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2007年4月28日 (土)

黄金週間

 4月28日(土)~5月6日(日)の黄金週間はお休みを頂きます。

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2007年4月27日 (金)

ヒトラー 最期の12日間

 『伯林天使の詩』主演のブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた『ヒトラー 最期の12日間』(2006)も觀ました。元ヒトラーの秘書であつたトラウデル・ユンゲや、生き殘つた側近たちの証言を繋ぎ合はせて、伯林の防空壕での最期の日々を赤裸々に再現したもの。彼女の本は『私はヒトラーの秘書だった』草思社として、日本語でも讀めます。
 再現映畫としては、蘇聯のそっくりさん俳優を使つた超長編『大祖國戰爭』の『伯林陥落』(1949)が思ひ出されますが、こちらは金に糸目を附けず、戰利品として略奪した本物の戰車とかが出て來るので、それはそれでリアルであります。

 しかし、ガンツ演じるヒトラーは女性に優しく微笑むものの、睡眠藥の所爲で手は痺れ、誇大妄想な発想で全く實現不可能としか考へられない作戰を熱く語ります。でぶな空軍大將げーリング、細くて神経質な親衛隊長ヘス、職務に忠實でも現實的な軍需大臣シュペアー、子供を毒殺するゲッペルス夫妻、歴史として讀んだ事柄が順を追って、丁寧に、もれなくゲルマン的律儀さで再現されて行きます。

 獨逸人が歴史的事實として、思想とか抜きに、過去に對して正面から向かつてゐることが解ります。こんな男に未來を任せてしまつた失敗談としても考へられるかも知れません。今日、我々がナチスを批判するのは、簡單です。でも、もしも、當時のヒトラー配下で言はれままに働く部下であつたら、ユダヤ人虐殺に對して「ナイン」と言へるでせうか。自分の命を懸けて、反對意見を言へるのでせうか。色々考へさせられます。



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著者:トラウデル・ユンゲ

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2007年4月26日 (木)

伯林天使の詩

 もともと、フランクフルトの新店配屬の筈が、店舗そのものがメッセ近くから動物園近くに變はり、當然設計も變更され、遅れに遅れ、そのお陰で伯林に住むことになりました。1987(昭和62)年の春、延び延びになつてゐた開店が本決まりとなり、假從業員の伯林店からフランクフルト店へ移りました。併し、煉瓦運びやら、什器の清掃、搬入、開店までも時間がかかり、統一されてゐた筈のマニュアルが各店舗毎違つてゐて戸惑ひ、毎日憂鬱な氣分でした。
 それまで餘りに伯林生活を非常に樂しんだ爲、離れがたく、伯林フィルや歌劇場を殘り少なくなつた公休日に巡り、壁を寫眞に撮り直し、名殘り惜しく過ごしたことが、毎晩思ひ出されました。斷腸の思ひで轉勤して、最初に觀た映畫が、この『伯林天使の詩』でした。ロード・ムーヴィーの得意なヴィム・ヴェンダース監督が現在の伯林を舞臺に、天使が人になることを描いたこの映畫を見て涙しました。嗚呼、この橋は渡つたことがあり、このカフェを知ってる、防空壕跡も知ってる、勝利の塔へ登つたことがある、圖書館も知ってる、此処も彼処も知ってる… 天使の視線は自分の思ひ出であり、同じ目線でした。知ってゐても、もう住人ではない悲しさ、夢のやうな話しと共に思ひ出が回り、映畫が終はつても暫く立ち上がれない位でした。

 天使のダニエルは、人々に寄り添ひ、心の聲を聞きますが、聞くだけで願ひを叶えることはできません。元天使のピーター・フォークがロケで伯林を訪ねて來ると、向かうにはこちらの姿が見えます。人の聲ばかりを聞くのが仕事なのですが、何時しかサーカスの空中ブランコの女性に戀をしてしまひ、人となって彼女を抱きしめたいと願ふやうになります。

 天使の視線がずっと白黒なのでいい味はひです。原題は「Der Himmel ueber Berlin」、直譯すると「伯林上空の天國」となりませうか。ピーター・フォークが飛行機に乘つて伯林上空へ來る時から、東に遮られた特異な西伯林と云ふ都市を思ひ浮かべられます。ナチス時代の映畫撮りの爲に來てゐるのですが、獨り言のやうに、ぼそぼそ呟くフォークの科白もよく、ロケに使ふ古い自動車が走ると、中から外を撮った敗戰直後の瓦礫の中を走る映像が映し出され、伯林と云ふ街そのものが主題となつてゐます。 

 金融都市フランクフルトでは住む人の温かみを感じられず、人種差別も激しく、同じ獨逸とは思へなかつた時期に、懐かしい伯林と云ふ文字だけで映畫館に入つた、その絶望にも似た氣持ちが忘れられません。でも、出て來る時に、夢も希望も携へ、元氣に足を踏み出すことができました。心温まる映畫です。



