« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月29日 (金)

葡萄畑

 實演歌劇は來月末まで觀られないので、本の紹介でもしませう。

 1960年代後半に亞米利加へ私費留學で渡つた主人公、浩一は夏休みの三箇月間に1年分の學費、凡そ2千弗を稼がねばならず、都會で消費生活をするよりも、加利福留尼亞(加州:カリフォルニア)の葡萄畑で働くことにした。
 高橋三千綱著 『葡萄畑』 新潮文庫 は自身の體驗を元に社會の底邊で働く日系勞働者たちの日常を描いてゐます。單なる體驗談ではなく、しっかりと自身の中で醗酵させ、熟成させた小説です。
 今でこそ、機械で収穫する大農場も當時は安い賃金で人を雇ひ、過酷な勞働をさせてゐました。然も、密入國したり、難民として運ばれて來たり、査証すら持つてゐなかつたり、英語もままならず日本語とチャンポンであつたり、一種獨特な雰圍氣です。身體さへ動けば、葡萄畑でも苺畑でもオレンジ畑でも一年中仕事はあるものの、キツイ割に賃金の安い仕事で生活は樂にはならず、貯まつた賃金は給料日に買ふ酒と女で消え失せてゐます。作物の収穫と共に日系人のキャンプを渡り歩く勞働者の中に、アルバイトとして迷い込んでしまつた學生は戸惑ひ、反撥し乍らも仲間として受け入れられ、やがて去つて行きます。カウボーイハットの白人が仲間を轢き殺しても車の修理代を寄こせと云ふ理不尽な現實や、今はこんなことはないのでせうが、ワインの裏事情とでも云ふべき昔の亞米利加の一面が鋭く描かれてゐます。


| | コメント (0)

2007年6月28日 (木)

西部の娘

 昨年秋からこの6月までの新國立歌劇場の季節切符を通して買つてゐたので、随分と觀ることができました。4月にはプッチーニの歌劇《西部の娘》を觀てゐます。

 新維納樂派を豫見させる無調和音や、當時としては最先端の音樂を取り入れて、必至に新しい歌劇を創造しやうとしたプッチーニの努力に脱帽です。勿論、いい歌がある譯でもない爲、廣く受け入れられてゐない欠點も見えましたが、西部劇を歌劇にするところはまるで映畫のやうであり、トーキーが開發される前の映畫みたいなところを大いに樂しみました。

 メトからの註文ですから、ミュージカルが編み出される前の最も亞米利加の民衆に受け入れ易い曲を書くことがプッチーニに科せられた使命であり、ハッピーエンドで終はるハリウッド映畫の原型だと思へば、莫迦莫迦しい物語こそ、彼等が最も欲したものだと思ひます。ですから、初演がメトで、世界のカルーソーを念頭に置いて作曲したことを考へれば、多少の無理があらうと、亞米利加ぽく仕上げられた新しい曲をジョンソン役のカルーソーが
高らかに歌へば當時の人々は大いに沸いたことでせう。然も、消滅したばかりの西部は紐育の人にしてみれば、異國も同然であり、お伽噺がリアルな設定で見られたと思つたに違ひありません。勧善懲惡ではないところも新鮮であつたかも知れません。

 盗賊一家に生まれたが爲に親の築いた遺産を守ることで家族を養つたラメレスは本意ではなかつた生き方を、ミニーとの出逢ひで、新しい生き方を模索する「機會は誰にでも與へられる」と云ふ亞米利加の幻想そのものでもある譯です。特に3幕のジョンソン(ラメレス)のアリアを歌ふカルーソーを思ひ浮かべれば、似合はないカウボーイ姿であつたとしても、魅了したに違ひありません。

 この演出を觀た肩は口々に「段ボールと陳腐な音樂」と言つてゐましたが、現代に置き換へたホモキの演出は全く功を奏してゐませんでしたね。普遍的な移民、移住と云ふ點に関して、近未來の荒廢した紐育(或ひは大都市)の貧民窟と考へてもよかつたと思ひます。多國籍の移民だとか、縛り首や拳銃は現状の日本に似つかわしくありませんが、色々な國からの出稼ぎの人々が一緒に生活をせざるを得ない状況と考へると、石油採掘の中東でも、バイオ・エタノールに沸く伯剌西爾でも、貧富の差で暴動が起きる中國農村部でも、場所替へは可能だと思ひます。

 私なりの解釈ですが、段ボールはその地方の権力社ファルゴ社が築いた秩序の現れで、それを流れ者(この場合は盗賊のラメレス)が波風を立てて壊しても、また元のやうになると考へられます。このストーリーは取りも直さず、そのまま映畫の「西部劇」や「無法者」、或ひは「マカロニ・ウエスタン」に通じるものであり、それはそのまま「座頭一」、或ひは「唐獅子牡丹」のやうな任侠ものとも全く同じ構圖だと思ふのです。
 であれば、侍の時代の閉ざされた宿場町、越後屋と組んだ岡ッ引き(元は賭博者)でもよく、彼等の下に法治國家として整つた社會が、風來坊に亂されると云ふ時代劇にしてもいいし、盗みだけで人殺しをしないことを信条にしたラメレスは、鼠小僧でもいい譯です。さう云ふ意味では普遍的な物語と考へられますね。

 只、さすが亞米利加原作だと思はれるのは、権力者の一存で死刑が決まらないことです。アシュビーが會社の富を盗んだ者を死刑に、或ひは保安官ランスが戀敵を私刑にしてもいい筈なのですが、酒場のミニーに説得された民衆(男共)の意見に衝き動かされて、死刑とはならないと云ふ結末。これは、即ち民主主義の讃歌でもあり、民意で「無罪」と決まった點が凄いと思ひます。

