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2009年3月31日 (火)

美とは

 人に美しさを傳へるのは難しいものです。いくら自分が美しいと感じて、言葉にして傳へても、相手が興味なければなかなかこちらの氣持ちが傳はらず、齒痒い思ひをします。言はなければ、もっと辛い。誰かと「美しい」を共有したくなります。例へば、マーラーの交響曲第9番の第四樂章「アダージョ」冒頭、提琴のG線が奏でる低音の響きが美しいと云つて實際に曲を聞かせても、「へえさうなんだ」程度で終はり二の句が繼げません。

 そんな中讀んだ、橋本治著 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』 ちくま新書 は彼獨特のネチッこい語り口ですが、單純化して教へてくれました。

 まづ、美術品が高いのは、「製作原價が高いから」と實に明快。値段が高い原料が使はれてゐるだけでなく、「質的にとんでもない經費も含まれてゐるから」なんだと嚙んで詳しく教へてくれます。「カッコいいから美しい」と單純化した圖式から紐解き、『枕草子』と『徒然草』の美意識の違ひだとかを述べ、美を實感するのに「豐かな人間関係」が必要だと解きます。自分一人でさう思つてゐても、外へ向けて發信しなくてはならないとか、「美しいが分かる人は」敗者であるとか、介入せずに保護して、その相手の中に「なにか」が育つのを待つのが愛情だとか、一寸變はつた子供であつたからこそ、發見した事例と共に語られます。

 確かに、筋骨隆々な健康勝者に美術は似合ひませんね。

人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)Book人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)


著者:橋本 治

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2009年3月30日 (月)

レトロ

Wine この間、お隣の汐留シティーセンター42階で試飲會がありました。英國産ワインが入つてゐたり、那須鹽原で1882(明治15)年からワイン造りをされてゐる「渡邉葡萄園醸造」はナイアガラ種の甘口や、マスカット・ベリーA種を使ったり、歐州品種のものもありました。味はひもさること乍ら、右から讀む漢字のラベルが素敵です。2006年産のマスカット・ベリーA種は前年産よりも酸は強いものの、厚みもあり、鼻を突くやうな果實香はなく落ち着いてゐるので氣に入りました。もしかすると、リストに載せるかも知れません。
 

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2009年3月27日 (金)

禁忌

 明日、13時30分からの日本テレビ、「サタデーバユーフィーバー」と云ふ番組では「禁斷のウラ事典 ザ・タブー」と題して絶對やってはいけない〈禁忌〉を取り上げます。
 すき燒のタブーに就いて、寸評を求められ、短い時間でしたがきちんと撮影されました。尺の問題でカットされるかも知れませんが… 果たして如何に。

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2009年3月26日 (木)

禮状

 先日の「職業講話會」に參加してくれた、或る生徒さんの禮状には

  …他にも「手洗ひ、うがいは挨拶と同じくらい大切」と云ふ言葉も印象に殘つてゐます。確かに …自分が手洗ひ、うがいをしなかつたことで、食中毒にでもなつたら大變なことになります。 
 お話を聞いて、料理人に對する見方が變はりました。料理人は注文された料理を作つてお客さんに出すだけだと思つてゐましたが、實はお客さんの命を預かつてゐることを知りました。… (原文は現代假名遣ひ)

と感想が書かれてゐました。

 しっかりとこちらの氣持ちは傳はつたやうです。

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2009年3月25日 (水)

張り替へ

Photo 20數年使つてゐる卓子(テーブル)席の椅子座面を張り替へました。以前は麻のキャンバス地のやうなゴワ附いた感じでしたが、染みも多く、だいぶ草臥(くたび)れてゐました。

 新しいものは、御影石調の床とも合ふ大人しい色合ひになり、撥水機能に加へ、中のウレタンも替へた爲座り心地もよくなりました。晝食にでも是非ご利用下さい。

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2009年3月24日 (火)

さやなら子供たち

 衛星放送WOWOWでは、映畫監督ルイ・マル特輯があり、ほぼ20年振りに《さやなら子供たち》を觀ました。監督の自傳的作品で、ナチス獨逸占領下佛蘭西、疎開先のカトリック教會寄宿舎での體驗が綴られてゐます。割と裕福な家庭でお母さんがジャムを寄こしたり、面會に來て一緒に食事をするにしても、一寸お洒落な格好が印象敵です。當時の過酷な状況下での家族、友情、密告、別れが詩情豐かに描かれてゐるのですが、20年前はフランクフルトの劇場で獨逸人に囲まれて觀たので忘れられません。

