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2007年11月26日 (月)

ファビオ・ルイジ

 《タンホイザー》の翌日は横濱で樂劇《薔薇の騎士》を觀ました。音樂監督に就任したばかりのファビオ・ルイジの指揮に代はり、元帥夫人役もアンゲラ・デノケに代はり、アンネ・シュヴァンネヴィルムスに代はつてゐましたが、いつもの3階席ですが、こちらは奮發して中央のB席を取りました。
 リンデン・オパーの際は3階右側で音が遠く感じましたが、オケのノリがいいのか、ドレスデンはいい演奏です。オケとしてのまとまりもよく、ルイジの統率力もあるのでせうが、深淵なるピアニッシモから、大音響まで實に小氣味よく鳴ります。最初、ぐにゃぐにゃで、元帥夫人とオクタヴィアンの情事はどうもぱっとしませんでしたが、クルト・リドルのオックス男爵が出てから急に締まり、一氣に本調子となつて、音の釣り合ひ、發聲、演技共々素晴らしかったです。

 ウヴェ=エリック・ラウフェンベルクの演出は1950年代で、マリア・テレジア時代の建物を相續してゐる元帥伯爵の寝室から始まります。よく見ると壁の染み、塗装の剥げ落ち具合がやや落ちぶれてゐるものの、貴族の誇りだけは昔乍らの感じでせうか。序曲が始まると共に幕が開き、深夜に夜會から戻つた二人が服を脱ぎ捨て、寝臺に重なるやうに入る場面から始まりますから、朝の輝きが尚一層増します。
 朝の髪結ひ、帽子屋、遺兒の懇願、歌手等の際に、米國人と思しき觀光客が入つて來る場面もありました。召使ひのマリアンデルに化けたオクタヴィアンが着替へて戻つて來る際、赤い薔薇の花束を元帥夫人に渡すのは、銀の薔薇に對して生花と云ふことを強調したかつたのでせう。儀式ではなく、肉體関係のある二人ですが、生花が萎れる如く既に忍び寄る老ひを感じ、何時かは自分の手元を離れる青年貴族を思ふ元帥夫人(アンネ・シュヴァンネヴィルムス)の苦惱は身に迫るものがありました。オックス男爵はバイエルンの田舎から出て來ましたと云はんばかりの不躾で身勝手な血筋以外に誇るもののない貴族を好演。

 第2幕は維納の高層住宅の成金趣味のファーニナルのキンキラな部屋。ハンス=ヨアヒム・ケテルセンは禿ヅラで恰幅がよく聲も通ります。娘ゾフィー役の森麻季は小柄で可愛らしさを強調して正解。きちんと聲も届き、遜色ありません。愛の二重唱より、オックス男爵の一人舞臺がこれまた絶品。オクタヴィアンが劍を抜くところ、自分の息子たちが相手をして、オクタヴィアンを袋叩きにしてる最中、息子の一人が誤って親父を刺してしまふ演出はドタバタした感じが出てよかったです。普通陰謀屋のヴァルツァッキはオクタヴィアンの指示に從つてお膳立てしますが、今回の演出では逆にヴァルツァッキの方からオクタヴィアンに申し出る形にしてゐました。考へてもみたら、17歳の青年がこんな手の込んだ茶番劇を準備できる筈もないのですから、金目當てに何でもするヴァルツァッキが仕組む方が至極真ッ當な感じで不自然さがありませんでした。

 第3幕は何処かの地下室を俄に旅篭に仕立てるところから見せます。すったもんだの末、元帥夫人の登場でことは収まりますが、品と威嚴のある元帥夫人が素敵です。自分の若い燕のオクタヴィアンを若いゾフィーに譲るにしても、細やかな配慮と心遣ひが傳はつて來ます。これが、噂のデノケであればもっと聲に伸びがあつたのでせうが、現在東京で望み得る最高の舞臺でした。

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コメント

私は「ばらの騎士」については18日の横浜公演を観ました。当夜の思わぬ収穫はデノケの代役として元帥夫人を歌ったシュヴァンネヴィルムスでした。元帥夫人といえば程度の差こそあれ多少なりとも、あのシュヴァルツコップフの呪縛に囚われている歌手が多いようにも思います。ところが当夜のシュヴァンネヴィルムスの歌いぷりは、そのようなものから完全に自由であるように感じました。素材としての声がなかなか美しく、作為を排して素直に淡々として歌う彼女の歌唱は、よく音楽(と歌詞)の流れにのっていました。シュヴァルツコップフの元帥夫人が(肯定的に意味で)徹底的に「演技されたもの」「作り物」であったのと比較するとシュヴァンネヴィルムスの歌唱はいい意味でその逆の方向ですね。非常に新鮮な体験でした。

演出については、これはまったくgramophoneさんに同意です。ひとつ付け加えると、第2幕のファーニナル家の窓からウィーンの街が見えていましたが、その風景に見えた建物の上に広告が見えたことです。「市民階級」の住居の窓から見えるものとしては実に的確なもののように思いました。 

ルイージについては....そうですねえ....100点満点の試験で100点満点を取ることを目標に心がけている指揮のように思いましたね。まあ、かつてこの作品を指揮した2人のKのように、100点満点の試験で120点、いや200点を取った指揮者がいますからね。ルイージが100点以上取るためにはどうすればいいか....? 指揮にもっと「遊び」や「隙間」があればとも思うのですが。 ウーン、うまく言えませんが、自分で音楽の流れを作るのではなく、オケに流れをまかせて、その上に乗ったほうがいいようにも思いましたが。

投稿: la_vera_storia | 2007年11月26日 (月) 17時41分

 la_vera_storiaさんと同じ日の公演を觀てゐたのですね。
シュヴァンネヴィルムス確かによかったです。衣裳の所爲もあるかも知れませんが、氣品もありおっしゃる通り素直な聲でした。

2幕の窓外の風景は夕暮れ時から暗くなる具合も素敵で、廣告=市民階級と云ふところまで讀めませんでしたね。さすがです!

ルイージは期待してゐなかつただけに、正直素晴らしくて驚きました。これで經驗を積めば、大成すると思ひます。演目により指揮者を替へたのは正解でした。

投稿: gramophon | 2007年11月26日 (月) 18時19分

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