 原作者のベラスコは葡萄牙系猶太人ですから、舊約聖書の引用しかありませんが、民意で動く亞米利加を讃へてるやうに感じられます。最後に星条旗がはためき、「左様なら、加利福留尼亞」と言つて、新天地を目指すのであれば、チャップリンと同じやうにきっと明日はいいことがあるだらうと終はるハリウッド映畫の原型とも考へられますね。

 シルマー指揮の東フィルはやや音がでかいものの、合唱はうまいし、歌手のバランスもよく、なかなか樂しめました。dvdでは一組だけ見附けました。


DVD

プッチーニ:歌劇「西部の娘」


販売元:アイヴィー

発売日:2004/08/01

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0)

2007年6月27日 (水)

ファルスタッフ

Falstaff先週は連續して歌劇三昧となり、あちこちから非難を受けさうでした。ヴェルディの遺作となった喜劇《ファルスタッフ》。シェイクスピア原作の『ウィンザーの陽気な女房たち』から飲んだくれで、麦酒腹の機知に富んだファルスタッフが主人公。飲み屋の支拂ひが滯り、同じ文面でふたりの奥方に戀文を送つてしまったが爲に、逆にとっちめられる話です。ワーグナーの樂劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は下手すると單にベックメッサー虐めとなりますが、、こちらは笑つて終はるところが何とも伊太利的でよいです。

1994年新演出からのエッティンガーの指揮が冴えてました。この人根っからの劇場人ですね。まだ、若いですが、なかなかどうして手腕はたいしたもんです。一昨年に一度観てますが、前回はベルント・ヴァイクルが好演してたと云ふより一人で舞臺を乘つ取つた感じでしたが、今回はアラン・タイタスのファルスタッフは低音が響くどっしりとしたバリトンで、他の歌手とのバランスもよくて全體としての纏まりがありました。ですから、今回の方がよかつたです。

セレーナ・ファルノッキアのフォード夫人、ヴォルフガング・ブレンデルフォードはアンサンブルで良さが出ましたし、カラン・アームストロングのクイックリー夫人は双眼鏡で觀たら肌のたるんだ小母さんでがっかり、中村恵里のナンネッタも鼻ぺちゃで、あ~あって感じでしたが、遠目に見てる分には問題なし。

エッティンガーは小氣味いいテンポで明るく仕上げ、歌を消すことなく伴奏に徹してます。歌のアンサンブルを纏めるのも上手なのかも知れませんね。然も、樂しげなのがこちらにも傳はつて來ます。ジョナサン・ミラーの演出は、
和蘭繪畫から抜け出して來たやうな装置。同時代のファッションだから、さうしたらしく、壁が2つの軸で回轉して、前庭であつたり、部屋の中であつり、非常にうまく出來てます。場面轉換が素早くできるので途中で途絶えないのがこれまたいいです。

罠に掛ける筈が引っ掛けられ、逃げ場がない程とっちめるのではなく、餘裕をもつて笑つてゐられるのでほっとします。笑ひは健康の元、寿命も延びると云ひますからね。普段、聽いてゐるのはトスカニーニの名盤。こちらのテムポよくブンチャカブチャカやるのがいいです。下手な指揮者だと、これがドタバタになつてちっとも面白くありません。



ヴェルディ:ファルスタッフ


Music

ヴェルディ:ファルスタッフ


アーティスト:ヴァルデンゴ(ジュゼッペ),ロバート・ショウ合唱団,シュティッヒ=ランダル(テレサ),ネッリ(ヘルヴァ),エルモ(クロエ),マリマン(ナン),スコット(ノーマン),グァレラ(フランク),カレルリ(ガボール),マダーシ(アントニオ)

販売元:BMG JAPAN

発売日:2000/09/20

Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0)

2007年6月26日 (火)

薔薇の騎士

先週、新國で晝間興行(マチネ)の「薔薇の騎士」を觀ましたが、ジョナサン・ミラーの演出は舞臺を初演の翌年1912年としてゐたのが成功して、久々に樂しめました。

貴族社會の崩壊を誰もが薄々氣附いてはゐるものの、面倒なことは後回し(オックス男爵の科白)にしてゐた爲、ベルエポック(舊き良き時代)もう終はりを告げる感じが所々に出てゐました。17歳の愛人オクタヴィアンとの甘い時間ももうすぐ終はり直に若いほんたうの彼女を見附けて自分の下を巣立つて行くのが怖くて夜中に屋敷中の時計を止めてしまふと云ふ32歳の元帥夫人。彼女の恐怖は時代の空氣でもあつたと云ふ解釈なのでせう。

舞臺は通常は見せない廊下部分も縱に見せて、廣間に入る束の間も見逃せません。情事の翌朝の窓越しの明るい日差し、壁はロココから續く裕福な家なら全て絹織物の筈ですが、既にペンキで簡素かされてゐる所にも時代を
感じさせます。それに對してオクタヴィアンが婚約の使者として訪れる成り上がり者のファニナル家はまるでシェーンブルン宮殿を模したやうな深紅のカーテンと窓にはレースのカーテン、廣間に大きく絨毯を3枚も廣げてゐる割に、扉の上に飾りがないのはこれも時代の所爲でせうが、召使ひは大勢ゐます。そして3幕の料理屋の一部屋が、誰も住まなくなつた館を金持ちが買ひ取り改装中の設定。それ故、部屋はまだペンキが半分しか塗られてゐませんが、廊下の窓枠横にはすでにセントラル・ヒーティングがお目見えしてゐます。新しい時代の息吹を感じさせるものの、まだまだ舊泰然とした價値觀の中で生きてゐる貴族たち。

