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2007年3月30日 (金)

マーラーの9番

 昨晩は古くから會員の方に頼んで切符を取つて頂き、讀賣日響の定期公演、マーラーの《交響曲第9番》を聽いて來ました。指揮は常任最後を飾るゲルト・アルブレヒト、場所はサントリーホール。2002(平成14)年の《パルジファル》の好演の噂を耳にしてその年の11月に《ワルキューレ》より1幕のみの演奏會形式を聽いたことが今も鮮明に殘つてゐます。
 クルト・モルのフンディングが抜群に冴えてゐて、表情や聲質、音量全てが他の獨唱者を凌駕して、貫禄がありました。オケもたぶん、《パルジファル》の稽古でアルブレヒトが鍛えに鍛え抜いたのでせう。下手は下手なりに緩急あつて非常に感動し、2幕、3幕が聽きたいと思つたものです。
 そのアルブレヒトが常任を辞める爲、その告別演奏會でありました。單に辞めるだけでなく、今までの功績が認められて2年に1度だけ振る桂冠指揮者へ格上げされた、と云ふ慶事も知りました。

 さて、演奏ですが、殘念乍らのっけから緊迫感が全然ありません。マーラーの9番は學生の頃、後輩が學生選抜のジュネスオケで演奏する爲、カセットテープ(20年前ですから)と総譜を渡されて、勉強してから聽きに來るやうに言はれ、必至に譜面を追ひ、朝から晩まで聽いたお陰で、ブルックナーの7番と共に非常によく知ってます。CDも、かみさんに飽きられる位山ほど揃つてゐます。
 維納宮廷歌劇場を追ひ出され、長女の死、そして自身の心臓病が重なり、かなり「死」を意識せざるを得なかった作品です。最後は「息絶えるやうに」との指示もある位に、観念の死ではなく、もう身近になつた「死」でした。それ故、9番と附けなかつた《大地の歌》の「永遠に」主題が9番の冒頭に浮かび揚がるのですが、ハープの音がでかくて釣り合ひが取れません。それと獨そ奏者が主題旋律を吹き終はるとブチッと電燈のスヰッチを切るが如くに止める爲、次の奏者への橋渡しができず、ぶつ切りの主題がボコボコ浮いた印象となりました。私が學生オケの頃でさへ、譜面通りとは云へ、さう云ふ利己主義な演奏は叱られたものですが、全體としてのオケを考へてゐないのでせうか。
 また、最初から緊迫感がないのが頭に來ます。アルブレヒトの告別として選んだ曲であればこそ、今までの感謝と尊敬の念を思ひ入れたっぷりに彈いて欲しいものの、さう云ふ深刻さがなくて、ただの定期演奏を早く終はらせたいと云ふ感じ。殘念です。1938(昭和13)年1月16日の樂友協會ホールでのブルーノ・ワルターと維納フィルの告別演奏を引き合ひに出すのは、氣の毒かも知れませんが、集中力がない緩いマーラー。
 レントラー風の踊りとなる2樂章も農民の踊りを手本としてゐるので、無骨でがさ附いた踊りがいいのですが、此処では盆踊りのやうな感じで、日本的な和はあるものの、物足りません。ところが、3樂章に入るや否や、ロンド・ブルレスケは疾風怒濤の勢ひで、バラバラになりさうでならない際どいところをずんずん進みます。はは~ん、後半ばっかり練習したなあと云ふのがバレバレ。
 そして最終樂章は大好きなアダージオ故、提琴のG線から繰り出される太い音に涙したいものです。ところが、どうも1樂章と同じで、各パート共しっかり演奏しても、全體のまとまりに繋がらないのが殘念。有機的な集まりとしての音だとか、渾然一體と云ふ感じが得られない。わざわざ音が混ざり易い2階席にしたにも拘はらず、音の渦に浸ることもできず、欲求不滿の内に終了。アルブレヒトはよく指示は出してをりましたが…
 

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2007年3月29日 (木)

白アスパラ

 今週から季節の野菜、白アスパラガスが登場です。

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2007年3月28日 (水)

