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2007年8月31日 (金)

元禄忠臣藏

 溝口の『元禄忠臣藏』後編は大石内藏助の祇園遊びから始まり、前編最後が途中で重なります。火鉢だけの冬、着物柄だとか、時代考証もしっかりしてゐる爲、成る程さうであつたのかと納得し乍ら、氣の早る浪士を抑へたり、見てるこちらもまだかまだかと云ふ氣分で討ち入りを待ちます。
 ところが、此処の討ち入りだけは史實通りでなく、浅野内匠頭未亡人、瑶泉院への手紙だけで濟ませ、完全に肩透かしを食らひます。いつまでたっても仇討ちをしない内藏助が突然挨拶に來てから、不審に思つて寝附けないところに討ち入りを知らせる手紙が届き、吉良さんが屋内に見附からずしくじったかと思ひきや、炭焼小屋で發見されて無事に本懐を遂げたことを、下女がはらはらし乍ら候文を讀んで聞かせるだけの場面です。非常に、抑への効いた展開で説得力がありました。第三者はかうしてヤキモキして事の成り行きを、固唾を呑んで見てゐたことでせう。そして、泉岳寺での報告、切腹まで英雄として祭り上げるでもなく、淡々として、武士としての心構へを説くやうに映して行きます。この邊りは時代が反映してゐるのかも知れません。大陸へ征く人たちにそっと、心亂さない、肝の据はつた大石内藏助の姿を通し、兵士の生き方を傳へたかも知れませんね。



元禄忠臣藏(前篇・後篇)


DVD

元禄忠臣藏(前篇・後篇)


販売元:松竹ホームビデオ

発売日:2006/11/22

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2007年8月30日 (木)

松の廊下

 昭和16年、真珠灣攻撃を前に萬事戰爭に向かつてひた走る頃、映畫會社も合併させられ、もうフヰルムの配給も終はり、これで映畫作りも最後だと思はれた際、國策映畫として溝口健二が撮つたのが『元禄忠臣藏』です。當時の映畫人たちは、時代考証を重ね實寸寫實主義を貫き、野外セットで江戸城「松の廊下」をきっちり再現してしまひました。
 この夏、家族も出拂つたのを幸ひに、ツタヤでDVDを借り、枝豆茹でて麦酒を用意し、じっくり腰を据えて觀ることができました。喇叭が高らかに鳴り渡り、縱書きの楷書で始まります。役者関係者の紹介が巻物のやうに左から右へと流れ、のっけから松の廊下です。それもじっくり仔細を見せるでなく、廊下の曲がり角に置かれたカメラは單にロングショットで全體を嘗めるやうにゆっくり回り出します。すると、上手から吉良上野介が浅野内匠頭を罵倒する聲が聞こえて來ます。何故、あの田舎侍に訊くのだと叱ってから、吉良さんは廊下を曲がり、下手奧へ歩いて行きます。そこへ上手の小さく見えてゐた内匠頭が走り寄り、後ろからズバッと斬り附けます。それから「殿中ですぞ」の聲と共に、坊主や附き人等大勢がどわ~っと出て來て、二人を引き離し、あれよあれよと云ふ間に吉良さんは連れて行かれ、内匠頭は取り押さへられます。この冒頭の場面だけでも見應へ十分。あっと云ふ間に引き込まれます。此処にチラッと畫像あります。

 内匠頭の切腹、赤穂城の受け渡しがあつて、大石内藏助が山科へ籠もるところで前編が終了。最後の場面もずっと長回しで、親子の別れ、籠の見送り、大石主税が内藏助と目が合ったと同時に涙を抑へ、家に向かつて走り出すところまでワンカット。じっくり見せてくれます。ぼそぼそ聲で聞き取り辛いかも知れませんが、文句なしの大作でした。



元禄忠臣藏(前篇・後篇)


DVD

元禄忠臣藏(前篇・後篇)


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2007年8月29日 (水)

進藤英太郎

 溝口の『山椒大夫』の題名役を演じてた進藤英太郎を見ると、何故かホッとしました。時代劇、特に東映作品と云ふと、惡代官、惡名主、惡城主等、惡の親玉はこの進藤英太郎しかありません。恰幅のいい真打ち登場と云ふ感じで、途中から出て來て、ちっちゃい目をしばたき、バリトンの通る聲で惡事を囁き、露見した時の狼狽へ振りと往生際の惡さの演技が絶妙です。「社長」シリーズ、「クレージーキャッツ」のどただば喜劇にも出演してたと後で知りました。
 市川雷藏主演の溝口作品『新平家物語』 (1955年)の市場の場面で、雷藏演じる平清盛と赤鼻の進藤英太郎演じる誰だったかが知り合ひになります。そこに大きな黒牛が出て來ますが、溝口監督のテストが幾度も繰り返されて、牛もたまったもんじゃんなく、セットの中でジャージャーと音を立ててしてしまひ、水たまりが二箇所も出來たさうです。牛はさて置き、かう云ふ俳優さんが今は居ないのが殘念です。