ペーター・シュナイダーの手腕は矢張り見事で、維納の香りこそしないものの、歯切れの良いテムポでぐいぐい引っ張ります。銀の薔薇献呈やオックス男爵の登場とか、やや溜めが欲しいところもありましたが、東フィルからあれだけ音を引き出させれば十分です。「献立表も曲にできる」と豪語したシュトラウスの濃厚な音樂は、細かい旋律が生かされ、この音型が何を表してゐるのかはっきり解る演奏はたいしたもんでした。

カミッラ・ニールントの元帥夫人は白眉でした。ややオケに消される場面や老ひの悲しさに気附く1幕後半では聲が通りませんでしたが、3幕の登場からして貴族の振る舞ひ、気品が匂ふが如く、イザベラ・バイウォーターの衣裳がこれまたヴィスコンティの映畫「ヴェニスに死す」のやうな大きな帽子に腰を締めたスタイルで美しい。

オクタヴィアンノエレナ・ツィトコーワはやや前髪を振り亂したズボン役ですが、カツラが似合はない以外他、粗野な若者らしさも出てて、メゾの聲も通りよかつたです。ペーター・ローゼのオックス男爵も田舎者丸出しの俗物振りもよく好演。ゲオルク・ティッヒのファーニナルも品のいいお父さん役が素敵。

唯一歌手陣で殘念でしたのがオフェリア・サラのゾフィー。小母さんです。二幕衣裳の時代考証はいいのでせうが、腰を絞つてゐないので、愛らしい花嫁と云ふより姑のやうでした。あれでは若い貴族のオクタヴィアンがどうして惚れるのか疑問。聲はまあまあでしたが、小太りのおばさんではねえ、がっかりです。

合唱陣は歌は良いのですが、演出でせうか、一幕最初に元帥夫人の朝食に陳情や賣り込みに來る下々の者たちがきちんの歌の出の通りに並んで順番に出て來るのを初めてみました。過去にドレスデンの來日公演、伯林の國立歌劇場、コヴェントガーデンでは2回と實演に触れてますが、新國以外は扉を開けた途端にガヤガヤ這入つて來て、我先に陳情するのに今回は秩序があつて順番待ちが日本的だと感じましたね。きっと、毎朝の恒例でうんざりしてる筈なのに、細やかな氣遣ひで接すると云ふ元帥夫人の設定であつたのでせう。

2幕ではオックス男爵の召使ひが酔っぱらって、ファニナル家の女中の尻を追ひ」掛ける情景がありますが、これは悲鳴だけで殆ど見えません。男爵の僕たちは實に大人しい、田舎の人と云ふ感じで詰まらない。もっと、禮儀をわきまへない粗野な感じを出して欲しかつたです。3幕でオックス男爵に一泡吹かせようと色々な所に隠れた人々が通常は敷布でも被つて幽靈役で脅かすのですが、今回はただ人が隠れて脅かすだけでした。そして、勘定の請求、隠し子の叫び等も綺麗に並んで秩序ありすぎです。

と文句も多々ありますが、全般に素晴らしい演奏で歌劇の醍醐味が味はへました。千秋樂と云ふことでオケも上手になつてゐたのかも知れません。DVDでは息子クライバーと維納のいいのがありますが、日本の「薔薇の騎士」としては今回のが最上の出來でせう。



R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」


DVD

R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」


販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2002/06/26

Amazon.co.jpで詳細を確認する

店でよく掛けてるのは父クライバーのもの。こちらもメリハリの効いた演奏。甘くはありません。



R.シュトラウス:ばらの騎士


R.シュトラウス:ばらの騎士


アーティスト:クライバー(エーリヒ),ウィーン国立歌劇場合唱団,ライニング(マリア),ヴェーバー(ルートヴィヒ),ユリナッチ(セーナ),ペル(アルフレード),ギューデン(ヒルデ),ヘルヴィッヒ(ユディット),クライン(ペーター)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2000/09/30

Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0)

2007年6月25日 (月)

ショパン

 雑誌『ショパン』7月號にこの間の1903年製プレイエルピアノを聽く會の様子が載つてゐます。是非、ご一讀の程を。



CHOPIN (ショパン) 2007年 07月号 [雑誌]


Book

CHOPIN (ショパン) 2007年 07月号 [雑誌]


販売元:ショパン

Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0)

2007年6月22日 (金)

ワイマル日記

 近代伯林史は續きます。今月の蓄音機の會に、以前リヒャルト・シュトラウス協會の例會でお出でになつた松本道介さんがいらっしゃいました。全然知らなかつたのですが、その時の様子を雑誌『季刊文科』34に「”にわとこ”のモノローグ」と題して寄稿されてをり、随分とお褒め頂きました。
 そして、いらっしゃるなりいきなりご自身が翻譯されたこのハリー・ケスラー著『ワイマル日記』冨山房上下刊を下さいました。ナチス政権前の1920年代から1932年までの伯林はさぞかし良かったのでせうねえ。是非、これをお讀み下さいとのことでした。