メンテナンス

 今日はこのブログを管理しているココログさんのメンテナスで何も書けず。

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2007年3月27日 (火)

てふてふ夫人

 日曜日は當日券があることを思ひ出し、チケットぴあで購入して、新國のマチネへ。初めて觀る〈てふてふ夫人〉でした。カラスとカラヤン&スカラ座のCDに慣れ親しんではゐましたが、今まで一度も觀る機會もなく、雨の中並んでZ席を確保しました。4階左7番。所謂天井桟敷で側面の席故、舞臺は乘り出さないと觀られません。1,500圓故、文句は言へませんので、疲れたら背もたれに背中を附けて天井仰いで、音樂だけに浸る至福の時間。

 半圓の舞臺下手から上手へ階段が附き、上部奧には亞米利加の軍艦が入港してゐる証の星条旗がはためいてゐます。中央には障子と柱だけの簡素な家。上手から半圓に沿つて下へ下る坂。丘の中腹の家と云ふ設定のやうです。この間、〈和蘭人〉でがっかりさせられたオケでしたので、全く期待はしません。指揮者は若杉弘。雰圍氣は20年前と全く變はりないのに、颯爽と舞臺に上がるどころか、拍手が始まっても一向に姿を見せず、やきもきしてゐたら足取りもおぼつかない老人になつて居ました。まだ座らずに指揮する姿は以前と同じで、優しい眼差しを舞臺に投げ掛け、丁寧な指示を出してゐました。序曲から、ちゃんと音は出てます。

 舞臺は簡素でも、小道具が光りなかなか憎い演出(栗山民也)です。位牌、十字架、鏡、櫛、煙草盆、化粧道具、人力車、それだけでも明治の雰圍氣が出るので吃驚です。

 ジュゼッペ・ジャコミーニのピンカートンはご高齢故、双眼鏡で覗くとがっかりですが、聲は若々しく1幕最後の二重唱等、蝶々夫人(岡崎他加子)とも息が合つてました。クリストファー・ロバートソン演じるシャープレスは巨漢を生かして、品のある領事らしさ出て聲もよく通り抜群でした。他の歌手も粒が揃ひ、合唱のよく頑張つてました。

 併し、矢張りダメなのはオケ。生温い伴奏で、3年ぶりに長崎に寄港したピンカートンを今や遅し、と待ち續けて夜を明かす〈ハミング・コーラス〉の場面が泣けません。15歳で嫁入りして、ずっと信じ切つて、3年間も待たされた蝶々夫人の再會に向けた高まる気持ちと、なかなか現れない焦りと、兎に角待つだけの女性の儚(はかな)さが靜かなコーラスでぐっと感情移入される場所なんですが、なんとも中途半端な感じに終はつてしまひました。もっと激しく、強弱を附けて、拍子(テムポ)も揺らしてくれてゐたら、甘く切ない「旋律(メロディー)の天才」プッチーニらしさが出たと思ひます。

 儚さと力強さを表現したカラスとカラヤンの変幻自在な指揮で、どこまでも綺麗で美しく、甘い演奏のCDが矢張りお勸めです。カラスの聲だけで、もう痺(しびれ)れます。

 実在の蝶々夫人が誰か色々探られて來ましたが、結論から云へばグラバー邸で有名な蘇格蘭(スコットランド)商人トーマス・ブレイク・グラバーの妻、ツル本人や彼女から聞いた武士の話し等から日本女性の心像(イメージ)を編み出したとプログラムにありました。1904(明治37)年初演、日露戰爭開戰の年です。今度、演奏して頂く「プレイエルピアノ」が造られた翌年に當たるのですね。




プッチーニ:蝶々夫人 全曲


Music

プッチーニ:蝶々夫人 全曲


アーティスト:カラス(マリア),ミラノ・スカラ座合唱団

販売元:東芝EMI

発売日:2002/05/22

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2007年3月26日 (月)