 第二次世界大戰の最中からして、反ナチスの内容故、何となく回りの人の反應が氣になつて見渡したところ、歴史的事實として淡々と受け止めてゐるのか、特に普通の映畫と同じなのですが、こちらが色々考へてしまふ爲、妙な居心地惡さを感じたものです。米作テレビ番組《コンバット》からして、ナチス獨逸は人類の敵のやうな教育を受けた自分だけでなく、獨逸でも徹底的に反ナチス教育を受けてゐる所爲でせうが、親獨逸派としては、何となく自身も否定されるやうな氣がしました。

 映畫の中で、巡回中の獨逸兵や食堂の將兵は決して嫌な奴は居ません。寧ろ義勇兵の方がユダヤ人狩りをするやうな有樣。同じ佛蘭西人でも、横流しをしてゐたこづかひさんが解雇された腹いせに密告したり、綺麗事では濟まされない人間模樣。

 私の場合、佛蘭西語は獨逸語字幕で、獨逸兵やゲシュタポの喋る獨逸語は直ぐに耳から理解してしまふ爲、自動的にナチス側にされて居るやうな感じを受けてしまふのです。頭で解つてゐても、獨逸語を通してしか理解できない爲、心情的に佛蘭西人の心情なのに複雑な感覺でした。現獨逸では人種差別は殆どなく、日本人だからと言つて肩身の狭い思ひは殆どしませんでした。

 ユダヤ人と云ふ存在自體、日本では別世界ですが、大家がユダヤ人で色々文句を言はれて結局敷金を返してくれなかったとか、「矢張りユダヤ人だから」と諦めに似た表現を普段から耳にし、英國短期留學中、ユダヤ人家庭に世話になり豚肉が戀しくなつたり、鉤鼻の指揮者や街中に黒ずくめの異樣な姿を目の當たりにすると、偏見はなくとも存在を意識せざるを得ませんでした。
 そして、現在の中東ガザ地區やパレスチナ西岸地區では、パレスチナ人を土地から追ひ出し、迫害してゐる樣を見ると悲しくなります。これではイスラエル人とて、ナチス獨逸のしたことと何ら變はらない。彼等の論理もあるでせうけど、何も學んでゐなかつたのか、同じことをしない選擇はなかつたのか、また色々考へさせられます。

 ユダヤ人を匿つた爲、一緒に囚われて出て行く際「さやうなら司祭樣」と云ふ子供たちの聲に對して、「Au revoir, les enfants」とすぐに戻って來るが如くいつも通りに返事をする司祭。折角仲良くなつた友達に對して「さやうなら」とそっと手を擧げることしかできなかつた主人公。ドンパチがない戰爭映畫です。

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2009年3月23日 (月)

仕上げ

Jik 一月から始めた掛け軸もやっと仕上げ、紐を附けて完成しました。緑紙の枠も色合ひがよく、義母の繪と書が引き立ちます。我乍らよきできだと自慢したいところですが、細部を觀ると曲がつてゐたり、如何にも素人臭い失敗が多々あります。初めてだと云ふことでご勘辯を。床の間に飾るには小振りですが、完成できたと云ふ達成感があります。

 來月から絹地で作ります。

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2009年3月19日 (木)

エデン

 獨逸映畫《厨房で逢ひませう》をケーブルテレビで録畫してをいたものを觀る。ミヒャエル・ホーフマン監督作品は、料理もさること乍ら、他に何の趣味も持たない腹の出た巨漢のシェフの戀を心情たつぷり描いてくれた。

 料理が全てで、人附き合ひの下手なシェフ、グレゴアが、休みの日にいつも行く公園で、給仕嬢を遠くから見てゐる。彼女、エデン(原題)はダウン症の子供を抱へ、老人にダンスを教へる夫と共に落ち着いた生活をしてゐたが、グレゴアが溺れさうになった娘を助けたことから、親しくなる。そして、娘の誕生プレゼントに持って來たプラリネを一口食べてから、彼の料理の虜になつてしまふ。