 本の蟲にはたまらない贈り物です。著者のハリー・ケスラー伯爵は、第1次世界大戰前は伯林とワイマールの自宅に藝術家が集まるサロンの主催者として知られ、歐州全域に知人がゐました。波蘭との終戰協定、ヴェルサイユ條約批准後、佛蘭西の過酷な賠償請求に對して英國の知人の議員等に根回しして平和を摸索します。ワルター指揮のマーラーの2番を聽き(1919年)、アインシュタインとの交友、ナポリではカルーソーの死に出くわし(1921年)、露西亞バレヱのはねた後ディアギレフと食事(1925年)、或ひは《エレクトラ》初日にリヒャルト・シュトラウスの妻パウリーネとのちぐはぐな遣り取り(1926年)、ホフマンスタール、ジョセフィン・ベーカー、マイヨールやジャン・コクトー、ラディケ、プーランク、彼が當時の知識階級の政治と文化に對する証言の數々。現時點でまだ下巻の中程ですが、帶の説明文の通り「時代の息吹」が感じられる第一級の日記です。随所に佛蘭西語の會話文が混ざり、古代希臘や古代羅馬の原書を讀んだと云ふ著者の奥行きの深さが出てゐます。どうも頭でっかちになりがちですが、かう云ふリベラルな知識人になりたいものです。


Book

ワイマル日記〈上〉


著者:ハリー・G. ケスラー

販売元:冨山房

Amazon.co.jpで詳細を確認する


Book

ワイマル日記 1918-1937〈下〉


著者:ハリー ケスラー

販売元:冨山房

Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (1)

2007年6月21日 (木)

戰下の貴族

 コルドンの伯林三部作はヴェディングの勞働者家族の小説でしたが、釣られてナチス政権下の貴族の日記も讀みました。『ベルリン・ダイアリー ナチ政権下1940-45』の作者マリー(ミッシー)・ヴァシルチコフはペテルブルク生まれのリトアニアの貴族。代々ロマノフ王朝に仕へた家系で1919(大正8)年に赤軍に追はれた亡命した白系リトアニア人です。佛蘭西で教育を受けた爲、普段は英語を使つて生活するものの、露西亞語、佛蘭西語、獨逸語が堪能で、1940(昭和15)年に次姉タチアーナと共に伯林に職探しで移住し、外國籍であるにも拘はらずナチス獨逸外務省情報局に仕事を見附ける。そこで反ナチ派と親交を持ち、1944(昭和19)年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件とその後の粛正に就いて克明に記録してゐました。危險を感じてから、維納へ逃れ其処で空軍病院の看護婦として働いて行きます。

 上流階級の交流は、我々の全く知らない世界でした。次姉は維納會議で活躍したメッテルニヒ侯爵の子孫と結婚、ヴィッテルスバッハ家のコンスタンティンとホーエンツォレルン家の皇女マリア・アーデルグンテの結婚式、ビスマルク家との親交等名の知られた王侯貴族がわんさか出て來て面食らひます。戰中でも伯林社交界はパーティーを開き、亞米利加參戰前は南米外交官たちと交はり、空襲は始まるとポツダムのビスマルク家に逃れたり、市内に戻ったり、人に公開することを前提としてゐない爲、赤裸々に日々のことが綴られてゐます。

 1943(昭和18)年11月13日には、フルトヴェングラーの演奏會に出向ひてゐます。別の記録から探ると、この時ミッシーは《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な惡戯》、ピエール・フルニエのチェロでシューマンに協奏曲、ブルックナーの交響曲第6番を聽いてゐます。そして11月16日にはポツダムのビスマルク家の夕食でフルトヴェングラーとも共にします。併し、蘇聯兵を極度に恐れる巨匠にがっかりしてゐます。1944(昭和19)年8月2日には市内住める建物も減り、超高級ホテル・アドロンに引っ越し、空襲で地下へ潜ると、いつもきちんとしてゐたカラヤンが素足でトレンチコートを引っ掛け、髪の毛が逆毛立つてゐたとも記録してゐます。

 また1943年11月24日には、ずっと4年間避けてゐた日本人伯爵にばったり出くわし英語で聲を掛けると、Kennen wir uns? お會ひしたことありましたか?と訊くので、さっさと方向を變へて逃げ出したとあります。これは誰のことであつたのでせう。獨逸駐在大使大島浩は貴族ではないし、指揮者の近衛秀麿は子爵であつたから、違ふ筈だけれども、ミッシーの勘違ひなのでせうか。一體誰を指してゐるか氣になります。

Johannisberg この次姉タチアーナが今も住むラインガウの城「シュロス・ヨハニスベルク」は維納會議の功績により頂戴したもので、ワイン好きなら知らない人がゐない位有名な藏です。獨逸では單にゼクト(發泡酒)の「メッテルニヒ」で有名ですが、我々獨逸ワイン好きには、その歴史に欠かせない「遅摘(シュペートレーゼ)」の發見でも知られ、丁度畑の真ん中を北緯50度が通つてゐます。北緯50度は葡萄栽培の北限ですね。
 此処は大戰中に爆撃を受け、地下藏と一部の建物以外殆どが潰滅し、戰後ご主人を亡くされた後、お子さんのなかつたメッテルニヒ侯婦人一人で維持管理はたいへんであつたのでせう、食品會社に土地と建物を賣却する代はり最期まで此処に住むことを決意したのでした。4年前に此処を訪ね、食品會社により綺麗に修復されつつあるところで、地下藏で試飲させてもらひました。そんなよく知る藏の持ち主貴族の妹の實話日記。たいへんな時代ととても一言では片附けられません。

Schloss Johannnisberg

| | コメント (0)

2007年6月20日 (水)

