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2008年5月20日 (火)

夫婦の契り

 國立劇場文樂、五月公演《心中宵庚申》と《狐と笛吹き》を觀ました。のっけから、住太夫の語りで始まり、「上田村の段」を交替なしに勤める勞練振りは健在です。一度も寝ないで聽けました(爆)。やや、聲に衰えもあるかも知れませんが、登場人物を聲で演じ分ける力量は變はりありません。

 正式な夫婦であるにも拘はらず、養母は身代を譲る代はり、自分よりも器量よしのお千代が氣に入らず、養子息子、八百屋半兵衛の留守に離縁させて實家に送ってしまふ。旅の歸へり道、ご機嫌伺ひに千代の實家を訪ねると勝手に戻されたお千代が居ます。最初の夫は身持ちが惡く、2番目の夫には死に別れ、3度も戻ったとあつては世間體もあり、半兵衛に覺悟を尋ねた上、水杯をし門火を焚いて二度と戻るなと言ひ附け、無理にでもお千代を連れ歸へらせる、病に伏せる豪農、嶋田平右衛門。
 八百屋の主人、伊右衛門は信心熱心過ぎて、店は半兵衛に任せ切りだが、何かと仕切たがる姑。離縁した筈の嫁が親類宅に預けられてゐることに氣附き、鬼のやうな姑は是が非でも離縁するように迫ります。養子故、それに逆らふ譯にも行かず、さりとて、婿としては實家に返す譯にも行かず、一旦、お千代を呼び入れ、姑の前で離縁状を渡し、行き場の失った半兵衛は、涙乍らに最期の覺悟をお千代に傳へ、死出に旅立つのでした。
 折りしも、體内の蟲が人間の惡事を庚申の晩に天帝に告げ口する日に當たります。夜を徹して神佛を祀る爲、庚申參りの人出に紛れ、毛氈を敷き、辭世の句を殘し、お千代は5箇月になるお腹に居る子を不憫に思ひ、回向をし乍ら、二人して死ぬのでした。

 現在でも嫁姑の中は一筋繩では行かぬもの。それでも、正式に認められてゐるにも拘はらず、追い詰められて行く二人が哀れです。「八百屋の段」は嶋太夫の張りのある聲が切羽詰まって行く情景を語り、不条理な世界を考へさせてくれました。

 後半は昭和の作品《狐と笛吹》。恩返しに子狐が先妻に化けて世話をする内に戀心が芽生え、夫婦の肉體関係をもつと異界に住む二人共死んでしまふ定めに逆らひ切れない二人。四季の移り變はり、暗轉からスポット照明等、現代の技が生かされた演出ですが、どうも物語が弱いのか、感動を呼ぶ程ではありません。三味線を琴や二胡に持ち替へたり、人間國寶、鶴澤清治の技をもってしても、「今昔物語」の話は餘りに夢物語の感が歪めません。50年振りの再演なのだからこそ、平成版にして欲しかったと思ふのは、これまで數を見て來た所爲で目が肥えたからかも知れません。

 今週末は《鎌倉だ三代記》と《増補大江山》なので、そちらも樂しみにしてゐます。

 

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