 毎週火曜日、夫が惡友たちと飲みに出掛ける間、グレゴアの店へ通ふエデン。客ではなく、厨房にまっしぐらへ向かひ、3箇月も先まで豫約が埋まつてゐる店の料理をひとり堪能する。官能的な料理にうっとりし、家に戻ると夫にもう一人子供が授かるやうに迫るエデン。併し、夫クサヴァーは二人の間を勘ぐり、嫉妬に驅られ、こっそり忍び込んで地下藏のワインを破壊し、この町から去れと迫る…。

 
 グレゴア役のヨーゼフ・オステンドルフがとてもいい。ナチスの空軍大臣ゲーリングのやうな腹だが、子供の頃から妊婦であつた母のお腹に憧れてゐたと云ふ設定も素敵。直向(ひたむ)きな料理人であり、自分の氣持ちは全て料理に託してしまふシェフォを好演してゐた。そして、毎週通って來るエデンを靜かに見詰めるだけ。友達だからと一線を越えない大人の密かな戀。
 エデン役のシャルロット・ロッシュはごく普通の若い主婦と云ふ感じが出てゐてよかった。これが、絶世の美人ならクサヴァーがもっと監視もしただらうけど、田舎のしがらみの中だけで十分に生きていける筈である。

 シュヴァルツバルト邊りへ行くと、澤山小さなレストランが在る。然も、どこも旨いと來てゐる。昨夏、MotoGPで訪れたザクセンリンク近くの田舎町のホテルも清潔で、料理も美味しかったことを思ひ出す。料理の盛り附けも非常に丁寧に描いてをり、そんな器用な獨逸人シェフは珍しいから流行るのも納得できる。

夕暮れの獨逸の田舎町、牧草地を抜けるメルツェデス、日の落ちた中の針葉樹の匂ひ、佛蘭西や伊太利にはない日の光は獨逸らしい。悲劇で終はらず、救ひのある結末もよかった。お勸めです。

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2009年3月18日 (水)

對談

 『橋本治と内田樹』 筑摩書房を手にする。友吉鶴心さんの爲に書き下ろした詩の作者として、或ひは目から鱗が落ちる程納得のいった『これで古典がよくわかる』や『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』の著者、橋本治は捕らへ所のない人であると思つてゐた。滅茶苦茶頭の回轉が早く、一般人とは違ふ角度から切り込み、ひとつひとつの疑問に立ち止まり、全部解決した上で彼なりの結論を導き出す樣は、途中の過程を抜いてあるだけに唐突で妙な感じなのにわかった氣になるから不思議であつた。

 そんな變は作家は密かな樂しみであり、文壇で大きな顔し、大手を振って歩いてくれるより、端の方で輝いてゐて欲しいと思つてゐたが、どうも本人もそれは自覺してゐたやうです。
 實用書扱ひで出版數が伸びなかった『男の編み物 手トリ足トリ』なんか實はご本人「寫生文の訓練」のつもりで書いてゐたのだとか。 「志賀直哉の寫生文のやうな、決まりきつたこと、明確に存在するものを、きちんと言葉で表現するといふ寫生文の訓練」 であつたと吐露してゐます。

 空が廣かつた1950年代に幼少期を過ごした人、或ひはその頃を知ってゐる人とそれ以降60年代では「斷裂線」があると云ふ。小津映畫の凄さとか、59年までは舗装されず、暖をとるのは火鉢しかなく、平安時代からずっと皮膚感覺が同じで「懐かしさ」を感じるさうなのです。これは、64年生まれの自分でも、辛うじて感じることができる。「人間の想像力」の擴大でしかないかも知れないけれど、明治生まれの祖母から繰り返し聞かされた話や、母方の大正生まれの祖父がポソッと漏らず滿洲での兵隊時代の自慢だとか、それに古寫眞や昔の新聞から得た智識だとか、聯綿とした記憶の繋がりがあります。

 1960年代は都内では舗装も進んではゐたものの、砂利道もあつた。夜明け後、最初に通つた人が消した裸電球の街燈もあつた。七輪で魚燒くことも見たし、練炭ストーヴ、薪の風呂だとかも體驗してゐますが、普段の生活とは別のところで經驗した所爲でせうか。何か世代間の大きな差を感じてゐるのでせうねえ。

 「服を着るといふことは自分を消すこと」服に命を懸けてしまふと、お洒落自體が目的化して戀愛できないとか、自分の20代を振り返ると思ひ當たる節がたくさん出て來ます。中身がないのに外見ばかり氣にして、右往左往してゐた昔を思ひ出します。

