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2007年2月16日 (金)

シェーネベルク

 伯林では會社の用意してくれた2~3年しか住まない單身者赴任向けのアパートに住んでゐました。交差點の角に當たり5階とは云へ、最初の夏は暑くて自動車の騒音で寝られませんでした。通りの名はゲーベンシュトラーセ(Goebestrasse)、
地區はシェーネベルク(Schoeneberg)、直譯すると「美しが丘」です。19番の二階建てバスを利用して通つてゐましたが、地下鐵ではヨルクシュトラーセ(Yorkstrasse)が便利でした。退社後は友人と折半してほんの數件先の古いアパートの5階に引っ越しました。こちらは昇降機がない爲、エッチラ、オッチラ階段の上り下りがいい運動になりました。

 戰前にこの地區に住んでゐた人が指揮者の近衛秀麿です。自著 『シェーネベルク日記』 銀座書院 昭和5年發行(絶版)に拠れば、第一次大戰後の超インフレの時代に外貨を持つ戰勝國の外國人として結構優雅に暮らせたことが書かれてゐます。ニキッシュが亡くなりフルトヴェングラーに替はつたばかりの伯林フィルも、財政難で或る程度お金を出せば指揮することもでき、先に貴志祐介が振ったことや、伯林國立歌劇場の音樂監督エーリヒ・クライバーとの交流、フルトヴェングラーの練習を聽いたことや、ニキッシュの指揮の様子や、指導方法等思ひ出を樂しさうに語る樂團員の話しも珍しく、あっと云ふ間に讀んでしまひました。
 クライバーの家に遊びに行くと、近衛自身が新響(N響の前身)を振つたマーラーの交響曲第4番のSP盤を掛け乍ら、此処はかうした方がいいだとか、批評並びに指導された様子も詳しく書かれてゐます。人から借りたものですが、どうしても手元に置いておきたく、著作権が切れてゐることもあり、全頁を複寫して傍に置いてあります。

 ニキッシュは「瞳で射る」と云ふ位魅力的な人で浮き名を随分と流したやうです。まるで近衛は人ごとのやうに書いてゐますが、ご本人も第二次大戰後、米軍の捕虜収容所での訊問で「子供は何人だ」と訊かれて、直ぐに答へられず、係官が「何でそんな簡單なことが答へられない」と苛立つと、「今數へてゐます。」と言つたとか。
 正妻の他に幾人も相手をした爲、非嫡出子が大勢居たらしい。大野 芳著『近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男』 講談社に詳しい。

 さすが公家様だと今の我々からしてみると、女にだらしないのはフルトヴェングラーも同じで、とてつもなく魅力的な人に思へます。彼の殘した獨逸録音のSP盤には何か誇らしげに Viscount Hidemaro Konoye 「近衛秀麿子爵」と書かれてゐます。
 伯林フィルを振つたムソルグスキイの《禿げ山の一夜》 Deutsche Grammophon Gesellschaft 67259 LMと、ハイドンの《交響曲第91番 變ホ長調》 Decca PO5130/2は、自身の編曲により溌剌とした演奏です。これはCD復刻盤になつてゐます。歐米に實力を認められた指揮者が戰前に確かに居て、今は無い爵位を持つた人でした。




近衛秀麿―日本のオーケストラをつくった男


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