來年は平城遷都1300年祭故、あの氣味惡い割に可愛いと騒がれた象徴人格(マスコットキャラクラー)「せんとくん」を先日見掛けました。かなり異樣です。
昨年は源氏物語先年紀が祝はれ、あちこちで企劃展示がありました。つひ先日まで詳しい經緯(いきさつ)を知らなかったのですが、作者の紫式部自身の記録『紫式部日記』の中に、「若紫」や「源氏」と云ふ言葉が出て來て、既にその時に書かれてゐたことが確認されてから丁度千年であつたのですね。
「左衛門督 あなかしここのわたりに若紫やさぶらふ とうかがひたまふ 源氏にかかるへき人も見えたまはぬにかの上はまいていかでものしたまはむと聞きゐたり」
寛弘5年(1008年)11月1日、土御門殿で催された敦成親王の誕生祝いの宴で、秀才と名高い藤原公任が女房たちの控への間にやって來て「この邊りに若紫は居られませんか」と聲を掛けたが、紫式部は、光源氏のやうな美男子も居ないのに、どうして紫の上が居るものかと、いけずに思つて、返事をしなかつたと書き殘してゐます。
それ故、その日を「古典の日」と定め、世界でもゆ類を見ない、長編戀愛小説の誕生を喜んだと知りました。11世紀の初めは、まだ歐州ではそれぞれの國の言葉で書かれた小説もなく、中國ですら不倫や姦通等帝のお話は當然なく、日本人が世界に誇れる小説なんですねえ。然も、教養のひとつとして當時の貴族、そして室町の武家、また江戸の庶民まで讀み繼がれ、現代文譯にしても與謝野晶子、谷崎潤一郎(3回)、圓地文子、田邊聖子、瀬戸内寂聽等から、漫畫まで含めるとかなりの數に上るほど、愛されてゐるんですね。
その上、そこから派生した美術工藝も源氏の場面を描いたものであつたり、色々あるのが凄い。
とここまで岡崎市美術館館長、芳賀 徹さんの特別講義の受け賣りです。その際、Arthur Waleyの英譯が日本語のやまと言葉より細かく區切つてあつて讀み易いことを知りました(笑)。相變はらず挫折したままなので、六條御息所の生き靈が出て來る『夕顔』邊りから讀んでみませうか。
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