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2008年12月20日 (土)

どんな、あんな?

Photo 此処、新國立劇場も基督降誕祭の飾りが賑やかで、ロビーも華やいで見えます。
 さて、モオツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の中で、幕開けから夜霧に紛れて好色の騎士ドン・ジョヴァンニがドンナ・アンナの寝所に突然現れ、襲はれてしまひます。さうです、これが本日のお題ドンナ・アンナ。

 騷ぎを聞き驅け附けた父の騎士長もドン・ジョヴァンニの刃に倒れてしまひます。そこへ助けにやって來た彼女の許婚ドン・オッターヴィオが共に復讐を誓ひ、騎士の從者レポレッロは主人の行爲をなじるものの宮仕への悲しさ、主人の命令で、以前主人が捨てた女ドンナ・エルヴィーラに諦めるやうに諭し、主人の女性遍歴を記した〈型録の歌〉を歌ひ、ドラマは進みます。

 ドンナ・エルヴィーラは未練もあり復縁を願つてゐますが、このドンナ・アンナは父親も殺され、自分も辱めを受け(たぶん)、踏んだり蹴ったりで絶望しても、何とかドン・オッターヴィオに励まされますが、それでも結婚は惡人であるドン・ジョバンニの爲に一年間喪に服します。許婚もそれに從はざるを得ません。親の喪に服すのなら解るのですが、ドン・ジョヴァンニの爲と云ふことは二人には肉體關係があつたと勘ぐりたくなりますね。

 このオペラの原題は《罰せられた放蕩者》または《ドン・ジョヴァンニ》で、西班牙に古くから傳はるドン・ファン傳説を本に、惡事を重ねると地獄に堕ちると云ふ内容なのですが、單に「悲劇」とはせず、「ドラマ・ジョコーソ(諧謔劇)」としてゐます。地獄落ちの後、銘々が心境を語り、明日への希望を夢見る最後も單に附け足しで省略すべきだと云ふ人も過去にゐました。

 今回、グリシャ・アサガロフの演出は成功とも失敗とも云へない中途半端な印象でした。黒く艶光する床をヴェニスの運河に準へ、ゴンドラでやって來るドン・ジョヴァンニとレポレッロ。〈型録の歌〉で大きな女性人形が現れ、意図を操るドン・ジョヴァンニの姿から、女の心を玩んでゐることを表してゐたのでせう。橋になつたり、二階部分になる工夫はよく、紫のカーテンで好色なドン・ジョヴァンニの心情をよく表してゐました。
 ツェルリーナとマゼットが結婚祝ひをしてゐる所は、白黒チェスの駒、騎士を象つた馬に跨り、メリーゴーランドのやうに遊んでる場面でした。この駒は第二幕で騎士長の石像前に配置されます。第二幕前半は木立の繪柄が天井まで届く大きな衝立として並ぶ森の表現は秀逸。但し、全體を考へると、説得力に欠け、意外性もないのが殘念でした。

 歌手は各々非常に伸びやかに歌ひ、アムサンブルもよく、纏まり、外人の中でツェルリーナ役の高橋薫子が可憐さを備へ見劣りせず、逆に田舎娘ぽくありませんでした。若い指揮者コンスタンティン・トリンクスのテムポはアリアや重唱はたっぷり聽かせてくれますが、小氣味よい速度で引ッt張る譯ではないので、中弛みしてしまひます。本人の彈くチェムバロもエッティンガー程の遊びがないので、よりグランド・オペラぽい仕上がりで、重々しさが強調され、モオツァルトらしい滑稽さや諧謔が今ひとつ傳はらず、今後の精進に期待しませう。

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