ベルリン・天使の詩 デジタルニューマスター版


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2007年4月25日 (水)

グランド・ホテル

 伯林を舞臺としてゐる映畫として名高いのが、グレタ・ガルボ主演の『グランド・ホテル』(1932)でせうか。限られた空間の中で、様々な人が出入りして、違ふ事件の重なり合ひが、最終的に旨く大團圓へ向かふには、演出の善し惡しが問はれます。三谷幸喜監督作品『THE 有頂天ホテル』(2006)も、同じ手法で描かれてゐますが、こちらは最新設備の新館と昔乍らの舊館の違ひを生かし、全然違ふことをしてゐた從業員や客が大晦日の年越しおパーティーへと結び附く樂しい映畫です。

 現在、ブランデンブルク門脇、ウンター・デン・リンデンに面して建つ、再建された「ホテル・アドロン」がその舞臺と云はれてゐます。社交界の人々が出入りしたその昔の榮華はなく、單に高額高級ホテルの感じです。泊まつてゐるのは、亞米利加人觀光客ばかりに見受けられました。此処のレストランが佛蘭西料理屋として評判がよいらしく、その内、是非、一度は訪ねてみたいです。

 過去に引き擦るバレリーナ、フォン・ガイゲルン男爵は賭博で全財産を擦り、窃盗團に身をやつし彼女の真珠の首飾りを狙ふ泥棒となり、會社が傾いた婿社長は、新しく速記者を雇ふが性的魅力に溢れてうぃる、また、會社の帳簿係をしてゐたが健康を害して自暴自棄になつて、冥土の土産にへそくりでグランド・ホテルに泊まる老人、そんな人々がホテルで過ごす一日半。オペラ・ブッファは朝から晩までの一日なので、一寸長いですが、笑いあり、涙あり、人生模様を描き、優雅な上流階級とは云へ、見てくればかりだと教へてくれます。

 ガルボの陰影に富んだ美しさが特に光ります。全編、セットでの撮影ですが、手間に引く扉式の昇降機だとか、歐州らしさが所々に出てゐる、舊き善き時代のハリウッド映畫です。



グランド・ホテル


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グランド・ホテル


販売元:ファーストトレーディング

発売日:2006/12/14

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THE 有頂天ホテル スタンダード・エディション


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販売元:東宝

発売日:2006/08/11

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2007年4月24日 (火)

引き裂かれたカーテン

 共産主義と資本主義の東西冷戰により「鐵のカーテン」ができたと言つたのは、英國元首相のチャーチルです。1946(昭和21)年3月、招かれた亞米利加ミズーリ州、フルトン大學に於ける演説で使つてゐます。併し、國家社會主義獨逸勞働者黨(ナチス)の宣傳相ゲッベルスがそれより1年も前に、この言葉を雑誌に寄稿してたらしく、また、遡れば蘇連の作家、レフ・ニクーリンが随筆(エッセイ)の中で、東西陣営の緊張を表す言葉として使つてゐるので、チャーチルが本家ではないものの、演説と共に有名になつた模様です。

 さて、80年代後半の西伯林に住んでゐた者にとつては、冷戰の最前線でしたから、毎日肌に感じることでした。東への玄關口、フリードリヒ・シュトラーセ驛へ行くと、西側の認めてゐない免税店もちゃんとあり、煙草やウォッカが格安で買える爲、一般人だけでなく浮浪者でもわざわざ買ひに行く程でした。

 サスペンスの神様、アルフレッド・ヒッチコック監督作品 『引き裂かれたカーテン』(1966)は、この冷戰下の様子をよく描いてゐました。米國宇宙委員會の物理學者マイケル(ポール・ニューマン)は、奇妙な電報を受け取り、單身東伯林へ向かひます。何も知らない婚約者のセーラ(ジュリー・アンドリュース)も東側へ連いて來てしまひます。行つてみると、核兵器研究の爲に亡命したことになつてゐます。併し、この亡命は囮であり、理論上の空白を埋めた東側の博士からこの軍事情報を盗み、西側に戻ると云ふものでした。

 ヒッチコックの記念すべき50本目の監督作であり、拳銃や刃物を使はずに延々5分に及ぶ殺害シーンを描く等、公開當時から話題となつたものです。バレリーナが舞臺でクルクル回る間に、マイケル博士を見附けて通報したり、東伯林の雰圍氣が80年代とたいして變はらず描かれてゐたり、囮のバスに地元のお婆さんがさうとは知らずに乘り込んで來たり、黒板に書いて行く物理の公式で秘密を理解するところ、ハラハラ・ドキドキものが澤山あります。東獨逸は1950年代二輪の世界大會でもかなり上位を占めてゐましたし、80年代の五輪ではドーピングで強かつたり、歌劇場や管絃樂團の技術は高く、西側との技術的格差は少ない部分も多かつたのです。併し、東側を歩けば、安いだけの粗惡品とクソ不味いソーセージ、高いカカオを微量しか使かず甘ったるいチョコレートケーキが賣られ、効率を考へず、愛想のない勞働意欲のない賣り子、有毒排氣瓦斯をまき散らす紙製のトラヴィ(自動車)、監視小屋、システムの破綻が露呈してゐました。



