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2008年5月13日 (火)

ベジャール

 東京バレヱ團の「モーリス・ベジャール追悼特別公演」を觀て來ました。オペラに比べると、やや若い女性の觀客が多い氣もしますが、中にはバレヱを習つてゐる、すらっとして姿勢のいい男の子も結構ゐました。立ち居振る舞ひの所爲か、彼らは目立ちます。

 ベジャールは言はずと知れた、モダンバレエの旗手として數々の新作を世に出した振り附け師であり、自ら20世紀バレヱ團を率いて世界中で公演してゐたことは記憶に新しい。初めて目にしたのはクロード・ルルーシュ監督作品、映畫「愛と哀しみのボレロ」でジョルジュ・ドンが真っ赤な圓卓で踊る姿でした。それ以降、氣にはしてゐても、結局實際の舞臺を觀るのは、亡くなつてからになつてしまひました。
 首藤康之の激しい回転や指先の動き、最近テレビで見掛ける上野水香の踊りの振り附けもやつてゐたのかも知れません。

 演目は〈希臘の踊り〉の他、ストラヴィンスキーの〈火の鳥〉と〈春の祭典〉。
波の音から、碧い背景に人々が波を現すところから始まる〈希臘の踊り〉は、民族音樂が常に行かされ、ギター伴奏が段々とアッチェルランドして速くなる曲に合はせて、激しい踊りになつたり、初めて目にするうちの子供も樂しめました。真横一文字に並んで、手足を曲げて上下したり、正面を向いた姿勢で首だけ横を向けて、同じ動きを繰り返すと、希臘彫刻のやうな均整のとれた若人が古代希臘の壺の柄のやうにも見えて來ます。
 綺麗に揃った演技に、難易度の高い囘轉技や躍動が素晴らしい。古典と違ひ、殆ど無地のタイツだけなので、
鍛え抜かれた男女の締まった肉體美が、健康的な古代希臘の壁畫ろ重なります。

 しなやかな肢體から繰り廣げられる統一感とソロの技。〈火の鳥〉は1987年の2月、、旅先のシュトゥットゥガルトとチューリヒで偶然連日で觀たことが忘れられません。不死鳥として蘇る火の鳥が男であつたり、赤い衣裳のチュチュの女性であつたり、全く違ふ演出と生演奏のバレヱの素晴らしさを感じたものです。日本では管絃樂團演奏ばかりで、滅多に本物のバレヱを觀る機會がありませんから、この公演に行きました。
 今回のベジャール版は組曲を元にして、戰ひの中で敗れた火の鳥が再び蘇ると云ふ解釋故、黒い戰闘服のやうな群衆の中に赤い男性火の鳥が目立ちます。旭日と共に、他の火の鳥から生命を分け與へられて復活し、二人が重なり飛ぶ様は、もう唸るしかありません。

 それに比べると〈春の祭典〉は映畫「ニジンスキー」の印象が強く、ストラヴィンスキーの洋琴練習に附いて來れず、怒つた作曲家が縱型洋琴の蓋を閉めて部屋を出て行くところや、舞臺稽古を重ねても、ニジンスキーの意圖することがなかなか踊り手に傳はらず、結局、世紀の大波亂の初演を迎へることになりました。あれは、よくできた映畫です。
こちらは原始宗教的なおどろおどろしさは全くなく、非常に洗練されて生け贄が捧げられる様子が變拍子の曲によく合ひ、全く不自然さがありません。これがテープではなく、生演奏の管絃樂團ならもっと刺戟的であつことでせうが、値段もそれに合はせて上がることでせうから痛し痒しです。子供の發表會と違ひ、きちんと揃ったプロの動きの美しいこと。さすがでした。

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