 一番共感したのは「美意識の欠如」と云ふ問題。裏地に凝る美意識がなくなり、ブランドものを身に附ければいいと云ふ風潮は嫌だとはっきり申します。「氣がつかないことが美しい」筈であつたのに、コレ見ようがしに持ってると云ふ淺ましさ。「この格式のホテルで、この花瓶を置くのは恥ずかしいじゃない?」と云ふ意識がない。さうだ、さうだと一人納得。これは弊社にも當て嵌まることで、何でこんな品のないもの置いてゐて何とも思はないんだらう。全然、安っぽくて相應しくないと思つて發言しても理解できる人がゐない悲しさ。示唆に富んだ言葉は自分の方向性に就いて、太鼓判を貰つたやうな安心感をもたらしてくれました。橋本さん、貴方は偉い!それを上手く引き出した内田さんにも感謝。
 と云ひ乍らも「誰でも參加」社會になつて、 [ペンションに置いてあった「思ひ出」といふノート] のやうなブログを綴つてゐる譯です。

 「上に立つなりの責任感と偉さうさ、「美しい偉さうさ」を持たなくていけない。」と云はれる通り、一寸芝居がかった五代目でありたいです。

※勿論、原文は現代假名遣ひです。

橋本治と内田樹Book橋本治と内田樹


著者:橋本 治,内田 樹

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これで古典がよくわかる (ちくま文庫)Bookこれで古典がよくわかる (ちくま文庫)


著者:橋本 治

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2009年3月17日 (火)

ラインの河底から

 拍手が消え、全照明が落とされ、オケピの仄かな明かりだけがピアニッシモから「生成の動機」を奏で始める。正に真ッ暗闇の無からの説得力ある始まり故、指揮者がいつ來たのかも判らずに、まるでバイロイトのやうに開始される素晴らしい幕開けでした。

 新國の〈ラインの黄金〉は舞臺に小さな明かりだけが點り、こちらに向けて光を發してゐるが、正體が暫く判らない。依然として暗いのである。漸くスポットライトの中にヴォータンが映寫機を觀客席に向けてゐるのが暫く見え、それが反轉して大きな幕にラインの流れが映し出されると、下には番號札の附いた客席の背が並んでゐる。これで、ヴォータンが過去を振り返ってゐるやうに見える演出だと理解できる。素晴らしい。

 その客席はライン岸となり、ラインの乙女にからかはれたアルベリヒが飛び込むと、その様子が幕に投じられ、ジグゾーパズル状の黄金のワン・ピースが盗まれるのである。そして、このやや歪んだ幕の形の枠の中で、ヴァルハラの城のまるで假小屋のやうな事務所のやうな佇まひとなる。設計圖の前でひとり悦に入るヴォータンを事務員のやうな妻フリッカが、城の代金としてフライアが連れ去られると詰(なじ)る。窓奥から車のサーチライトのやうな明かりが二つやって來ると、それが巨人族のファーフナーとファーゾルトであった。幸福の神フローはずっとカメラを回してゐるのである。

 ヴォータンの知惠袋ローゲはまるで、映畫「カリガリ博士」の中でヴェルナー・クラウス演じる題役のやうにシルクハットに燕尾服とマントで現れる。丸眼鏡を掛けたところまでそっくりだが、ラインの乙女の願ひを傳へ、その黄金を奪ひフライアの代はり與へればよいと入れ知惠し、巨漢の二人は黄金が手に入る迄は人質としてフライアを連れ去ってしまふ。

 舞臺装置が上手に流れると、下手からニーベルング族の地下王國が現れる。アルベリヒの弟、鍛冶屋のミーメは奴隷のやうにこき使はれるとローゲに嘆く。魔術を見學に來たと言はれ、アルベリヒは「隠れ蓑」の力を見せ附ける。大蛇にはなれたが、小さな蛙にはなれないだらうと云はれて、腹立ち蛙になつたところを捕まえられて、天井世界へ連れ去られて行く。

 身柄を自由にする代はりに黄金を差し出したが、指環に呪ひを掛けられ、手放さうとしないヴォータンに知惠の神エルダが危險だと告げ、仕方なく手放すと、フライアの代はりに受け取つた巨人族のふたりは殺し合つてしまふ。最後に刀を取り去ったフライアは手を血に染め、ずっと浮かない顔をしてゐる。