ベルリン1945

 1945年になると、晝間は米軍が、夜間は英軍の絨毯爆撃を加へ、地下室に籠もつて爆撃の恐怖に耐へ、食ふや食はずの生活を續けてゐる間に、蘇聯軍はロケット砲カチューシャを撃ちまくり伯林は市街戰となりました。ヘレの娘、12歳のエンネは歸へらぬ父を待ち侘び乍ら、祖父母と慎ましやかに暮らしてゐます。占領したイワン共は略奪暴行の限りを尽くし、男装して難を逃れるしかないエンネ。叔父ハンスは脱走兵として伯林に舞ひ戻り、廃墟に身を隠してゐましたが、終戰と共に自宅に戻つたところを蘇聯兵に連行されて、ナチスの殘黨と間違はれ処刑されてしまひます。地下組織で猶太人を助けてゐたハンスの戀人ミーチェもゲープハルト家の一員として暮らし始めた頃、強制収容所に12年間投獄されてゐたヘレが戻りますが、寫眞の面影など全くない、齒もボロボロで痩せこけた父とはすぐには打ち解けられないエンネ。末ッ子のムルケル(ハインツ)は兄を密告した姉マルタを連れて歸へりますが、ヘレは會ひたがりません。自分を賣つた妹に何を言へるでせう。でも、裁判官になれとの父の言葉に、會ふだけ會ひ、ほんたうに感じてゐることを真っ直ぐにぶつけます。マルタが何を言つても、言ひ逃れにしか聞こえないものの、それでも家族だと態度を改める兩親。
 大きな顔をしてナチスを賞賛してゐた人たちが、途端に強制された、仕方なかった辯明を始め、蘇聯へ渡つた獨逸共産黨員が赤軍兵として戻ったり、辛酸を嘗めて歸還したり、ナチスと大差のない蛮行が繰り返されてゐることを知ります。父が拵へてくれたピンクの凧をエンネは父と屋根へ登つて上げるところで話は終はります。

 暴力に暴力で立ち向かつたら、結局暴力しか殘らない。其の後、1961(昭和36)年に伯林の壁が出來、1989(平成元)年に崩壊することを我々は知つてゐるので、決してこの家族に明るい未來が待つてゐる譯ではありません。どんな時でも希望を持つて、生活して行くことがなにより大事なんだと痛切に感じさせられました。この大河小説は獨逸の10代の子供向けに書かれたと云ふのも驚きでした。日本でも、ひとつの家族を通して、明治維新、大正デモクラシー、二二六事件、敗戰を描く人は居ないものでせうかねえ。

 譯者によれば、作者コルドンは伯林を舞臺に「獨逸民主主義の始まりを描く」と云ひ、三月革命の1848(嘉永元)年、普佛戰爭と獨逸帝國の誕生の1871(明治4)年まで出版し、殘るは「社會主義者鎮壓法」が施行された1878(明治11)年~1890(明治23)年を描くさうです。邦譯が待ち遠しいところです。



ベルリン1945


Book

ベルリン1945


著者:クラウス・コルドン

販売元:理論社

Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0)

2007年6月19日 (火)

ベルリン1933

 大不況の中、見習い工員としてAEGの工場に働きに出た15歳のハンス。兄ヘレは結婚して無職とは云へ、既に共産黨員として國家社會主義勞働者黨(ナチス)に反對運動をしてゐます。父は既に1黨の方針と合はないからと離黨してゐましたが、それではナチスに對抗できないとヘレは裏工作をしてゐます。長女のマルタはどん底の暮らしから這ひ上がりたいが爲に、ナチスの突撃隊に入黨したギュンターと戀仲になり、家族から離縁されてしまひます。共産黨員でもないのに拘はらず、ナチスをよく思はないハンスは突撃隊の連中から職場で執拗に嫌がらせを受け、その上猶太系のミーツェと仲良くなると、益々ナチスに反感を抱きます。そして、つひにヒトラーが首相になると、ナチスの放火により國會炎上するも、共産黨の所爲にして、共産黨狩りが行はれマルタの密告により兄と兄嫁は連行されてしまふのでした。

 突撃隊が蛮行を繰り返しても、見て見ぬ振りをして、ナチスの巧みな宣傳により、未來が薔薇色だと感じてしまふ。自分の信念を貫けば、角も立ち、嫌がらせも受けるものの、それでも立ち向かはなければならない。社會保險廳の事なかれ主義で年金問題もボロボロ不始末が出て來ましたが、憲法九條を變へることに意欲を燃やす首相の下で、もっと議論をしないといけませんね。

 舞臺となり伯林に在るこのAEGの工場では、戰中にフルトヴェングラー指揮、伯林フィルが慰問に訪れワーグナーの樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲を演奏してをり、然もそれがナチスの宣傳映畫として殘つてゐるだけでなく、つひ先頃125周年を迎へた伯林フィルがこの工場で記念演奏會を開きました。その映畫フヰルムを見てゐた私には一瞬、ナチスの亡靈が蘇つたのかとぞっとしましたが、伯林フィルと同じ位古い工場と云ふことで選ばれたやうです。「歴史は繰り返す」間違つた方向でないことを祈ります。



ベルリン1933


Book

ベルリン1933


著者:クラウス コルドン

販売元:理論社

Amazon.co.jpで詳細を確認する

動画ダウンロード»»  PC - Mobile - Audio
Powered by TubeFire.com

| | コメント (0)

2007年6月18日 (月)