 そして、初老の脇役と云へば、浪速千榮子が擧げられます。なんか、いっつも出て來るおばさんの印象です。品のいい関西辯で、オロナインH軟膏の宣傳と共に琺瑯看板も懐かしい。溝口の『山椒大夫』では人攫(さら)ひの小母さんでしたし、小津安二郎が東京寶塚で撮った 『小早川家の秋』 (1961年)では、灘の酒藏の大旦那(二代目中村鴈治郎)の浮気相手として出て來ます。然も、はしゃいだ大旦那はこの二號さんの家で息を引き取つてしまふのでした。



溝口健二 大映作品集Vol.2 1954-1956


DVD

溝口健二 大映作品集Vol.2 1954-1956


販売元:角川エンタテインメント

発売日:2006/12/22

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小早川家の秋


DVD

小早川家の秋


販売元:東宝ビデオ

発売日:2004/01/30

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2007年8月28日 (火)

山椒大夫

 森鴎外が好きと云ふ割に『山椒大夫』は未だに讀んでゐませんから、穴ぼこだらけの駄目なファンです(汗)。溝口健二監督作品 『山椒大夫』 (1954年)は白黒映畫ではありますが、繪巻ものを觀るやうな丁寧な作りでした。長回しでカットをせずに、カメラを左右にゆっくり振って緊張感が途切れません。

 過酷な運命に振り回された親子の話と一言で終える譯には行きませんが、母親は遊女として賣られ、子供は貴重な勞働力として奴隷のやうに賣られ、妹は兄を逃がす爲に自害し、運良く逃れられた兄は出世して、苦しめて來た親分の山椒大夫に仕返しをする。「安寿戀しや、ほうやれほ。厨子王戀しや、ほうやれほ」と歌ひ、ボロボロとなり、幾度となく逃げ出すので足の指を切られた母親を探しあてて幕となるお話しです。

 最初は親切さうな素振りを見せた老婆(浪花 千榮子)が一轉、惡女の本性を現して、親子を引き離す場面はキツイです。また、憎々しさ百倍の山椒大夫(進藤英太郎)、遊女にさせられる母親(田中絹代)、けなげな妹(香川京子)等役者も揃ひ、平安朝時代の身分の差だとか、権力に就いても考へさせられます。それにしても、ロケーションの風景も美しい。矢張り巨匠と呼ばれるだけのことはありました。



溝口健二 大映作品集Vol.1 1951-1954


DVD

溝口健二 大映作品集Vol.1 1951-1954


販売元:角川エンタテインメント

発売日:2006/10/27

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山椒大夫・高瀬舟 他四編 岩波文庫 緑 5-7


Book

山椒大夫・高瀬舟 他四編 岩波文庫 緑 5-7


著者:森 鴎外

販売元:岩波書店

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2007年8月27日 (月)

溝口健二

 昨年、トリノの映畫博物館で『雨月物語』の宣傳貼り紙(ポスター)を見て、さうだ、溝口健二は全然知らないと気附きました。黒澤明や小津安二郎なら大抵の作品を見てる筈なのに、もう1人の巨匠をまだ見てゐないのは不覺でした。その後いつでしたか、衛星放送で新藤兼人監督作品 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年) が放映されて、随分變はり者だったことが判りました。

 この映畫は溝口健二監督の下で助監督を務めたこともある新藤監督が痕跡を訪ね、縁の人々に自ら記者としてマイクを向け、思ひ出話を聞き出すと云ふものです。長編記録映畫(ドキュメンタリー)としては、お互ひに知つてゐる者同士が、肩肘張らず、かと言つて節度を保ち、溝口の姿を浮き彫りにしてゐます。女優陣では田中絹代を始め 、木暮実千代 、京マチ子 、香川京子 、若尾文子 、乙羽信子等が語りますが、長回しで氣が抜けなかったり、ロケーションが氣に入らず丸々一日掛けてほんの少し角度を變へてセットを組み直したり、何事に於いても凝り性振りが發揮され、完璧主義者に閉口したやうです。中でも、名惡役の進藤英太郎も煙草をくゆらせ乍ら、思ひ出を語つてゐるのが印象的でした。



雨月物語


雨月物語


販売元:角川エンタテインメント

発売日:2007/09/28

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2007年8月24日 (金)

佐賀

 一昨日の全國高等學校野球選手権大會、決勝戰では佐賀北が名門廣陵を1點差で破り、初優勝を遂げました。このところ、ご縁のある佐賀縣代表の優勝に、こちらの顔も綻びます。凱旋パレード等できっと地元は大賑はひでせう。併し、8回の審判判定に負けた廣陵の中井哲之監督が文句を附けたのだとか。運も佐賀北に見方したのでせうねえ。

