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2009年2月17日 (火)

ヴェリズモ

 神話や歴史を題材にしたオペラではなく、《カヴァレリア・ルスティカーナ》や《道化師》のやうに、19世紀末から20世紀初頭に、庶民の間の生活や、現實に起きた事件を題材にした「現實主義」運動のひとつで、伊太利では「ヴェリズモ・オペラ」と呼んでゐます。
 近松門左衛門はそれに先んじて、ワイドショウのやうに心中事件をすぐに戯曲化して義太夫節を附けて、人形淨瑠璃に仕立ててをり、これは「世話物」として町人社會の日常乃至心中事件を描いてゐます。ヴェリズモに先んじること二百年。江戸時代の方が或る意味進んでゐたのかも知れませんね。

 先日、聽いた《女殺油地獄》はそんな近松ものの中でも晩年の異色作品で、放蕩息子の河内屋與兵衛は、借金を斷られた腹いせに油問屋豐嶋屋の女房、お吉を惨殺して逃げると云ふ救ひの全くない話です。1721(享保6)年の初演當時は戀の縺(もつ)れも無い所爲か全く當たらず、お藏入りとなつたやうですが、明治に入り歌舞伎として上演すると當たり、戰後1952(昭和27)年になつて、NHKラヂオ放送で竹本綱大夫(八世)、竹澤彌七の作曲・演奏が人形のない素淨瑠璃として〈豐嶋屋油店の段〉だけ上演し、通し上演は1982(昭和57)年のことださうです。

 現在では舞臺上演され、〈逮捕の段〉もあるのですが、今回の上演は殺しだけでお仕舞ひでした。それだけに、油まみれになつて、刃物を振り亂し、滑って轉んで、追ひ掛ける樣は非常に現實的で顔を背けたくなる程でした。人形ならではの誇張した部分が與計に哀れです。豐竹咲大夫情に訴へる語りもよく、鶴澤燕三の三味線も切れのいいもので、聽き終はつて何とも無常觀に嘖まれます。

 與兵衛は皆から甘やかされて育つた所爲か、23歳の親がかり、自立してゐません。喧嘩はするは、店の金を使ひ込んで遊女に入れ上げるは、どうしようもない男なのに、何か憎めない性格なのでせう。しっかり者の長男は分家して立派にやつてをり、妹も兄思ひのいい子なのにひとりはみ出してしまふ與兵衛。父親が死んでから、番頭上がりの德兵衛が再婚して主人に収まつても、先代への義理堅く、與兵衛に不自由させまいと氣を遣ひ過ぎてしまひます。勘當されても、そっと金を届ける德兵衛に、それと知らずに實母も金を渡さうとする哀れ。これ程、人々に愛されてゐるにも拘はらず、惡行に及んでしまふ。何があつてもおかしくない現代に十分通じる物語でした。

桐竹勘十郎《女殺油地獄》を語る

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