そして、雷神ドンナーの雷が下ろされると、白い空港の待合ひ室のやうなところとなり、虹の架け橋として空から七色の風船が落ちて來て、皆白装束に變はり、北歐神話の神意外にも、お釈迦樣、基督、伊弉諾尊&伊弉冉尊、シバ神、埃及の女王、海神ネプチューン等宗教を越えた神々が集まり、不安定であつた三角の背景の真ん中が割れて、光の中ワルハラへと進むのでありました。炎の神ローゲは城一箇所に留まるのは嫌だと、ひとり黒い装束のまま、煙草をくゆらし、手には炎を掲げ、休憩無しの全幕2時間40分が終はります。

 キース・ウォーナーの演出はかなり奇抜なのですが、まあこんな感じです。初演の時に《神々の黄昏》を觀た際は「トンデモ演出」だと思つたのですが、時代が受け入れたのか、違和感はありませんでした。
 歌手は凸凹も少なく、突出して上手な人が居る譯でもなく、無難な選擇でありました。併し、いつもは小氣味よく疾風怒濤のやうな筈のエッティンガーの指揮は師匠バレンボイムの重さを準(なぞら)えたのか、重厚さばかりが目立ち、やや遅めのモサッとした感じばかりが目立ちました。勿論、東フィルからあれだけの音の強弱を引き出す腕は一流です。どっぷりワーグナーの音の渦に浸る感じは代へ難いもの。それ故、じっくり丁寧に、細かく説明するやうなテムポに驚いた譯です。來月の《ワルキューレ》に期待しませう。

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2009年3月16日 (月)

スーパー歌舞伎

Kabuk 猿之助一門得意演目のひとつ「独道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)」を觀ました。

 これは、四世鶴屋南北が1827(文政10)年に初演した作品を、大幅に短縮して現代風に改めたもの。丹波の國の由留木(ユルギ)家にお家騷動が起き、家督に必要な「九重(ココノエ)の印」「寶劍雷丸(イカヅチマル)」を取られまいとして京都の三条大橋から日本橋まで、双六のやうに次々宿場町を變へ乍ら、事件が起きて行きます。
 それをパノラマの如く背景を右から左へ流し、人々が上手へ向かつて歩いてるやうにして、テンポよく物語も進み、時折現在のギャグや風刺を混ぜて、初めて觀る人にも理解し易い内容となつてゐるのは素晴らしい。

 但し、古典に慣れた人には正直早過ぎて何だかよく理解できないうちに進行してしまふ。言葉が聞き取れない人が居たり、感情の高まりなどを表す際、演技の途中で一瞬形を決めて靜止し、繪畫的な見せ場をつくる「見得(みえ)」も多すぎて、盛り上がらない。

 それでも、前評判通り化け猫の宙吊り、本物の水を使つた滝下での果たし合ひ、市川右近の一人12役早變はり等の見どころは澤山あり、最先端舞台装置が活きてゐます。十二単を着た化け猫が、手を拱(こまね)き、袴の足を優雅に漕いで進む樣は怖いより痛快でした。

 歌舞伎の義太夫節を擔當する「竹本連中」は文樂と違ひ、がな切り聲を張り上げ、常々「情」が感じられないのでしたが、今回の竹本幹太夫と豐澤長一郎の淨瑠璃は御簾越しでも十分に聞こえ、甚だ効果的でありました。

 役者はやや顔のでかい右近を筆頭に、笑也の女形姿、長身の段治郎、春猿の艶(あで)姿も樂しい。所謂エンターテイメントとしては、非常に上質なのです。だからこそ、全體としては、まるでカラヤンのクラシック音樂のやうに、目を見張り、耳を凝らし、存分に樂しませてくれますが、見終はつた後に何も殘りません。痛快娯樂劇でしかない。主人公に感情移入したり、自分が犠牲になり人助けをできるか等、色々と考へる暇すら餘へてくれません。かういふ萬人向けの歌舞伎を否定するつもりは全くありません。寧ろ、十分に存在價値を見い出しましたが、生憎、自分好みでないことが分かりました。

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2009年3月13日 (金)

格言なのか、戒めか

 題名に惹かれて買つてしまつたTADANAGA著 『別れ際に握手する奴とは二度と會ふな。』 ビジネス社。特に由來や著者の過去事例があるでもなく、格言のやうに羅列がひたすら續く本故、直ぐに讀み終はります。