 今はテレビ觀戰はしませんが、自分が現役高校生の頃は樂器を持つて神宮球場へ應援に行つたものです。二年生の時に東都予選三回戰まで進んだのが最高でしたが、同級生のヒットや守りに、一喜一憂して喇叭を吹いた日々をふと思ひ出します。オケと違つて1人1部門を背負はないブラスバンドは、途中で氣を抜いても全體に影響が少なかつたり、バレないやうに適度な息抜きもしてました。
 決勝戰の行はれた午後2時、摂氏36度位にはなつた都心の電力消費量も鰻登りで、綱渡りで電氣供給されたとのことです。高校野球も終はると、生徒たちは慌てて夏休みの宿題をして、新學期を迎へることでせう。

 また、『がばいばあちゃん』に人氣が出て、著者の嶋田羊七は講演に引っ張り凧だとか。劇貧の中でも笑ひを忘れず、人として生きる道を示したがばいばあちゃんは立派です。東國原知事に率ひられた宮崎縣だけでなく、佐賀縣贔屓になつた私としては嬉しい限りです。



佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)


Book

佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)


著者:島田 洋七

販売元:徳間書店

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2007年8月23日 (木)

自動二輪車の日

 語呂合はせにより、8月19日は「バイクの日」ださうです。知りませんでした。自動二輪車の樂しさ、利便性、有用性等を紹介し、バイクの素晴らしさを喧傳するのだとか。このバイクの日を挟んで、7~9月の三箇月間に、各地で色々な催しも行はれるやうです。關聯團體に競走設備、製造元各社も協賛してをり、一大行事だと後で知りましたが、すこし宣傳不足な氣がします。バイクの興味のない人にこそ、暴走族の印象は忘れて、もっと樂しさを知つて貰いたいものです。
 バイクの日のその日は親子キャムプでツインリンクもてぎに來てゐました。周回軌道(コース)では丁度、「茂木7時間耐久競走」、通稱「もて耐」が行はれてゐました。但し、人出の少ないこと。氣の毒でした。その分、普段は入れない、A席から見ると、奧のS字カーブ等も見え、席の違ひを感じました。
 そんなバイク月刊の中にMotoGP世界選手権日本大會が茂木で行はれるのですね。

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2007年8月22日 (水)

一輪車

Monocycle 小學生の間では一輪車がこのところ流行してをり、バランス感覺を養ふのによい、と推奨されてゐます。さて、昨日のニュースで1873(明治6)年に佛蘭西人が發明した一輪車を再現した人が、それを競賣に掛けたと云ふ話題を知りました。eBayでは最低價格130萬弗で生憎、落札者はなかつたやうです。日本圓にして、1億8200萬圓(本日1弗=140圓)は幾ら何でも高過ぎです。100萬圓なら買ひ手が附くかも知れませんが、それではきっと原價にも滿たないことでせう。

 187糎7568粍(6.16フィート)の巨大な輪の内側に238齒があり、それに噛み合ふ齒車を座つた人が足で漕いで前に進むと云ふ仕掛けです。ヴィクトリア朝時代の發明品の挿繪で見たことはありましたが、それを手作りで再現する人が出たとは驚きです。電動やガソリン内燃機關(エンヂン)を持つたものなど、現在でも市販されてゐるやうですが、發明當時のものに近附けるやうに、部分により合金を使ひ分けるなどされてるらしいです。

 一輪車と云ふと手塚治虫原作の動畫(アニメーション)『W3(ワンダースリー)』を真っ先に思ひ出します。虫プロ初のTVオリヂナル作品ださうですが、銀河連盟から派遣されて地球にやって來た3人の宇宙人は、兎、鴨、馬の姿になつて調査をする話でした。その際に移動手段として、風防の附いた一輪車に乘つてゐたのです。1965(昭和40)年に最初に放映されてゐますから、再放送を見たんだと思ひますが、偉くモダンで粋な乘り物に見えたものです。幾つになつても乘り物好きなのは男ばかりだとかみさんに呆れられてます。

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2007年8月21日 (火)

壮行會

Sokokai01 去年の自動二輪(バイク)周回軌道競走(ロードレース)、世界選手権(World Grand Prix)日本大會の壮行會は「蓄音機の會」の爲、最後まで見られなかつたのですが、娘が青山周平選手の直筆署名の入つたTシャツが當たりました。今年の壮行會も試合を放映してゐるG+、日テレの關係で汐留であり、地下廣場、特設舞臺でした。早い人は朝4時半から場所を取る爲に來たらしいのですが、真夏の炎天下、そんなに長いこと直射日光に當つては引っ繰り返つてしまひますので、1時間前から座つてゐました。帽子に團扇、手拭ひ、それに水分補給を重ね、始まる頃にはビルの陰に入りやつと一息附けた感じです。