地震お見舞ひ

 昨日は朝からでずっぱりで新聞もニュースも見なかつた爲、能登半嶋の大きな地震すら知りませんでした。輪嶋の箱瀬さんや大向高洲堂さんは無事でしたが、地震の被害に遭はれた方々にはお見舞ひ申し上げます。何もお手傳ひできないのは齒痒いところです。

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2007年3月23日 (金)

プリフィックス

 ディナーのプティ・メニュ(\4,800)は前菜4~5皿、主菜4~5皿からお選び頂く形式で、それに小さな一皿とデザートが附きます。以前は選べず、まあ言ふならばお仕着せでしたが、お客様自ら献立を組み立てるのがご好評頂いてをります。最近では、前菜を1皿追加してお二人で分けたり、主菜を追加して分けたり、色々工夫されてゐます。ですが、結構量は多いので、ひとりで主菜2皿はキツイとご指摘を受けました。

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2007年3月22日 (木)

シェフおすすめ

 現在、ベルランのディナーはGrand Menu (\8,400)とPrtit Menu (\4,800)の二種のみとなつてゐます。グラン・メニュはシェフお勸めのフルコースディナーで日替わり、ご豫約のみです。前菜2皿、魚料理、サラダ、肉料理、デザートの6皿が主で、季節の食材により色々です。最近の例では

Carpaccio de chevreuil froid
鹿肉の冷製

Oursin et langoustine avec riz
雲丹と手長海老 リゾット添へ

Grondin à la nage au safran
竹麦魚の蒸し煮 サフラン風味

Beignet de foie gras avec salade
フォア・グラのパイ包み揚げ サラダ添へ

Filet de veau sauté sauce aux truffes
仔牛フレ肉のソテー トリュフソース

Desserts assortis
デザート盛り合はせ

Café
珈 琲

給仕してる自分が食べたくなるので、困ります。

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2007年3月21日 (水)

春分の日

 本日は祝日故、お休みです。

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2007年3月20日 (火)

デジュネ

 晝食時は事務職の方々ばかりでなく、仕事の延長で來られる方も多くいらっしゃいます。そんな時は真ん中のコース、ずばり「デジュネ」\3,150がお觀めです。佛蘭西語の「ランチ」ですが、アミューズ・グール(小さな一口)、前菜2品から選擇、主菜も2品からの選擇、そしてデザートに大きいカップでの珈琲です。
 ただ、お仕事熱心で、型録を大きく廣げ、丁々發止の遣り取りもよいのですが、そんなに熱中すると料理の味なんか判らなくならないか心配です。

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2007年3月19日 (月)

スペシャル・ランチ

 11時30分から14時までの晝食時間には、定食をお出ししてゐます。近頃、事務方の若い女性に人氣なのが、限定20名様の「スペシャル・ランチ」です。以前は入りの少ない木曜日だけで始めたものですが、豫想以上に反響があり、營業してゐます平日の毎日、ご提供と相成りました。併し、未だに木曜日だけだと勘違ひしてゐる方も多く、男女の差別なくご提供してゐるにも拘はらず「レディースランチ」と勝手に信じてゐる方もあり、なかなかご理解頂けてゐない模様です。朝の準備の段階で黒板を外に出して、その日の内容も早めに告知するやうにもしてゐます。

 簡單な前菜に主菜の2皿で1,050圓と毎日でも、一寸贅澤なランチとして食べられる價格です。我々としては、日々安價であり乍ら、お腹いっぱいになる食材を探して、2~3日毎に變へてをり、企業努力をしてをります。 私共はビストロとは云へフレンチレストランの係累ですので、きちんとご豫約も受附けてをります。11時半の開店と同時に座る方も増え、殆ど12時までに終はつてしまひます。折角、いらして頂いても、お斷りすることも増えて來てしまひました。「たかがランチ」されどランチですので、いらっしゃる5分前にでも、お電話で確認を頂けると嬉しいのですが…。

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2007年3月16日 (金)