引き裂かれたカーテン


DVD

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販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

発売日:2007/06/14

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2007年4月23日 (月)

ワン・ツー・スリー

 「伯林中央驛」のMASATOさんがブログの中で紹介してゐた、ビリー・ワイルダー監督作品 『ワン・ツー・スリー』1961(昭和36)年 のDVDを購入して觀ました。白黒、108分のコメディーなのですが、壁が造られたばかりの伯林を舞臺に、冷戰や共産主義も資本主義も笑ひ飛ばしてゐます。當時は餘りに現實的で全然受けなかつたらしいのですが、80年代から見直されたと云ふのも納得します。

 主演のジェームズ・ギャグニーは西伯林に在るコカ・コーラの支店長。蘇聯との契約を取り、失地挽回して倫敦支店長になるのが夢です。突然、アトランタのから、社長の娘の觀光と世話を頼まれます。お嬢さんで我が儘いっぱいに育つたヤンキー・ガールが、目を離してゐたら、東伯林へ遊びに行き、東獨逸の若者と結婚してしまつたのです。運の惡いことに、社長夫妻が長々戻らない娘を連れて歸へる爲に伯林へ來ることになり、さあたいへん!此処からドタバタ喜劇の始まりです。

 英語の科白に所々獨逸語が混じつたギャグニーのマシンガントークが凄く、字幕だけでは解らない微妙な現地法人社長の努力が滲み出てゐます。金髪の美人秘書との浮氣、社長の娘の彼氏を西側に連れ出して無理矢理教育するところ、踵を鳴らさないと濟まない社員、支店長が通る度に起立する社員たちにプロイセンの軍国主義やナチの影響を見せて、笑ひ飛ばします。細かいところを話すとネタバレで面白くなくなるので控えますが、伯林のこと、獨逸語を知らなくても樂しい作品です。

 白黒なのに、色を感じる撮り方も素敵ですが、音樂がクラシックもジャズも得意なアンドレ・プレヴィンなので、ハチャトゥリアンの〈劍の舞〉だとか、非常に上手です。脚本もいいのでせう。ブランデンブルク門前の巴里廣場もセットとは云へ非常に本物らしく、今だからこそ笑へる内容です。テムペルホーフ飛行場のセットも綺麗で、あの全體主義が臭ふ建物や、高い天井、半圓に並んだ搭乘口、飛行機を降りて歩く際に濡れないやうに施された高い廂(ヒサシ)等、よく再現されてゐます。

 ワイルダー監督の1950年代の作品を振り返ると、
  『サンセット大通り』(1950)、
  『地獄の英雄』(1951)、
  『第十七捕虜収容所』(1953)、
  『麗しのサブリナ』(1954)、
  『七年目の浮氣』(1955)、
  『晝下りの情事』(1957)、
  『翼よ!あれが巴里の灯だ』(1957)、
  『情婦』(1957)、
  『お熱いのがお好き』(1959)、
  『アパートの鍵貸 します』(1960)
とヒットが續いてゐます。然も、ハリウッド内幕、戰爭もの、戀愛もの、冒險譚、法廷劇、都會派喜劇と分野も違へば、内容も全く違ふものが並ぶことに驚かされます。然も、殆ど見てます。

 さう考へると、大人が笑える上質な喜劇映畫が最近頓にハリウッドで作られないのが殘念です。



ワン・ツー・スリー


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販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

発売日:2007/02/02

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2007年4月20日 (金)

ジークフリート

 リヒャルト・ワーグナーとコージマの息子、ジークフリートは1869(明治2)年生まれ。ワーグナー56歳の時の子で、当然リストをも祖父に持つ譯ですから、音樂一家に育ち父親に似ず、温厚な性格であつたやうです。當時作曲された歌劇は現在全く忘れ去られてゐますし、指揮者としてのジークフリートの實力も餘り評價されず、單にワーグナーの息子としてしか記憶されてゐません。長寿を全うしたコージマの跡を受けて、バイロイト音樂祭を切り盛りしたものの、1930(昭和5)年に急死したのが何よりも惜しまれます。長生きすれば、妻ヴィニフレートがヒトラーを招き入れることもなかつたかも知れないからです。

Sw 伯林國立歌劇場管絃樂團と共に入れた、樂劇《ラインの黄金》第1幕より〈ワルハラへの神々の入場〉Odeon O-7550 を持つてゐますが、殘念乍ら氣の入らない平凡な演奏です。偉大な父親の陰に脅えることなく、伸び伸び演奏してゐるのがせめてもの救ひでせうか。