Aoyamabr メーカーを越えて、參戰する日本人ライダー7名が登場!排氣量125cc級の小山知良、250cc級の青山博一、青山周平兄弟(左圖:左弟、右兄)、高橋裕紀そして関口太郎)、MotoGP級の中野真矢と玉田誠、そしてスポット參戰する秋吉耕佑(先日の鈴鹿八耐優勝者)が出席して、それぞれ抱負やレースの見所を語りました。今年は全員の實筆署名(サイン)の入つた大きな貼り紙(ポスター)が2枚が抽選ではなく、じゃんけんでした。たったの2人。昨年は當たつてゐるだけに、物に釣られて來た者には不服でした。
 
Sokokai02 私の不服には關係なく、いよいよ、來月21~23日、栃木縣茂木市に在る「ツインリンクもてぎ」で開催されます。一緒に應援する人に囲まれると、彌が上にも盛り上がりますね。註文した入場券、大治郎席券も届き、豫選の日から、決勝戰の前泊で行つて來ます。

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2007年8月20日 (月)

ヴィスコンティの遺香展

 8月19日まで、九段の伊太利文化會館一階エキジビションホールで篠山紀信の寫眞展がありました。これは、ルキノ・ヴィスコンティ監督生誕100周年記念の一環で、1982(昭和57)年にヴィスコンティ家の全面協力の下撮影された『ヴィスコンティの遺香』の中から選別したものを、ヒューレット・パッカード社のプリンターで大伸ばしにして展示したものです。當時、破格の1萬圓もした寫眞集故、高校生には買へず、週刊誌の特輯記事を後生大事に保管してゐました。
 映畫を通して歐州の重厚さを傳へ、歐州への憧れを掻き立て、「退廃の美しさを教へてくれたヴィスコンティの足跡を追ふ」と立川直樹(プロデューサー)言はしめた通り、貴族出身の監督の屋敷、別荘等に於ける普段の生活をしっかりと見せてくれてゐます。其処には趣味のよさが散りばめられ、先祖から受け繼がれた豪華な佇まひがあり、本物の輝きが靜かに淡く光つてゐました。主の居なくなつた家の中を、元家政婦等が撮影の爲に仕舞つてあつた縁の品々を1箇月掛けて、生前と同じやうに配置して、あたかも篠山紀信の裏で煙草をくゆらしてゐるやうな演出をしてくれたものでした。酷暑の中を訪ね、冷房の効いた部屋の中で、伊太利に思ひを馳せ、深い溜息しか漏れません。この本は今年再販されましたが、相變はらず高いのが玉に傷。




ヴィスコンティの遺香 愛蔵版


Book

ヴィスコンティの遺香 愛蔵版


著者:篠山 紀信

販売元:小学館

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2007年8月15日 (水)

夏期休暇

 8月15日(水)~19日(日)、夏期休暇を頂きます。尚、今朝ビル外壁改装工事の爲、入り口が判りづらくご迷惑をお掛けしてをります。10月一杯まで續くとのことですが、遮斷幕ができた所爲か、店内の冷房はよく効きます。

B4< どうしても納得はいきませんが、起きてしまつた事實は曲げられません。直したばかりで傷附けられたのが口惜しい。憂さ晴らしに、傷痕を公開。
 通稱蟻んこバック(パニアバック)右側追尾燈大破、前照燈ケースに凹み、ガソリンタンクに傷… 後輪泥除けが歪んで、他に右側のパニアバックを支へる所は全部やられてます。

 ついでに當て逃げされた現場。世田谷區野澤4丁目15。「文」の電信柱の右側ガードレール(8月14日6時過ぎに撮影)。見通しいいんですがねえ。
B3

 部品があること祈ります。


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2007年8月14日 (火)

出來上がり

Arita_2 九州、佐賀旅行で有田の李荘窯さんで繪附けした器が届きました(7月13日参照)。細かい繪に薄い色を附け、外周りは青磁のやうにうっすら青く仕上げてくれました。佳い色です。一寸殘念なのが、お願ひしてあつた龍に雲が描き入れてはをらず、古典的自動車や自動二輪車が釉の所爲で滲んでしまつたことです。思ひ通りには行かないものなのですね。素人の繪だとしても、器として飲食に何ら差し障りはありませんから、自畫自賛して使ひますよ。

Arita2_2 それに對して、ラーメン丼の方が素晴らしい色が出て、味はひ深いものとなりました。回轉臺に載せて、グルグル回してる間に筆を上下させて波を描き、内側は山に、外側は雨模様にしたのですが、豫想以上に立派な落書きとなりました。素焼きの際の1割位は縮んだ氣がしますが、これならば喩へ即席麺だらうと美味いでせう。何せ世界に一つ。自分が描いた器です。

