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2007年7月27日 (金)

有田焼

 有田焼は磁器ですから、陶石を砕いて原料にた素地に釉(ウハグスリ)を掛けて、陶器よりも高い温度(摂氏1300-1400度)で焼いたものです。素地の基本は白で、透明感があつて叩くと澄んだ金屬音がします。釉藥(イウヤク)は焼くと薄い硝子質の層となり、透明釉や青磁釉があります。まあ、この邊までは知つてゐましたが、では實際にどんなものか、まづ「佐賀縣立九州陶磁文化會館」の柴田夫妻が生涯を掛けて蒐集した江戸期の有田磁器(古伊万里)を見學しました。李荘窯の寺内さんの説明を受け乍ら見て回りますから、形、色、筆遣ひの理解度が違ひます。明の時代も終はりに近附き、内亂の屬く中國の代替品として、和蘭に目を附けられ、最初は海外への輸出で伸び、鎖國と共にもっと安價な製品が再び中國で生産されるやうになると、國内需要を掘り出し、國内向けに變化した爲、製品にも違ひが表れてゐました。然も、搬出港が伊万里であつた爲、「伊万里焼」と呼ばれたのですね。

Izumiyama それから、陶石發掘跡「泉山」へと行き、表面は含まれる鐵分により赤いものの中は白い陶石の現物を見ましたした。でも、現在はもっと白い長崎の石を使つてゐるさうですが、この石を今も使ふ人も居るのだとか。そして、李荘窯さんの裏山の李參平が最初に開いた登り窯跡を見ました。李參平が泉山の陶石を發見して、此処で焼いたらしい。普段使ふことを前提に、飾るのではない食器を數々見ると、博物館の印象が頭にあるので、工夫が凝らされてゐることが尚更解ります。特に、テレビ企畫で始めた「究極のラーメン鉢」に人氣がありました。左圖は李荘窯の素焼きに呉須で描いた、焼く前の器たちです。

Risog 寺内さんの幼稚園からの友人、14代今泉今右衛門さんが戻られるまで、2時間もあるのでゆっくりお繪描き時間。この間お傳へした通り(7月13日參照)、思ひ思ひに器に落書きです。此処ではすべて、手描きで模様を描いてゐます。圖面の通りに同じ繪柄を描く職人さんの技が光ります。

 そして、有田の町をそぞろ歩いて「今右衛門古陶磁美術館」へ行きました。ご本人からの説明で皆大感激。一所懸命、朴訥に話される標準語が寺内さんとの會話では地元方言に早變はり。そして母屋の展示室で14代の作品をじっくり見學。薄さと模様の細かさに吃驚。大統領に送られる品な譯ですねえ。元々、大名への贈り物として作られた鍋嶋焼の繪附けを擔當してゐたのが、明治となり職を失ひ一般向けの工藝作品を作り出したのが10代今右衛門ださうです。それから、傳統を守り乍らも、新しい作風を加へ、14代ご本人も素晴らしいのですが、工房は分業制ですから、それを統括するのはさぞかしたいへんなことでせう。「今右衛門」と器の底に文字を書き入れる人もずっと同じい職人さんが書くさうです。でも、風邪で休んだりすると、他の人が書く譯で、さうすると真贋を極める際に偽物ではないか、と後々言はれる可能性もあるのだとか。また、一緒に行かれた方が12代作の酒器をお持ちになり、更に話に華が咲きました。
 

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