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2007年4月19日 (木)

ムック

 吉田真さんの解説による「SP期に於けるバイロイト録音」の準備でバタバタしてゐますが、ジークフリート・ワーグナーの時代に、共に活躍したにカール・ムックと云ふ老練指揮者がゐます。戰後1950年代、60年代のバイロイトで《パルジファル》と云へば、ハンス・クナッパーツブッシュでしたが、戰前はカール・ムックの十八番でした。細かい演奏記録を見ないことには、正確なことは判りませんが、1901~30年まで振つてゐたらしいです。近衛秀麿著『シェーネベルク日記』 一進堂書店(昭和5年發行)の中、「大指揮者の横顔」としてムックのことが書かれてゐます。

 ムックが大戰中米國に留つてボストン・シムフォニーの指揮者の位置に居た事と、米國の參戰後獨探の嫌疑を蒙つて抑留され、大戰の終結と共に、米國を痛罵して故國に歸つた其頃までの消息は知られて居る。

 ひえ~って感じで、今では全然知られてゐません。寧ろ忘れ去られた指揮者の横顔でせう。第一次世界大戰の頃、亞米利加に居て、スパイ容疑で掴まつてゐたとは… 1923(大正12)年に近衛がハムブルクで聽いたムックの印象が續いて記されてゐます。背が高く「痩型で特徴のある額と顎をもつた、無髯(ムセン)の稍(やや)蒼白い顔の持ち主」が拍手の渦の中で、ややもすると冷たい感じで指揮棒を持つと、瞬く間に場内をひとつにして「人は先其演奏の清楚さと其の統率の正確さに醉はされ始めた」さうです。リヒターにしろ、ニキッシュにしろ、顎鬚(アゴヒゲ)やモミアゲ髯の多い時代に、髭無しは却つて注意を引いたのでせう。巴里からの歸へりで、尚更ゲルマン的な實直さも感心してゐる近衛さんですが、聽衆だけでなく、演奏者からも尊敬と暖かい目で迎へられ、紡ぎ出す音樂の素晴らしさは今に傳はつてゐません。

P4130174 1927(昭和2)年に伯林國立歌劇場管絃樂團と共に入れた、《パルジファル》第1幕への前奏曲(Electrola EJ226/27)が、稀有な雄大さで我々を深遠な世界へと誘つてくれます。クナの宇宙とは別の次元ですが、するすると自分の世界へと引いて行く力は別格でせう。SP盤を聽いても、その實力の片鱗は傳はつて來ます。 

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2007年4月18日 (水)

テイクの違ひ

P4130170 SP盤の同じ曲、同じ演奏家なのに、何故か國によりレコードの元となる演奏が違ふことがあります。一面一面毎のマトリックス番號を調べると1面だけ違つてゐたりするのです。シャムパーニュは年號の入らないノン・ヴィンテージと云ふものは、基本的に複數年のブレンドですから、行き先の國により同じ銘柄でも味が違ふことが多々あります。かの有名なドム・ペリニヨンも亞米利加の免税店で買つたものと、日本の正規代理店が輸入したものと味が違ふことがありました。昔のレコードも、微妙な匙加減として、國による好みを反映させたのでせうか。
 蒐集家としては、そんなことを知ると、當然違ふ盤も欲しくなります。きちんと聽き比べたことはないので、實際にどれ程の違ひかは解りません。

P4130172P4130173

 例へば、フルトヴェングラー指揮、伯林フィルの1938年の《運命》。DB3328/32Sの獨逸盤(Electrola)、同じくDB3328/32Sの佛蘭西盤(Disque "Gramophone")、それにオートチェンジャー盤DBS8374S/78の英國盤(HMV)を持つてゐますが、黒いレコードに刻印された獨逸盤(左圖)のマトリックスは2RA2335-3, 2RA2336-3A, 2RA2337-2A, 2RA2338-4A, 2RA2339-3A, 2RA2340-1, 2RA2341-3, 2RA2342-2, 2RA2343-2Aに對して、海外盤(右圖は佛盤)は2RA2335-3, 2RA2336-3A, 2RA2337-2A, 2RA2338-4A, 2RA2339-3A, 2RA2340-1A, 2RA2341-3A, 2RA2342-2, 2RA2343-2Aとなつてゐて、途中の6面と7面だけ、最後にAが附くか附かないかの違ひがある譯です。畫像は生憎鮮明ではありませんが、紙レーベルには單に2RA2340, 2RA2341としか書かれてをらず、餘り氣にも掛けてゐないのですが、録音の際のテイクの違ひなのでせうか。其の上、4面から5面は1小節重なつて録音されてゐるらしく、謎が多いのも面白いものです。


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2007年4月17日 (火)