シノワズリー

 以前、梅屋さんで中國趣味(シノワズリー)の蓄音機を見せて頂いたことがあります。全面に中國風な模様が凹凸を附けて、まるで漆塗りのやうにラッカーと金で仕上げてあり、なかなかの風格がありました。蓄音機としては、ヴィクター社のクレデンサが元であつたと思ひますので、HMV好きな私には音としての魅力は特に優れてゐるとは思へませんでしたが、見たこともない中國の繪を真似して描いた西洋の職人魂のこもつた作品でした。實際に日本から歐米に渡つた漆器も多いと聞きますが、乾燥した部屋に100年以上鎮座してゐるので随分と傷んでゐると耳にしました。修復するのもたいへんでせうねえ。

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2007年3月15日 (木)

プレイエルピアノ

 夏まで企畫を次々と立ち上げてしまひ、その準備にも追はれてゐます。ショパンに愛された佛蘭西の老舗「プレイエル」社の洋琴を使つた「サロン演奏及び晩餐會」を5月19日(土)に開きます。
 佛プレイエル社よりプレイエル販賣専門店として認定されてゐます、(株)國立樂器 サロン・ド・ノアンさんの企畫協力・樂器提供により、1903(明治36)年製、プレイエル3型「中國趣味(シノワズリー)」の特注大型三脚洋琴(グランド・ピアノ)をお持ち頂き、演奏者に林川 崇及び松原 聡の兩氏を迎へして、プレイエルやジョルジュ・サンド縁の作曲家の作品を聽くことになりました。古き佳き時代(ベル・エポック)を彷彿とさせるベルランならではの優雅なひとときをお過ごし頂けると嬉しいです。

 プレイエル社は、1807(文化4)年に墺地利の作曲家、イグナース・プレイエルにより創設された洋琴製作會社です。「洋琴とは演奏者の聲としての樂器であり、そして藝術品であるべき」と考へ、その生涯を樂器創りに捧げ、プレイエル社の洋琴は著名な音樂家たちに愛好され、演奏されて來ました。
 特にフレデリック・ショパンはその音色を「銀の鈴を鳴らしたやうな柔らかな音色」と表現し、このプレイエルを愛しました。それ故、當日の料理はショパンの愛人サンド家に傳はる傳統料理を豫定してゐます。
 ノアンに在るサンド家の館にはショパンだけでなく、リストやフローベル等藝術家や文人も出入りしました。このジョルジュ・サンド縁の晩餐も資料集めに取り掛かりました。その土地のワインに就いても調べ出しましたが、揃へられるかやや不安ですが、シャムパーニュ、白ワイン、赤ワイン、甘口ワインを前菜、魚料理、肉料理、デザートに合ふやうに組み合はせます。

演奏豫定曲として
プレイエル: 6つのソナチネより第2,5,6番
ロッシーニ(リスト編曲): 《音樂の夜會》 第1番
ショパン: 《24の前奏曲集》 作品28より
ショパン: 圓舞曲(ワルツ)、波蘭農民舞曲(マズルカ)
ショパン: 夜想曲(ノクターン)第2番、第8番
波蘭民族舞踊曲(ポロネーズ)《英雄》 他
が擧げられてゐます。

 お二人は既に《プレイエル・ピアノを楽しむ夜會》を開催し、好評を博してをり、この「シノワズリー・ピアノ」を熟知した演奏者がどんな風に奏でるか樂しみです。

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2007年3月14日 (水)

ワーグナー好き

 先日、新國立歌劇場で《彷徨える和蘭人》を觀たばかりでしたが、秋には伯林國立歌劇場が《トリスタンとイゾルデ》を、そしてドレスデン國立歌劇場が《タンホイザー》を上演する等、何だかワーグナー憑いてゐます。それに事足りず、自分で輪を掛けるやうにして、うちの「蓄音機の會」でもワーグナー特輯を組んでしまひました。

 第66回 2007年4月7日(土)
樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕終幕部分
 ベーム指揮 ザクセン歌劇場管絃樂團 Victor DM538-21/30

