ワイマル日記
近代伯林史は續きます。今月の蓄音機の會に、以前リヒャルト・シュトラウス協會の例會でお出でになつた松本道介さんがいらっしゃいました。全然知らなかつたのですが、その時の様子を雑誌『季刊文科』34に「”にわとこ”のモノローグ」と題して寄稿されてをり、随分とお褒め頂きました。
そして、いらっしゃるなりいきなりご自身が翻譯されたこのハリー・ケスラー著『ワイマル日記』冨山房上下刊を下さいました。ナチス政権前の1920年代から1932年までの伯林はさぞかし良かったのでせうねえ。是非、これをお讀み下さいとのことでした。
本の蟲にはたまらない贈り物です。著者のハリー・ケスラー伯爵は、第1次世界大戰前は伯林とワイマールの自宅に藝術家が集まるサロンの主催者として知られ、歐州全域に知人がゐました。波蘭との終戰協定、ヴェルサイユ條約批准後、佛蘭西の過酷な賠償請求に對して英國の知人の議員等に根回しして平和を摸索します。ワルター指揮のマーラーの2番を聽き(1919年)、アインシュタインとの交友、ナポリではカルーソーの死に出くわし(1921年)、露西亞バレヱのはねた後ディアギレフと食事(1925年)、或ひは《エレクトラ》初日にリヒャルト・シュトラウスの妻パウリーネとのちぐはぐな遣り取り(1926年)、ホフマンスタール、ジョセフィン・ベーカー、マイヨールやジャン・コクトー、ラディケ、プーランク、彼が當時の知識階級の政治と文化に對する証言の數々。現時點でまだ下巻の中程ですが、帶の説明文の通り「時代の息吹」が感じられる第一級の日記です。随所に佛蘭西語の會話文が混ざり、古代希臘や古代羅馬の原書を讀んだと云ふ著者の奥行きの深さが出てゐます。どうも頭でっかちになりがちですが、かう云ふリベラルな知識人になりたいものです。
ワイマル日記〈上〉
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ワイマル日記 1918-1937〈下〉
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コメント
はじめまして。ご存じとと思いますが、バイエルン放送の制作したドキュメント・ドラマGewaltfriedenで、ハリー・ケスラー伯が狂言回しのような存在で出てきます。演じるのはローラント・レンナーという人です。私、ドイツ語はもう忘れかけているのですがネットでたまたま字幕を付ける機能があるもので見て、あっという間に見てしまったのです。ルクセンブルクとリープクネヒトの惨殺のような陰惨な話が多く、そしてそのしばらくあとにはヒットラーが控えている時代なのですが、この貴族の存在がドラマを救っています。貴ブログでこの記事を読み、なおのこと読みたくなり、買ってしまいました。よい本を作ることに情熱を傾けた伯爵にふさわしい装丁なのもうれしいですね。
投稿: f masaki | 2014年10月 6日 (月) 12時28分