マイスター前奏曲

P4130169 ワーグナーの有名な前奏曲は多々ありますが、特に樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲はテレヴィジョンの宣傳でもよく使はれます。SP盤ですと、殆どが1枚兩面に収まり、多くの指揮者が録音してゐます。私にとつても、學生の頃、吹いたことのある思ひ出の曲故、随分とSP盤も手元に有ります。

 立派な演奏の筆頭はフルトヴェングラー指揮、維納フィル盤(HMV DB6942/43)は3面をたっぷり使つたもの。

 あっさりしてるのが、ワルター指揮、ブリティッシュ響(Columbia DX86)。録音オケの所爲かもしれません。

 至極真ッ當なのが、メンゲルベルク指揮、アムコン(Capitol 89-80036)。

 意外にまともなのが、クナッパーツブッシュ指揮、伯林フィル(Grammophon 66698)。

 ベーム指揮、ザクセン(Electrola DB4698)は、壓倒的な3幕全曲に比べると、おとなしくて詰まらない(上圖)。

 起伏もなく平凡で、只演奏してる感じのボールト指揮、BBC響(HMV DB1924)。


 CD復刻版ですと、喇叭(ラッパ)が奧に引ッ込んだ印象を受けますが、蓄音機で聽くSP盤は前面で高らかにファンファーレを歌い上げても、絃の邪魔にはならず、心地よいものです。 

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2007年4月16日 (月)

マイスタージンガー

P4130168 7日(土)の「蓄音機の會」で取り上げた、カール・ベーム指揮、ザクセン州立歌劇場(ドレスデン國立歌劇場)の演奏がよいので吃驚しました。ワーグナーの樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は4時間を超える大作で、戰後カラヤンがバイロイトでSP盤68枚に全曲録音してゐます。ベーム盤は第3幕のみの録音で、然も私が持つてゐるSP盤は第5場から終幕部分(RCA Victor DM 538 -21/30)の後半部分(Volume II)のオートチェンジャー盤だけです。
 録音状態もよく、溌剌としたテムポで、ぐいぐいと引ッ張る感じで前へ前へと云ふ感じの勢ひがあります。合唱にも力が漲り、ニュルンベルク郊外の野原での歌比べの様子が肌に直に傳はつて來ます。ベーム44歳の時の録音故か、若々しさに溢れてゐます。ベームはフリッツ・ブッシュの後任として、1934(昭和9)年にこのドレスデンの音樂監督として迎へられ、1月7日の就任最初の演奏會でも、この《マイスタージンガー》を取り上げてゐますので、指揮にも餘程自信があつたのでせう。
 威嚴のあるハンス・ヘルマン・ニッセンのザックス、甘い聲のトールセン・フックスのヴァルター・フォン・シュトルツィンク等歌手陣も精鋭が揃ひ、揺るぎのない、自信に滿ち滿ちた中身の濃い演奏です。

 でも、1939(昭和14)年の4月録音を考へると、獨逸軍の波蘭侵攻の5箇月に當たり、前年に墺地利も併合して、誤つた方向に自信を持つて進んでゐる時期でもあります。實はその時代の空氣をも録音してゐるのではないか。そんな氣もして來ますね。

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2007年4月13日 (金)

何故戰前を否定するのか

 中西輝政著 『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』 PHP新書 を讀むと、如何に占領軍に都合のいいことしか教はらず、歪められた自畫像を見せられ續けて來たかが判ります。情報公開により、やっと判つて來たことが多々あるさうです。日本の高級官僚や軍隊奧深くにも居た蘇聯のスパイ、1927(昭和2)年の「漢口事件」で暴徒と化した中國人に對して、國際法上の自治権を行使する爲、英米兩國と歩調を合はせて砲艦から砲撃を加へてゐたのなら、「弱腰日本外交」と見られず、英米から懐疑心を抱かれずに濟んだかも知れないと云ふ事實。
 まだまだ、知らないことが多いと改めて知りました。




日本人としてこれだけは知っておきたいこと


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日本人としてこれだけは知っておきたいこと


著者:中西 輝政

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2007年4月12日 (木)

贅澤は敵だ

 「贅澤は敵だ」と云はれると、「素」の一字を加へて「贅澤は素敵だ」と言つてゐた庶民の逞(たくま)しさを感じます。戰前から高度成長期を迎へるまでは輸入米も多く、實はずっと貧しい國でした。朝鮮や臺灣からの米は植民地からなので、輸入ではなく「移入」と表現したさうですが、そちらが凶作となると途端に米が足りなくなると云ふ状態。凶作から泰米を頂いた1993(昭和5)年が懐かしく感じられます。炭を入れて炊いたり、随分工夫したものですが、戰中、戰後は選擇の餘地がないので、飽食の時代に育つた我々には飽くまで想像の世界でしかありません。