 第67回 2007年5月12日(土)
序曲&前奏曲集
 《リエンチ》、《和蘭人》序曲、《ローエングリン》、《トリスタン》《パルジファル》前奏曲等

 第68回 2007年6月2日(土)
フラグスタート&メルヒオール特輯
 《ローエングリン》より〈初夜の場〉、《トリスタン》より〈愛の二重唱〉、《神々の黄昏》より〈ブリュンヒルデの自己犠牲〉等

 第69回 2007年7月7日(土)
樂劇《ワルキューレ》第2幕全曲
 ザイドラー=ヴィンクラー指揮 伯林國立歌劇場管(1,2,4場) & ワルター指揮 維納フィル(3,5場)

 第70回 2007年9月8日(土)
アクースティック(ラッパ)吹込みの歌手たち

 昨年のバイロイト詣でから、思ひも一入に、4月21日(土)にはワーグナー研究家の吉田真さんをお招きして「SP期に於けるバイロイト録音」と題して、1927年のヘスリン指揮の〈ワルキューレの騎行〉 Columbia L2017、ムック指揮の〈最後の愛餐に〉 Columbia L2008/10、ジークフリート・ワーグナー指揮の〈聖金曜日の音樂〉Columbia L2013/14A等初期電氣録音から、1936(昭和11)年のヴィニフレート&ヒトラー體制下の録音まで聞きます。江戸川アーカイブのご協力により、とてつもないSP盤が集まり、當日が今からとても樂しみです。その前に『ベルラン通信』を書かねばなりませんが…

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2007年3月13日 (火)

電磁波フォローゲン

 近頃、猥褻サイトからの不快なリンクが張られたコメントが多く、一定期間が過ぎるとコメントを受け附けないやうに設定してゐます。2007年1月24日 (水)の「大丈夫かIH?」に對して、三浦正悦氏よりご指摘を受けましたので、そのまま記載致します。

>電磁波對策を講じた日本の家では、何とかザルツブルクの基準を滿たしても、
>フォローゲンの指針値まで行かないさうです。

このフォローゲンに関しては、詳細をもう少し精査すべきかもしれません。
私の調査では、この規定は提案されたかもしれませんが
1998年のWollongon(フォローゲンは誤り)市議会の議決では
ザルツブルグより甘い0.2マイクロW/cm2になっています。

私のWEBにはこの精査の結果を公開してあります。

以上

三浦正悦
電磁波バイオエフェクトコンサルタント
電磁波の生体影響に関する学術学会Bio Electromagnetics Societyの会員

WEB:電磁波健康影響講座
著書:電磁界の健康影響 2004年 東京電機大学出版局 
WEB:電気と切手の世界
著書:おもしろ電気通信史 2003年 総合電子出版

建築雑誌の記事を鵜呑みにして、そのまま記載した私の失態です。
お詫びをすると共に、三浦氏のサイトをご覧頂ければと存知ます。
失禮致しました。

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2007年3月12日 (月)

風邪

 先週後半から風邪引きで、藥の所爲で頭が回りません。ブログはお休み致します。

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2007年3月 9日 (金)

雲丹イクラ丼

 生ものを載せる「海鮮丼」も鮮度がよければ旨いものです。小名濱の魚市場の2階「市場食堂」で食べた「海鮮丼」ははみ出る位の豐富な魚介に、ご飯お代はり自由と云ふとてつもない大サービスでした。澤山の魚介が載らなくても、生雲丹とイクラが載るだけでも美味しいものです。正確に云へば孰れも捕れ立ての「生」ではなく、箱に入つた生雲丹は保存も考へ、明礬水に漬けた「生雲丹」で、鮭の腹から取り出した「筋子」を下処理した「イクラ」です。これは酢飯でなくて、温かいご飯で食べたいですね。函館の市場で食べたものが忘れられません。

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2007年3月 8日 (木)