 自分が別れ際に握手する場合を考へてみますと、

  ○相手が外人でどちらともなく、普通の挨拶として。

  ○久し振りに會つた友達とゆっくり語り合ひ、また次回は何時逢へるかと分からず、寂しさを紛らわす爲。

  ○こちらがご馳走して貰つたり、恩義を感じた時。

くらいしか浮かびません。相手が異性だとしても、特に触れたいからとか、下心があるからと言つて握手はしたことはないので、何故「二度と會つてはいけない」のか腑に落ちません。
 他には、薄笑ひしてしまふもの、大きく頷くもの、色々書かれた中には

 「レストランで從業員を怒鳴る奴は、身内にも同じことをする。」

と云ふのもありました。これには賛成です。現在、すき燒屋の主人を繼いでからは殆ど、お客さんに頭を下げるやうな大失敗はありませんが、ベルランではよく頭を下げたものです。從業員には、勿論お客さんを怒らせるつもりはなかつた筈ですが、ほんの何かの彈みで突然怒鳴る人は居るものです。そんな時は低頭平身お詫びして、嵐が過ぎ去るまで、謝り續けました。
 人の親になつて、聲を荒げることは減りましたから、叱るでなくて、怒鳴る=威嚇しても何の意味もないと思ふことを知ってから、さういう人が哀れで仕方ありませんでしたね。

 著者としては、買つて貰ひたいでせうが、本屋でパラパラでも、十分樂しめます。13日の金曜日に相應しい内容でせう(笑)。

別れ際に握手する奴とは二度と会うな。Book別れ際に握手する奴とは二度と会うな。


著者:TADANAGA

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2009年3月12日 (木)

零地點

0 たまたま、東京驛の山手線プラットフォームに立つて、何の氣なしに前を見ると、穴の空いた標識を發見。どうやら零を形取つてゐるやうです。近附いてみると、そこが日本のJR鐵道の距離の基となる、出發點、即ち零地點標でした。直ぐ右側には0.6米の標識も見えます。こんな所に在るとも知らず、見過ごしてゐましたねえ。

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2009年3月11日 (水)

大阪辯

 東京者としては、押しの強い表現に氣後れする所爲でせうか、どうも關西辯は鼻に附いていけません。何だか、ずけずけと土足で心の中に踏み込まれるやうな厚かましさを感じるのは自分だけでせうか。それが、不思議と大阪や京都で地元出身の友達に會ふと嫌味を感じたことはありません。低俗バラエティー番組の氾濫で、吉本所屬の藝人を見ない日はないと云ふほど溢れ返つてゐる反發かも知れませんね。

 やつと、住大夫師匠の『なほになほなほ』 日本經濟新聞出版社 を讀みました。元は「私の履歴書」に書かれたことに加へ、傳統藝能に携はる著名人との對談が載つてゐます。本の題名は藥師寺の管長、故高田好胤さんからの「奥深き語りの技を ただただに磨ききたりて今日の功(いさおし) なほになほなほ」から取ったもの。
 ずっと大阪辯のオン・パレードなのですが、すんなりどころか、柔らかく、優しい言葉として腹に収まります。「近頃は訛まってる」と言つて、樂屋での東京辯に怒り心頭のご樣子ですが、文樂が東京辯では樣にならないのも事實。

 來月は大阪文楽劇場開場25周年で、《義經千本櫻》を通しでやり、たぶん、住大夫師匠は〈すしやの段〉を語られるのでせう。後何回聽けるかと思ふと、大阪に行きたくなります。

なほになほなほ―私の履歴書 (私の履歴書)Bookなほになほなほ―私の履歴書 (私の履歴書)


著者:竹本 住大夫

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2009年3月10日 (火)

句會

 すきや連では「句會」をもたうとの話も上がり、真ッ先に私のところにも一緒にやらうと聲が掛かりました。どちらかと云ふと短歌の方が好きですが、まあ、素人で會食の傍ら樂しむ程度であれば、喜んで參加します。

 原田信男著 『食をうたう』 岩波書店 には、『萬葉集』から俵万智まで、詩歌に詠まれた「食」を集めてゐます。五七五若しくは三十一文字に作者の人生觀、時代も描き出されてゐるから不思議です。
 中でも秋元不死男(1901-1977)の

