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2007年8月 2日 (木)

名護屋城跡

 名護屋城は、朝鮮出兵を前に、各大名家の出兵を見張る爲に唐津の先、呼子近くの丘の上築いた城です。元は、松浦黨波多三河守親(チカシ)の家臣、名護屋越前守經述の居城(垣添城)で在つた所を改造して、大きくしたものです。當時は、大坂城に次ぐ規模を誇り、金箔を施した豪華な天守閣が在つたと云はれてゐます。現在は、石垣だけですが、最近、茶室跡も見附かつたとかで、よく整備されてゐます。
 大手口の觀光案内所で、清掃料として幾許かの金子を差し出し、公園に入ることが出來ます。名護屋城博物館で資料をじっくり見てから、天守閣跡へ登らうと思つたら、月曜休みの休館でした。これは失策でした。併し、佐賀縣のいいところは、縣立博物館は全て無料だと云ふこと。太ッ腹に感謝です。

 徳川家康を始め、伊達政宗、毛利秀頼、黒田長政、加藤清正、小西行長、石田三成等全國から集められた諸大名が自前で陣地を築き、朝鮮へ兵を進めた譯です。案内板を見ると、どの大名が何処に陣屋を置いたかが一目瞭然。天守閣から對馬も見えたと云ふのですから、場所は最適でした。我々が訪ねた際は時折強く降りしきる雷雨でしたが、折角來たのだからと天守閣跡まで登りました。確かに雲に霞む半嶋の先まで見渡せます。文禄・慶長の役で陶工を連れて歸へつて來たお陰で、有田焼や古伊万里があると云はれるものの、寧ろこの邊境に於ける厖大な戰費が明を滅亡させ、それにより景徳鎮から日本へ亡命歸化した陶工が傳へたと云ふ説もあります。孰れにしても、近くて遠い國、韓國、北朝鮮。663(天智2)年の「白村江の役」より1300年、過去の歴史の中で、友好だけではなかつたことは言ふまでもありませんね。

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コメント

関心をすごく持ちました。ありがとうございます。

投稿: 豊臣秀吉の子孫 | 2007年8月23日 (木) 22時58分

こんなんでお役にたちましたか。>豊臣秀吉の子孫さん
機会があれば、是非、天守閣跡から実際に見渡すいいですよ。どの大名が何処に布陣してゐたかの地圖もあり、よくわかります。

投稿: gramophon | 2007年8月24日 (金) 10時42分

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