親子丼

 玉子でとじる丼にはトンカツと玉子の「カツ丼」だけでなく、鶏肉と玉子の「親子丼」、豚肉と玉子で「他人丼」もありますね。「親子丼」も凝り出すと、やがては初めて案されたと云ふ「玉ひで」へ行かねばならないでせう。軍鶏鍋屋さんでしたが、HPに依れば「明治の半ば、簡単に食することのできる 、時代に即した食物として玉ひで五代目の妻女山田とくの創案」ださうです。軍鶏と玉子に、醤油と味醂の甘いタレと來れば、東京の代表的な味はひとなります。
 生憎、前を通つたことは幾度もあるのですが、時間が合はなかつたりでまだ訪れたことがありません。専ら蕎麦屋で食べる処か、シェフの作る賄ひです。これはこれで格別です。

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2007年3月 7日 (水)

鰻丼

 丼御三家と勝手に名附けるとすれば、殘るひとつは「鰻丼」でせうか。中入れであれば尚更いいとは思ひますが、食べ切れないのが殘念。鰻が捌かれて焼かれてゐる間に大抵酒を飲んでしまふと、もうご飯が全然入りません。ほんの一口あればよくて、最後は蒲焼きだけで十分になつてしまひます。或ひは輕い「鰻重」でもOKです。

 鰻の焼き方には皆さん五月蠅いことと思ひます。関東風の背開きしたものを2つに切り、蒸してから串焼きか、関西風に腹開きにした「まむし」1本丸々串焼きか、により随分趣が違ひます。私はどちらも好きです。それぞれ柔らかさ、齒應への良さがあるので、兩方共好きです。名古屋では「櫃まぶし」なんてものもありますね。母の實家が在る岐阜では、関西風の焼き方ですが、鰻丼には小さく切つたものが載り、溜まり醤油の甘いタレがこれまた素敵です。鯉の洗ひと共に供されることが多いのも、海のない縣だからでせうか。

 東京では天然物を扱ひ、ワインも豐富な「野田岩」とか、柴又の川魚料理「川千家」だとか有名店も多い中で、築地の「宮川本廛 総本店」が好きです。化学調味料を使はない、上品なタレが素晴らしい。本物の漆器のお重もよく、山葵醤油で頂く「白焼き」も柔らかくて美味しい。精の附く感じがしますね。

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2007年3月 6日 (火)

天丼

 揚げ物はシャキッとした齒触りがとても好きで、出前の天丼が大嫌ひでした。味が染み込んでゐるとは云へ、ベチャッとした感じが美味しさうには見えず、箸で持ち上げた途端に衣でも落ちようものならがっかりします。できれば天麩羅の定食の最後にでも、掻き揚げをサッとタレを潜らせてご飯の上に載せたものがいいですね。

 神田の「いもや」は親父さんが揚げてゐる頃は古本探しに疲れるとよく寄つたものですが、忙しい時間帶にバイトのお兄ちゃんが客の來る前から、どんどん揚げてしまつてべちゃっとして、がっかりした記憶があります。淺草の雷門傍の「三定」は胡麻油の香ばし香りが店先からして來ますが、胃袋の小さい私としては、重たいので食べ切るのがたいへんでした。もう15年位前からずっと贔屓にしてゐるのは甲府の「M」です。勝手に書いて迷惑を掛けてもゐけないので、頭文字だけにしてをきます。

 夜はおまかせコースしかありませんが、季節の野菜や旬の魚を揚げてくれます。山菜だとか、葡萄に桃、菊の花であつたり、風情があり、私が豫約を入れると1箇月も前からご主人は體調を整へ、山に食材探しに行つてくれたり、特別に釣りに行つてくれたり、最高のもてなしをして下さいます。併し、他のお客さんが奥座敷にでも入ると、途中で集中力が削がれるのが厭だと云ふ職人さんです。カウンターで揚げるところを見るのもよく、山梨辯のほのぼのとした會話も素敵です。でも年に一度くらいしか行けないのが殘念ですが、ご主人曰く「そんなに何度も來られたらたまったもんぢゃない」と笑つてゐます。

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2007年3月 5日 (月)