  へろへろとワンタンすするクリスマス

は氣になりました。冬の宗教行事が日本に根附いたとは云へ、「不死男の眼には、どう見てもクリスマスは富者の繁榮としか映らなかった。」と筆者が指摘する通りでせう。基督降誕祭だからと云つて、鶏を食べるでもなく、「貧しい庶民の東洋風儀禮食の象徴」をツルリと食べるでなく、へろへろと云ふ言葉で表された食感。

 或ひは高村光太郎の大正元(1911)年の「狂者の詩」に有る

  コカコオラ、THANK YOU VERY MUCH

の新鮮な驚き。
 おおらかに肉食賛美をした「万葉集」の歌、鮮やかな包丁の冴へ、日々の食卓を詠ったもの、手間暇掛けた料理等見落としたがちな日常からハレの日まで、色々選ばれ、實に樂しい讀みものとなつてゐます。

食をうたう―詩歌にみる人生の味わいBook食をうたう―詩歌にみる人生の味わい


著者:原田 信男

販売元:岩波書店
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2009年3月 9日 (月)

瘋癲

 〈瘋癲(フウテン)〉とは『大辭泉』に拠れば第一に「精神の状態が正常でないこと。また、その人。」、第二に「通常の社會生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。」となつてゐますが、こんな難しい字を使はず普通、第二の意味に〈風天〉の文字を充ててゐます。
 この〈風天〉と聞いて、真ッ先に思ひ浮かべるのは山田洋次監督作品群「男はつらいよ」の主人公「車寅次郎」でせうか。

 27年間48作の印象は餘りに強く、また本人も「寅さん」のイメージを崩さないやうにした所爲か、一歩家を出れば、「寅さん」と認識されるか、藝名の渥美清としてか見られず、田所康雄(本名)は消え去るやうな生活をしたことでせう。併し、彼の趣味は俳句であり、その俳號が「風天」でした。

 先月のすきや連で知り合つた森英介さんの近著『風天 渥美清のうた』に彼のひょうひょうとした俳句が澤山出てをります。俳句の世界だけは、伸び伸びできたことでせう。句會で讀み上げる調子がとてもよかったとか、思ひ出話も多く、渥美清の別の一面が炙り出されてゐます。

風天―渥美清のうたBook風天―渥美清のうた


著者:森 英介

販売元:大空出版
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2009年3月 6日 (金)

女神凱旋

 バイロイト音樂祭でも活躍中のメゾ・ソプラノ、藤村實穂子の「獨逸歌曲の夕べ」を聽きに、氷雨降る中、紀尾井ホールへ赴く。ロングドレスに短髪で洋琴の前へスッくと立つと、もう曲は始まりぬ。ロジャー・ヴィニョールズの輕快であり乍ら、溜めはたっぷりと取つたシューベルトは身近な存在。とりすましたところのない、農婦のやうな親しみが籠もる。女神の發音はとても聞き取り易く、文字面が頭の中に浮かぶやう。それでゐて、深い息に支へられた聲が會場一杯に響き渡る心地良さ。

 今まで生演奏で聽いた〈ヴェーゼンドンクの歌〉が嘘のやう。これが本物と云ふ存在感。フラグスタートのやうな高貴な感じこそしないものの、トリープシェンのワーグナーの館を思ひ出し、女泣かせのワーグナーも好きな女には尽くす體質なのであらう、彼女の名前はかうして殘つてゐる。ムーアの洋琴よりやや早めのテムポでも、曲のもつ奥行きはしっかりと傳はつて來る。どっぷりワーグナーに浸ると云ふよりは、半身浴でもするやうに、心に染みいつて來る暖かさ。

 若い頃のリヒャルト・シュトラウスの歌曲は音粒は多いものの、簡潔として、清々しさがある。初めての曲も原詩と共に聽くと言葉がスルリと入り、意味と共に頭の中で反芻して鳴り響く。そして、マーラーも輝きのある若々しさが全面に出て、青春の惱みや挫折がくっきりと描き出される。

 何と美しいことか。洋琴は飽くまで伴奏に徹して邪魔をせず、歌聲を引き立て、豐かな重奏となる。アンコールには、フラグスタートの持ち歌であつたシューベルトの「夕映へに」と、リヒャルトの「明日の朝」。靜かな餘韻の中、霙(ミゾレ)降りしきる中、樂屋口で待つこと小一時間。自筆署名を貰ひ、藤村さんの温かい人柄に接し、雪中歸途へ。