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2007年8月13日 (月)

不都合な真實

 11日の土曜日の朝のことです。單車に慣れる爲に家の周りをグルグルするだけでは物足りないので、ガソリンを入れるついで、散歩のつもりでした。未だに自分にとつて不都合な真實は受け入れ難ひものです。

 澁谷から國道246號線を用賀方面に快調に走り、環状七號線を左折して、大森方面に曲がり、目黒道りの陸橋下、碑文谷交差點を引き返し、柿の木坂先に在る窓拭き等をしない土日2圓引きのガソリン・スタンドで137圓で5立(リットル)弱入れて、6時20分。7時前には餘裕で歸宅できると思ひ、駒澤通りのの陸橋を越えてもうすぐ246の看板を過ぎて、後輪に違和感を感じだと思ふや否やお尻を振られ、後ろのタクシーにはクラクションを鳴らされるし、???? 兎に角やっとの思ひで減速して路肩に止めて後輪を見たら、パンクです。

 丁度歩道を掃除をしてた近所のおばさんに公衆電話の場所を聞いて、歩道橋下、バス停前に走って、自宅に連絡入れましたが、興奮してゐるのでうまく傳へられません。取り敢へず、近くのガソリン・スタンドまで押すことにして、またおばさんに尋ねたら、昔はすぐ横の空き地に在つたけれども、今はお統廢合で246を超えた反對車線か、同じ位瀬田方面に行くか、或ひは環七を戻るかしないとないと云ふのです。途方に暮れる間もなく、取り敢へず押してみますが、後輪がパンクしてる爲數米押すだけで、もうにっちもさっち行きません。センタースタンドを掛けるのも、へとへとになるし、滝の汗で前も見えません。朝食を食べずに來たのが悔やまれます。

 再度、公衆電話から自宅にJAFの連絡先を訊いて、引き取りに來て貰ふことにしました。到着まで30~40分掛かると云ふので、かみさんに着替へを持つて來るやうに頼み、自動販賣機で水を買つて飲んでも汗は引きません。バイクを止めたすぐ横、街路樹の裏、マンションの植木の煉瓦に腰掛け、氣持ちを落ち着かせやうとしますが、暑いし、引き續き汗が流れて修理に幾ら掛かるのかとか、頭の中はグルグルしてゐます。7時前にかみさんの車が到着して、長靴を履き替へたところで、路地から車が出て來たのでうちの車を少し後退させて車を出させ、そろそろJAFも到着かと思ひ、ガードレールの街路樹の後ろに引き下がったところに、ボカン、ガリガリと云ふ音と共に、バック右側の追尾燈が全損、その震動で後輪泥除けが曲がり、勢ひでガードレールに倒れた爲、前照燈がへこみ、左側鏡が曲がり、タンクに傷が附きました。

 一瞬の出來事で、當然止まるものだと思つた女性の運轉する輕自動車はそのままブレーキも踏まず、後續車の陰で識別番號も判りません。手を振って合圖をしても、既に遅し。踏んだり蹴ったりとはこのことです。もうその後はすごすごとJAF指定業者のトラックに乘せられて自宅に戻りました。何がなんだか。見通しのよい場所なのに、餘程左に寄つてゐたのでせうか。交通量が多いとは云へ、端に停めたのですが、間に挾まれて骨折しなかつただけでもよかったです。それにしても、當て逃げした奴が恨めしい。

 今朝になつて警察に電話したら、その場で110番で連絡しなさいと叱られました。いよいよ、携帶電話を持たないといけませんね。保險でまかなへるものだとは端から思つてませんでしたし、誰も何も言つてくれなかつたので、泣き寝入りかと思つてました。明日、寫眞を撮って、警察行きます。もう駄目かな。

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2007年8月10日 (金)

真贋

 骨董と云へば、素人は騙されると云ふこと。無理して買つたら僞物であつたと云ふ話はよくあることです。テレビの鑑定團でも、本人評價額はべらぼうに高くても、僞物で二束三文の價値しかないことがよくあります。中島誠之助著 『ニセモノ師たち』 講談社文庫 を讀むと、成る程、「品物は口を利かないが、人間が口を利く」のですね。先代が病氣をして、金が必要なので親父に黙つて舊家の藏の品を賣つて金にしたい、就いては品定めの上買つて欲しい、なんて物語があると却つて胡散臭ひのだと云ひます。品物を觀る前に、もう物語に同情してしまひ、真贋を問ふ目が曇つてしまふのだとか。