 1937(昭和12)の蘆溝橋事件以降、日中戰爭が始まると、上海や南京陥落と行け行けの雰圍氣でしたが、1939(昭和14)年に「米穀配給統制」が公布されると、米は自由に賣買できず、高騰を招かぬやうに決まつた價格で政府が強制的に買ひ上げ(供出)して、國民には決まつた價格で拂ひ下げるやうになり、徐々に米が足りなくなつて行つたのです。然も、配給通帳がないと買へなくなり、一人當たりの割り當ては一日に二号三勺(330グラム)と定められました。當時の平均消費量が一人一日三合(450グラム)でしたから、かなりキツイですね。

 マリー・アントワネットではないので、「パンがなければ、ブリオッシュを食べればいい」なんて呑氣なことは言つてられず、芋や雑草を食べ、校庭や庭で野菜を育てるしかありませんでした。
 齋藤美奈子著 『戰下のレシピ』 岩波アクティブ新書 を讀むと、甘いモノに飢え、米糠を煎つてココアパウダーの代用にするだとか、里芋のお萩だとか、人間の工夫は凄まじいものです。




戦下のレシピ―太平洋戦争下の食を知る


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著者:斎藤 美奈子

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2007年4月11日 (水)

滿州事變

 一體、歴史の真實とは何か。幾年も經てから、やっと恨みを越えて客観的に當事者が語つてくれることがあります。 NHKスペシャル「張学良がいま語る」を本にした張 學良の昭和史最後の証言角川文庫 を讀むと、柳条湖事件の勃發に對して、政府も陸軍省も参謀本部、ましてや関東軍司令官本庄繁も戰線擴大には反対であつたのに、石原完爾、板垣征四郎等、現場の指揮官の獨斷行爲を、後から認めて、ずるずると戰爭が續いたことが解ります。どうも日本人は、雰圍氣に呑まれて、諌言が苦手なのでせう。
 張にとつては本庄が懐かしい人の最初に擧がられてゐます。敵味方に分かれ、敗戰により自決した本庄はお互ひによく知り、尊敬もし合つてゐたからです。 そして、蒋介石を監禁し、國民黨と共産黨が一緒になつて全面的抗日戰爭へ向かふ立て役者でした。

 滿州事變はどうしても、小澤征爾さんを真っ先に思ひ浮かべてしまひます。滿州の開業醫であつたお父様が、石原完爾、板垣征四郎のふたりの名前から名附けたと云ふ事實。軍靴で世界征服するのではなく、指揮者として人々の心を奪ふ指揮者。色々考へさせられます。

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2007年4月10日 (火)

密約ありや

 蘇聯はポツダム宣言を受諾する旨を知つてゐ乍ら、終戦の詔を待たずに満州に進撃して來ました。關東軍は開拓民を守ることなく、さっさと引き揚げてをり、國境はがら空きでした。ですから、關東軍と蘇聯軍の間に密約があり、軍人、銃器を守る爲に進軍の日を知らせてあつたのではないか。そんな噂は今も絶えません。

 瀬嶋龍三は1939(昭和14)年大本營陸軍参謀となり、日本陸軍の最高統帥作戦部に居た人で、終戰直前に關東軍參謀となつて、特命を帶びて蘇聯側と交渉したのではないか。それで抑留中も厚遇されたとの噂がありました。勿論、ご本人は否定してをり、其の後は商社マンとして活躍されたことは記憶にまだ新しいことです。そのご本人が内側から描いた『大東亞戰爭の實相』PHP文庫 は講演記録ではありますが、「自存自衛の受動戰爭」であったことを明らかにしてゐます。

 大東亞新秩序を建設する爲の戰爭ではなく、單に緬甸(ミャンマー)以東、北はバイカル湖より東の亞細亞大陸、マーシャル群嶋以西の西太平洋と云ふ廣い地域を指す言葉として「大東亞」と云はれたに過ぎず、1941(昭和16)年12月10日の大本營政府連絡會議で決定されたものでした。マッカーサーが占領後、この呼び名自體を抹殺した爲、どうも誤解されてゐるやうです。

 さすが中枢にゐた人だけあつて、説明が的を射る形で適切且つ明快なものです。どうも親米、親中華思想に浸つてゐる爲、戰前に日本が聲を大にして唱えた立場や言ひ分を知らな過ぎた感じです。明治憲法下の議會政治の行き詰まり、軍部を押さえられない政府、止むに止まれぬ斷腸の思ひで戰爭に突入したのでせう。同じ過ちは繰り返したくないものです。




大東亜戦争の実相


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大東亜戦争の実相


著者:瀬島 龍三

販売元:PHP研究所

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2007年4月 9日 (月)

矢張り昭和が好き

 仕事で外出の際は骸骨と渾名されたモールが正面に横に澤山並ぶ軍服、普段家では和服、きちんと訪問する際は洋服といちいち着分けてゐた鷗外。それは當時當たり前のことで、戰後暫くまで帽子なしで歩くのは失禮でした。この頃私も普段は鳥打帽ですが、通勤にはソフト帽を被つてゐます。別の目立たうと思つてゐるのではなくて、シミも増えて來たので、單に日除けなのですが…。視線を感じます。