カツ丼

 先月、大阪へ家族で遊びに行つたのですが、大阪港の天保山觀覧車や甚兵衛鮫の居る「海族館」へ行き、お晝はその「天保山マーケットプレース」内のフードコートで食べました。最初は「なにわ食いしんぼ横丁」でと考へましたが、長蛇の列に諦め、フードコートにしました。小さな出店が並び、中央の卓子で食べる形式ですから、違ふ分野の料理でも、一緒に食べられる利點があります。そこで私はごく普通の「ミニカツ丼と饂飩(うどん)のセット」を食べた譯です。
 東京でそんな千圓もしないやうなもので、期待するのは間違ひですが、滅茶苦茶、旨いのです。饂飩は出汁のきいた色の薄い関西風で、それに油揚げだけの簡單なのに味がある。カツ丼はまづちゃんと温かいし、カツがきちんとカラッと揚がってゐる。適度な固さのご飯の上に、玉子トジが絶妙な柔らかさで、濃いめの味がしっかり浸みてゐました。たかが、カツ丼、されどカツ丼。東京のフードコートでこんな味はひ深いのを食べたことがありませんでした。勿論、トンカツ専門店で美味いのは澤山あります。

 祖父の代から贔屓にしてゐるのは銀座の「梅林」。新橋から中央通りを歩いて、確か資生堂さんの所を左折した2軒目位のビル1階です。誰だかが名附けた駄洒落「珍豚美人(チン・トン・シャン)」と豚美人が三味線を彈く圖も描かれてゐます。祖母はよく店名ではなく、「珍む豚美人へ行かう」と言つてましたので、愛稱なのでせう。
 カウンターで食べる二度揚げしたフィレが私の好みで、美味いです。此処にもカツ丼があり、蕎麦屋とは比べものにならない魅惑の厚みのロースカツが載つて來ます。お持ち歸へりの「サンドヰッチ」を觀劇に持つて行く人もあるのだとか。

 創業、昭和2年(1927年)ですから、もう老舗の内でせう。上野には名匠、小津安二郎が通つた「蓬莱屋」のヒレカツ、「双葉」「伊泉」に「ぽんた」と名店揃ひです。目黒にも「とんき」だとかトンカツ屋が多く在りますね。神田にも「いもや」と云ふ定食屋のトンカツが安くてうまい部類に入ります。カツ丼は震災以降に流行つたものですが、丼ご飯に具を載せることを考へた人は素晴らしい。立ったままでも食べたのでせうねえ。今週は丼に就いて。

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2007年3月 2日 (金)

怖い話し

 13日の金曜日には過去恐ろしい記憶があるのですが、それはまた次の機會に致しませう。怖い話しと云ふのは幾らでも身近にあります。コンビニに夏になると置いてある、幽靈觀光案内はもっと怖くてこれは一度手にしましたが、チラッと覗いただけで、買ふことも憚られました。實際に起きた事件の跡地、或ひは幽靈屋敷、トンネルの類が道案内で詳しく書かれてゐます。かうなるともう自分から災ひを招き入れるも同じです。小説を讀んでゐるだけなら、想像の世界ですが、實際に足を運んで連れて歸へつてしまつたら、飛んでもないことになるでせう。

 實録ものの中では平山夢明の著作は、ご本人の意思よりも書かされてゐる感じださうです。世に知つて貰ひたいのは、死せる人々も同じなのでせうか。『怖い本』や『東京傳説』はシーズで澤山出てゐます。一人暮らしの女性が忍び込んだ暴漢に襲はれたり、描寫が的確で顔を背けたくなるやうな話も多いのですが、目が離せなくなつてしまひます。その中に携帶電話の話がありました。景品で貰つたものがよく繋がるから、と始終掛けてゐたら耳から血が出て、つひには廢人になると云ふもの。強力な電磁波で腦障害を起こしたからです。

 だいたいなんで、今週はこんな話しばかりになつたのでせう。私も誰かに書かされてゐるのかも知れません。




怖い本〈6〉


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東京伝説―渇いた街の怖い話


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2007年3月 1日 (木)

2004年8月13日(金)