ベルリン1919

 クラウス・コルドンの伯林三部作を讀みました。第一次世界大戰の終はりから、ワイマールの崩壊、そして第二次世界大戰の終焉まで、1919(大正8)年、1933(昭和8)年、1945(昭和20)年の伯林の北部に在る勞働者一家を通して克明に描いてゐます。
 そのヴェディングには知り合ひもなく、用もなかつたので、全く足も踏み入れたことのない地域でした。帝政獨逸の崩壊と共に、ほんたうに良い國を作らうと考へた人々がゐました。けれども、國の將來を巡つて共産主義でも急進派と穏健派がぶつかり、武装蜂起した水兵が王宮に立て籠もつたり、下町の家族が翻弄されて行きます。弟や妹の面倒を見乍ら家計を助ける利發な長男ヘレ(ヘルムートの愛稱)とその家族は片腕失つて傷痍軍人となつて戻つた父と共に、今を一所懸命生き抜きます。
 蘇聯も崩壊した現在、共産主義が良いだなんて誰も言ひません。ですが、1919年當時、毎日の食べ物にも事欠く底邊の勞動者にとつては、唯一の希望であつたのでせう。歴史として、皇帝が退位して和蘭に亡命したこと、キール軍港で水兵が叛亂を起こしたことは知つてゐても、そこで血を流したり人がゐて、死者が出たとはこの本を讀むまで、實感すら沸きませんでした。毎日の仕事に没頭して、社會の動きに目を瞑るのは簡單です。併し、氣附いた時は押し流されて、取り返しのつかないことが起きるのです。新聞やテレビを鵜呑みにしてはいけない。大きく目を見開いてゐないといけませんね。



ベルリン1919


Book

ベルリン1919


著者:クラウス コルドン

販売元:理論社

Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0)

2007年6月15日 (金)

現役高校生

 中學生ライダーとして全日本125cc級を制覇した中上貴晶は活躍の場を西班牙へ移し、MotoGP Academyの一員として走つてゐます。まだ、高校生にして一人で西班牙選手権を出走する器の大きさに期待してゐます。「第二の加藤大治郎」の譽れも高く、英語の遣り取りに苦戰しつつも、自分の意思を傳へない限りマシンが最高の状態に仕上がりませんから、大いに揉まれて欲しいものです。
 全日本にはまだ高校生ライダーが居るので、そちらの應援も欠かせません。例へば、高橋裕紀を輩出したダイドーの渡辺一馬!まだ、あどけなさが殘る現役高校生故、ブログを讀んでも試驗のことだとか、取材を受けた話、飼ひ犬の話など、稚拙な身近な話題がほほ笑ましい。これからの活躍を大いに期待したいところ。

| | コメント (0)

2007年6月14日 (木)

不運續き

 今期のWGP250cc級に出走してゐる日本人は怪我に泣かされ、今ひとつパッとしません。カタルニアGPに於いて、KTMの青山博一は激しい5位爭ひを繰り廣げたにも拘はらず、あと一歩で7位に終はつたのが最高で、弟の青山周平(ホンダ)は11位。関口太郎(アプリリア)は辛うじてポイントを貰つた15位。そして最終周に轉倒した高橋裕紀(ホンダ)は棄権と芳しくありません。
 青山兄は初戰轉倒の際、小指を削る怪我、関口太郎は一昨年に大腿骨を骨折し、昨年同じサーキットで同じ所を再度骨折して、思ふ存分走れません。そして高橋裕紀も昨年骨折した大腿骨を今年同じ箇所が折れ、固定してゐたボルトが曲がつてしまつたのでした。青山弟も前回の轉倒、怪我が響いて、痛みを殺しての出走では、本來の走りができません。
 轉倒も辭さない思ひ切りの良い走りは大事ですが、一度怪我をするとなかなか復歸しないのが現状のやうです。表彰臺を日本人が獨占する日を夢見るのは自分だけではないでせう。一日も早い恢復を祈るばかりです。

| | コメント (0)

2007年6月13日 (水)

ロレンツォ

Lorenzo 自動二輪、周回軌道(ロードレース)世界選手権(WGP)、排氣量250cc級では、現在伊太利のアプリリア車に乘る西班牙人ライダー、ホルへ・ロレンツォ(中央)が壓倒的強さを誇つてゐます。併し、感情を露わにして、喜びを表現するのですが、驕り高ぶった態度が嫌ひです。まだ21歳ですが、チュッパ・チャップスが出資してゐるので、表彰臺に上がる時は必ず、棒飴をしゃぶってゐます。
 ロッシは長い手足を利用して、上手に體重移動しますし、故大治郎は重心の振れない美しい姿にそれぞれ特徴がありました。小柄な選手が多い中で、ロレンツォは割に上背もあり、カーブ前のブレーキングでは、上體をグイッと起こし、ガバッと膝を開いて曲がります。なんともそれが偉ぶって見えるのは、鼻持ちならない嫌ひな選手だから、さう見えてしまふのでせう。
 アプリリア車は直線での速度はホンダ車を上回る程性能がよく、カーブで抜かしたホンダのドヴィツィオーゾ(今回は三位。右側)に對して、いとも簡單に直線で抜き返す姿も不遜極まりなく感じてしまひます。勝負は時の運、判官贔屓な日本人としては、壓倒的強さを誇つたとしても、偉さうな態度では評價が下がります。きっと、今年は最多優勝を飾り、來期はMotoGP級へ上がることでせう。優勝時は笑ふものの、談話の際も生意氣に見えるのは、不遜な態度の表れだと感じてしまひます。どうしても、好きなれない選手です。

| | コメント (0)

2007年6月12日 (火)