 さて、生まれ育つた昭和は戰爭で真っ二つに分けられてしまひました。日本人の價値觀やものの見方すらもすっかり骨抜きです。進駐軍の呪縛から今も逃れられず、行き當たりばったりで筋の通つたところが見えません。敗戰による自信喪失はずっと續いてゐます。それに對して戰前は自信に溢れ過ぎたところもありますが、現在よりずっと面白さうな感じがします。但し、當時は女性がいつも虐げられてゐた氣もします。現在の一番の弱者は子供でせうか。

 半藤一利編著『昭和史が面白い』文春文庫には、對談形式で昭和の事件を振り返つてゐます。二二六事件、雑誌『少年倶樂部』、近衛體制、日米開戰爭、學徒出陣…

 「滿州に渡った民間の日本人は約160万人、その内開拓團は27万人でした。そして17万人以上の人が日本へ歸へつて來ませんでした。8月15日以降、國家はこの人たちを何の保護もせずほっぽりだした。まさに棄民なんですよね。」

 年金拂へないから、君たちは死んでもいいなんて我々も言はれないとは限りません。戰前と云ふ時代は滿州に始まり滿州で終はり、陰に日向に必ず昭和天皇がいらっしゃる感じなんですね。戰後は太古の帝と同じやうに「國見」をして回り、陛下の現れる開会式は決して雨が降らない。昭和63年、病氣發表後は日本企業の集まりが悉く消え、崩御の知らせはフランクフルトで受け、衛星版の號外が職場に届いたので、改めて「終戰の詔」を聲に出して讀んで見て、漢文讀み下し文の難しいこと。でも、格調高い。かう云ふものが書けたんですね。




昭和史が面白い


Book

昭和史が面白い


著者:半藤 一利

販売元:文藝春秋

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2007年4月 6日 (金)

鷗外の坂

 鷗外が住んだ千駄木、團子坂上の觀潮樓は現在、鷗外記念本郷圖書館となつてゐます。當時は海が見えたのでせう。鷗外の住んだ家々跡を訪ね歩き、古地圖まで載つた 森まゆみ著『鷗外の坂』新潮文庫 は歩いた道筋も小説から探し出して同じ道を巡ります。
 街道筋の宿場町「千住」の醫者となつた父と共に住んだ家、千駄木町57番地の家は後に夏目漱石が住んだもの、隣近所を見渡せば、明治の町並みが蘇ります。まだまだ田圃も多く、水道はなく井戸水を使ひ、武家屋敷が増えると共に近隣農家はその庭を支へる植木職人になり、移動は専ら人力車でした。テレビやラヂオのない時代の樂しみは寄席や歌舞伎。100年前の生活がチロチロ焙り出て來ます。
 そして、本人のことは小説から探り、回りの人の証言を集めてゐるのが面白いです。母峰の日記、後妻しげの言動は子供たちの回顧録から、記述を探し出し、それにより鷗外自身が見えて來ます。御殿醫から近代醫師として東京に出てから、千住から千駄木、本郷と徐々に都心へ近附く出世街道。家族を深く愛した様子が伺ひ知れます。

 さう云へば、この間道端を歩いてゐたら外人さんに「あっ、明治時代」と言はれてしまひました。髭と帽子の所爲でせうか。



鴎外の坂


Book

鴎外の坂


著者:森 まゆみ

販売元:新潮社

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2007年4月 5日 (木)

孤愁の假面

 昨日の午後はジークフリートが劍を抜いたのかと思ふ程の、春の嵐に驚かされました。真ッ黒な空に雷雨で先が見えなくなる位でした。皆さん、大丈夫でしたか。

 さて、今の自分って何でせう。中學生にお話しをするところから、何だか自分を見つめ直すことにもなりました。獨逸で働いてゐたこと、家業を繼ぐと云ふこと、(五代目の)家長となるべき重責、嫁や子供、友人、と見回すとどうしても、鷗外に自分を重ね合はせてしまひます。

 漢籍への深い理解、家族の出世欲だとか、後妻と母の不和だとか、當て嵌まらない部分もありますが、几帳面なところとか、論爭を挑まれたら決して引かない意地ッ張りなところ、細かい説明責任を果たさず、つひ傍觀者のやうにニヤッと笑つて見てるだけであつたり… 共通點を擧げて行くと澤山出て來ます。陸軍の最高醫師、軍醫総監者として、家長として、雑誌編輯者として、作家として、家族からの期待だとか、様々な柵(しがらみ)の中でも決して不平は言はず、假面を附けてゐるが如く實に淡々と精力的に日々をこなして行く鷗外。
 そんな鷗外が陸軍の重鎮山県有朋につひ抗議をしてしまひ、手痛ひしっぺ返しを浴びせさせられる。飽くまで小説なので、大逆事件や妻との會話等まるで見て來たやうに書かれた沼口勝之著『孤愁の假面』新人物こ往來社。役職に振り回され、夫として母の顔を立て、妻の機嫌を取り、歌會を開き、文學者との交流が生き生き描かれてゐます。明治の男はたいへんだったんですね。