 この本の中には、痛い目に遭って勉強したこと、ニセモノを掴まされない工夫、親父さんの教育方法、スケールのでかいお客だとか色々出て來ます。また、最初から僞物を造り出さうとしたのではなくて、「寫し」と呼ばれる、弟子が師匠の模寫、模造をして寸分違はず勉強の爲に造つたものが、100年も經てば「本物」ではないにしても、それはそれでいい味はひが出て來てるので、それを「ホンモノ」として賣られ、觀る目のない客が買つてしまふ。もしも、弟子の作だと理解して買ふのならいいのですが、それを「ホンモノ」だと信じてるから、話がこじれてしまふ譯ですね。

 どの業界でも惡い奴は居ますが、骨董の世界は専門家同士でも僞物を知らずに買つた方がいけないと云ふ不文律の中、騙し合ひもある、しのぎを削る世界。奧深いだけに自分の感性だけを信じて、ポンと買へればそれに超したことはありません。自分がいいと思つたのだから、それでいいのです。値段は二の次です。但し、そこで、色々吹き込まれて、後で高く賣らうだとか、儲けようとすると騙されます。

 私も10年以上、輪嶋塗りだけは現代作家のものや現代の職人のものを見て來ました。それ故、ふと骨董市へ行くと、昔の塗り物の粗がばかり目に附くやうになりました。剥げ方、下地の惡さ、塗りの粗末なもの、一目見ただけで判つてしまふ自分に驚きました。それだけ、普段から本物に接してゐるからだつたのですね。ワインにしも、普段1,000圓のものしか飲まない人に、10,000圓と15,000圓の個性の違ひは判らない。SP盤でもさうですが、競賣によく出てゐます。出品者の評價の割にたいしたことなかったり、色々あります。自分の懐から身錢を削つて、痛い目に遇はないと、人間成長もしないものなのです。

 確か、谷崎潤一郎の『文章讀本』にも、いい文章を讀まないと、いい文章は書けないと云ひ、比喩として利き酒を擧げてゐました。本書にも「品物が無言のうちに話してくれる」と書かれてゐます。ニセモノが混ざつてゐるからこそ、本物を探す樂しみがあり、本物が輝くものなのですね。



ニセモノ師たち (講談社文庫)


Book

ニセモノ師たち (講談社文庫)


著者:中島 誠之助

販売元:講談社

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2007年8月 9日 (木)

いい仕事

 青山通りから六本木通りに抜ける骨董通りに、以前古伊万里を扱ふ「からくさ」と云ふ店が在りました。テレビですっかり有名になつた此処のご主人、中島誠之助さんに一度だけお遇ひしたことがあります。近所の友人宅でパーティーがあり、そこで料理を取りに行く際、人が多くて行き來ができず、お互ひ譲り合つて會釈しただけでした。只、それだけですが、まだテレビに出始めの頃であつたのでせうか、その後、中島さんの回りに自然と輪ができて、和やかにお話しをされてました。私は一寸遠い所に居たので、話の内容まではわかりませんでしたが、何とも人柄の良ささうな方だとお見受けしたことだけはよく覺へてゐます。

 骨董のことで本を探してゐたらありました。中島誠之助著 『骨董屋からくさ主人』 角川ソフィア文庫。以前月刊誌に書いたものを纏め、書き足し、再考改定したものですが、修行時代から獨立した頃はまだ東京の地名、番地も舊名で、都電の走る頃からの出逢つた人や通り過ぎた品々の思ひ出が語られてゐます。本物を見極める真贋の目を持つまで、幾つもの本物に接しなくてはならないことや、ひどい僞物でも本人が「ホンモノ」だと信じてるものには、決して「ニセモノだ」と本當のことは傳へない方がお互ひの爲であつたり、茶道を通じた立ち居振る舞ひ、物腰、人の年輪が本物を育て、また本物に人も安らぎを得て、人が育つて行くかが書かれてゐます。

 掘り出しものを見附けて、沫行くば大儲けを企むやうな輩のところにはロクなものが來ない。ニセモノを掴まされたら、それを買つた奴がいけないと云ふ業界の常識。昔は明治生まれの大店のご主人が懐の深い商賣をしてゐたとか、素人には吃驚するやうな話が淡々とした語り口で語られるので、すっかりファンになりました。古伊万里を世に認めさせ、骨董通りの名附け親だけではなかつたのです。本を書かせても「いい仕事をしてました」。でも、閉店する前から「からくさ」はいつも閉まってゐたやうな氣がします。




骨董屋からくさ主人


骨董屋からくさ主人


著者:中島 誠之助

販売元:角川学芸出版

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2007年8月 8日 (水)