コヤマックス

07catal125 カタルニアGrand Prixの排氣量125cc級では何と久し振りに日本人選手が優勝しました。コヤマックスの愛稱で親しまれてゐる小山知良(コヤマ トモヨシ)がこのクラスの日本人としては2002(平成14)年以來、通算76回目の優勝を飾りました。世界選手権に出走して3年目の晴れ舞臺。自分より小さい小山選手は輕量級バイクでは有利かと思つてゐたら、現在は總重量規定があり、重しを附けて走るのださうです。
 現地に驅け附けてゐた1994(平成6)年、1998(平成10)年の2回も世界王者に輝いた坂田和人から良い忠告でも頂いたのでせう、マシンの仕上がりもやっと自分らしさが反映される走りができ、今まで佛蘭西GP、伊太利GPでもスタート直後の第1コーナーへ真っ先に進入する「ホールショット」を獲得しても、ずるずると後退してゐました。きっと、齒痒い思ひをしてゐたことでせう。
 前半はチーム・アスパーの3臺が一列に並ぶ、後續を寄せ附けないチームワークを誇つてましたが、チェコ人、ペセックが割り入ると體型が崩れ、上位7臺が入り亂れる中、コヤマックスの乘る墺地利バイク、KTMのチームメイト17歳のクルムマッヒャー(瑞西)が先頭に出て、コヤマックスと共にタルマクシー(洪牙利)の牙城を脅かし、最終ラップでコヤマックスが押さへ附け、そのままねじ伏せてチェッカー・フラッグを受けました。順位20位の若人には世界舞臺の醍醐味を味ははせ、コヤマックスは技術で優勝を飾つた感じです。
 それにしても、大きな差がない125cc級は毎度優勝者が違ひ、今後の行方が樂しみです。このまま波に乘り常勝してくれることを祈ります。表彰式に流れる君が代と一番上に掲げられる日章旗が素直に嬉しかったこと。

| | コメント (0)

2007年6月11日 (月)

ワークス

Catal07m 昨日、バルセロナで行はれた自動二輪周回軌道(ロード・サーキット)世界選手権、カタルニア大會最高峰、排氣量800ccのMotoGP級では、各製作會社(メーカー)お抱への「ワークス・チーム」の戰ひとなり非常な接戰に手に汗握り、未明のテレビに釘附けになりました。
 内燃機關(エンヂン)だけ供給された「サテライト・チーム」に比べれば、最新の部品、情報が揃ふ「ワークス」の強さは抜きに出てゐます。然も今回はドカティのストーナー(豪)、ヤマハのロッシ(伊)、ホンダのペドロサ(西)、カワサキのド・プニエ(佛)、スズキのホプキンス(米)と、各ワークス・チームにそれぞれ國籍の違ふライダーが、1位から5位までを占めて、上位を爭ふところを初めて見ました。
 今までですと、同じチーム、或ひは同じメーカーのバイクが固まつてゐましたが、それぞれの技術が拮抗してゐるのでせう、かうなるともう優勝は「時の運」でした。ひとつのミスが大きく響く爲、「王者ロッシ」も慎重に周回を重ね、獨走しようと試みるストーナーを脅かし、幾度となく機會を捉へては前へ出て、その間にペドロサが虎視眈々と機會を狙ふ激しい戰ひぶりとなりました。
 マシンの性能では直線で速いドカティ車ですが、百戰錬磨のロッシがカーブでブレーキングで攻めて抜かす姿は天晴れ王者の貫禄でした。21歳のストーナーの逞しくなった精神力も魅力ですが、ロッシの笑顔が見たいもの。再來週の英國大會の行方が早くも氣になる寝不足の週明けです。

| | コメント (0)

2007年6月 8日 (金)

冬の嵐は過ぎ去り

 何の映畫の一齣かわかりませんが、総天然色で洋琴の前で、メルヒオールがお手傳ひさんに〈冬の嵐を過ぎ去り〉を聽かせるものがありました。

動画ダウンロード»»  PC - Mobile - Audio
Powered by TubeFire.com

 メルヒオールは最初バリトンでデビューしたものの、やや高めであつた爲にテノールに轉向して成功を収めた人です。晩年は加州、サンタ・モニカ住まひですたので、かうしてハリウッド映畫にも出演したのでせう。生涯に舞臺では、トリスタンは223回、ジークムントは181回、タンホイザーは144回、ジークフリート(ジークフリート)は121回、ジークフリート(神々の黄昏)は107回、ローエングリンは106回、パルジファルは80回も歌つてゐますので、文字通りのワーグナー歌手でした。

| | コメント (0)

2007年6月 7日 (木)

愛の死

 フラグスタートは諾威(ノルウェー)の生んだ偉大なソプラノですが、1933(昭和8)年からバイロイトに出演し、二年後には紐育のメトロポリタン歌劇場で活躍しました。その後、第二次世界大戰が始まると、夫と共に母國へ歸へり、ナチス占領下では乞はれても歌はず、瑞典(スウェーデン)と瑞西(スイス)だけ公演して何ら疚しいことはありませんでしたが、ご主人がナチス獨逸に必需品を卸してゐた爲、戰後すぐには亞米利加で呼ばれるどころか、怒号の非難を受けました。その際、嘗てコンビを組んだメルヒオールは何ら手助けも救ひの手も差し伸べてゐません。メルヒオール叩けば埃の出る身故、大ぴらに活躍できなかつたのでせう。
 但し、この間の休息が彼女を助け、晩年になつてもイゾルデやブリュンヒルデを樂々歌へるやうにしてくれたのですから、よかつたのかも知れません。