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2009年3月 5日 (木)

給食

Kyushoku 昨日は教育實習以來、墨田區の學校給食を戴きました。トマトスープにカレーパン、牛乳、蜜柑。今はアルマイトの食器ではないのですねえ。美味しく戴きました。

 そして、職業の話ですが…
 まづ手を洗つて貰ひ、衛生管理の話から始め、すき燒とは、松阪牛とは、鍋料理には交通整理の「鍋奉行」が必要だとか、店の掛軸等古い調度品の扱ひ、器に就いて、ワインは空瓶を開ける真似から見せ、薄利多賣ではないとか、原價率、動的平衡だとか…
 色々話しました。

 映寫機を使ふでもなく、語り中心なので、どこまで理解してくれたか不安でもあります。併し、下手な話でも、生徒さんたちは熱心に耳を傾けて、誰も寝るやうな人はなく、他の講師の方々のお話を是非聞きたくなりましたね。

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2009年3月 4日 (水)

職業講話

 中學生相手に仕事のお話をして來ます。食べ物に就いて、飲食業に就いて、少しでも理解が深まると嬉しいです。

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2009年3月 3日 (火)

滿開

Hana うちの子供の學校給食の内、食堂で食べる際に、卓子番號と生徒名を書いたものを置くやうですが、その札を係の子が毎回工夫してゐます。以前「ブレーメン號擬き」を作り、好評を博した所爲か、その後幾度もお手傳ひし、六年最後にまたお鉢が回つて來ました。

 今回は卒業を間近に控へ、滿開の櫻を囲むやうにしたいとのこと。かみさんの思ひ附きで、發泡スチロールの球體で櫻を表現して、太い幹を作ればいいと云ふので、一緒にハンズへ行き、櫻色の紙五種、櫻の花形のパンチ大小も一緒に買ひ、作業開始。
 共同作業が大事ですから、まづ型抜きをさせ、櫻花にボールペンの裏を使つて中心に凹みを作り、雄蘂(オシベ)を描き、發泡スチロールを隙間なく順繰りに貼つて行きます。途中、宿題があるからそちらをやらせ、結局お父さんがひとり夢中になつてしまひました。そして、臺となる部分は歌舞伎の舞臺のやうな柵に幹を描くやうにし、その芯を段ボールで作りますが厚い爲、普段工作をしない子供では真ッ直ぐにカッターで切れません。上から色紙を貼るので、その邊りはどうにでもなるのですが、慣れない作業に四苦八苦してゐました。

 雛壇を參考にしたのですが、完成したものを見ると、意識して作った譯ではありませんが、何だか維納分離派(ゼセッション)の建物のやうです(笑)。後は繋げた人型に名前を書き入れるだけなので、そちらは本人だけでやれさうです。

 尚、資格を取る爲に申し込んだ大學から許可証が届く。通信教育とは云へ晴れて、大學生!

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2009年3月 2日 (月)

隠岐牛

Chinya レス協総會後の食味會は淺草の「ちんや」さんで非常に珍しい隠岐牛をご馳走になりました。隠岐の嶋で生まれ育つた黒毛和牛は元々數が少ない爲、出回ってはをらず、都内でも限られた店でしか食べることができません。最近やっと芝浦にも入つて來たと噂には聞いてゐましたが、食べる機會に惠まれるとは思ひも寄らず感激一鹽。然も、生産農家の隠岐潮風ファームの田仲壽夫さんもいらして、場を盛り上げてくれました。

 弊社とは肉の厚みも違ひ、すき燒の炊き方も違ふので簡單に松阪牛とは比較できませんが、甘い脂身と言ひ、旨みの凝縮した味はひはさすがです。仲居が附き切りで世話するのではなく、「好きに燒くのがすき燒」と云ふやうに、各鍋毎に各々味附けして食べて下さいと云ふのも嬉しい。自分の卓子は三名で食べてゐた爲、私が鍋奉行となり、各器に取り分けました。慢性胃炎の所爲か、油ぽいものを避けてゐましたが、今日は特別にペロリと125グラム美味しく頂きました。最初に千住葱を燒いて香ばしさを出して、肉を載せ、それから割り下と云ふ順番。二度目の「ちんや」さんですが、頑張つてゐるなあ。色々なすき燒があるものだと勉強になります。


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