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2009年2月13日 (金)

非人

 幕府公認の敵(かたき)討ちの爲、非人に窶(やつ)して機會を窺(うかが)ひ、最後に見事本懐を遂げる物語故、襤褸(ボロ)着が錦織りのやうになると云ふ意味の題が附いた《敵討襤褸錦(カタキウチツヅレノニシキ)》

 筋書きには單に「乞食」としか出て來ませんが、非人とは佛教用語で、『法華經』に出てるらしい。我が國では奈良時代に反逆罪に問はれた罪人が苗字・官位を剥奪されて「非人」の姓を天皇から與へられたのが最初の記録だと云ふのださうです。

 江戸時代には、死牛馬解体処理や皮革処理をした穢多(えた)と共に、非人は賎民身分であり、人扱ひされてゐないと云ふより、士農工商からはみ出した身分制度上の身分とされます。非人の生活を支えたのは勸進(かんじん)であつたさうな。寺前の小屋ごとに勸進場と云ふ受け持ち區域があり、小屋ごとに勸進権を獨占してゐました。また、非人は行刑下役や警察の手下の役割も果たしたと云はれてゐます。

 するとこの勸進は何かってことになりますが、寺院の建立や修繕等の爲に、信者や有志者を説いて淨財を集める行爲を指します。元はそれにより佛道に導き、善き行ひをさせることでしたが、江戸時代にもなると寄附を集める方法として興行や、その觀覧料の収入を充てることにも使はれたやうです。

 説明が長くなりましたが、今月の文樂東京公演《敵討襤褸錦》の前半〈春藤屋敷出立の段〉で縁談が進む隣通しの家が敵同士になつてしまひ、悲劇が重なる切り場を語つた豐竹嶋大夫の情が滲み出てよかつたです。

 そして、大詰め刀の切れ味を試す爲に、非人を切らうと云ふ何とも物騷な話が山場の〈大安寺堤の段〉です。先日の錦糸さんの講演で、効果音やどこが一番の聞かせ処か聞いてゐた爲、注意して住大夫の聲を樂しみました。前半は寒空の下で陰氣な場面ですが、敵討ちを志す次郎右衛門は仕込み杖を抜いて

  「青江下坂、二つ胴に敷嶋、ハヽヽヽ、親重代でござる」

と由緒正しい刀を持つてゐると名乘るのです。芝居なので正式名の「葵下坂」とは云へません、此処では「青江下坂」と云ひますが、越前の刀工下坂市之丞(康継)及びその子孫の鍛えた名刀のことで、德川家康から「康」の字を賜り、刀に葵の紋を刻むことを許されたと云ふのですから、當時の人なら誰もが知るブランドであつたのでせう。
 それまでが地味なだけに、此処でアッと云はせる見せ場になりますが、殘念乍ら感動するまでには至らず、住大夫の名調子を樂しむだけでした。前知識がないと、理解しづらいところが滅多にやらない演目なんだと思ひます。

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