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2007年3月30日 (金)

マーラーの9番

 昨晩は古くから會員の方に頼んで切符を取つて頂き、讀賣日響の定期公演、マーラーの《交響曲第9番》を聽いて來ました。指揮は常任最後を飾るゲルト・アルブレヒト、場所はサントリーホール。2002(平成14)年の《パルジファル》の好演の噂を耳にしてその年の11月に《ワルキューレ》より1幕のみの演奏會形式を聽いたことが今も鮮明に殘つてゐます。
 クルト・モルのフンディングが抜群に冴えてゐて、表情や聲質、音量全てが他の獨唱者を凌駕して、貫禄がありました。オケもたぶん、《パルジファル》の稽古でアルブレヒトが鍛えに鍛え抜いたのでせう。下手は下手なりに緩急あつて非常に感動し、2幕、3幕が聽きたいと思つたものです。
 そのアルブレヒトが常任を辞める爲、その告別演奏會でありました。單に辞めるだけでなく、今までの功績が認められて2年に1度だけ振る桂冠指揮者へ格上げされた、と云ふ慶事も知りました。

 さて、演奏ですが、殘念乍らのっけから緊迫感が全然ありません。マーラーの9番は學生の頃、後輩が學生選抜のジュネスオケで演奏する爲、カセットテープ(20年前ですから)と総譜を渡されて、勉強してから聽きに來るやうに言はれ、必至に譜面を追ひ、朝から晩まで聽いたお陰で、ブルックナーの7番と共に非常によく知ってます。CDも、かみさんに飽きられる位山ほど揃つてゐます。
 維納宮廷歌劇場を追ひ出され、長女の死、そして自身の心臓病が重なり、かなり「死」を意識せざるを得なかった作品です。最後は「息絶えるやうに」との指示もある位に、観念の死ではなく、もう身近になつた「死」でした。それ故、9番と附けなかつた《大地の歌》の「永遠に」主題が9番の冒頭に浮かび揚がるのですが、ハープの音がでかくて釣り合ひが取れません。それと獨そ奏者が主題旋律を吹き終はるとブチッと電燈のスヰッチを切るが如くに止める爲、次の奏者への橋渡しができず、ぶつ切りの主題がボコボコ浮いた印象となりました。私が學生オケの頃でさへ、譜面通りとは云へ、さう云ふ利己主義な演奏は叱られたものですが、全體としてのオケを考へてゐないのでせうか。
 また、最初から緊迫感がないのが頭に來ます。アルブレヒトの告別として選んだ曲であればこそ、今までの感謝と尊敬の念を思ひ入れたっぷりに彈いて欲しいものの、さう云ふ深刻さがなくて、ただの定期演奏を早く終はらせたいと云ふ感じ。殘念です。1938(昭和13)年1月16日の樂友協會ホールでのブルーノ・ワルターと維納フィルの告別演奏を引き合ひに出すのは、氣の毒かも知れませんが、集中力がない緩いマーラー。
 レントラー風の踊りとなる2樂章も農民の踊りを手本としてゐるので、無骨でがさ附いた踊りがいいのですが、此処では盆踊りのやうな感じで、日本的な和はあるものの、物足りません。ところが、3樂章に入るや否や、ロンド・ブルレスケは疾風怒濤の勢ひで、バラバラになりさうでならない際どいところをずんずん進みます。はは~ん、後半ばっかり練習したなあと云ふのがバレバレ。
 そして最終樂章は大好きなアダージオ故、提琴のG線から繰り出される太い音に涙したいものです。ところが、どうも1樂章と同じで、各パート共しっかり演奏しても、全體のまとまりに繋がらないのが殘念。有機的な集まりとしての音だとか、渾然一體と云ふ感じが得られない。わざわざ音が混ざり易い2階席にしたにも拘はらず、音の渦に浸ることもできず、欲求不滿の内に終了。アルブレヒトはよく指示は出してをりましたが…
 

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