 これは實況録音の〈愛の死〉ですが、若々しい澄んだ歌聲が何処までも通ります。

動画ダウンロード»»  PC - Mobile - Audio
Powered by TubeFire.com

| | コメント (0)

2007年6月 6日 (水)

二重唱

 すっかり動畫に嵌つてゐますが、フラグスタートとメルヒオールの《トリスタンとイゾルデ》の〈愛の二重唱〉もありました。但し、SP盤起こしなので、靜止畫があるだけで、動畫はありません。音だけお樂しみ下さい。PCでかう云ふ樂しみ方があるとは思つてもみなかつたのは、遅すぎですね。長いのでご丁寧に二部に別れてゐます。

動画ダウンロード»»  PC - Mobile - Audio
Powered by TubeFire.com


動画ダウンロード»»  PC - Mobile - Audio
Powered by TubeFire.com

| | コメント (0)

2007年6月 5日 (火)

メルヒオール

 丁抹(デンマーク)出身のメルヒオールは最初バリトンでデビューしたものの、後にテノールに轉向し1924(大正13)年に再開されたバイロイトでジークムントとパルジファルを歌つてゐます。前年に獨逸ポリドール、この年にパルロフォンに既に吹き込んでゐます。その喇叭吹き込みの様子を後に映畫に使つてゐるやうで、その動畫を見附けました。電氣録音のマイクロフォンを使はず、直接レコード原盤を刻む爲、喇叭に向かつて歌ひ、補助の人が手前に引いたり、奧へ引っ込めたり、或ひは絃樂器が近附いて演奏したり、微笑ましいものです。

動画ダウンロード»»  PC - Mobile - Audio
Powered by TubeFire.com

| | コメント (0)

2007年6月 4日 (月)

フラグスタート

 先週の「蓄音機の會」ではワーグナー特輯第三段、「キルステン・フラグスタート&ラウリッツ・メルヒオール」を取り上げ、神々しい雄叫びとヘルデンテノールの醍醐味を味はひました。特にフラグスタートはお氣に入りのワーグナー歌手ですので、SP盤も歌手の中ではカルーソーと並んで最も多く手元にあります。

 北歐出身のワーグナー歌手が多いのは、ゲルマン系故體格的にも樂々聲が出るのか、兎に角、凄まじい聲量を誇る人が大勢居ます。最近流行りの無料動畫集You Tubeの中にフラグスタートを見附けて喜んでゐます。然も、テレビ放映されたものなのか、ボブ・ホープの司會の後、古典的なワルキューレに扮したブリュンヒルデが岩山で槍を片手に歌ふ姿も勇ましく惚れ惚れしますね。

動画ダウンロード»»  PC - Mobile - Audio
Powered by TubeFire.com

諾威(ノルウェー)に在る「フラグスタート博物館」の畫像では、パラマウント映畫社が1938(昭和13)年に撮影した同じ背景のものがあります。"THE BIG BROADCAST OF 1938"と云ふニュース映像なのかも知れません。

| | コメント (2)

2007年6月 1日 (金)

サンドとワイン

5月19日のサンドの料理に合はせたワインも掲げてをきませう。

 ○2002年産 モンムスー 「トゥーレーヌ」 キュヴェ・J・M ヴァン・ムスー
 「佛蘭西の庭」と讃へられるロワール河。その中流に位置するトゥーレーヌ地區で採られた葡萄からワインを造り、再度瓶の中で二次醗酵させ、傳統的方法でその炭酸瓦斯を封じ込めた發泡酒です。爽やかで細かい泡が心地よく刺戟しました。シュナン・ブランでも結構美味い辛口の発泡酒になるものです。

Sancere ○2005年産 アルフォンス・メロ 「 サンセール」 アン・グラン・シャム
 1513(永正10)年の文献に既に名前が出て來るメロ家は、家族經營の大きな醸造所で、丘の頂上近く、南西向き斜面に廣がる最上の畑を所有してゐます。次期當主となる19代目のアルフォンス・エドモンド・メロは品質管理を徹底し、サンセールでは珍しく、オーク樽を一部使ひ、青臭くなりがちなソーヴィニヨン・ブランに複雑さを與へてをり、美味かったです。

 ○2005年産 ピエール・ゴーティエ 「ブルグイユ」  ジュール・ド・ソワフ
ピエール・ゴーティエは農藥や除草剤を一切使はず、土を鋤き返して空氣を入れた畑で葡萄を造り、蟲が附き易いので、非常に手間の掛かる作業を經て、亞硫酸すらも無添加にして、自然派ワインに拘つてゐます。それ故、水っぽくない、カベルネ・フランらしい枝っぽい味はひの上品な赤ワインでした。玉葱の甘味が生きたベアルヌ風牛フィレには合はないと云ふお客様と、絶妙であつたと手放しで絶賛される方と賛否兩論でした。

 ○2003年産 シャトー・ド・シャムブロウ 「サヴァニエール・ ロッシュ・オー・モワンヌ」
シュヴァニリエ・ブアール キュヴェ・ダヴァン・ドゥー
 サヴァニエール地區のシュナン・ブランは、辛口の白ワインで有名ですが、甘口も造られてをり、ラベルにdoux(甘口)の表示があります。時折頭の痛くなる、單に甘いだけのワインもありますが、これはコクもあり、酸味との釣り合ひもよく、エレガントな味はひでした。

 餘りロワールのワインだけで料理を通して食すことはないので、面白い試みになりました。


| | コメント (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »