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2007年7月31日 (火)

伊万里牛

Imarig 北島のご主人、李荘窯ご當主そして14代と一緒に夕飯です。ずっと和食續きでしたので、洋食が食べたいとお願ひしてをきました。それなら伊万里牛を食べに行かうと向かつたのは伊万里でした。場所を決めて貰へば、自分で豫約を入れてワインを持ち込ませて貰ふのがいつもの手ですが、今回は初めてのことですし、餘り出しゃばった真似をしては失禮かと思ひ、豫約だけ入れて貰ひました。そこで出されるのは佐賀牛の中でも特に手鹽に掛けて育て上げた最高級の和牛です。フィレ肉は霜降りで甘味があり、とろっとして美味かったです。

 でも、サービスは最低でした。ワインを選んでる最中に既に前菜が來てしまひました。食前酒のシャムパーニュでも、飲んでから赤ワインを頼まうと思つてゐたのに、がっかり。何でそんなに急ぐのか、全然理解できません。普段地元の人は座つたと同時に食べ出すのでせうか、調理場に急かされるのか、兎に角、どんどん持つて來ます。まあ、佛蘭西料理屋ではないので、文句を言つても仕方ありませんが、こちらは地元の名士をご招待して、和やかに食事をしようと思つてゐただけなのに…、これでは自分の時間配分で口に運ぶこともできません。その上、試飲グラスだけでかいものでしたから、他の人も替へてくれと頼んだら、ステーキが出揃つて食べ始める頃にやっとグラスを洗つて持つて來る始末。ボルドーのまだ若い赤ワインでしたから、デカンタージュをお願ひしたら、それはやってくれましたが、最初から2本頼んでゐるのに間合ひが惡過ぎ。折角のいいワインも料理と一緒でなければ、臺無しです。勿體ない。どんなにいい肉を出してもあれでは…。

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2007年7月30日 (月)

鯉の洗ひ

Arai 有田から車で15分程度、黒髪山の麓、龍門に在る川魚料理店「龍水亭」へ。自分の池で2週間以上絶食させてから調理する爲、泥臭くない「鯉の洗い」を初めて食べました。これは感動の品です。「鯉濃(コイコク)」の味噌も自家製の九州らしい甘味噌で、濃厚な味はひです。主菜は「鰻の蒲焼き」、外はパリッと中はしっとり、東京の蒸す鰻とはだいぶ違ひますが、これまた美味しい。澄んだ空氣、清らかな水、旨い晝食と三拍子揃つて氣分も爽快です。

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2007年7月27日 (金)

有田焼

 有田焼は磁器ですから、陶石を砕いて原料にた素地に釉(ウハグスリ)を掛けて、陶器よりも高い温度(摂氏1300-1400度)で焼いたものです。素地の基本は白で、透明感があつて叩くと澄んだ金屬音がします。釉藥(イウヤク)は焼くと薄い硝子質の層となり、透明釉や青磁釉があります。まあ、この邊までは知つてゐましたが、では實際にどんなものか、まづ「佐賀縣立九州陶磁文化會館」の柴田夫妻が生涯を掛けて蒐集した江戸期の有田磁器(古伊万里)を見學しました。李荘窯の寺内さんの説明を受け乍ら見て回りますから、形、色、筆遣ひの理解度が違ひます。明の時代も終はりに近附き、内亂の屬く中國の代替品として、和蘭に目を附けられ、最初は海外への輸出で伸び、鎖國と共にもっと安價な製品が再び中國で生産されるやうになると、國内需要を掘り出し、國内向けに變化した爲、製品にも違ひが表れてゐました。然も、搬出港が伊万里であつた爲、「伊万里焼」と呼ばれたのですね。

Izumiyama それから、陶石發掘跡「泉山」へと行き、表面は含まれる鐵分により赤いものの中は白い陶石の現物を見ましたした。でも、現在はもっと白い長崎の石を使つてゐるさうですが、この石を今も使ふ人も居るのだとか。そして、李荘窯さんの裏山の李參平が最初に開いた登り窯跡を見ました。李參平が泉山の陶石を發見して、此処で焼いたらしい。普段使ふことを前提に、飾るのではない食器を數々見ると、博物館の印象が頭にあるので、工夫が凝らされてゐることが尚更解ります。特に、テレビ企畫で始めた「究極のラーメン鉢」に人氣がありました。左圖は李荘窯の素焼きに呉須で描いた、焼く前の器たちです。

Risog 寺内さんの幼稚園からの友人、14代今泉今右衛門さんが戻られるまで、2時間もあるのでゆっくりお繪描き時間。この間お傳へした通り(7月13日參照)、思ひ思ひに器に落書きです。此処ではすべて、手描きで模様を描いてゐます。圖面の通りに同じ繪柄を描く職人さんの技が光ります。

 そして、有田の町をそぞろ歩いて「今右衛門古陶磁美術館」へ行きました。ご本人からの説明で皆大感激。一所懸命、朴訥に話される標準語が寺内さんとの會話では地元方言に早變はり。そして母屋の展示室で14代の作品をじっくり見學。薄さと模様の細かさに吃驚。大統領に送られる品な譯ですねえ。元々、大名への贈り物として作られた鍋嶋焼の繪附けを擔當してゐたのが、明治となり職を失ひ一般向けの工藝作品を作り出したのが10代今右衛門ださうです。それから、傳統を守り乍らも、新しい作風を加へ、14代ご本人も素晴らしいのですが、工房は分業制ですから、それを統括するのはさぞかしたいへんなことでせう。「今右衛門」と器の底に文字を書き入れる人もずっと同じい職人さんが書くさうです。でも、風邪で休んだりすると、他の人が書く譯で、さうすると真贋を極める際に偽物ではないか、と後々言はれる可能性もあるのだとか。また、一緒に行かれた方が12代作の酒器をお持ちになり、更に話に華が咲きました。
 

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2007年7月26日 (木)

嬉野温泉

 午後まだ時間もあり、再現された「佐賀城本丸」ではボランティアの人から丁寧に説明を受けてゆっくり回りました。廣間の藩主の座る床の間前から、下の家臣たちまで襖を開け廣げた大廣間では聲を通らないから、「近かう寄れ」と言つたものと理解しました。遠いい、實に遠い。ですが天井は高く、とても氣持ちいい。石垣の違ひ、鍋嶋藩の地理的条件、意識とか最後には必ず「外様大名ですから」と釈明し乍ら、將軍のお膝元から來た我々に説明してくれました。
 この日の泊まりは嬉野温泉の萬象閣「敷島」です。西館の廣い部屋の上、到着するとキャラメルではなく黒糖を使つた若女將の作るプリンが運ばれ、貸切露天風呂も入り放題、部屋で食事が基本ですが、我々7名揃ひでお願ひしたところ60疊の大廣間に通され、隣の山口大學の先生方のカラオケを聞き乍らの食事です。佐賀牛、それに伊勢海老附の刺身、贅を凝らした料理の數々に大滿足。

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2007年7月25日 (水)

丸芳露

Maruboro 佐賀の特産お菓子「丸芳露」の北島さんの工場を見學させて貰ひました。此処の社長とは伯林以來の友人です。3年の契約も終はり、改めて獨逸語を學ばうと権威のある學校へ入ることにしたのですが、その初日、ツォー驛から前をゴロゴロと旅行鞄を牽くスーツ姿の人を發見。折しも雨が降り出し、傘を持つてゐないこの人はだいぶ濡れてゐて、ふと荷物を見ると日本語が書かれてゐたので、思ひ切つて「日本人ですか」と聲を掛けたのが最初です。その方向には學校しかないので、一緒に行き、音樂好きだと云ふのでフィルハーモニー(ホール)で遇ったりして一緒にご飯を食べたり意氣投合したものです。荷物の感じから日本から直接來られたのだと勝手に信じてましたが、今回改めて聞いたら、その前ほぼ1年間ミュンヘンで學校に行き音樂三昧の生活をされてゐたのださうです。道理で3年の生活してた自分よりも遥かに獨逸語は上手で上のクラスであつたと今頃納得しました。

 工場に入るにはスリッパに履き替え、白衣を着て、マスクをして帽子を被る完全武装です。それから粘着式の床を歩き、空氣の吹き出る部屋で埃を飛ばし、その後、ローラーで肩にまだ髪の毛がないか、念には念を入れてやっと見せて貰ひました。

 佐賀縣産の小麦粉を數種混ぜて、季節によりばらつきを減らし、新鮮な卵に水飴、蜂蜜等を加えただけの柔らかい原料を型抜きして焼いて行きます。それが、5人の職人さんで1日2萬個も作ると聞いて吃驚しました。此処だけは機械化できないとのこと。安直に食べてゐたお菓子の裏では、そんな苦勞があつたとは露とも知らず、失禮しました。

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2007年7月24日 (火)

ミニ會席

Mutugor 佐賀市内に移動してお晝です。1882(明治15)年創業の老舗料亭「楊柳亭」でミニ會席を頂きました。地元の人の紹介だけあつて、品良い品々が順繰り出て來ますが、どれも九州ならではの魚であつたり、味附けです。どうしても「ムツゴロウ」が食べたかつたのでお願ひしたところ、最初に甘く煮たものが蟹味噌の芥子和へと共に出て來ました。蒲焼きです。骨は硬いのですが、ちゃんと殘さず食べられました。何度も食べたくなる味ではありませんが、話の種としては十分です。
 建物は戰後に立て直されたのでせうが、調度品に老舗の風格が漂ひます。床の間の掛け軸は見事な孔雀繪、短冊や屏風の書、歸へり際に1階の大広間を覗いたら100疊間に絨毯が敷かれ丸卓子に椅子で既に宴會の準備が整へられてゐました。そして、額を見ると、三条實美、犬養毅、大隈重信と歴史上の人物の書が誇らしげに飾つてあります。歴史と云ふのはかう云ふことを云ふのでせう。

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2007年7月23日 (月)

吉野ヶ里遺跡

Yoshinog 月初めに九州へ行つて來ました。今年は餘りに圓が弱くてユーロが強いので、海外旅行は止めて、國内だけです。基本的に友人を訪ねる旅となりましたが、お客様6名をお連れして、地元のものを食べ、温泉入つて、食品工場見學して、有田で繪附け體驗させて貰ひました。福岡往復の飛行機と宿が一緒になつた日本交通公社の割と自由なパックを利用しました。宿は格上げして貰ひ、足には3日間貸切ジャムボ・タクシーです。
 運轉手さんが吃驚したのは、「どうして佐賀だけなんですか」。九州全域何処でも行くさうですが、普通なら、博多や長崎、或ひは熊本や大分、足を伸ばして鹿兒嶋とか、縣を跨つて旅をするのに、我々は違ふからです。一箇所じっくり見るので、神風旅行はしないこと、食事も通常1時間半は取りゆっくりするとか、説明してやっと納得してくれました。かなり變な客であつた筈です(笑)。
 最初に訪れた「吉野ヶ里歴史公園」は廣々とした園内に再現された建物が並び、昔の機織り、竹細工、藁細工等も實演してゐました。東京は今にも泣き出しさうなどんよりした曇り空でしたが、梅雨の晴れ間が覗き、途端に炎天下。竪穴住居を模した休憩所内の自動販賣機で買つた水が美味しかつたこと。暑かったです。

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2007年7月20日 (金)

蟻んこバック

R26bag 今回以前と違ふのは後輪兩側に鞄が附いたことです。通稱「蟻んこバック」。何となく蟻のお尻に見えるから、さう名附けられたやうです。普通はサイドバックとかパニアケースと呼ばれてるものです。
 これの凄いのは40年以上も前のものなのに、新品だと云ふこと。部品探しに行って下さつた店先に飾つてあつたさうです。バイク屋の親父さんが白いR69に乘つてゐて、黒は當時買つたのに色が合はないから店に飾つてゐたと云ふ珍品です。FRP製で子持ちラインは勿論、職人さんが描いてゐます。生憎、鍵はありませんが、方向指示器も附いてゐて、接續して貰ひましたから、ちゃんと光ます。日本でR26にこれを附けてる人はまづ居ないでせう。只困るのが、後ろで手を掛けるところがなくなり、センタースタンドを立てるのがたいへんです。體重も輕くなつてゐる所爲もありますが、コツを掴むまで一人で遠出できません。恥ずかし~い。

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2007年7月19日 (木)

レストア

R26naname このバイクは子持ちラインと呼ばれる、白い二本線が描かれてゐますが、印刷ではなく、職人さんが筆で描いたものです。ですから、非常に味はひがあります。BMW社の印も真鍮を削り、水色と白の七寶焼きにして作られたもので、非常に凝つてゐます。
 日本と違つて獨逸は右側通行ですので、キックは左側に附いてゐます。今まで、何度もキックして、やっとエンヂン點火する感じでしたが、もうそんなことはなくて少なくとも3回で掛かります。30分大汗かいて、シャツ一枚になってスタートさせる苦勞から解放されました。先週の土曜日に乘つてみましたが、直ぐにエンヂンは掛かるし、排氣音も快調で素晴らしい仕上がりです。只、前の車の發進がとろいと、半クラッチで繋ぎの感覺がまだ戻つてをらず、ふらついてしまひました。

 今回の一番の問題點はガソリンタンク内の塗装剥離でした。以前、見て貰つた時に既にその兆候はあつた筈ですが、何も教へてはくれませんでした。取り敢へず直せばいいと云ふ考へで、何度も足を運ばせてがっちり儲ける業者であつたのでせう。ですから、以前はキャブレターが詰まったりして、純正のものを手放して後期のものを装着し、元々の純正のものは業者に取られてしまひました。してやられたり~って感じです。今ではなかなか手に入らない部品ですから、大失敗。授業料はでかかったです。

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2007年7月18日 (水)

R26

R26saide_1 地下鐵の無料配布雑誌『R25』と云ふのがありますが、それとは何にも関係なくて、私のバイクの話です。結婚前に豪州から個人輸入して手に入れた舊車(ヴィンテージ・バイク)です。1950年代後半に賣り出された排氣量250cc、アールズフォークにスイングアーム式サスペッションを備へた優れもの。

 當時新車で2,150マルクしたらしいです。側車を附けることも可能な機種で、同じ時期に發賣されたR50の水平二氣筒エンヂンを片肺にして立てに載せた感じです。以前業者にお願ひして調整して貰つてから、實は調子も今ひとつで、子供も生まれてバイクどころではなくなつてしまひ、ほぼ10年間ほったらかしでした。今回は友人を介して知り合つた、趣味で元の状態に戻すことを樂しんでる(restore: レストア)方にお願ひしたところ、綺麗になつたばかりか、細かい接點も調整して下さり、まるで新品のやうに見違える程です。週末晴れたら、お散歩します。

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2007年7月17日 (火)

撮影

 先月のことなのですが、弊社ビル屋上で映畫の撮影がありました。戰隊ものの『ゲキレンジャー』です。毎週日曜日の朝にテレビ放映されてゐますが、今回のものは映畫版で、香港とか海外ロケーションも行ひ、夏休みに假面ライダーと同時上映されるものです。大昔、『ゴレンジャー』を見たことがある程度で、女の子しか居ない我が家では誰も興味なし。かう云ふ番組から藝能界に入り、活躍されてゐる若い俳優さんが居るとは聞いてますが、正直よく知りません。

 着ぐるみのスーツアクターが惡者を倒す場面かと思つてゐたら、最後の回想ところでした。夜景が欲しいとのことで、19時過ぎから22時頃まで、同じ科白を幾度も繰り返し、違ふ角度から撮影するのでたいへんです。カメラの奧で見てゐたら、俳優さんに見詰められる感じです。あんまりじっくり見られたことがありませんから、妙に氣恥ずかしい感じがしました。勿論、あちらは飽くまで演技、カメラを見てるだけですが、視線が物を云ふのでせう。自分の出番のない時は、氣さくに話も出來て、急いで來た甥っ子と一緒に記念撮影にも應じてくれました。

 現場を貸してる責任者として、ずっと立ち會つてゐましたが、そんなに長い時間を掛けても編輯すると3分程度に滿たないのでせう。「テスト」「本番」とカチンコが鳴る度にこちらも緊張しました。
 

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2007年7月16日 (月)

海の日

 祝日故、今日はお休みです。

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2007年7月13日 (金)

Ryu 今月初めに有田へ行つた際には、李荘窯で素焼きの素地に焼くと青くなる「呉須」で描かせて貰ひました。塗り物とまた違つて、たっぷり呉須を筆先に附けてから描きますが、筆を下ろし過ぎると浸み過ぎてしまひ、触るだけでは描けず、これまた一苦勞。一度に描けなければ、當然重ねて塗るのですが、思ふやうに運べません。それでも、細かさで誤魔化さうと自分の干支の「龍」に挑戰です。
 昔、落書きした程度で細かいところを覺へてゐませんが、想像の動物なのでその邊りは許して貰ひませう。鱗を描くだけで、だんだんと疲れて來た爲、場所により随分差が出てしまひました。大作に終える筈が、雲は李荘窯の寺内信二さんにお願ひすることにしました。來週末位には焼き上がると云ふことなので樂しみです。
 何となくコツを掴んだのと、時間に餘裕があつたので、少し小振りの酒器に再度挑みます。今度は自分のバイク、BMW R-26とまたクラシックカーです。はたと困つたのは、細部が思ひ出せないことです。いつも跨つた姿勢でしか見てゐませんでしたし、足下のレバー等どんなであつたか、うろ覺への中で適當にやるしかありません。描き始めてから失敗したと後悔しました(笑)。仕上がりが樂しみです。

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2007年7月12日 (木)

自動車

Car1Car2 描くものが決まらないと筆はなかなか進みません。まあ30分位は唸つた儘でせうか。今年、輪嶋へ伺つた際は箱瀬淳一さんの工房を訪ね、ご本人の器に描かせて頂くことになりました。地震の一箇月前のことです。工房は半壊してしまひ、やっと工事が始まつたところださうです。少しでも多く作品を購入するのが、友人の勤めだと思ひ、機會があれば頂くやうにしてゐます。一日も早く復旧されることを祈るばかりです。

 さて、兎に角全然、決まりません。心像(イメージ)が浮かばないことには唸るばかりです。それが、ふと小さい頃の落書きを思ひ出したので、一氣に描いたのが、クラシックカーです。それだけでは寂しいので、箱瀬さんが道路と信號を加へてくれたので、尚一層奥深い品に早變はりです。専門家の一筆で見違へるやうになりました。

Hashi 最新作は五月末に大向高洲堂さんの恵比寿の展示會に於いて、祖父母から孫まで3世代、思ひ思ひに箸に描いてみました。前回、箱瀬さんの一筆が決め手となつたので、中途半端に終えることを最初から念頭に、題は「葡萄」。ワインに携はる身なので、いいでせう。カベルネを思ひ出して描いて、蔓だけ入れて貰つた爲、何とも素敵に仕上がりました。

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2007年7月11日 (水)

塗り物

Kuro 塗り物の場合は完成した商品に繪を描かせて頂きます。最初は高價な品だけに、ビビッて全然筆が動きません。既に完成したものを自分が汚すやうに思つてしまつた爲、幾何學模様を描かうと考へましたが、筆が滑らず繪になりません。それでも、漆藝作家、箱瀬淳一さんのお手傳ひでなんとか形になりました。毎朝の食事にお目見えして、拙ひ技を見てる内に再度試してみたくなつて、またお願ひをしました。筆を動かし乍ら、ふと雲にしようと思ふと、どんどん描けて來るから不思議です。つひでに波模様も入れて、遊んでます。二度目と云ふこともあつて、焦りなく、樂しめました。

Shu2 下地を塗る際は人毛の刷毛を使うさうですが、細密畫を描くには熊鼠の髭が筆になります。元は船に住んでゐた鼠が良かつたらしいのですが、現在は琵琶湖の畔に住む熊鼠ださうですが、これも捕れないのでこれから先代替品を探さないといけないさうです。かう云ふものは、人口繊維には向かないのですね。粘りがあり、滑らかに筆を動かすのは熟練の技です。

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2007年7月10日 (火)

手捻り

Ibota 翌年、茂木の歸へりに訪ねた時には少し大きめの皿に挑んだのですが、敢へ無く玉砕と云ふ感じです。薄く伸ばしても粘土は柔らかくてコシがない爲、へたってしまひます。ですから、底の部分をしっかり大きく取らないといけないのですが、高くすることだけに囚はれた爲、結局分厚くする他なく、ぼってりとしてしまひました。それでもなんとか料理を盛るのに役立つてゐます。

 益子焼は1853(嘉永6)年に、城主大關公の物産奨励の命により始められました。茨城縣の笠間で陶器の修業をした大塚啓三郎が最初だと云はれてゐます。

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2007年7月 9日 (月)

手作り

Katakuti 年に一度位の割合で自分で作った食器や、自ら描いた食器が増えて來ました。陶器の場合は轆轤(ロクロ)を回さず、手捻(ひね)りで専門家の指導の下結構安易に體驗できるものです。塗り物ならば、輪嶋塗りの器に漆で繪を描いたり、磁器の場合なら素焼きの器に繪を描いてみたり、さう云ふ體驗をする機會を持つことができることに感謝しないといけませんね。作る工程に携わると餘計に愛着も湧きます。
 大昔、陶器の絵附けをしたことはありましたが、粘土を捏ねて作つると童心に戻るものですね。これは、2004(平成16)年に益子の「陶房ましやま」の陶藝教室で作つてたものです。酒飲みでなくとも、料理にも使へるだらうからと「片口」に挑戰しました。指導して下さる方が居るので、適度に指示を受けて、手直しをするので何とか形になりました。乾かした後の色を指定して1箇月待つと自宅へ配送です。青色(コバルト)でお願ひしたので、他の食器にも合ふ感じです。

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2007年7月 6日 (金)

ニッパー

P7040237 「お宅はビクターさんの子會社ですか」と時折訊かれます。蓄音機の上のニッパー(犬)の置物や、ブックエンド、レコード臺等、彼方此方にニッパーが飾つてある爲にさう思はれたやうです。極め附けはこの繪でせうか。
 畫家バラウドがこの繪を英國エディソン社に斷はられて、英國グラモフォン社に賣り込みに來た時は蝋管蓄音機でしたが、それを圓盤式蓄音機に描き替へてくれたら買はうと言はれ、そこだけ塗り潰して描き直したのがこの繪です。100ポンドの金額提示があつて一氣呵成に描き直したのだとか。1899(明治32)年のことです。以來、この型の蓄音機はB型とは呼ばれず、「登録商標型(トレードマーク・モデル)」と呼ばれてゐます。魂を吸はれると思はれたり、悪魔の手先と考へられた蓄音機が親しみをもたれる切掛になつたのですね。
 天井の電球やら非常口案内よ燈が亂反射していい畫像とは云へませんが…。

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2007年7月 5日 (木)

地圖

P7040238 二階すき焼では、「今朝」の番地が載つてゐる古地圖が掲げてあります。昔の町名では、芝區芝口(現在は港區東新橋)となります。和の店ですから、額装も日本畫のやうに地圖の回りは絹が貼つてあります。ベルランでは以前、戰前の伯林市中央部の復刻地圖を掲げてゐました。

 頼んだ額装屋がよくなかつたのでせう、10年以上掛けてゐたら額がだんだんと歪んで、アクリル板が外れさうになり、額が分解しさうなので、やむなく片附けてしまひました。壁のある頃に買つたので、當時はよく見たものです。ブランデンブルク門、ウンター・デン・リンデン、王宮、赤い市庁舎等、東側に屬した所は特に氣にして見たところです。それが今では何の苦勞もなく歩けるから不思議です。そして、交通の要として、また伯林の終着驛と知られたアンハルター驛は使はれてをらず、地圖の上では誇らしげに描かれてゐても、今も再開されてをらず廣場になつてゐますから、少し寂しい氣がします。

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2007年7月 4日 (水)

記念品

Colindai 額に入れると、ただの寫眞や印刷物もうこれは特別なものに早變はりです。單に見える処に挟んだり、硝子戸の後ろに置くのと譯が違ひます。記念の品を大事に飾るには、ちゃんと額装するのが一番です。

 これは、2002(平成14)年の鈴鹿八時間耐久レース表彰臺の様子。歡喜の勝利に沸くコーリン・エドワーズと加藤大治郎。雑誌に大ちゃんの自筆署名が入つたものを競賣で落札後、2005(平成17)年の世界選手権、日本大會でエドワーズ選手から自ら貰ひ目出度く完結!色の多い寫眞の場合、黒い臺紙により一層映えるやうです。
 奇しくも今日は大治郎の誕生日でした。それ故、彼の背番號は74を附けてゐました。

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2007年7月 3日 (火)

新額

Fw 澁谷の宮益坂に老舗の額縁屋が在ります。幼稚園の頃、此処の最上階にあるお繪かき教室に通つてました。何を描いたとか、全然記憶になくて、描けば褒められ、何か忠告して貰ひ描き足したりしたやうな感じでした。その後、中學の頃、選擇授業だか、美術の時間だか、畫材を買ひに行つたら、けんもほろろ、とりつく島もない感じで、邪險に扱はれたのがショックでした。單に判らないので訊いただけなのに、まるで莫迦にした感じで非常に頭に來て以來、足を踏み入れたことは決してありませんでした。ところが先月、前を通り掛かったら、破格の値段で額が賣られてゐたので、すぐ購入。
 それに合ふ寫眞を探して、贔屓の額装屋へ。最初は昨日のワルターを入れるつもりでしたが、どうにも小さ過ぎるので、それでフルトヴェングラーに落ち着きました。白黒寫眞でも灰色ぽいもの、遠景であつたり、黒い背景であつたり、色々です。幾つも置いてみて、やっとこれに決めました。1953年4月14日と裏書きのある、所謂生寫眞です。燕尾服を着てゐるので、本番當日の豫行練習であつたのかも知れません。惜しむらくはやや焦點がぼけてること。いざ、シャッターを切ろうと思つたところで、突然速度が變はり動いちゃったのか。資料を探ると伯林フィルの本番の日。4月12日と同じ演目で、ベートーヴェンの交響曲第8番、リヒャルト・シュトラウスの《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な惡戯》、そしてベートーヴェンの交響曲第7番と云ふプログラム。寫眞から表情は判りません。險しさうな感じですけれども、どんな顔して振つたのでせう。
 

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2007年7月 2日 (月)

額装

Walter 以前、指揮者や演奏家の直筆署名入寫眞を蒐集してゐることを書きましたが、中には署名のない只の繪葉書もあります。そのまま置いてをくのも勿體ないので、額装してみました。丁度、土曜日に樂劇《ワルキューレ》第2幕全曲を掛けるので、ブルーノ・ワルターです。裏にはBruno Walter 1938(昭和13)年ザルツブルクと鉛筆書きがあり、たぶん買つた持ち主が書き入れたものでせう。印刷で確か1936と入つてゐたので、撮影は2年前の筈です。
 伯林のシャルロッテンブルク市立歌劇場(現ドイチェ・オパー)で1920年代活躍したので、ベルランに飾つても違和感はありません。小さい寫眞葉書なので、額装屋に適當にお願ひしたところ、小振りの額に臺紙も小さく品よく纏めてくれました。柱にぶら下げるとやや小さいです。ですので、誰も氣に留めませんが、横向きに灰色の背廣と云ひ、佳い雰圍氣です。

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