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2009年1月 5日 (月)

食の位置づけ

 食べ物とは不思議なものです。年頭から偉さうなことを云ふつもりはありませんが、食に拘はる仕事をしてゐる以上は、人は何故食べるのかとか、食べたものはどうなるかと云ふのは常々氣になる事柄でした。

 普通口から入つたものは榮養素だけ吸収して、排出されると考へますが、その榮養素たるアミノ酸は分子のレベルまで分解され、身體と入れ換はりを續けてゐるのです。「行く川の流れは絶えずして、然ももとの水にあらず」『方丈記』と同じやうな、シェーンハイマーの學説から福岡伸一が述べたことらしいのですが、それを食の達人辰巳芳子が自分の言葉として語り、對談してゐます。

 『食の位置づけ ~そのはじまり~』東京書籍は最近讀んだ本の中では、一番目から鱗。「食を通じて私たちが地球環境の一部として全體につながってゐる」と云ふこと。生命を維持する爲に食べることで、壊れ行く身體を維持し、常につくり變へてをり、食べることで地球の一部に繋がつてゐるのだと云ふ。
 まづはご一讀をお勸めします。


食の位置づけ~そのはじまりBook食の位置づけ~そのはじまり


著者:辰巳 芳子

販売元:東京書籍
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コメント

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ラテン語では「存在する、生きている」という動詞sumの不定法はesse,「食べる」という動詞edoの不定法もesseとなっています。

食べることは生きること、というローマ人の考え方が垣間見えると思います。

投稿: Tiberius Felix | 2009年1月 6日 (火) 00時08分

さすが古代羅馬人の考へ方はしっかりしてゐます。
あの當時にあらゆる調理法が編み出されたと云はれるだけのことはありますね。

投稿: gramophon | 2009年1月 6日 (火) 12時47分

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