孤愁の仮面


Book

孤愁の仮面


著者:沼口 勝之

販売元:新人物往来社

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2007年4月 4日 (水)

17歳の軌跡

 寫眞集『17歳』を讀むと、その續きが知りたくなり續編とも云ふべき『17歳の軌跡』文藝春秋 も讀みました。
 こちらは二段組みの分厚い單行本です。北は北海道から南は沖縄まで、以前撮影した嘗ての「17歳」を訪ねて橋口譲二さんが當時の氣持ちを訊き、同じ質問をぶつけることで彼等の今が浮かんで來ます。夢に破れた人、結婚して幸せだと言ひ切れる人、様々な生き様があることを改めて教へてくれました。一億總大學時代だなんて、間違つてゐると思はせます。人には人それぞれ人生があるのです。だからこそ、相手を否定せず、ありのまま受け入れて、その上で「和を持って尊し」が良い。あなたは今幸せですか。

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2007年4月 3日 (火)

17歳

 中學生にお話しをする上で、職業って何だらう、仕事って何だらうと深く考へてゐました。丁度、敬愛する寫眞家、橋口譲二さんの『17歳』が新装版になつて發賣されたので手にしました。
 日本にもこんなに仕事があるのか。バブルの頃の17歳の子供達だけを切り取つた寫眞集。高校生、騎手、相撲取り、行事、寶塚歌劇團員、タレント等全國の人々。誰も彼も、目の奧から飾つてゐない本人の素が出てゐるのが素敵です。




17歳


Book

17歳


著者:橋口 譲二

販売元:産業編集センター

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2007年4月 2日 (月)

中學生

 3月初めに、と或る區立中學の先生に頼まれて、「職業に就いて」中學1年生にお話しして來ました。他に7名の色々な職業の方と知り合へたのも刺戟的で、30分授業を2齣でした。私の紹介は「ソムリエ」となつてましたので、男子生徒に人氣が高く、10名前後の子供たちに對して、何故この仕事を選んだのか、どんなことをしてゐるのかを話し乍ら、具體的にワインの器具だとか、ワインの瓶、食器、それに古い献立にも手に触れて貰ひました。

 12,13歳は好奇心一杯の少年たち(ひとり女性がをりました)で、給食の後5時間目の眠くなる時間に集中して聞いてくれました。實際の器具を触つて貰ふ爲、まづ手を洗つて貰ふところから始めました。それが、濡らすだけだつたり、ハンカチを持つてゐなくてズボンで拭いたり、これぢゃあ何の爲かとも思ひましたが、「手を洗ふ」ところから我々の仕事は始まります。その形だけでも味はつて貰ふことにしました。口に入るものを相手に仕事をしてゐるので、「手を洗ふ」は挨拶と同じ位重要だと。
 未成年者にワインの味の説明をしても仕方ないので、何故テイスティングをするのかとか、レストランの由來は「元氣になる所」だとか、カフェやビストロ、レストランの違ひとかを説明し、「ソムリエ」とは何か、酒庫番の話しもして葡萄からできる具体的なワインを見せることにしました。

 と言つても空瓶ですが、最高のワインをと思ひ、ドメーム・デ・ラ・ロマンネ・コンティ社の「ロマネ・コンティ」を見せて、彼等の生まれ年1993年は凡そ80萬圓位するんですよ、と知らせるともう絶句。「輕自動車」が買へる金額に吃驚。銀器のディナーナイフは1萬圓、敷き皿も繪柄や金縁で1萬圓以上もだと云ふともう目を白黒。だから一流のものを揃へた佛蘭西料理は高くなるんだよと。
 それに人件費や家賃に光熱費を引くと原價の3倍位附けないと儲けが出ないなんて話しもしました。まだ、中學生なので、生まれてから一度も佛蘭西料理は口にしたことがないのです。テレビの影響でフォア・グラとかキャビアなんて名前は知つてゐます。たぶん、最初に出會ふ佛蘭西料理は結婚式なので、外側から銀器は使ひませう、スープは飲物でないので口に全部入れると音が出ないとか、身振り手振りに器具を使つて見せました。

 大人から仕事の話を聞けるのは、いい學校だと思ひます。自分が聞いてたら、違ふ仕事に就いてゐたかも知れませんね。 まだ、感想文は頂いてゐませんが、評判はよかつたと聞いてホッとしてゐます。自分が中一の頃なんか、のほほんとして只毎日學校へ行き、部活をしてただけのやうな氣がします。

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