大な「アンハルター驛(Anhalter Bahnhof)」は、建物正面(ファサード)の一部だけ殘され、いかにも廃墟と云ふうら寂れた感じがしたものです。現在は整地されて蹴球場になつたことも、《伯林中央驛》の記事を讀んで知りました。

 蹴球世界杯獨逸大會に合はせて、「伯林中央驛」が造られたのです。以前は、「レールター驛(Lehrter Bahnhof)」で市街電車の途中驛で、特に何もなかつたと記憶してゐます。幾年か前に訪ねた時はそこが工事で拡張され、新しくなる様でした。自身を深めたベルリナーたちは、この驛を新しい玄関として、人々を迎へ入れてゐることでせう。

ベルリン中央驛

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