 今思ひ返しても不思議なことばかりの續いた日でした。當時、友人に書き送つたメールが取つてあつたので、實名は外し、一部書き加へて此処に載せませう。

 13日の金曜日の朝、起きると自然と『新耳袋』を手にしており、これは今日一日に讀めってことだなあと漠然と感じたのです。この日は友達夫婦と一緒に遊ぶ豫定でした(夏期休暇中)。晝食は何処にしようと云ふので、恵比寿のピザ屋で旨い所があるので、其処へ行きませうと事前に決めてありました。さあ當日、前の日に用意して置いた筈の麻の開襟シャツは急に止めにして、格子柄の半袖ボタンダウンに、黒いナイキは止めて、白いドライヴィングシューズに。帽子もカンカン帽を止めて、パナマ帽にしたり、事前に決めた筈が突然その場で突き動かされるやうにして變はり、私の意思が反映されてゐないことに氣附きました。「これはおかしい」とその友人にも怒濤のやうにそれまでの經緯を知らせ、今日はなすがままにお附き合ひ下さいと了承してもらひました。なんとかしっかりしようと思ふものの、何かに脅えざるを得ません。

 レストランに入ると何故か、ピザ屋なのにひとりスパゲッティを注文し、この後どうしませうかと云ふので「琳派」を見に行きませうと切符を出したら、まだやってゐません。何か特別展を東京都美術館でやつてゐた氣がするので、行きませうと山の手線に乘りました。山の手線内の廣告で「四川文明展」をやつてあることがわかつたのですが、それが目的ではないことは何故か明白な感じがするのです。それで上野公園に一緒に行き、これも妙な話しですが、取り敢へず美術館の方向へ歩いて行くと、舊岩崎庭園の看板があり、嗚呼、これだと思ひ「是非行きませう」と行つて洋館を見てゐると、だんだん氣持ちが落ち着いて來るのが自分でもわかります。どうやら此処に呼ばれたらしいと。

 それで和室の方へ移ると狩野派の流れを汲む人の富士山の絵が床の間に描いてある座敷へと辿り着きました。暑い日で、勿論冷房もないのですが、前庭からの風も氣持ちよく、富士山を背に腰を下ろしました。そのまま大の字になりたい位の開放感です。するとご主人には仕事の電話が入り中座し、奥様はその間にお手洗ひに行かれ、私ひとり薄暗い座敷に殘されたのですが、何とも氣持ちよくて、すっかり肩の荷が下りた感じでした。

 そして庭園を出ると靈感の強い奥様から「随分とお顔が晴れやかになりましたね」と云はれて、はたと感じたのは、どうもあの富士山に呼ばれてゐたらしいこと。

 併し、これにはまだ續きがあります。お茶をしてから夕飯はどうしませうか、と聞かれてもこちらはその日獨り身故特に豫定などある筈もなく、氣分もすっきりしたことだし、飲みませう、と誘はれるままに品川の「翁」と云ふ蕎麦屋へ出掛けました。兎に角晴れやかな感じでしたが、どうして富士山かわかりません。蕎麦味噌をつつき乍ら、酒を酌み交はし、やっと思ひ出したのは先週末に横山大觀の「海山十題」を藝大美術館で見て至く感動したことです。それに今日の岩崎邸の床の間で、11枚も富士山を見たんだと云ふ側から、7月に山中湖へ行つた時に知人の舊宅の居間にどでかい富士山の絵を見たことに氣附きました。

 それで12枚、13日の金曜日だからきっと13枚の筈なのに、腑に落ちません。するとご主人が「あっ、此処にもある」と指さすと富士山の寫眞に色附けした絵でした。前からずっとそこに掛かつてゐたけれども、氣附かずにこの店に行かうと誘つたと云ふのです。それで全て13枚を見て、すっきりしました。

 だから何と云ふほどでもありません。何故富士山を13枚見させられたのか全く解りません。何とも不思議な體驗でした。これを「怪」と呼ぶのでせう。その日家に戻り、『新耳袋』の續きを讀みましたが、先にずっと怪に触れた爲か何も起こらず靜かに日附が變はりました。

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