骨董

 實際に描いてみたり、美術館で本物の古い磁器や陶器を見たり、焼き物に触れると自然と普段使ひの他に「骨董」にも興味が湧きます。勿論、資金があればSP盤を買つてしまふので、どんなものなのか、と思ひ、勸められるままに 村田喜代子著 『人が見たら蛙に化(な)れ』 朝日文庫 を讀みました。
 大分縣郊外の通稱「荒田のドロボー市」に出入りする3組の男女が幻のお寶を探して、盗掘、海外出張をして、傷物、贋作も取り混ぜて、客の好みのもの選り分けて商賣して行く骨董屋に就いて描かれてゐます。結構詳しい解説が織り交ぜてあるので、素人が讀んでも、骨董家業の苦勞が忍ばれます。小説の題は大事な骨董なので、誰にも渡したくない、もしも誰かよそ者が箱を開けて見たら、蛙に化けてくれと云ふ話から取られてゐます。

 英國ではポート・ベロウ通りの骨董市が出て來ますが、倫敦在住の際はよく通ひました。初めて買つたコロムビアの携帶蓄音機やギャング映畫に出て來るやうな耳に當てる部分を持つて、上部に向かつて話す電話なんか、此処で手に入れました。それに蓄音機の針も高架下の同じ出店でいつも買つたものです。矢張りどの店も幾度も通つて顔を覺へて貰つてからでないと値引きをしないことだとか、實體驗で知つたことが、懇切丁寧に描かれてゐます。それは日本の骨董屋も同じなのでせうし、いきなりぶらりと來た客から「蓄音機が聞きたい」と云はれても店側としては困惑するだけです。SP盤は身を削る譯ですから、よく知らない人に對して氣輕に掛けられません。自分1人で聽くことも勿體ないのですから、どれだけ音樂が好きなのか、誰かの紹介なのか、見極められない奴は胡散臭く見えるものです。それでも聞きたいと云はれれば掛けますが、よく知らない相手なので、適當に音が出るだけのものしか掛けません。幾度も利用して頂いてる方から、たまには掛けてよと言はれたなら、そりゃ誰だらうとこちらも顧客だと思へばこそ、親切に色々説明して掛けてあげる譯です。

 話が逸れましたが、骨董品のお寶を手に入れたとしても、それに見合ふ代價が得られるとは限りません。犠牲の方が大きかったり、失ふものの方が多いことは多々あるものです。品物から人が見える、それが骨董なのかも知れません。



人が見たら蛙に化れ (朝日文庫)


Book

人が見たら蛙に化れ (朝日文庫)


著者:村田 喜代子

販売元:朝日新聞社

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2007年8月 7日 (火)

唐津焼

 土物には一樂、二萩、三唐津と云ふ言葉があるやうに、信樂焼き、萩焼きそして唐津焼きがよいとされてゐます。特に唐津のぐい呑みは使つてゐるうちに酒が染み込んで、色艶が増して良くなるのですね。どうも、そこまで愛着を持てるものを持つたことがありませんが、輪嶋塗りの使つて育てるのと似てゐます。
 唐津にはお茶わん通りと云ふ、名窯が並ぶ通りが在り、運轉手さんのお勸めで有名作家の店を訪問。確かに、ホテルの賣店に有つたものよりも器が主張してゐます。只、もう有田でわんさか買つてしまひ豫算も越えたことと、こちらに迫つて訴へて來るものがなく何も買ひませんでした。

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2007年8月 6日 (月)

烏賊の活き作り

Ika 呼子の名物と云へば、「烏賊の活き作り」です。季節毎に捕れる烏賊の種類は違ひますが、烏賊釣り船から直ぐに店の生け簀に移され、食べる直前に調理されるのでこれ以上ないほど新鮮です。元祖として名高い河太郎 呼子店へ直行です。前日、我々の運轉手が交渉してくれたので、通常豫約は取らないのに、7名で開店と同時に座れることに。名護屋城跡でびしょ濡れになつた爲、銘々密かに着替へたり、靴下を替へて、2階の廣間へ。勿論、押し込みの座敷ですが、窓から港と大橋が正面に見えて、如何にも港と云ふ感じです。以前は此処から壱岐へフェリーが出てゐたさうです(現在は唐津港から)。
 吸ひ物ともずく酢の後、主菜の活き作り登場です。動物愛護團體から絶對に異議や苦情が出さうな位新鮮で、手足がまだ動いてゐます。畫像は3人前です。下に敷いてある大根妻が見えるかと思ふ位に透明感があり、シコシコした齒應へと甘い味はひが何とも云へません。これはわざわざ來た甲斐がありました。そして、烏賊焼賣も附いてゐますが、今朝ホテルで食べたのと大違ひで、斷然モチモチ感も烏賊の風味違つて美味しいです。烏賊の下足(ゲソ)は最後に天麩羅にしてくれます。するとまた油でこってりするので腹持ちもよく、すっかりお腹いっぱいです。最後に熟れたパイナップルに切り身が出てお終ひ。元祖を謳ふだけのことはありました。

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2007年8月 3日 (金)

呼子の朝市

Yobuko 日本三大朝市の内、輪嶋の朝市に次いで、呼子(ヨブコ)の朝市も制覇です。東松浦半嶋の突端に開けた、呼子も漁業の町ですから、烏賊と鯨が有名です。但し、雨降り故、川から流れ混む赤茶色い濁流が徐々に港を席捲して行きます。有田は岩山ばかりでしたが、この赤茶色は唐津焼の「土物」を彷彿とさせます。お土産屋さんに貸切タクシーを停めて、お店の人の案内で小雨の中朝市通りへ向かひます。生憎の雨故、出店は少なく、露天商は殆どなくて店賣りが少し開いてゐる程度です。角もうちの直營店ですなんて云はれると、買はざるを得ない雰圍氣です。まあ、最初から翌朝の干物を買ふつもりでしたから、鰺の干物300圓、梭子魚(カマス)の干物500圓、それに名物の烏賊の一夜干し、5枚のところ6枚におまけしてくれて1,000圓を購入。奧で魚を卸してゐるのが見えるのがいいですね。

 それから、通りを出てタクシーへ戻る途中に「鯨専門店」を發見。昔、給食で食べた竜田揚げや鯨ベーコンには目もくれず、未だ食したことのない「鯨の尾の身」「囀り(サヘズリ)」を購入。冷凍なので解凍して刺身のやうにして食べればよいとのこと。「囀り」は「鯨の舌」の部分です。尾の身は見た感じ、まるで霜降りの黒毛和牛のやうです。保冷剤に保冷袋を附けて貰つて、福岡から午後便で家へ着くと既に解凍されてましたので、すぐに食べることにしました。
 随分と赤い汁が出ますが、尾の身はほんたうに極上の牛のやうなねっとりとした味はひ。囀りの黒い皮は少し生臭いのですが、半透明の身の部分は豚の角煮のコラーゲンのやうな柔らかさで吃驚。旨い。高級珍味に締めて7,000圓分拂つただけのことはありました。 

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2007年8月 2日 (木)

名護屋城跡

 名護屋城は、朝鮮出兵を前に、各大名家の出兵を見張る爲に唐津の先、呼子近くの丘の上築いた城です。元は、松浦黨波多三河守親(チカシ)の家臣、名護屋越前守經述の居城(垣添城)で在つた所を改造して、大きくしたものです。當時は、大坂城に次ぐ規模を誇り、金箔を施した豪華な天守閣が在つたと云はれてゐます。現在は、石垣だけですが、最近、茶室跡も見附かつたとかで、よく整備されてゐます。
 大手口の觀光案内所で、清掃料として幾許かの金子を差し出し、公園に入ることが出來ます。名護屋城博物館で資料をじっくり見てから、天守閣跡へ登らうと思つたら、月曜休みの休館でした。これは失策でした。併し、佐賀縣のいいところは、縣立博物館は全て無料だと云ふこと。太ッ腹に感謝です。

 徳川家康を始め、伊達政宗、毛利秀頼、黒田長政、加藤清正、小西行長、石田三成等全國から集められた諸大名が自前で陣地を築き、朝鮮へ兵を進めた譯です。案内板を見ると、どの大名が何処に陣屋を置いたかが一目瞭然。天守閣から對馬も見えたと云ふのですから、場所は最適でした。我々が訪ねた際は時折強く降りしきる雷雨でしたが、折角來たのだからと天守閣跡まで登りました。確かに雲に霞む半嶋の先まで見渡せます。文禄・慶長の役で陶工を連れて歸へつて來たお陰で、有田焼や古伊万里があると云はれるものの、寧ろこの邊境に於ける厖大な戰費が明を滅亡させ、それにより景徳鎮から日本へ亡命歸化した陶工が傳へたと云ふ説もあります。孰れにしても、近くて遠い國、韓國、北朝鮮。663(天智2)年の「白村江の役」より1300年、過去の歴史の中で、友好だけではなかつたことは言ふまでもありませんね。

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2007年8月 1日 (水)

虹の松原

Karatu 唐津の焼き物見た晩は唐津に泊まりです。砂濱沿ひに聳える唐津シーサイドホテルの西館の部屋は和洋折衷、疊の間と別に寝臺が二つ在る廣々として氣持ちいい所でした(畫像は部屋からの眺望)。3階の露天風呂からは砂濱が殊の外よく見え、疲れを癒してくれます。此処の名物はビュッフェ式朝食の笊豆腐だと知り、然も補充されないので遅いと無くなるから早起きしなさい、と云ふ地元の人の薦めにより7時に行つて無事食べました。最近流行りの重い、濃厚な味はひです。

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